年齢が行くと、欲求は少なくなっていくもの。
いい感じに枯れてきたのだと思っていたけれども、ふと気がつくと、あら私、弓道初体験の話を全く書いていないじゃないの!
それはダメ、絶対。
いくら執筆欲が著しく減ってきているといっても、新しく五十の手習いの記録をつけないなんて、そんなもったいないことできないわ。
ことの発端は、去年のインターハイ。
私は観客席で、徳島の代表選手のお母様とちょっとしたきっかけでお友達になった。
とても感じのよい美人ママさんで、その年の国体は東京だし、2014年はインハイも東京だから、何か困ったことでもあればご連絡ください。ぜひまた再会しましょう!とメアドなどを交換していたら、偶然選手達同士も仲良くなっていた。
しばらくしてその彼女からメールを頂く。
お嬢さんに触発されて弓道を習っていたのだが「初段をとった、的中させた」という内容に、私は震えた。
すごい。
かっこいい。
そりゃあ全国大会レベルのお嬢さんが直々にご指導してくださる訳で、上達も早かろう。と思ったところ、あらそれは私にも当てはまるじゃないのと、ふとよぎるわけだよね。
時同じくして、卒業年度になり離れるのが寂しくて仕方ない弓道部保護者たちが(弓道部の保護者たちは一緒に遠征だの応援だのに行っているのでやけに仲がいい)「大人弓道部」の立ち上げをもくろみ始めて、私は二の足を踏みつつ思わず胴作りしてしまう感じで、そわそわしだしていた。
運命の日は、突然だった。
あの日あのとき、あの場所で、初心者講習会をしていなかったら、私はまだ八節君の画像をうっとり眺めることもなく、日々を別の忙しさで過ごしていただろうと思うのよ。
お嬢が自主練をするというので、光が丘弓道場まで送っていったら、たまたま初心者講習会をやっているという。
一時間の使用券を買って、お道具レンタル代金を払って、全部で500円もしないそんなお値段で、ご指導賜われるという。
据え膳食わぬは男の恥である。......この慣用句は使い方を明らかに間違えているが。
そして私は生まれて初めて、胸当てをつけ、生まれて初めて、巨大な固い安全靴のような「ゆがけ」を自ら右手にはめて、生まれて初めて、8キロの弓を自分が引くために、持ったのだった。
国体の小金井公園特設・体験弓道場で、矢を放ったことはある。
お嬢の文化祭で、風船を的にしてごく至近距離から割ったこともある。
でもそのときは全部全部、ああでもないこうでもないと経験者にいじくりまわしてもらった上で、
「はい離して、ぱしっ、中ったね」
だった。
まだハイハイしている子どもの脇の下あたりを抱いて、空中を歩かせてみているのに等しい。
巻き藁という、米俵のでっかいのみたいなのを目の前にして、はやる心。
ここに弓を引いて放ち、矢を突き刺していい。うちにある巻き藁はゴルフ練習のための網のようなものだから基本、突き刺さらないので臨場感に欠けるのだが、これは、ブスッと行く。何か根源的な喜びがある。
この巻き藁がいよいよ、つかまり立ちといったところか。支えがなければ簡単にこけるが、何はともあれ自力で、立つのである。
ご指導は丁寧だった。
足踏み、銅作り、弓構え、打ち起こし。
引き分け、会、離れと残心、そして弓倒し。
弓を引く8つの動作は、もちろん何度も耳に入ってはきたけれど、それをどうすれば正解なのかは全くわからない。
「ここは、こう」
と、一度聞いただけで覚えられる「記憶力」は、すでに退化している哀しき49歳。
けれども、ああこれがあれだったのか、そうかお嬢はこのときにそうだったのか、あれはこうだったのか、そうか勝手に思い込んでいたけど、この五秒ってそれか、いや、これは思っていた通りだったんじゃーーーーんと、なんだか発見の嵐で、アタマの中に半端ない刺激がなだれ込んできて、嬉しくて仕方ない。
やばい、楽しい。
まさしく、矢場い。
感覚としてはまだ三十分も立っていなかったのだが、時計を見るとすでに一時間は有に経過していた。慌ててお礼を言って道場を出る。
優雅に自主練するお嬢を見て、改めてすごいことをしているんだなあと思った。
うわあああああ。
おーもーしーろーかったあああああ。
後片付けをしていても、お嬢の自主練を待つ身になっても、あの楽しかったワクワクが消えない。
もちろん初回、まともに弓を引くにはほど遠いのだが、自主練をビデオに収めるのが仕事だったのでイメージトレーニングだけは死ぬほどできている。
想像の中の私はお嬢のように美しく弓を引いていて、しかし随時注意されれば「そこか!」と、そうかこんなことをしていたのか、こんなことをするんだな、ともうニヤニヤがとまらなくて、そこを先生に注意されるほどだった。弓道はポーカーフェイス、無表情が望ましい。
お嬢を車に乗せて、大興奮で帰宅する。
次の初心者講習まで待てない、もう早く大人弓道部を作ろうよ、どこかの弓道会に所属しようかな......。
先輩お嬢は、そんな私の興奮をまあまあ落ち着いてとなだめては、涼しく微笑むのだった。
この下手は下手なりの初体験のめくるめく喜びが、第二回めにつながっていくのだが、とりあえず、お夕飯の時間なので、初回の話はここまでに。