今年もよろしくおねがいします。

すっごい長文を書いていて、今、一気に消しました。

ああそっか、もう、小僧の人生も、お嬢の人生も、私から見て語ってきたけど、それぞれがそれぞれのものなんだよなあ・・・と思い直したからです。

小僧が言って、ちょっとしびれたコトバと成長っぷり。お嬢の、他者には絶対見せない、死にものぐるいな努力。そういうのは、母親を感動させるけれども、半永久的に残る媒体で公開すべき年齢ではなくなってしまいました。

相方の作品に登場する私はほぼフィクションですし、作家と暮らすというのはそういうことだと覚悟して嫁いだので私が露悪的に扱われるのは全然オッケーですが、子どもは親を選べません。それによってご飯をいただいているので、多少ネタにされるのは宿命(フリーランスは根っこがブラックなんだよ)と言い聞かせてきましたが、このブログは私の趣味であって、お仕事ではないのでした。

もちろん、仕事だったら何でも許される、と言っているわけではありませんが、食うために明らかに非合法なもの以外売れるものは売る、面白い読み物のためなら無茶もする、という姿勢は、私もフリーランスでしたのでよくよくよく理解しています。

でもいつの間にか、子どもは「私の子ども」ではなくなって、一人の人として生きています。私のストーリーの主要キャラではなく、彼らのストーリーの主人公として。

もちろん私は私自身が大好きですし、私自身が主人公のお話から降りるつもりは全くないですから、彼らがちょろちょろ登場するのは当然なんですれども、彼らが考えたこと、彼らが頑張ったこととは、私の視点で見て書くときには気をつけて考えないとな、と思います。私がお付の記者として彼らのいろいろを、彼らの視点で書くのならばともかく。

例えば、お嬢が正月返上で勉強するために寮から帰ってこなかった。

これがどういうことであるかの具体的な説明は出来ない、お嬢の事情だから。ただ帰ってこなくて親としては寂しかったので同じ料亭からおせちを買って、同じ味を味わおうとしたことは書ける。同じ金額出すなら、家族でいいレストランでのフルコースランチの方が絶対に良かったよなあ、という感想も書ける。一緒に送ったレトルトの雑煮をお条がお友達と年内に食べてしまったことは本当は書けない、でも「一分一秒を惜しんで勉強しても、栄養が偏れば本領は発揮できない。料理ぐらい作れよ、小松菜とかまぼことカシワとかつおだしを、いや鰹節と削り器を送りつけてやろうか!」という母心の叫びは書いてもいい気がする。

年末に急騰するかまぼこと伊達巻に激怒しつつも、なるとまで入った特上品を買ってきてくれた相方のことは全然書ける。でも、伊達巻のないおせちはおせちじゃないと思うの、というお嬢からの涙のクレームと、伊達巻を2つまるまる独占して食い尽くした姪が「それはそのとおり!」と言い、「じゃあ頑張っているいとこに伊達巻を届けようぜ」親族ご一同様家族ツアー計画が持ち上がって、伊達巻の品質から個数から、日程から旅行会社から、まあすっごく盛り上がった。でもこれは箱根駅伝をこたつで見るのが大好きな親族一同らしく、応援すれども統治せず、まず実行に移されることはない、ということは書けない、多分。あれ? このぐらいはいいのか。よくないか?

そういう分類がめんどくさくなって、本当に筆不精になった去年。それは今年も相変わらず続きそうです。

毎日の出来事はツイッターで。

まとめてどうしても語りたい長文だけ、この日記で。

今年は塾も立ち上げるし、大人の部活として弓道にもより一層力を入れたいし、きもの部もあります。その他にももちろんややりたいことだらけで困ってて・・・年をとって体と心の変化も面白く、こういうのもちゃんと綴っていかないとなあとも思っています。そういうのも、こっちの方で。

ゆるゆると。無理せず、ゆっくり、だけどたっぷり、生きていきたいなあ。というのが、今年の抱負ですかね。

そんな私ですが、今年もよろしくお願い致します。後一週間で、2月ですけれどもね。

2015年、ありがとうございました。

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いろいろとお世話になった方には、お世話になりました。

ありがとうございました。

年賀状は喪中はがきが続いて以来、欠礼し続けています。もう多分、自分から出すことはないかと思います。失礼の段、申し訳ございません。

今年はお嬢がいないお正月なので、お嬢にお一人様用のおせちと雑煮を買って送り、同じおせちを購入して家族で楽しもうと思いました。

昨日届いたそれは豪華絢爛で、お正月気分が一気にやってきたのですが、あとは数の子とかかまぼことかをいくつか買い足して、さて重箱にどうやって詰めようかなーと思案して気づいちゃったことがあります。ここから五時間かけて田舎にお年賀に行くわけで、汁が車中にこぼれちゃうよねきっと。・・・というわけで、十秒考えて、パックのまま持っていくことにしました。綺麗に洗ったお重は三の重までは空で、一応五段目に餅、四段目に焼いた鯛を入れて行きます。

煮物ぐらいは作ろうと思っていたのに、煮物も丁寧に小分けされていたので、おせちに関しては飾り切りをするぐらい。初めて通販でおせちを買いましたが、なかなかいいものですね。簡易包装なのに、おせちそれぞれの意味や、盛りつけ方の説明書も入っていて、心尽くしを感じます。料亭の味、どうか大当たりで有りますように。

民族の大移動は渋滞覚悟。そんなにしてまで、会いたい人に会いに行く。

会いたい人と、新春の慶びをわかちあう。

それが私のお正月の正しい過ごし方です。一年を三百六十五日に切って、特別な日を作るってのはどうなのよ、今日も昨日も変わらない1日でしょ。そもそも誰かが適当に言っただろうダジャレや語呂合わせをありがたがるっていうのは、いかがなものかと、合理的な相方は言うのだけれど、そんな偏屈な相方を命がけで産んで愛情深く育ててくれた人に、毎年、真っ先におめでとうを言いに行く習慣は悪くないよなあと私は思っています。

姪1の新居祝いと、姪2には駄菓子詰め合わせセット。落差が大きい気もするのですが、気は心。

本来は受験生のはずの小僧は、付属高校の新設クラスの入試資格が得られず、そのままエスカレーターで高校に上がることになってしまったので、今は英検と漢検のドリルを思い出した時にちょろっとやる程度のぬる〜い空気を醸しています。お嬢は帰郷しないで残留勉強、正解だったわ。多分、こっちに帰ってきたら死にものぐるいの勉強など出来なかったに違いなく。

ただ、爪の垢を煎じて飲ませたかった気はする。小僧のまったり感は、三年後の今頃、泣きを見ている気がしてならないです。まあそうなった時に泣けばいいね。

泣いて強くなる。

それは三年間のスポーツ生活で、小僧に感じる成長でもありました。今はただ、チームに感謝するばかりです。中学時代といういい時期に良い挫折を与えていただいたなあって、心から思うので。思い通りにならなくても心が折れなかったのは、いいチームメイトに恵まれていたことと、中学校に視野を広くもてる指導者と優しい仲間と共に、確固たる居場所をもてたからだと思います。中学でサッカーをするために私学を選んだつもりが、その私学が小僧には実にフィットしていて、サッカー以外に得られたことが実にたくさんあって。偶然だったとはいえ、いい学校にご縁があったのは強運でした。決してブランド校ではないけど、本当に学校との相性って大事だとつくづく思った三年間でした。あと三ヶ月、あるけどね。

来年からは、思う存分、自分の考えるサッカーができる環境に身をおいて、頑張って欲しいわ。勉強もね。できれば、そりゃ三年後に泣かないほうがいいからさ。

今年も暮れていきます。

泣いたり笑ったり、頑張ったりへこんだり。忙しく過ぎていった一年でした。

日記代わりに毎日ツイッターを欠かさない一年でもありました。この一年、関わってくださったすべての方に、感謝です。

それではみなさま、どうぞよいお年をお迎え下さい。

さあて、まだ大掃除が残っているので、最後の一分一秒まで、諦めずに頑張ります!!

11月の日記

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ツイッターを見ると、なんかいろいろ忙しく楽しくしていたらしい。

ツイッターのまとめでいいんじゃないかという気もするし、しかし長文に未練がないわけではなく、揺れるおばちゃん心である。

そういえば先日。

ちょっと困っちゃったのは、とある行くべき場所に行こうとすると、ものすごく体が重くなって足取りが重くなったこと。階段が登れない。心臓が破裂しそうなほど高鳴る。正直、そんなのは長年生きてきて初めてで、私はそういう状況になる前に居場所づくりのために工事を始めちゃうか、さもなくばとっとと逃げてこれを回避してきたんだなあと改めて半生を振り返ったよね。

足が動かないわけじゃない、ただものすごく重くて、走れない。意識的にはむしろお気に入りの場所だと思い込んでいたし、嫌だとはちっとも思っていなかったから、最初に息切れがした時には本気で不整脈を疑った。

「そうか、私はきっと今、あの場所に行きたくないんだ」

とその後も不可思議な状況が幾つか続いて、やっと思い当たる。これ、防衛機制だったのね、と遠い昔大学で学んだ心理学が役に立った。

きっとずっと意味を考えずに無理して頑張ったり、ちょっと思い当たっても気合でのり切ろうとしちゃうと、心の病気になったりするのだなあ。うん、なるわこれはなる。うんうん。としみじみ実感した。

「新しい発見があったんだから、よかったんじゃん。意義深い1日」

と言い聞かせて、重い足取りで向かい、事後、本当に好きな場所に行って深呼吸。全身の空気を入れ替えた。

しかしまあ、ああ、大人でよかったと思うよ。幸い、逃げ道はたくさんある。

同じ心臓が高鳴るのなら、海老蔵を見て「ステキ」(はーと)という具合がいい。ツイッターでもブログでも、くだらないことしか語っていないのだけれど、やはり長文でなければ語りきれないものってあるよなあ。

さて、来月は主宰のお習字ラボもプレ開業。来年からの本格始動に向けて準備に余念が無い。

看板ナシで始める、自由書道だ。

塾に来られる場合は、一時間お一人様三千円、定員二名までで対応。あるいは、出張交通費別で個人教諭も。それに特化したブログ製作中。来年は、もまた、動きまわろう。

学校や職場がつらくなっちゃったりした時の駆け込み寺的な居場所。うれしかったり悲しかったり、高ぶっている時感情を墨に乗せる場所。あるいは、一瞬、筆と半紙でアーティストに変身できるスペース。

配慮が必要なお子様には特に、いい時間になるといいなと願って、固定のお教室としては療育施設の一角をお借りする。一緒に来られる保護者さまの時間を、ご相談に使っていただくこともできるかな。

そんな風に思って立ち上げるんだけど、放課後支援をやっていると、配慮が必要ないお子様なんて誰一人いないんじゃないかと痛感している今。しっかり、手をかけ、目をかけ、言葉をかけ続けたい。

そして、自宅周辺で放課後支援が終わった後の時間を過ごせる書道塾が開けるアパートも探している。

いい方向に進みますように!

枯れた憤怒の泉

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ウェブサイトに書き込むことは、玄関に貼り出せる内容。

というリテラシーはわかりやすくていいなと思った。

私は今まで、もちろん玄関に貼り出せることを情熱と責任をもって、書いてきたつもりだった。

でも、私一人で生きているわけではない。

お嬢や小僧が私の完全なる庇護下にあるときには、多少の私物化も許される気がしていたが、今や独立したお嬢と、思春期ど真ん中の小僧に、必要以上に軋轢を与えたくないと考え始めると、今具体的に子どもたちの抱えている問題を詳らかにする訳にはいかない。あるいは、団体・・・学校やチームや部活やPTAに感じていることなどは、絶賛ならばともかく、それが仮に否定的であれば、そういう発言もほぼほぼできない。

かつて、私を突き動かすエネルギーは憤怒であった。

例えば、小学校のPTA、こんなところがおかしいよ! と思えば、堂々と発言し、そしてみんなに提案して考えて、できることを改善していこうと思った。後から続く人のために。一時期は寝る間も惜しんで東奔西走するほど、夢中になって、おそらくそれはとても楽しく活動していたのだと思う。一生を通じて大切にしたい戦友のような友達がご近所に大勢できた。この地域を大切に想い、大切に暮らしていきたいと思った。話し合いによって色々な考えを知ることは私を大いに成長させてくれた。自分の意見がそのまま通ったためしはない。しかし、声の大きい人に付和雷同するべきではないから、どんな小さな声にも耳を傾けたい、私情より民意を反映させたいと思ってきた。対立したり異なったアプローチを必ず念頭において、互いの利益を最大に考え、融合させて落とし所を探る方が、より良い着地点を得られることも学んだ。

悩んで、考えて、悲しんだり苦しんだりすることは、きっといつか大きな花を咲かせるための種になる。PTAだけでなく、男女別姓法制化の運動も、福祉関係のボランティアも、町会関係のボランティアも、大学のサークルも、全部私の興味から所属した団体での活動は、いずれも私の成長に不可欠な、熱い熱い熱い日々だったように思う。

実際は、悩んだり苦しんだりの倍以上、笑って楽しくて、という副産物の方が多かった気もするんだけれども。

で、今。

老成してしまったのか、面倒くさくなったのか、明鏡止水、もう「こんなところがおかしいよ!」と思う事自体が激減しちゃったのね。憤怒とか、赤い玉が出てどこかに飛んでいってしまった。

怒ることも怒鳴ることもなくなってしまったし、当然、何がどうこんがらかろうと、あるいは法律上こうあるべきでは・・・制度上、こういう運営のほうが・・・と気づいてしまったところで、声高に叫んで行動したり、調整役を買って出る気力がない。

もちろん、今でも義に反すれば、私は立ち上がる。・・・つもりはある。

それは絶対におかしいんじゃないの?と思えば、発言は躊躇しない。・・・っていうか、そこは我慢できない。

テニスならスプリットステップで、弓道なら跪坐で、いつでもその準備だけは整えておきたいと思う。

だが、例えば夢中になっている「弓道」の制度に不可思議なものを感じたとしても、大きな武道という流れの末端からまだ本流を覗きこむことすら出来ない状態で文句のひとつも言いようがない。PTAは伝統校には伝統校のやり方があって、その末席に静かに座っていればお膳立て通りにことは運んでいく。このお菓子は無駄だよなあと思う反面で、老舗の美味しさを教えてくださってごちそうさまと素直に思う自分もいる。丸くなった、身も心も、腹回りが特に。

仲良しサークルや趣味のボランティアはよく知っている人たちなので感じたままを発言するが、いずれも「おたのしみ」でやっていることなので、そこに絶対貫きたい信念などすでに、ない。だって、大局はおたのしみじゃないか。と、思っちゃうからね。よほど許せないことがあれば譲らないかもしれないが。

困ったなあ。書かないではいられなかった物語も、もうない。

寝ないで文章にぶつける情熱が枯れた。

ちょっとつぶやいていれば、全然満足。

51歳になって、これが不惑ということなんだろうか。こんな私は本当に私なんだろうか。

更年期性の鬱に突入してしまっていませんように。

なんて忙しく充実した日々

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最後に更新したのはいつの事だっただろう。

初めての射会に出場して羽分けを出し(4本の矢のうち二本的中)、その時に出産以来久しぶりに最大のアドレナリンがダバダバ出まくって、もうすっかり弓道の虜になってしまった。

というご報告はしたのだが、以来、あいかわらず的中率は18%を低迷している。

それでも生涯的中数は113中に増えていて、コツコツ精進の日々。

お嬢の部活の付き合いそのままに始まった、大人弓道の会は月に一回だ。

メンバーの大人たちは在勤在学ではないため地区の連盟には名を連ねることが出来ず、ということは当然、段級審査を受けることが出来ないというのもあって、何よりも、もっとうまくなりたいという意欲がメンバーをそれぞれ在住在勤の地区連盟への参加に駆り立て、皆それぞれに初心者講習会や自主練に余念がない。

私も、団体に所属した。

初めてのお稽古日、三時間半道場にいて、引いたのは一手(二本)。覚えるべきしきたりは五十の手習いにものすごくハードルが高いのだが、徹底的に巻藁に付き合ってくださるご指導、諸先輩方の所作のうつくしさに半ば見とれていた見取り稽古、まだあやふやな坐射もかっちりご指導いただいて、充実感は半端なく。

もともと崖っぷちが大好きなタイプなので、弓道の「自分との戦い」が心地良いのだと思う。いつでもどこでも、自分で崖っぷちを作れる。どんなMだよ、と自嘲しつつも、日々日常で正座や跪坐、背筋を伸ばしたり、背筋を鍛えたり、ゴム弓を引いたり......と、生活全般が武士っぽくなって、とても心地いい毎日だ。

同時多発的に、書道塾の準備と、実家のリフォームが進んでいて、かなりワタワタしているのだが、どんなときにも平常心を心がけるだけで随分生きて行きやすくなった気がする。いや、それでも普通の人の倍ぐらいワタワタしているはずなのだが、心向きだけでも、平常心というかね。

ただ、室内装飾は全部母の好みにしたら良いと一任していたところ、昨日、引っ越しの手伝いに行ったら実家が、なんというか、その、東京ディズニーランドのアリスのティーパーティーを思わせるカラーリングになっていて、ものすごくビックリぽん。平常心、吹き飛ぶ。

ままま、彼女が幸せなら、このピンクと紫が気に入っているのなら、そ、それでいいんだけどな。

とは思いつつも、玄関まで紫色にするというチャレンジャーな母ヨシコを、傷つけないように傷つけないように、説得した。内装はディズニーランド上等だけど、外観は一応、ご近所との関係もあるわけだしさ。

ブレずに、一途に。大義のために。

ありとあらゆる崖っぷちが、待ち構えているんだねぇ。いろいろあるんだけど、なんとなく弓道を始めてから一本芯が通ったというか、割りといい感じに日々を楽しめている。

今日はこれから、幼稚園児を相手にお習字のお稽古。忙しいって、素晴らしい。

かくありたい

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私が高校生の頃には、聖子ちゃんカットをバッチリ決めて、ブローに三十分かけていました。

思えば、日本中の女の子が聖子ちゃんカットでした。顔の造作を選ばず、万人に似合う、という素晴らしい発明だったと思うのよ、あの髪型は。今でも卒業アルバムを見ると、女子が大半同じ髪型で、聖子ちゃんのジャケット写真のように上目遣いにはにかむ表情をしていて、笑えます。ちょっと明菜ちゃんが入っているヤンチャな子は、制服の袖をまくりあげたりしていました。

私は卒業アルバムを撮った新緑の頃には恋をしていて大変に幸せな毎日だったので、もはや聖子ちゃんを模倣する必要もなく、写真ではなんか一人だけすっごく楽しそうに笑っていて明らかに浮いているので、アルバムの写真は封印していて、先日見てびっくりした、という話なんですけれどもね。

いや、そういう思い出話をしたかったのではなく。

「誰かみたいになりたい」という模倣から始まって、でも自信がついてくると、それがだんだんオリジナルになっていく。という過程を、一番わかりやすく説明するなら聖子ちゃんカットかしら。という感じだったもので。でもこれ、40代限定のお話かもしれないわ。

今どきの子たちは選択肢も多いのか、はじめからバラエティーに富んでいる。それでも最初から完璧に「自分色」という子はおそらく稀で、やはり最初は「型」があるように思います。

「型」といえば弓道です。

っていうか、もう弓道が好きすぎて、それ以外のことを考えるのが難しいの。先日は、ある書類を提出しに行ったんですが、一時間かけて足を運んでいざという時に、その書類を忘れてきていて・・・。なのに、射法八節が書かれた紙はいついかなる場所にも忘れたことがない、という。

ワタシ的には人生史上三大ピンチに数えてもいいその忘れ物話をふくらませることもできるのですが、そんなことよりも弓道です。はい、正直ちょっとおかしいです。これは圧倒的に「恋」に近いから、ごめんね。

弓道を始めておよそ一年がたち、現在生涯的中数が51本です。矢が、的に入った数ね。

家に大木のシールを貼り、一本あたるたびに葉っぱを一枚ずつ茂らせています。まだ、晩秋みたいな寂しさだけど、いつかコレをワサワサに。お手本は、ルーニーの植毛。

51本の分母は、今の平均的中率18%から逆算すると・・・いやいや、初的中まで全くあたらなかった時期もあったわけだから・・・。とか考えると、トンデモナイ射数。とにかく、四本全部当たる皆中なんて久遠の夢だということがわかります。中高生の部活を見ていると平気で当てているけどね。心の底から、マジ心の底から尊敬します、若い先輩方。

応援だけしていた頃には、一本外すだけで「なんだよ、あと一本当ててれば!」とか「四本目を抜くことをチキンっていうんでしょ〜」なんて弓道部の子どもたちと一緒になってわかったようなことを言っていたのですが、やってみると一本の重みがもう全然違うということに気づきます。なにせ、四本持ってて、まず一本も入らないことが多いわけでね。あの頃の非礼をお許し下さい、若い先輩方。

まだまだ初心者の私は、まず「型」を入れて、それを忠実になぞっていく。これが現段階でできる最良のこと。私の中に住んでいる心の恋人「ハッセツ君」は、むっちゃいい声で射法を囁き続けてくれています。暇があれば諸先輩方の動画を見て、研究、研究。青春です。よみがえる、青春です。聖子ちゃんカットをキープするための時間ぐらいはたっぷりかけて「ハッセツ君」のことだけを考え、ゴム弓を引いたり、体幹トレーニングをしてみたり。

型が体に染み込んだところで、オリジナルの引き方になっていくことはその性質上、まずないのが弓道ですが、自分なりの工夫のしどころとか、自分なりの挑戦が出てきたらそれが一歩階段を上がった証拠なのかもしれません。

先日、コーチに背中を押されて、一緒に射会に出ました。

デビュー戦です。

すごい無謀なチャレンジ。

四本持っても一本極稀にあたるかどうかなのに。でも出てみて良かったです。高段者と並んで引くことなどまず滅多になく、勉強になりましたし、巻藁練習し放題、それも緊張感を持ってやれるからグッとうまくなった気がします。

そして初舞台の結果は「はわけ」でした。上出来すぎるほど上出来です。

それはそれは夢のように楽しかったのですが、いや、どうしても言いたいことはそこじゃなくて・・・。

「またかい!」というツッコミはさておいて。

初試合なので、私は前日一時間だけ練習に行く宣言をしたんですね。そうしたら、弓仲間がじゃあ私も僕も、と練習に付き合ってくれた。

もちろん練習当日、私は余裕をもって出発。余裕がありすぎたので相方を車で送ってあげるよ〜と駅まで乗せていった。それでももちろんそこから弓道場まで余裕で着くはず、だったんです。

ところが、いつもと違う細い道に入り込んだら、信号が三回変わっても動かない。横の一通やら住居者専用道路から、ちょろちょろ岩清水のように湧いてきては、私の乗っている一車線に合流してくるわけ。

全く動かないので、左に寄せて(寄せたところで追い越せないが)ハザードランプ出して、「少し早く着くはずがすみません、ジャスト着ぐらいです」みたいに音声でラインに書き込む。

それが、ちょっと遅れそう、あれれ少しかかっちゃうかも先に受付を、変だなまるで動かない、なにこれすでに相当遅刻じゃん、先に引いていて・・・って言っても弓を貸す約束をしている人は、何もやることがないまま弓道場で待っているわけだよなと思うと恐縮すぎて、やがて書き込みは、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・もうね、半べそですよ。グーグルマップを頼りに抜け道を使おうとしたらさらにドツボにハマってさあ大変。

結局四十分遅れ、私一人だったら諦めて帰ったけど、弓仲間はわざわざ遠隔地から来てくれているわけで、駐車場から道場まで走りましたよ。

するとずーっと待っていてくれた男子が、「大変だったねー」と笑顔で走ってきてくれて、荷物をもってくれる。弓を貸すと、すぐに準備をして巻藁に入る。文句ひとつ言わずに。

大事なところなので、もう1回言っておきます。

笑顔で。文句ひとつ言わずに。

あたしさ、泣きそうだった。申し訳なくて、同時に感動して。そしてマイ弓で練習できていた女子の方が、「私はもう十分引いたから」と一気にテキパキ片付けて、「あとはゆうこさんのサポートに徹する」と矢取りから蚊取り線香番から終了時用の掃除から、全部やってくれる。申し訳なくて、その応援っぷりがまた海千山千の連戦を共に応援してきた弓道応援団ママ、戦友! って感じで、嬉しくて、やっぱり泣きそうだった。

管理人さんのご厚情で、18本引いて終了。その後片付けの早かったこと! 

練習が終わって、私は彼らのようにできるだろうか、って、考えたんだ。長距離やってきて、あれだけ待たされたら、私ならどんな態度を取るだろうって。

射の道は仁なり。というけど、本当にその通りです。彼らの高潔な言動に、「翻って私は仁を心がけているか」と、何度も何度も自問自答してしまいましたよ。

かくありたい、と思えるような友人がいることの幸せを、思いました。

若い頃、ヘアスタイルやファッションにおいて、かくありたいと思うのはテレビの世界のアイドルだったり、本当にもう遠い雲の上の人ばかりだったけれど、今は生き方において、かくありたいと思える仲間たちが実に身近にいるわけで。そういう人たちと遊んで、語って、同じ目標を持って邁進して。それって、サラリと言ってる割には結構スゴイ幸運なことのような気がします。だって、アイドルが隣にいるようなもんなんだよ。

そういえば、私の弓仲間は、お嬢の部活仲間の親たちということもあって、大変に個性的で突き抜けてて自尊心が高くて、話し上手で一芸に秀で、程よく上機嫌です。それぞれ放っておいても楽しく生きているから、一緒にいてさらに楽しさが増していく感じ。まさしくおとなになってからできた部活仲間。そのこども先輩方とも、これから大人同士の付き合いになりそうな予感。やだもう、期待しかないんじゃない? こういうのを希望っていうんじゃない?

PTA仲間にも尊敬する仲間がいて、ご近所にも素晴らしい先輩がいて、昔のテニス仲間は飲み仲間とすっかり形が変わったけれどもそれぞれにかっこよくて、サッカーママ仲間には理想の母が何人もいて、仕事、サークル、ボランティア・・・幾つもの所属団体には、必ず「近い」ところに憧れの人がいるよね。今。ああ幸せ。

まあ、それだけ私が足りないということなんですが、そんな壊れかけの私と付き合ってくれるという福祉の心まで持ち合わせている優しいお友達という見方もできちゃうのよ。得難いですよ。なのに、こんなにたくさん一緒に時間を過ごし、かくありたいと思わせる友達がいるって!!

ちょっとそんな幸せを、声高に言ってみたかったのでした。

ツイッターで満足

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ツイッターで呟いた文字の総量は、すでに書籍何冊か分になっていると思う。

楽しいこと、心の動き、疑問、そんなことを「世界に開いている窓」という意識で案外注意深くつぶやけるものだから、いつの間にかブログの長文よりずっと快適な存在になってしまった。ダイレクトメールも機能的で、携帯電話が壊れたままになっている私にはこちらのメール機能が重宝している。投げかけた質問には専門家の返事がすぐに戻ってくる。あるいは知らない人とつながるという面白さもある。

友人だと思っていた人が全く私に絡んでこない、いや多分感心すら持っていなくて私のつぶやきはミュートしているな、片思いだったんだなと思うこともあれば、特に仲良くなかった人と急速に近づく場合もあって、SNSというコミュニケーションツールがなかったら私の友人関係はまた別のものだったのねとパラレルワールドを想像するのも楽しい。

世の中の動きを、私が選別した限られた人だけの発言で知ることがないように、当初は私とは反対意見の有名人などもフォローしたりもしていたのだが、意外に不快だったりすることが多くて、まあいい年だしそれはニュースで読めばいいことかも・・・と、今では限られた知人だけにしている。あまり見たくなかった知人の政治的な発言やRTも、主義主張、信条が違っても友達でいられるわと思えたら本物の友情だ。こんなことを考えられるのも、ツイッターのいいところかもしれない。

140文字に、人間性が出るんだなと思う。

私はめんどくさがりだから隠し事がとても下手だ。それでも、いよいよわが子たちもお年ごろであり、プライバシーは守らなければならない。ううう、日々感じた面白い出来事を文字化しないで飲み込んでしまうのはあまりに惜しい、という二律背反をどうしろというのだとイライラしていた時もあったのだが、ツイッターで見事解消している気がするの。

まあ、私のフォロー先はだれでも見られるわけで、私が何に興味を持っているかなどは一目瞭然、人間関係だって、子どもたちの状況だって容易に想像できちゃう気がするから、プライバシーが云々といったところで笑っちゃうんだが、だからこそフェアに生きていこう! にじみ出る人間性を美しいものにしよう! と背筋が伸びるのもまた事実で。

私が子供の頃には、電話はダイヤル式で、プッシュホンが新鮮だった。携帯電話すらSFだった。和文をプリントしたいなら和文タイプライターを覚えなければならず、英文タイプの利便性を羨ましく思ったりした。自分で留守番電話を買った時には興奮し、手軽に使えるようになったFAXに驚愕し、PCは特別な人だけが使えるツールだと思っていたのにどんどん身近になっていき、今では一人一台のiPhoneを、自分の守護神や妖精のように全員が握りしめている。そんなSFが星新一氏の作品にあった。

あの頃の未来。そう考えると、ワクワクが止まらない。

そういう個人的な興奮は、別に誰の利益にも害毒にもならないが、今なんとなく記録に残しておくと、またここから十年二十年越せに私自身が面白いかもしれないと思った。

2015年、夏の終わり。

私は囲まれている家電の中で最もiPadが好きで、依存傾向すらあるほどで、日々の移ろいを140文字に切り取りながら、毎日未来に触れていることに感謝している。

さ、今日も和服着て、仕事に行こう。

甥と甲子園とこの夏

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第百回大会、接戦の末、夏の甲子園は東海大相模が優勝を飾った。涙が止まらなかったのは、彼らの熱闘のためだけではなかった気がする。

私にはかわいい甥がいる。

可愛いといっても身長は180センチを越え、生意気盛りな高校3年生だ。

生まれて最初に与えられたおもちゃは布製のグローブとボール。目立ちたがりなのは血筋のなせる技か、ポジションは投手。小中学生時代には新聞の地方版に大きく写真が載るようないい選手だった。もちろん、スカウトがかかったり、スポーツ推薦の話があったり。

うちのお嬢は弓道、小僧はサッカーなので、野球のしくみとは大いに異なる。野球のスカウト制度は早くからエージェントが付き、なかなかに興味深った。

早熟に花開いた甥に、私の弟夫妻が賭ける思い入れは恐ろしいほどで、むろんソフトボール部だった私も彼に対する想いは熱く、それにずっと結果で応え続けた甥は立派だったと思う。もしかするとそれが重圧になっているかもしれないなどと私は考えもせずに、無邪気に応援していた。

今年は百年、3906校の頂点・・・と、今、テレビの閉会式では言っている。

その一角を担い、彼の投球で甲子園に出られたらいいね。と、盆暮れ正月に会うたびに、外野は勝手なことを言っていて・・・。

彼の高3の夏が、今年だったんだ。

甲子園なんてとんでもない、彼の高校は、予選であっという間に敗退している。

何より、彼は今、野球部にはいない。

去年、部活をやめているからね。

その事情は書けないけれど、全人生を賭け、プロ野球選手になることを想定して灼熱の夏も酷寒の冬も、朝練、夜練、身を削るようにがんばってきた部活をやめるということが、どんなことだったか想像すると、心が痛む。

生きていてくれてありがとう、坊主頭の毛が生えて、前髪クネオのようなチャラ男になっちゃったとしても全然OKとさえ思う。

きっと、今栄光のうちにある東海大相模やその周辺の学校にも、同じように怪我や様々な事情で野球を諦めた子どもたちが大勢いるのだと思う。たくさんの、語弊があるかもしれないがあえて使う、屍の上にある甲子園の栄光なのだと思う。

たかが、野球。

されど、野球。

今年、活躍したすべての高校球児に、地獄の照り返しの中、スタンドで声援を送り続け「スタメンは君たちのおかげで実力を発揮できた」はずのベンチ外の選手にも、バスを連ねて応援に行った関係者にも、つまりは応援してきたすべての人に、感動で打ち震えた私はありがとうと言いたいよ。

準決勝も、決勝も、いやそれ以前にも震えるほどいい試合はたくさんあった。

それはさ、関係者だけでなく、諦めてしまったかもしれない球児たちの、犠牲のおかけでもあったことにも心を寄せたい。野球から離れざるを得なかった君たちもまた、この熱いドラマの立派な登場人物。

今年の甲子園球児たちは、このあとドラフトにかけられて、ほんの、ほんの一部の選手だけがプロになる。

漏れた選手も、予め漏れてしまっている選手も、この夏の甲子園は間違いなく君たちのものだった。甲子園に届いても届かなくても、想いを寄せたら、それは「君たちの甲子園」だ。ドラフトに掛かってもかからなくても、どうか何度でも生き直すチャンスは有るということを忘れないでいてほしいと思う。

さっさと野球を捨ててしまった甥が、どんな気持ちで今年、テレビを見ていたか知らない。

だが、野球で培ったのは単にプロになるための技術や人脈だけではないだろうと、おばちゃんは信じている。百本ノックで鍛え上げたのは、球を処理する能力ではなく、もっと心の奥底の、何度でもノッカーに立ち向かっていく強さなんじゃないかと言っている。楽な方に流されるのではなく、ここ一番でゾーンに入っていくような感覚を知っているわけだし。それは、アスリートだからこそ経験出来たのかもしれないけれど、あのゾーンに入る感覚は、実は野球以外で、人として生きていくために、活用すればいいと思うんだ。

なんだろう、うまく伝えられないんだけど。

甥よ。

夏が終わるね。。。

光り輝くアスリートの栄光の対極には、本当に痛いほど暗い影に存在するアスリートがいる。

それでも、結果がどうであれ、競技を追求してよかったといえたら、それこそが最大の「勝利」なんだと私は思っているんだ。

自分のことを自分以上に理解する人はいない。自分を活かすも殺すも、自分しかない。がんばれ、甥。自分に勝て。がんばれ、甥。自分に負けるな。

甥と同級生の甲子園球児を見ていて、そんなことを想った夏でした。

暑い暑い

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って、毎日暑い暑い言ってますが。

言ったからといって、暑さは変わらない。

でもこう、なんて言うんでしょう、そういう「暑いよね」「暑いよ」「イヤンなっちゃうね」「イヤンなっちゃうよ」という牧伸二的な、若い人には全くわからない例えになってますが、共感ね、その共感というのが日本の風物詩の一つなんでしょうね。みんなで苦しさを嘆いてシェアして。

弓道の初心者講習会に参りますと、うだるような暑さの弓道場に、皆さん「今日もお暑いですね」という少し苦々しさの混ざったご挨拶が加わります。

でも、私はそんなに辛くないので、なんとなく「そうですね」という言い方も、浮いてしまいがちな気がします。

真夏の弓道場、真冬の弓道場、お嬢の自主練に何度となくつきあい、「うひゃーこんなところでよく何時間も同じことをして飽きないなあ」と思いながら撮影部隊を務めていた身としては、とりあえず弓道場というのは寒かったり暑かったりするものである、と知っているんですね。この、心の準備ができている、というのは大きいですねぇ。日本代表の本田さんも、準備の大切さ常に語っています。じゅんいちダビッドソンの声でかなりふざけた内容でしか脳内再生されないのは残念ですが。

稽古をすると、暑いとか寒いとか、弓を持っている間はほぼ感じません。

集中が途切れた瞬間がやばい感じですが、それでも「私達のホーム」弓道場に比べたら、板がちゃんと貼ってあるとか、建物は風がちゃんと抜ける設計になっているとか、木造であるとか、扇風機や温風ヒーターもあるとか、着替える場所までいけばたいてい冷暖房が付いているとか、場所によってはシャワーなんかもあるじゃんとか、もう素晴らしいわけです。興奮するわけです。贅沢すぎるわけです。

高校の屋上に畳を置いて始まった同好会、教材づくりのための畑の一画に的を置いて弓道の場所を確保し、部活になって数年して、やっと安土が出来ました。顧問の先生が部室代わりに大きなアウトドアのテントを提供され、鉄パイプを組んで道場らしき形にし、雨が降っても稽古できるようにとプラスティックの途端で屋根を張ってくださり・・・部員たちは定期的な雑草駆除や、建屋を直す力仕事も部活に組み込まれ、君たちはサッカー部かラグビー部なのかというほど靴下足袋の底は常に真っ黒。酷寒の中、コンクリートにブルーーシートをひいて足踏みをする彼らを見かねて、親たちがガーデニングショップからベランダに敷く木製タイルを買ってきて敷きこみ、ひとまず床代わりにしたり。カーペットを寄贈する親もいたりね。

今、親達は応援団が転じて、「大人弓道の会」を月に1回、楽しむようになりました。

あんなふうにかっこ良く弓が引けたらいいなという思いからです。

もうすぐ一年経つけれども、まだまだ、本当にまだまだなんだなあと謙遜ではなく心の底から未熟さと対峙します。

季節の良い秋から始めて、酷寒を経験して、この夏。

ホームはもちろん、顧問の先生と子どもたちの手作り弓道場を間借りしていますから、道場があるだけで御の字というところからのスタートを見てきている私達は、誰も文句一つ言いません。中高年の大人たちにとっては応えるはずの初めて夏も、「暑いね」と交わす言葉に「不足を嘆く」意味はなく、共感は暑さよりむしろ、「当たらないねぇ」という方にあったりします。部活中はほぼ口をきかない。みんな真剣そのもの。交流を目的にしたPTAサークルの感覚で来ると、怖いかもしれないと思うことがあります。

遠目から見ると、完全に飯場のような建屋ともいうべき我が愛する弓道場。

下は背高く膝まで伸びた雑草が一面を覆い、獣道のような細い頼りない道が一本続いています。蝉、蝉、蝉。その怪しい建物の先には、底抜けに青い夏空、白い夏雲。ご近所の赤い屋根、畑に咲いたひまわり。

牧歌的だ。なんて牧歌的なんだ。

そこに白と黒の道着をきた者が、ちょろちょろ出入りして、順番で弓を引いて。

なんの得にもならないことなのに、このきゅっと集中して、ふわっと緩和する、蝉の声すら聞こえなくなる静寂の時間を知ってしまうと、本当に癖になります。おとなになってから始めるのにふさわしい、習い事のひとつです。

もうすぐ、学校には立派な弓道場が建つそうで、そうなったらこの愛着ある建屋は取り壊しになるのでしょう。この猛暑の夏、ここで弓をひけて、お嬢たちにちょっと近づけたのはとてもよかった。どんなことも、経験ですね。暑い暑い、とは言うんですが、そこはそれ、あんまりネガティブにこぼすという意識ではない、むしろポジティブに暑さを喜ぶわけですねぇ、っていうか、ああもうだめだ、脳内でじゅんいちダビットソンが大騒ぎで。蝉並に。

ということで、暑さ厳しき折柄、まったくまとめる気力がありませんが、どうぞ皆様はご自愛下さいませ。

「勉強しなさい」

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「勉強しなさい」と言わない。

という実験をやってみた。

今まではクラブチームだったから、試験前も練習は休んでこなかったけれど、今回はもう進路も決定していることだし、その進路を考えたら決して負けられない期末テストだということはわかっているのだから、一週間練習を休んで頑張ってみようと言ってみただけだった。

この成績は、高校のクラス分けの指針になる。

幸い、英検も所定の級に合格したし、モチベーションは上がっている。「勉強しろ」と言わないでどれぐらいできるかを見てみたかった。

そうしたらね。

ちゃんと結果を出してきた。付け焼き刃の集中力には眼を見張るものがある。といって、別に難関校合格圏とか言う訳では全然ないので、大変微妙ではあるのだが。それでも、本人は貼りだされた名前を見て喜んでいるのだから結構なことだと思う。

そうかあ、「勉強しなさい」といくら言っても言わなくても結果は同じ、いやむしろ、言わないほうが結果がいいなら、これからは何も言わないほうがいいんだな。

そう心に決めた。全部自分。決定も、努力も、継続も、転換も。そして後悔や批判や、何より栄光も、全部自分。

そう決めた、んですよ。確かに。

「勉強しなさい」とは言わない。宿題も山盛り出ているけど、見もしない。

で、迎えたこの夏休みですよ。何この夏休み。クラブチームでの合宿は二回もあって、練習はみっちりあって、そこそこにヘトヘト。しかし、中3なので週末は練習会やセレクションや夏期講習用にあいていることも多く、そんな日、練習会にもセレクションにも夏期講習にもご縁のない小僧は、ゲーム三昧。いいのか、これで? ホント?

自己申告で日に何時間眠るつもりですか、と聞いたら、きっちり八時間以上。お風呂や食事やお手伝い、テレビ視聴・マンガ・音楽など、生活時間にどれ位かかりますか、と聞いたら、四時間以上かなー。その上で、ゲームをどのぐらいやるつもりですか?と聞いたら六時間は欲しいと答えやがった。

サッカーのある日は、そこに加えて往復と練習でおよそ六時間。遠征だともっとかかるわね。

一日は二十四時間です、おぼっちゃま。いつ、どうやって宿題の時間をひねり出すんだ。他の中3は今や、日に六時間は勉強してんだぞ。

「そんなに勉強したら、頭がおかしくなる」

って、去年学校が采配してくれた勉強合宿は何だったんだろうか。一日十八時間勉強の特訓、やったんだよね?

「けどさ、マジ、俺の友達でそんなに勉強している奴はいないって」

いる。誰と誰と誰。と、幼稚園だの小学校だのの友人の名前を出してみるが、彼らは昔から優秀で。そこと戦おうと思ってもスタート地点に辿りつけない。

あとは、自分の名前より上に書かれていた名前の子たち。しかしこれはみなさん優秀すぎて、まず同じ土俵に上がれない。

「おかあさんはそういうけどさ、誰と誰と誰も、勉強とか全くしてないって」

ってお前、それはサッカー推薦という錦の御旗があり、サッカーの練習をするのが受験勉強だからだろう。君の進路に、サッカー特待はないんだよ?

こうなったら意地でも「勉強しなさい」とは言わない。サッカーの練習をしろといったことが1回もないのに、小僧はこまめに練習してきたんだから、きっと勉強でも大丈夫。はあはあ。きっと大丈夫だって。はあはあ。

でも、二十四時間から引き算はさせてみた。

「あ」だって。

「あ」。

全然大丈夫な要素がない。勉強する時間が全く取れないことに今気づくか。

気づけてよかったけどな。

なんか難しいクラスもチャレンジ受験してみたいとか言ってるけど、受験勉強の範囲を考えたら、付け焼き刃ではどうにもならないと思うのよ。

いや、まだいろいろ取り返しはつくし、とりあえずエスカレーターだから浪人はなく、チャレンジに失敗しても大学受験でがんばればいいから、やりたいことをやる夏にしたらいいよ。今キミのやりたいことって何? 夢は? そのために何をすればいいか。留学とか?

「マンガとゲームかな」

......ちょっと切れた。

でもこうなったら、意地でも言うもんか。