暑い暑い

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って、毎日暑い暑い言ってますが。

言ったからといって、暑さは変わらない。

でもこう、なんて言うんでしょう、そういう「暑いよね」「暑いよ」「イヤンなっちゃうね」「イヤンなっちゃうよ」という牧伸二的な、若い人には全くわからない例えになってますが、共感ね、その共感というのが日本の風物詩の一つなんでしょうね。みんなで苦しさを嘆いてシェアして。

弓道の初心者講習会に参りますと、うだるような暑さの弓道場に、皆さん「今日もお暑いですね」という少し苦々しさの混ざったご挨拶が加わります。

でも、私はそんなに辛くないので、なんとなく「そうですね」という言い方も、浮いてしまいがちな気がします。

真夏の弓道場、真冬の弓道場、お嬢の自主練に何度となくつきあい、「うひゃーこんなところでよく何時間も同じことをして飽きないなあ」と思いながら撮影部隊を務めていた身としては、とりあえず弓道場というのは寒かったり暑かったりするものである、と知っているんですね。この、心の準備ができている、というのは大きいですねぇ。日本代表の本田さんも、準備の大切さ常に語っています。じゅんいちダビッドソンの声でかなりふざけた内容でしか脳内再生されないのは残念ですが。

稽古をすると、暑いとか寒いとか、弓を持っている間はほぼ感じません。

集中が途切れた瞬間がやばい感じですが、それでも「私達のホーム」弓道場に比べたら、板がちゃんと貼ってあるとか、建物は風がちゃんと抜ける設計になっているとか、木造であるとか、扇風機や温風ヒーターもあるとか、着替える場所までいけばたいてい冷暖房が付いているとか、場所によってはシャワーなんかもあるじゃんとか、もう素晴らしいわけです。興奮するわけです。贅沢すぎるわけです。

高校の屋上に畳を置いて始まった同好会、教材づくりのための畑の一画に的を置いて弓道の場所を確保し、部活になって数年して、やっと安土が出来ました。顧問の先生が部室代わりに大きなアウトドアのテントを提供され、鉄パイプを組んで道場らしき形にし、雨が降っても稽古できるようにとプラスティックの途端で屋根を張ってくださり・・・部員たちは定期的な雑草駆除や、建屋を直す力仕事も部活に組み込まれ、君たちはサッカー部かラグビー部なのかというほど靴下足袋の底は常に真っ黒。酷寒の中、コンクリートにブルーーシートをひいて足踏みをする彼らを見かねて、親たちがガーデニングショップからベランダに敷く木製タイルを買ってきて敷きこみ、ひとまず床代わりにしたり。カーペットを寄贈する親もいたりね。

今、親達は応援団が転じて、「大人弓道の会」を月に1回、楽しむようになりました。

あんなふうにかっこ良く弓が引けたらいいなという思いからです。

もうすぐ一年経つけれども、まだまだ、本当にまだまだなんだなあと謙遜ではなく心の底から未熟さと対峙します。

季節の良い秋から始めて、酷寒を経験して、この夏。

ホームはもちろん、顧問の先生と子どもたちの手作り弓道場を間借りしていますから、道場があるだけで御の字というところからのスタートを見てきている私達は、誰も文句一つ言いません。中高年の大人たちにとっては応えるはずの初めて夏も、「暑いね」と交わす言葉に「不足を嘆く」意味はなく、共感は暑さよりむしろ、「当たらないねぇ」という方にあったりします。部活中はほぼ口をきかない。みんな真剣そのもの。交流を目的にしたPTAサークルの感覚で来ると、怖いかもしれないと思うことがあります。

遠目から見ると、完全に飯場のような建屋ともいうべき我が愛する弓道場。

下は背高く膝まで伸びた雑草が一面を覆い、獣道のような細い頼りない道が一本続いています。蝉、蝉、蝉。その怪しい建物の先には、底抜けに青い夏空、白い夏雲。ご近所の赤い屋根、畑に咲いたひまわり。

牧歌的だ。なんて牧歌的なんだ。

そこに白と黒の道着をきた者が、ちょろちょろ出入りして、順番で弓を引いて。

なんの得にもならないことなのに、このきゅっと集中して、ふわっと緩和する、蝉の声すら聞こえなくなる静寂の時間を知ってしまうと、本当に癖になります。おとなになってから始めるのにふさわしい、習い事のひとつです。

もうすぐ、学校には立派な弓道場が建つそうで、そうなったらこの愛着ある建屋は取り壊しになるのでしょう。この猛暑の夏、ここで弓をひけて、お嬢たちにちょっと近づけたのはとてもよかった。どんなことも、経験ですね。暑い暑い、とは言うんですが、そこはそれ、あんまりネガティブにこぼすという意識ではない、むしろポジティブに暑さを喜ぶわけですねぇ、っていうか、ああもうだめだ、脳内でじゅんいちダビットソンが大騒ぎで。蝉並に。

ということで、暑さ厳しき折柄、まったくまとめる気力がありませんが、どうぞ皆様はご自愛下さいませ。