「道」について、どう考えるか。
昨日、相方と3時間、延々楽しく話したのが「道」と「アート」についてでした。
25年前に結婚して以来、暇を見つけてはおしゃべりしている大変にやかましい夫婦なのですが、視点や発想の違う人との会話は尽きることがなく大変に面白いです。
アート系の相方は、「型」を好みません。
しかし私は書道系ですから、いかにアート寄りだとしても「型」は外せません。
「型」があってこそ「型破り」ができる。その時、手習いは芸術になる。というのが私の主張でした。
「道可道、非常道」
(道の道とすべきは、常の道に非ず。)
老子です。毎度ちょこっといいことを言うおじいさんの言葉を借りますと、「これぞ書道!という道なんかない。わかったような気になって道だなんて思ったら、それはもう道じゃない」ということであり、つまり果てしないゴールに向かう道なき道ってとこかな・・・と思います。
たとえば・・・門下生は、幼稚園児であっても一人の「書家」として接したいと私は常々思っています。その瞬間しか書けない素敵な幼児の字体は、私には到底真似出来ない素敵な「書」だからです。彼らには「書の道」を行く者という自覚がないかもしれませんが、確実に書道を楽しんでいます。彼らの作品に宿る力は魂を揺さぶる芸術であり、私も学ぶ点が多くあります。
始める。書くことが好きになる。楽しくなる。そうしたら、あとは勝手にどんどん上手くなっていくことを、私はここしばらくの間に、子どもたちから教えられました。
だから道の始まりは、まず「おもしろそう」から始めたい。
「型」を「型」や「技術」として学ぶのは結構つらい作業でもありますから、好きな文字を書きながら自然に習得していけばいいとも思っています。
そして一生続く目の前の道、休んだりルートをかえたりしながら、「ちょっとした気分転換に書道」とか「今日は荒ぶる心と対峙する書道」とか、そういう自分をみつめる豊かな時間として「書」が身近になってくれたらいいなと願っています。
......ってなことを、ご近所のおばちゃんとして子どもたちの前でお話する機会を得ました。
相方だけでなく、子どもたちからもたくさんの声が聞けたら良いなと思っています。それがまた私の行く先々の道を、楽しいものにしてくれそうです。