死んじゃった後の携帯

  • 投稿日:
  • by

私の携帯がジャンクメールに汚染されるようになって、長いこと放置していたら充電がうまくできなくなってしまった。iPad持っているし、電話かけることなどここ一年ほぼなかったし、と考えると、もう亡き者として葬ってしまってもいいのかもしれない、私の携帯電話ガラパゴス型。

しかし、私はこのデザインが大好きなのだ。

ガラ携と笑わば笑え、コンパクトのようにパカッと開く、あのワクワク感。それはさながら秘密のアッコちゃんの「てくまくまやこん」のコンパクトである。

iPhoneとかいう、あの無粋な、ガラスに四角の模様の知りついた小さな板っ切れに向かって話をしている自分がどうしても想像出来ず、一度も欲しいと思ったことがないまま、老眼が進んでしまってラインだのメールだのはiPadに依存している、なう。

もちろん、個々の好みなので別にiPhoneを否定はしない。我が家の私を除く三人は、iPhoneを過剰なまでに愛しているわけだし。

ところで、今、相方は実姉のiPhoneを再利用するためにいろいろなところに電話をかけまくっている。

すでに小一時間はたっただろうか。途中でインスタントラーメンをつくろうとして、電話がかかって火をとめて、電話を待つ間にまた火を入れて、電話があってあわてて火をとめて、という、傍目で見ているとめちゃくちゃおもしろい動きをしている。

実姉が亡くなっているので、個人情報保護法に阻まれてなかなかご面倒そう。

そういえば、父が亡くなった時に携帯電話を解約したのだが、その時延々事情を説明し、にこやかに聞いてくれていた窓口のお姉さんが

「以上で解約を終了しました。ところで、ご解約されてもご名義人には新情報を流すことになっておりますが、よろしいでしょうか」

「は?」

「情報を差し上げたいのですが」

「ダイレクトメールとか、という意味ですか?」

「はい」

「当人、亡くなっていますけど」

「はい、でも解約された後にも情報をお送りすることになっておりまして」

「当人、死んでて読めませんけども?」

「はい」

天国の住所があればよかった。

「ええーっと、新情報は結構です」

「でも、そういう決まりになっておりまして」

「......上の方を呼んで下さい」

「はい」(にっこり)

っていうやりとりがあったなあ。と、懐かしく思い出した。マニュアル、恐るべし。

上の方、平謝りだったけどね。

ってなことを書いている間に、相方、とりあえずもろもろ終了したようで。

私は今日明日に死ぬ予定はないので、死んじゃった後の携帯やiPadの処分なんて考えたこともなかったなあ。身内とはいえラインとか読まれたら嫌だし、履歴もいちいち消していないので「こんなことに興味があったのか、おかあさん」みたいに思われるのも嫌だ。といっていちいち消去していたら、それはそれで怪しい感じだし。

死んじゃっているのだからもうどうせわからないし、いいんじゃないかと思う反面、父の携帯に残っていた通話歴の最後の番号が自分だったという呵責にいまだ悩んでいる身としては、結構死に際の記録って大事よねと思っちゃったりもしていて。

死んじゃった後、私のようなガラ携だと即時解約してもう不要品だと思うんで、まあそんなに問題はないな。問題は、iPadか。

ああでもこれも、iPhoneを愛でている我が家では誰も使わないから、死蔵されるんだな。そのうち、どこかに捨てられるんだろうけど、その時にデータが初期化されているかどうかが不安だわ。

何年か使わないと、データが抹消される。というシステムを搭載してもらえたらいいんだけど。

いや、捨てられた持ち人知らずのモバイル機器なんかをこっそり覗き見するような人は、未来の日本人にはいないかもしれないけど。意外に、そういう覗き見が趣味なんて近未来も、さらにずーっと時を経て「歴史的発掘」みたいな扱いで、我が家の変顔写真とかが博物館に・・・なんて妄想しちゃったりするんだよね。