ツイッターを見ると、なんかいろいろ忙しく楽しくしていたらしい。
ツイッターのまとめでいいんじゃないかという気もするし、しかし長文に未練がないわけではなく、揺れるおばちゃん心である。
そういえば先日。
ちょっと困っちゃったのは、とある行くべき場所に行こうとすると、ものすごく体が重くなって足取りが重くなったこと。階段が登れない。心臓が破裂しそうなほど高鳴る。正直、そんなのは長年生きてきて初めてで、私はそういう状況になる前に居場所づくりのために工事を始めちゃうか、さもなくばとっとと逃げてこれを回避してきたんだなあと改めて半生を振り返ったよね。
足が動かないわけじゃない、ただものすごく重くて、走れない。意識的にはむしろお気に入りの場所だと思い込んでいたし、嫌だとはちっとも思っていなかったから、最初に息切れがした時には本気で不整脈を疑った。
「そうか、私はきっと今、あの場所に行きたくないんだ」
とその後も不可思議な状況が幾つか続いて、やっと思い当たる。これ、防衛機制だったのね、と遠い昔大学で学んだ心理学が役に立った。
きっとずっと意味を考えずに無理して頑張ったり、ちょっと思い当たっても気合でのり切ろうとしちゃうと、心の病気になったりするのだなあ。うん、なるわこれはなる。うんうん。としみじみ実感した。
「新しい発見があったんだから、よかったんじゃん。意義深い1日」
と言い聞かせて、重い足取りで向かい、事後、本当に好きな場所に行って深呼吸。全身の空気を入れ替えた。
しかしまあ、ああ、大人でよかったと思うよ。幸い、逃げ道はたくさんある。
同じ心臓が高鳴るのなら、海老蔵を見て「ステキ」(はーと)という具合がいい。ツイッターでもブログでも、くだらないことしか語っていないのだけれど、やはり長文でなければ語りきれないものってあるよなあ。
さて、来月は主宰のお習字ラボもプレ開業。来年からの本格始動に向けて準備に余念が無い。
看板ナシで始める、自由書道だ。
塾に来られる場合は、一時間お一人様三千円、定員二名までで対応。あるいは、出張交通費別で個人教諭も。それに特化したブログ製作中。来年は、もまた、動きまわろう。
学校や職場がつらくなっちゃったりした時の駆け込み寺的な居場所。うれしかったり悲しかったり、高ぶっている時感情を墨に乗せる場所。あるいは、一瞬、筆と半紙でアーティストに変身できるスペース。
配慮が必要なお子様には特に、いい時間になるといいなと願って、固定のお教室としては療育施設の一角をお借りする。一緒に来られる保護者さまの時間を、ご相談に使っていただくこともできるかな。
そんな風に思って立ち上げるんだけど、放課後支援をやっていると、配慮が必要ないお子様なんて誰一人いないんじゃないかと痛感している今。しっかり、手をかけ、目をかけ、言葉をかけ続けたい。
そして、自宅周辺で放課後支援が終わった後の時間を過ごせる書道塾が開けるアパートも探している。
いい方向に進みますように!