どんなに生活が苦しくても、それだけは切り崩すことなく、保険証書を手をつけられないところにしまってきた。
その満期のお知らせがやってきて、親としてひとつ、ちゃんと責務は果たしたんだなという気がしている。
大学四年間、学資保険は400万。
病気にもならず、事故にもならず、お父さん、よく頑張ってくれました。
お嬢にこの
学資保険の話をしたのは、小5のときだった。
「英語で授業を受けられる学校があるんだって、説明会っていうのは保護者同伴なのでつきあって!」
とお嬢に連れられて、都立中高一貫教育の学校見学をした。
普通の親だったら十二分に魅力的だろうその学校は、通うにはあまりに遠すぎ、勉強にあまりに一生懸命すぎ、親は出口を気にしすぎ、パリッとしたスーツ率も高すぎで、私には全く好感が持てなかった。
お嬢と話をしていくうちに、その学校に固執しているわけではなく、仲良し7人組はほぼ全員私立受験をするから私も受験というものをしてみたい、ということなのだとわかったのだけれど、そのときのお嬢は英語劇団に夢中で、塾にもいったことがなかったのだった。
「塾に行くか、英語劇を続けるか、うちはどっちかしかできないよ。
正直、私立は分不相応、だと思う。
自営だし、いつどうなるかわからないから、残念だけど私立には通わせてあげられない」
そこで初めて、保険証書を見せた。
400万円、これが18歳で君に手渡せるお金の全て。お父さんが死んでしまったとしても、この金額は確保されている。
18歳までは家にいるなら生活は私たちが面倒をみる。18歳になったら、このお金を元に、大学に行くなり働くなり、自分でなんとかしていかなくてはならないんだよ。と、話をした。
サッカーの少年団をやめてくもんに通いたい。
英語劇は6年間続けたい。
国公立の中高一貫を記念受験だけしたい。
これがお嬢の出してきた提案だった。
いいよ、交渉成立だ。
だが、お嬢はじっと考え込んでからこう言った。
「おかあさん、このお金は全部私が使っていいんだよね」
「うん、そうだよ」
「じゃあ、このお金で私立中学に行くのもありだよね」
「いいけど、大学にはいけないよ」
「そうか、そうだったね、うーん。大学には行きたいかもしれない」
それからしばらくして、記念受験で不合格をもらうだけでは勉強した結果が現れなくて中学からの意欲が削がれるので、どこでもいいから合格通知だけはもらったほうがいいと、私はママ友からアドバイスを受ける。
私自身が中受に失敗した口だったので、それは痛いほど身にしみていた。
あわてて私立の中学を探し始めたところ、とても近い場所に、私の大好きな二人の親友が共通して卒業生であるところの学校が浮上する。あら思わず、関係代名詞を使っちゃったわ。私も高校時代、経済的に許されるなら受験したかった学校だった。
早速、お嬢と学校見学に行ってみた。
理念、最高。余裕があれば、是非とも通わせたい学校だと思った。
お嬢はそのあと、ちょこちょこ一人で学校見学会や公開授業に出かけて行き、説明会には保護者に紛れて一人で説明を聞いて、感想もたっぷり記入してきたりした。当時、お受験組には「説明会の感想は多少なりとも加点がある」と信じられていて、母親の怠慢を自分でなんとかしようと思ったのだと思う。
そしてある日、お嬢が私にこういった。
「受験は全力でやる。公立の中高一貫を取りに行く。でも公立に落ちたら、合格通知をもらうためだけではなく、あの私学に通いたいと思う」
「言ったよね、うちにはお金がないんだよ?」
「あの学資保険の400万を先に使わせてもらうのはどうかな」
「え。大学に行かくていいの?」
「わからない、でも、あの学校に行ったら自分でちゃんと考えられる人になると思う。だから、大学も自分で選んで、ちゃんと自分でいけると思う。今あの中学に行かないと、絶対に後悔すると思う。どうしてもあの学校に行きたい」
ミイラ取りがミイラになっちゃったのであった。
公立受験は見事に落ちて、お嬢はニコニコしながらその私立に通い始めた。
6年が過ぎ---。
あの学校で出会った全ての先生方と、友だちをとても愛おしく思っていることは、毎日の会話で伝わって来る。
学ぶことが大好きになった。授業はディズニーランドより楽しいといった。
勉強しろと言わなくても、時間があれば机に向かう子になっていた。
例えば、やりたいと思う競技かるた部を作るのも、あるいは卒業謝恩会の自主運営なども、話をすれば先生方はすぐに全面協力して子供たちの自主性を育んでくださった。
何より夢中になった部活では、素晴らしいご指導と切磋琢磨する仲間に恵まれ、都内屈指の弓道強豪校になり、個人的にはジュニアオリンピックもインターハイも国体まで連れて行っていただいた。
あの時のお嬢の直感は、圧倒的に正しかったのだと思う。
今、進路を考える。
いくつかのオープンキャンパスには友達と通い、自分の行くべき道を模索して試行錯誤の末、お嬢は大学弓道の弓を置くことにした。
そう決めた以上、都内の大学という選択肢はない。
そして唯一、友達でなく、私が同行を許されたオープンキャンパスは、体育会系弓道部のないはるか地方の大学だった。多国籍言語が行き交い、学生たちがキラッキラで、またもや楽しそうな空気があの中学高校のように、あちこちでパーンと弾けていた。
「私は、どうしても、ここに来たいと思う。どうかな、おかあさん」
学資保険はとりあえず手付かずのまま。一昨年前はそれが満期になったら借金返済にあてて、お嬢自身は奨学金申請や、給付生での大学受験をと考えていた。しかし自営業の特需があって、多分に見切り発車ではあるが今なら仕送りもできなくはない。
「四年間を考えると、仕送り生活費込み800万からかかるなあ。それはどうなんだろう。我が家は18歳で援助打ち切りだから、その分全部を手渡したらある程度なんでもできちゃう金額だと思うけど?」
大学中退の高卒親はそんな風に誘惑してみたのだが、
「もちろんそのお金で、私はここにくるよ!」
と満面の笑みで迷いなくお嬢が言った。
一点の曇りもなく、清々しい決意だ。
中学の時の直感が正しかったように、この地でまたお嬢は楽しく充実した日々を送るのだろうと私も確信した。
頑張れ、受験生。
塾にも通わず、通信教育と授業だけでよく勉強してきたね。
そして、絶妙のタイミングで、担任の先生のお力添えで、ぴったりすぎるほどぴったりの素晴らしい志望校を見つけたんだね。
頑張れ、お父さん。あと四年は、ガッチリ働け。
・・・あ、だけどさ。
中学の時に大学は自分でって言って進学してるわけだよね。この作文書くまですっかり忘れていたけれども。
しかも、最初から生活費の仕送り分、っていうのはなかった話だったんだよね。
いつの間に、400万までの支援が、800万になっているのか。壺算か。
お嬢、あの学資保険は使っちゃった事になってる気もするんだけど、そこ、どうしようか。