カーネーションからの

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三年前の私は、朝の忙しい時間にテレビなんか見てられない人だった。
ところが、「カーネーション」が面白いと評判になっていて、信頼できるドラマクラスタの友人筋からも手厚くご推薦を頂いたので、ちょっと見を始めた。
最初は、見たり、見なかったり。
そのうち、見なかったりがなくなって、周防さんが登場してから朝の本放送に加えて昼再放送を見たり見たりの二度ネーションが始まって、カーネーションの戦後が私の戦後史に重なるほどにたっぷり味わい尽くしたのだった。

「あまちゃん」「ごちそうさん」を見続けたのは、この「カーネーション」でクセになったある種の麻薬性が大きかった気がする。
「あまちゃん」はその予告編が私のよく知る作品にあまりにも酷似している展開だったために初回から臨戦態勢で見てしまい、結果的にその勢いのまま一度も欠かすことなくこってり引き込まれたし、その延長線上で食いしん坊の私は「ごちそうさん」からも目が離せなくなっていた。
「朝ドラ好きな主婦ゆう子」に変身していったというかね。
朝のドラマはいい時間に、区切りと元気を与えてくれる。
前の晩がどんなに辛くても、忙しくて寝ていなくても、朝ドラでちゃんと毎日の習慣が戻ってくる。さあ今日も頑張ろうと思える。
誰が考えたんだ、朝ドラというシステム。神だと思う。

名作「カーネーション」全作再放送と聞いて、小原糸子が子どもだった頃から欠かさず見ようと決めていた。
そして、改めて脚本と演出と役者の三位一体にしびれている。
余計な言葉や説明はないのに、小さなエピソードで組み立てるキャラクターの安定感がすごい。
俳優の器量なのかなあ。
それを信じて導いていく脚本家の感性なのかなあ。
首尾一貫、日差しやら、帯の締め方、使う小道具やら映像の角度ひとつひとつに心配りが行き届いたニクい演出に、「ああこれはこういうことなのかも」と息を飲む毎朝。
表現が表現以上のものとして、そこに存在する。
大阪発のドラマということで、闇市にうっかりフィクションの「ごちそうさん」を探してしまうコラボ感覚も面白く。
ドラマのモデルになった実在の人物もさぞ素敵なご家族ご友人一同様だったと思うのだが、実在から透けるのではなく架空の「小原糸子」という人物が生き生きと動き回り、気持ちよく彼女に振り回される数ヶ月を楽しめるのを嬉しく思う。

そこから牽引されて「蓮子とデン」も見てきたのだが、あまりにも雑で心ない展開にたびたびの離脱が始まった。もうこぴっと見続けるのが辛いのね。
これだけ魅力的な役者さんがそろっていて、祖母の生きた大好きな時代の話だというのに、「ああんもう、なんだこれ」と思うのに疲れてきちゃった。
名作過ぎる「カーネーション」と同時代を同時放映というのが、可哀想な境遇といえば、いえるかもしれない。
見るたびに「それはない!」と思うフラストレーションがこぴっと見つかるのも、ある意味すごいドラマなのかもしれない。
「梅ちゃん先生」とかは一話見て「これが医者になるのはあり得ない」と即座にやめちゃったわけで、見続けているのにはどこかに見所があるからだ。
あまりにもできすぎた嫁よりできない嫁の方がいびりがいがあると言ったのは誰だったか、これはそういう頭の体操的なドラマと考えるとそれはそれで悪くないのかもしれないと思うようになった。
「カーネーションを録画して、蓮子とデンの後に見たらいい」
というつぶやきを読んで一度そうしてみたのだが、押し寄せる「なんだよそれは」の嵐が、せっかくの「カーネーション堪能タイム」を台無しにしそうだったので、今はカーネーションでしっかり目を覚まして、「蓮子とデン」は家事をしながら時間を過ごす活用する形で有意義にチラ見している。
実在人物をモデルにしているドラマだけに、透けて見える実在の人物たちをちゃんと脳内で「それでもきっと職業婦人として素晴らしい才能を見えないところでは発揮しているに違いない」とか「出版業界をなめているように見えて仕方ないけど当時の出版業界を私は知らないのだから謙虚になれ」とか「大正時代にこのエピソードは到底あり得ないけどあったら微笑ましいかもしれない」とか「舞台化したらドミンゴと編集部と甲府だけでなんとか全部出来上がるから安上がりだな」とか、脳内で修正しまくっているのもまた、ボケ防止に役立っているのかもしれない。

何年かして、やはり「カーネーション」はもう一度見たいと思うだろう。
周防さんとの展開がこんなにもゆっくりで、いよいよくる、くるんだなあというワクワクや、彼女を取り巻く友情や、子ども達に流れる強情な遺伝子や才能のきらめき、ああもう今日だけでもたっぷり過ぎるほど味わい深いのだが、同時に再放送までは絶対に見ないなと思いながらも今日の蓮子様の着物の季節感のなさや変な帯、そこで帯揚げをほどく無意味さ、龍一さんの棒読み加減のイライラもセットになってつきまとってくる。
むしろ、一緒に思い出すドラマの方が印象深かったりしたらどうしましょう。
それはちょっと嫌だなと思っている。