母の日

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母の日だから、と、小僧は、試合の帰りにマンゴープリンを買ってきてくれました。驚きました。マンゴープリンは私の大好物です。

試合の帰りといっても、今日、小僧は試合に出ていません。

今日だけでなく、もうずっと、公式戦には全く、出ていません。

多分、次回も使われない。戦力外通告があったそうです。ラインで帰宅時間を知らせると同時に、「外れた」と一言報告がありました。

ベンチ外。

補欠でもないので、遠征にも連れて行かないということです。

予測はできたことでした。コーチとの面談で「自分は、ユースではなく、高校世代は部活を希望します」と明言したと聴いた時から。

大人の感覚だと「え、今? 言っちゃったんだ。うわあ要領、悪っ」とわかります。監督は、今後の意志と覚悟を聞いています。強豪校に行くのなら少しでも早く有利に動けるように、という親心でもあるのでしょう。でもうちは内部進学で高校受験がないのだし、宣言するメリットは何一つありません。ただ、本気で監督に気持ちを伝えたかった以上、迎合はできないよなあ。小僧の抱えている問題は、この要領の悪さです。正直で頑固。それは、まあ、いいところでもあるんだけどね。

それでも、さすがに二年生選抜選手と入れ替わってのベンチ外は......小僧としても、さぞ痛かろう。と容易に想像がつきます。

大切なのはチームのやり方にどんな意味があるのかではなく、この苦しい境遇にどんな意味を小僧が持たせることができるのか。

15歳になる今、ここから何をみつけるか。

私自身が、深呼吸です。

「中学世代の苦労は買ってでもしなさい、小僧くんは今最高にいい状況です。ここで挫折しておかないとダメなんです、いい時期です」

と、敬愛する先生に言われました。

別の尊敬する友人からは、

「一番怪我をしやすい時期に試合に出ない、でもそばでいい試合も悪い手本もたくさん見られる、というのは、一生サッカーに関わっていく上で、これ以上望めないぐらいの好条件」

とも言われました。

憧れの選手たちの数多くの伝記には、必ず挫折と栄光が描かれています。

私はこんな巨体ですから、バランスからいって心の方も大きく広い......といいんですが、ぐぐっと器が小さいんです。自分が動けるならまだいい。でも、子どもの経験を手出しせずに見守っていると、「ヘタレで醜くいところ」がどんどん湧いてきて、でもそれを決して出さないように努力するわけで、実はそれがしんどくて、いやもう、とてつもなく苦しい伴走の日々でした。先人や先生の言葉を支えに、なんとか平成を保つのがやっとの。

今日は、ある意味、解放記念日なのかもしれないなと、ちょっと思いました。

小僧が、サッカーのある星に生まれてきたことを、私は神様に感謝していました。

臆病者で、新しい場所に適応することが苦手な小僧が、サッカーのためならどんなことでもがんばれました。自分からは率先して友達を作れなかった小僧が、サッカーを通してたくさんの友達を得て、勝利を目指して協力し、語り合い、笑ったり泣いたりしていました。サッカーが小僧の幸せの根幹。ありがとう、サッカー。

その信念は、一生揺らぐことがないと思ってたわ。

自分の入りたいと思ったチームに一度は嫌われ、一年浪人して遠くのスクールにバスで通い死に物狂いで練習して、満を持してセレクションを受け、合格した時には小僧より私が号泣したのが、昨日のことのようです。

彼のお陰で、楽しい楽しい、本当に楽しかった少年サッカー時代でした。

そのまま中学世代も、同じチームに。

でも、環境は激変していて。

どんなにがんばっても、がんばっても、どうにもならないことってあるんだよね。

私がダメでした。観戦も応援も小僧に禁じられたサッカーが、ちょっとずつ遠い遠い競技に思われてきて、関係ないのに日本代表戦ですら楽しめなくなっちゃった。毎年、何十万人ものサッカー少年が同じ苦しみを味わっている。あとどのぐらい涙と嗚咽が草の根にしみこんだら、日本代表はワールドカップで優勝できるの?とか、もうとんでもない八つ当たりです。

今夜、小僧の試合が終わったのは早い時間でした。

小僧が戻ってきたのはいつもと同じ、遅い時間でした。

自主練をしてきたのか、寄り道で心を整えてきたのかは、わからない。どんなに苦しくても誰にも代われない、理解されにくい痛みを抱えて、小僧は何を考えたのでしょう。

ただいまー、と力なく帰ってきて、無言で台所で手を洗います。ボールを蹴り始めた頃は私を常に見上げていましたが、今では私の背をはるかに越えて見おろすようになりました。

華奢な肩だけはまだかろうじて子どもですが、もう抱っこして「よしよし」と頭を撫でるわけにもいかないのです。

だから私はごはんをつくる。

とにかくごはんをつくります。

いただきまーす、と力なく食べ始めて、それでも自分でおかわりして、ちゃんと丼二杯がっつり食べた後、ごちそうさまでしたとぼそっと。普段なら「ああうまかった!」という好物のおかずだったのだけれど。

それでも、食べ終わって私がお茶を入れていると、

「おかあさん、今日、母の日だから。これ」

と、私にマンゴープリンを差し出したのでした。

そして、そのままお風呂に行ってしまいました。

「いつも、ありがとね」

消えるような、小さい声でつけたして。

え。すごくつらいはずのこんな日に、そんな言葉が言えるんだ......と、私はちょっと驚いていました。きっと人を構う余裕なんてないぐらい、きつかったはずなのに。

小僧はひょっとすると私が思うよりもずっと強くなっていて、ポジションがどこだろうとあるいはなかろうと、サッカーに対する思いは微塵も揺らがないのかもしれません。サッカー観戦すらつらくなっちゃった私なんかとは違って、ちゃんと現実を受け入れ、もうちゃんと次のことを考えているのかもしれません。

差し出されたマンゴープリン、大喜びで食べました。

コンビニのマンゴープリンだったけど、美味しかったです。

本場のどんなマンゴープリンより、美味しかったです。