お嬢の母校では弓道部応援団だった保護者は「大人弓道の会」に入会することができます。
もれなく弓を引くチャンスをいただけるわけです。
任意なので、やりたい人たちには弓に親しむ道があるよというだけのお話なんですけれどもね。
お嬢の代が卒業してから弓を始めて三年目。同期の出世頭はすでに三段。一緒に始めた仲間も皆さくさく有段者になっています。私はPTA活動とかぶる審査日が多いのを言い訳に未だ無級のまま。来年度も継続して役員だと思うので、とにかく小僧が高校を卒業したら本腰を入れるつもりで焦らないと言い聞かせています。
有段者にならないと、都内の弓道場で打ちっ放しというか個人練習ができないというルールがあります。道場の先生が技能を認めてくだされば準ずる認定証が発行されるので、私の場合は小金井公園と光が丘公園では練習できるのですが、いかんせん公園は閉場が早く、土曜ボランティアの帰りにちょっとついでに・・・というわけにはいかないのがネック。弓も矢も危険なお道具でありますから、それは当然だとも思います。しのごの言わず審査に臨んで有段者になれということです。はい、頑張ります。
そんな私ですが、ゆるい取り組みでも赦してくださるのがこの「大人弓道の会」でして。
五十肩に悩んで夏以降、連盟の練習をおやすみしていた私も久しぶりにお嬢の母校の弓道場で弓を引いてきました。
四矢勝負の射会はセカンド・ビギナーズラック、まぐれあたりの三中で優勝。久しぶりに賞状と副賞をいただきました。恩師から表彰されるのは本当に嬉しかったですし、賞状筆耕などもさせていただく時に一枚の賞状の重みを軽んじることないようにと改めて自戒しました。
楽しい新年射会はそのあとメインの射的大会になりまして、大量の色紙的を安土に並べ射抜けばお菓子がもらえる、という原始的な本能に火がつく仕掛け。考えた幹部、天才。みんな、たくさん駄菓子をもらって帰りました。
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「先生」とちやほやされると自分は偉いと錯覚してしまうことはないか。
先日、ママ友からドキッとする鋭い質問を受けました。
幸か不幸か、私は自分が書家としてはとても未熟なことを熟知していますから日々やるべきことがたくさんあります。先生としても大きな団体に属さないと決めた以上、いろいろな流派の書籍を読み、いろいろな教え方や手を習っています。最近では古典を臨書する日課が楽しくなってきました。・・・案外生真面目だよね、自分。と思ってみたり。
お習字の先生としても新人ですから門下生と必ず一緒に筆順を確認しますし、知らないことは隠しませんから門下生も私にいろいろと教えてくれようとします。ライブでお手本を書きながら(←これは塾の売りのひとつです)うまく書けない時には門下生と一緒に修正したりもします。私に教えるために教室にある書道の本を読み始めた子や、毎回漢字クイズを仕込んでくる子もいて大変に楽しい。教えることはすなわち学ぶことだなあと塾を始めてしみじみ感じるわけですが、書道と弓道を同時に精進しようというのが実はよりよい効果を発揮している気もします。
弓には沢山の師がいて、同志も時に共に研鑽する師になります。
最初に私に指導してくださった村田晴海先生は私にとって特別な恩師にあたります。
私も門下生にとって、「私の村田先生」のような存在になれたらと思います。こういう志は書だけでは決して得られませんでした。
書も本来は死ぬまで追求すべき道。先生と呼ばれるのはスタート地点に立ったようなものとして、日常生活でも常に書を意識するようになりました。それは別のある先生の教えでもあります。「射の道は仁なり」そのために常日頃から鍛錬し弓が引ける体づくりをすること。私は体を洗う時にも跪座です。と伺って以来、私も思い立ったら足ぶみ胴づくりを欠かさず行っています。「意識の改革」をするのは、道を志す者の第一歩かもしれません。
書には「射会」のようなものはありませんが、楽しい新年射会を経てこういう楽しいイベントがもっとあってもいいのかもしれないなと思いました。うん、考えましょ。やっちゃいましょ。普段は極めて真面目にお稽古している子も笑いながら仲間と過ごす時間があったら・・・書をもっと好きになるかもしれない。
射から学ぶ書もまた、楽しいものです。
道可道。非常道。
こういう境地が待っているとは。書を始めた8歳の時も、射を始めた50際の時も、想像していなかったことでした。生きていくって面白い発見の連続なのね。まいったなあ。長生きしたいと思います。