父が亡くなって五年目になる。
目端の利く人なら、老朽化した家屋なんかさっさと全部潰してしまうんだろうな。駐車場にしてもいいし、コンテナハウス建てたって、小銭が稼げたかもしれないし。
でもさ、なんとなく壊せなかったの。当時、家を売るか娘を売るかという、鈴木家未曾有の大飢饉で種籾まで食べつくそうかという事態に、解体作業費が出せなかったってこともあるんだけど、弟と話していて、荒れ果てた家だったけれど、そこが父の心の安寧の場であり、終の棲家だったんだなあって思うと、なんとなく神聖で。
事故物件と知っていても、父の知人がもろもろ考えると私が借りて住んでおいた方がよくはないか、いうありがたい大人のオファーもあって、それでもうーん、人に貸したりするのはちょっとねぇって丁重にお断りしてしまっていた。
叙情的な奴は金が稼げません。
弟はまっとうな公務員ですしね。
でも、台風が来て、屋根まで飛んで。壊れて消えたのが、その屋根でね。ご近所に対して大迷惑。大きいお屋敷が、次々細分化されて新しい宅地になっていき、閑静な住宅街になっているというのに、その真中には父の家がどーん。蔦の絡まるハウスで祈りを捧げた日。
そこで死んじゃってたんでね。
救急車が来ても、すぐに病院に運んでもらうことは出来なかった。倒れたと電話があって実家に向かいながら、病院はどこ?と聞いたら、第一発見者の弟から「検分があるから家に来て」と言われたんだった。
すでに亡くなっていると、病院に運ぶ前に警察が入るんだよ。
孤独死って、遺族はすごくつらい。自分の身内が「変死体」なんだもの。
病気も持っていたので、検死にはご近所のかかりつけ医が。結果的には解剖もいらない、自然死という扱いだったけれど、死亡時刻の推定とか、ドラマみたいだったよ。スーパーのレシートをゴミ箱から拾って、死亡推定時刻に事件性はない、とか話しているんだもの。ヒーターつけっぱなしで亡くなっていたから体は温かかったと思うんだけど、その時には触っちゃダメって言われた。
あの日から四年。
身内を孤独死させてかなり瓦解していた精神は立て直したけれど、その分、屋根は老朽化で壊れるわけよね。市役所も見るに見かねて、条例持ちだして「なんとかしてね」という通知が来た。
境界線だとかなんかまあ、条件でなかなか折り合いがつかなかったお隣さんともじっくり時間をかけてきたおかげでいい話し合いができて、多分近々、ちゃんと相続書き換えして、ちゃんと売って、ちゃんとお金にする。
父の命を金額にするみたいで嫌だったんだけど、それで次世代が父の遺志を継げたらそれでいい。
猫の額ほどの、ちっちゃな土地と家。金額で言ったら笑っちゃうぐらいだから、ホント何言ってるんだって話なんだけど、職人として羽振りが良かった昔とくらべて、年金暮らしになって蓄えも底をつき、父が残せたものって、結局この小さすぎる土地と家だけだったからさ。
父は不肖の私を多分彼の中で抹消していたし、弟に多めにあげたかったはずだから、遺志をちゃんと継いで、だんご鼻3兄弟の甥っ子の教育資金の足しにできたらいいと思って動く。
またしばらくは忙しい日々だなあ。
子育てが終わると介護が忙しいよね、って、私達中高年世代はよく話すんだけど、介護できるのは案外幸せなことで、私はちょっと介護したかったよ。って、思う。あんまりにもぽっくり潔く逝っちゃったので、そう思うだけかもしれないけれども。