新年ならとっくに明けているけれども

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今年もよろしくおねがいします。

すっごい長文を書いていて、今、一気に消しました。

ああそっか、もう、小僧の人生も、お嬢の人生も、私から見て語ってきたけど、それぞれがそれぞれのものなんだよなあ・・・と思い直したからです。

小僧が言って、ちょっとしびれたコトバと成長っぷり。お嬢の、他者には絶対見せない、死にものぐるいな努力。そういうのは、母親を感動させるけれども、半永久的に残る媒体で公開すべき年齢ではなくなってしまいました。

相方の作品に登場する私はほぼフィクションですし、作家と暮らすというのはそういうことだと覚悟して嫁いだので私が露悪的に扱われるのは全然オッケーですが、子どもは親を選べません。それによってご飯をいただいているので、多少ネタにされるのは宿命(フリーランスは根っこがブラックなんだよ)と言い聞かせてきましたが、このブログは私の趣味であって、お仕事ではないのでした。

もちろん、仕事だったら何でも許される、と言っているわけではありませんが、食うために明らかに非合法なもの以外売れるものは売る、面白い読み物のためなら無茶もする、という姿勢は、私もフリーランスでしたのでよくよくよく理解しています。

でもいつの間にか、子どもは「私の子ども」ではなくなって、一人の人として生きています。私のストーリーの主要キャラではなく、彼らのストーリーの主人公として。

もちろん私は私自身が大好きですし、私自身が主人公のお話から降りるつもりは全くないですから、彼らがちょろちょろ登場するのは当然なんですれども、彼らが考えたこと、彼らが頑張ったこととは、私の視点で見て書くときには気をつけて考えないとな、と思います。私がお付の記者として彼らのいろいろを、彼らの視点で書くのならばともかく。

例えば、お嬢が正月返上で勉強するために寮から帰ってこなかった。

これがどういうことであるかの具体的な説明は出来ない、お嬢の事情だから。ただ帰ってこなくて親としては寂しかったので同じ料亭からおせちを買って、同じ味を味わおうとしたことは書ける。同じ金額出すなら、家族でいいレストランでのフルコースランチの方が絶対に良かったよなあ、という感想も書ける。一緒に送ったレトルトの雑煮をお条がお友達と年内に食べてしまったことは本当は書けない、でも「一分一秒を惜しんで勉強しても、栄養が偏れば本領は発揮できない。料理ぐらい作れよ、小松菜とかまぼことカシワとかつおだしを、いや鰹節と削り器を送りつけてやろうか!」という母心の叫びは書いてもいい気がする。

年末に急騰するかまぼこと伊達巻に激怒しつつも、なるとまで入った特上品を買ってきてくれた相方のことは全然書ける。でも、伊達巻のないおせちはおせちじゃないと思うの、というお嬢からの涙のクレームと、伊達巻を2つまるまる独占して食い尽くした姪が「それはそのとおり!」と言い、「じゃあ頑張っているいとこに伊達巻を届けようぜ」親族ご一同様家族ツアー計画が持ち上がって、伊達巻の品質から個数から、日程から旅行会社から、まあすっごく盛り上がった。でもこれは箱根駅伝をこたつで見るのが大好きな親族一同らしく、応援すれども統治せず、まず実行に移されることはない、ということは書けない、多分。あれ? このぐらいはいいのか。よくないか?

そういう分類がめんどくさくなって、本当に筆不精になった去年。それは今年も相変わらず続きそうです。

毎日の出来事はツイッターで。

まとめてどうしても語りたい長文だけ、この日記で。

今年は塾も立ち上げるし、大人の部活として弓道にもより一層力を入れたいし、きもの部もあります。その他にももちろんややりたいことだらけで困ってて・・・年をとって体と心の変化も面白く、こういうのもちゃんと綴っていかないとなあとも思っています。そういうのも、こっちの方で。

ゆるゆると。無理せず、ゆっくり、だけどたっぷり、生きていきたいなあ。というのが、今年の抱負ですかね。

そんな私ですが、今年もよろしくお願い致します。後一週間で、2月ですけれどもね。