枯れた憤怒の泉

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ウェブサイトに書き込むことは、玄関に貼り出せる内容。

というリテラシーはわかりやすくていいなと思った。

私は今まで、もちろん玄関に貼り出せることを情熱と責任をもって、書いてきたつもりだった。

でも、私一人で生きているわけではない。

お嬢や小僧が私の完全なる庇護下にあるときには、多少の私物化も許される気がしていたが、今や独立したお嬢と、思春期ど真ん中の小僧に、必要以上に軋轢を与えたくないと考え始めると、今具体的に子どもたちの抱えている問題を詳らかにする訳にはいかない。あるいは、団体・・・学校やチームや部活やPTAに感じていることなどは、絶賛ならばともかく、それが仮に否定的であれば、そういう発言もほぼほぼできない。

かつて、私を突き動かすエネルギーは憤怒であった。

例えば、小学校のPTA、こんなところがおかしいよ! と思えば、堂々と発言し、そしてみんなに提案して考えて、できることを改善していこうと思った。後から続く人のために。一時期は寝る間も惜しんで東奔西走するほど、夢中になって、おそらくそれはとても楽しく活動していたのだと思う。一生を通じて大切にしたい戦友のような友達がご近所に大勢できた。この地域を大切に想い、大切に暮らしていきたいと思った。話し合いによって色々な考えを知ることは私を大いに成長させてくれた。自分の意見がそのまま通ったためしはない。しかし、声の大きい人に付和雷同するべきではないから、どんな小さな声にも耳を傾けたい、私情より民意を反映させたいと思ってきた。対立したり異なったアプローチを必ず念頭において、互いの利益を最大に考え、融合させて落とし所を探る方が、より良い着地点を得られることも学んだ。

悩んで、考えて、悲しんだり苦しんだりすることは、きっといつか大きな花を咲かせるための種になる。PTAだけでなく、男女別姓法制化の運動も、福祉関係のボランティアも、町会関係のボランティアも、大学のサークルも、全部私の興味から所属した団体での活動は、いずれも私の成長に不可欠な、熱い熱い熱い日々だったように思う。

実際は、悩んだり苦しんだりの倍以上、笑って楽しくて、という副産物の方が多かった気もするんだけれども。

で、今。

老成してしまったのか、面倒くさくなったのか、明鏡止水、もう「こんなところがおかしいよ!」と思う事自体が激減しちゃったのね。憤怒とか、赤い玉が出てどこかに飛んでいってしまった。

怒ることも怒鳴ることもなくなってしまったし、当然、何がどうこんがらかろうと、あるいは法律上こうあるべきでは・・・制度上、こういう運営のほうが・・・と気づいてしまったところで、声高に叫んで行動したり、調整役を買って出る気力がない。

もちろん、今でも義に反すれば、私は立ち上がる。・・・つもりはある。

それは絶対におかしいんじゃないの?と思えば、発言は躊躇しない。・・・っていうか、そこは我慢できない。

テニスならスプリットステップで、弓道なら跪坐で、いつでもその準備だけは整えておきたいと思う。

だが、例えば夢中になっている「弓道」の制度に不可思議なものを感じたとしても、大きな武道という流れの末端からまだ本流を覗きこむことすら出来ない状態で文句のひとつも言いようがない。PTAは伝統校には伝統校のやり方があって、その末席に静かに座っていればお膳立て通りにことは運んでいく。このお菓子は無駄だよなあと思う反面で、老舗の美味しさを教えてくださってごちそうさまと素直に思う自分もいる。丸くなった、身も心も、腹回りが特に。

仲良しサークルや趣味のボランティアはよく知っている人たちなので感じたままを発言するが、いずれも「おたのしみ」でやっていることなので、そこに絶対貫きたい信念などすでに、ない。だって、大局はおたのしみじゃないか。と、思っちゃうからね。よほど許せないことがあれば譲らないかもしれないが。

困ったなあ。書かないではいられなかった物語も、もうない。

寝ないで文章にぶつける情熱が枯れた。

ちょっとつぶやいていれば、全然満足。

51歳になって、これが不惑ということなんだろうか。こんな私は本当に私なんだろうか。

更年期性の鬱に突入してしまっていませんように。