越せない背中〜書道教室物語〜

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私が書道を嫌いだったのは、きちんと正座して、きちんと墨を擦り、きちんと手本を見て、きちんと手本通りに書き、きちんと一時間に一帖練習し、きちんと並んで、きちんと丸をもらい、きちんと仕上げて、きちんと後片付けをしなければならなかったからだ。

リアルな知り合いなら、「ゆう子さんに、それは絶対無理」と笑うはずだ。

私ですら、この多動のゆう子さんにそれをやらせようとした親の見識を疑う。ファミリービジネスだったので仕方ないのだけれど。

高校の時に書道もペン字も文科省の検定で二級をさっさととって、民間団体の師範過程でも学んで、それでも大学の寮に入るときのボストンバッグに、書道具は入れなかった。以来、ずっと封印してきた。

地域のボランティアで、子どもたちと「何か」を通じてワークショップをやることになった時、教えられるまともな技術が書道ぐらいしか思いつかず、当時まだとても元気だった母を講師に仕立てて私はアシスタントを務めた。高校時代、母の塾でバイトしていた身としてはあ・うんの呼吸だから、久しぶりの道具も、匂いも、母との掛け合いも、そしてやっぱり圧倒的にかなわない上手な母の字を見るのも、懐かしく楽しいひと時だった。

楽しいことを友達に話さないではいられなくて、あちこちでしゃべっていたら、書道パフォーマンスの話が舞い込んだ。おもしろそうなことには乗ってみる。そうやって新しい関係が始まり、気が付くと定期的に、書道にはまだちょっと早い幼稚園の子どもたちに教える「カリグラフィーのゆう子先生」になった。

これがすこぶる楽しいのよ。

大雪、嵐、台風、地震、インフルエンザ、身内の病。当初月に一度の稽古日だったのに、なぜか突然の災難に見舞われがちで、休講も多く、方角的な問題とかあるのかしらと訝しく思ったり、身内の病の深刻さにとりあえず一年おやすみさせていただいたりと、困難続きではあったが、寛大なスタッフの皆様のおかげで、ものすごーく細いご縁の糸は、今もつながっている。

そうこうするうちに、割と斬新なその書道教室のやり方を見たプロデューサー的中心人物の友人が、今度は療育施設に私を紹介するといい、発達が個性的な複数の生徒に書道を教えるというのは壁が高過ぎはしないかと思ったけれど、高い壁こそ登りたい私は喜んで「書道の鈴木先生」になった。

これまた、発見の連続でさ。

方角は相変わらずうちから東南に向かうのだけれど、こちらは特に天災に邪魔されることなく、順調に授業が進んでいる。トライアンドエラーで今なお新しいシステムを構築中なのだが、私自身が書道のもつ可能性をもっと追求してみたいと思うようになった。

幼児相手にも、障がいを持つ学生相手にも、「きちんと」は強要できない。

私が最も苦手だった「きちんと」。それなしに書道なんか成立しないと思っていたが、そういう教え方を是とする所属団体の看板を使わないで教えれば、書道は実に身近で楽しいシンプルなアートになる。アートに「きちんと」はいらない。私が苦手だったからこそ、そうでない書道が創れるのではないかと、あんなに嫌いだった書道なのに、案外一生懸命取り組み始めている。

字の上手さ、運筆の迫力、所属団体内における塾の地位、規模と稼ぎだす報酬、個人の受賞歴。そのどれをとっても、何一つ、私は母にはかなわない。永遠に届かない背中を追いかけるほど書道好きでもなかった私だったが、たくさんの素敵な生徒たちとの出会いで、乗りかかった船を創意工夫で面白い形にしてみたいと思いはじめた。越えられない母の背中はそのままに、同じツールを使っても、私は私でぜんぜん違う道をいけばいいんじゃない?

世界は未知のものであふれている。純粋なエネルギーを書道で発することができる生徒さんたちと巡りあえて、面白くて仕方ない。

書写の時間が大嫌いになる前に、子どもたちには出張してでも「おもしろい書道」を叩きこむ。修造ばりに、熱く。

生きることに苦手意識がある子にも、「だからこそ生まれる芸術作品」で、自分自身の生きる力に気づいてもらう。修造ばりに、一所懸命。

生きづらさを感じている人がいたら、一所に書道で遊んでみるのはどう?と、いつでも堂々と誘えるように、自分を鍛えあげて行きましょう!

母の背中はもう追わない。新しい自分のやり方を、少しずつ築いていくんだ。