第百回大会、接戦の末、夏の甲子園は東海大相模が優勝を飾った。涙が止まらなかったのは、彼らの熱闘のためだけではなかった気がする。
私にはかわいい甥がいる。
可愛いといっても身長は180センチを越え、生意気盛りな高校3年生だ。
生まれて最初に与えられたおもちゃは布製のグローブとボール。目立ちたがりなのは血筋のなせる技か、ポジションは投手。小中学生時代には新聞の地方版に大きく写真が載るようないい選手だった。もちろん、スカウトがかかったり、スポーツ推薦の話があったり。
うちのお嬢は弓道、小僧はサッカーなので、野球のしくみとは大いに異なる。野球のスカウト制度は早くからエージェントが付き、なかなかに興味深った。
早熟に花開いた甥に、私の弟夫妻が賭ける思い入れは恐ろしいほどで、むろんソフトボール部だった私も彼に対する想いは熱く、それにずっと結果で応え続けた甥は立派だったと思う。もしかするとそれが重圧になっているかもしれないなどと私は考えもせずに、無邪気に応援していた。
今年は百年、3906校の頂点・・・と、今、テレビの閉会式では言っている。
その一角を担い、彼の投球で甲子園に出られたらいいね。と、盆暮れ正月に会うたびに、外野は勝手なことを言っていて・・・。
彼の高3の夏が、今年だったんだ。
甲子園なんてとんでもない、彼の高校は、予選であっという間に敗退している。
何より、彼は今、野球部にはいない。
去年、部活をやめているからね。
その事情は書けないけれど、全人生を賭け、プロ野球選手になることを想定して灼熱の夏も酷寒の冬も、朝練、夜練、身を削るようにがんばってきた部活をやめるということが、どんなことだったか想像すると、心が痛む。
生きていてくれてありがとう、坊主頭の毛が生えて、前髪クネオのようなチャラ男になっちゃったとしても全然OKとさえ思う。
きっと、今栄光のうちにある東海大相模やその周辺の学校にも、同じように怪我や様々な事情で野球を諦めた子どもたちが大勢いるのだと思う。たくさんの、語弊があるかもしれないがあえて使う、屍の上にある甲子園の栄光なのだと思う。
たかが、野球。
されど、野球。
今年、活躍したすべての高校球児に、地獄の照り返しの中、スタンドで声援を送り続け「スタメンは君たちのおかげで実力を発揮できた」はずのベンチ外の選手にも、バスを連ねて応援に行った関係者にも、つまりは応援してきたすべての人に、感動で打ち震えた私はありがとうと言いたいよ。
準決勝も、決勝も、いやそれ以前にも震えるほどいい試合はたくさんあった。
それはさ、関係者だけでなく、諦めてしまったかもしれない球児たちの、犠牲のおかけでもあったことにも心を寄せたい。野球から離れざるを得なかった君たちもまた、この熱いドラマの立派な登場人物。
今年の甲子園球児たちは、このあとドラフトにかけられて、ほんの、ほんの一部の選手だけがプロになる。
漏れた選手も、予め漏れてしまっている選手も、この夏の甲子園は間違いなく君たちのものだった。甲子園に届いても届かなくても、想いを寄せたら、それは「君たちの甲子園」だ。ドラフトに掛かってもかからなくても、どうか何度でも生き直すチャンスは有るということを忘れないでいてほしいと思う。
さっさと野球を捨ててしまった甥が、どんな気持ちで今年、テレビを見ていたか知らない。
だが、野球で培ったのは単にプロになるための技術や人脈だけではないだろうと、おばちゃんは信じている。百本ノックで鍛え上げたのは、球を処理する能力ではなく、もっと心の奥底の、何度でもノッカーに立ち向かっていく強さなんじゃないかと言っている。楽な方に流されるのではなく、ここ一番でゾーンに入っていくような感覚を知っているわけだし。それは、アスリートだからこそ経験出来たのかもしれないけれど、あのゾーンに入る感覚は、実は野球以外で、人として生きていくために、活用すればいいと思うんだ。
なんだろう、うまく伝えられないんだけど。
甥よ。
夏が終わるね。。。
光り輝くアスリートの栄光の対極には、本当に痛いほど暗い影に存在するアスリートがいる。
それでも、結果がどうであれ、競技を追求してよかったといえたら、それこそが最大の「勝利」なんだと私は思っているんだ。
自分のことを自分以上に理解する人はいない。自分を活かすも殺すも、自分しかない。がんばれ、甥。自分に勝て。がんばれ、甥。自分に負けるな。
甥と同級生の甲子園球児を見ていて、そんなことを想った夏でした。