録画してまで応援したのが、栃木の佐野日大!
佐野は祖母の生まれ育った場所でもあるのだが、祖母は姉が嫁いだ先でトラブルを起こし続けるのを見て、親の決めた縁談は嫌だ、栃木にいたら不自由ばかりだ!と一念発起し、
「一生に一度のお願いだ。華族様の見習い奉公に出してほしい。嫁ぎ先で粗相のないようにしたい」
と一世一代の大嘘をついて、東京に出てきた身である。
野心の使い方が微妙に違う方角を向いているのは、私のご先祖だから仕方ない。
で、昭和黎明の頃、矢絣の着物を身にまとい、ちょっとだけ勤めて、とっととやめて、当時最先端のデパートガールになっちゃった。
祖母が二度と戻らないと覚悟して出てきた故郷に義理立てする義理はないわけで。
じゃあどうして佐野日大びいきかといえば。
じゃじゃじゃん!
私の親友・さの字の息子の幼なじみ、すなわち、さの字の栃木転居後最初のママ友のご子息が、佐野日大にいたからである。
・・・意外に義理堅いのよ、私。
高校野球って、実に素敵だなと思う。
定岡が血染めの白球を投げた話は小学時代、学年誌の漫画で読んで震えたし、原辰徳の東海大相模の校歌は帰りの会で「今週の歌」として歌った記憶がある。
清原桑田のPL学園のスターが出てきて、弟と同じ年でも全然ときめきは変わらなかった。
河野と松井も、まあ君ハンカチ王子も、ああもうかっこいいとため息をつきながら名場面を見ている。
見て、一緒に泣いたり笑ったりしていた。
高校球児は出会った頃には憧れのうんと年上のお兄様だったのに、今では息子みたいなものとして愛でている。
女子に甲子園があったなら、高校で私は迷うことなく野球部に入った。
今は女子のプロリーグもあるんだよね。いい時代だと思う。うん。
ところで、甥は甲子園を目指して小学校時代から親子鷹で頑張ってきた。
その該当世代になった今、おばちゃんやらおばあちゃんやらの期待を一身に背負って、背負って、気負って、怪我を機に突然「あいつ、部活やめるってよ」状態に陥ってしまった。らしい。
明日から桐島って呼びたい。
いやーん、おばちゃん楽しみにしてたんやで。桐島甥1が甲子園まで、いや地区予選や県大会でも、カメラ片手に応援に行くつもりやってんで。ひとつ勝ったらごちそうを用意するとか、め以子のようなことをしてみたかったんや。
......でも、こればっかりはしかたない。
桐島甥1は考えるところあって勉強にシフトしたのだと思うことにして、その他の部分での活躍andリア充を祈ろうと思う。
あんなに好きだったスボーツをやめてしまえるわけがない、という想いは残る。
だから、桐島甥1もきっとどこかで野球を続けると思う。
ただ、スポーツ選手は、いつか必ず「競技選手」から「趣味の選手」にシフトする日が来る。
うちのお嬢も、小僧も、必ずその日を迎える。
線引きをするその日が来たら、きっと私も、弟夫妻がそうであったように困惑したり苦悩したり成長を頼もしく思ったりして、一緒に複雑な感情の入り交じった涙を流すのだろうな。
いや、順当に「時が来て」引退するのであっても。
今、高3のお嬢の部活の仲間の「最後の大会」「引退試合」が続いており、親としては我が子同様に応援してきた選手だから、毎試合、四回の射にどれほど胸を熱くしているか。
スポーツ選手が、自分の為に一生懸命頑張ることが、周りの気持ちを熱く、豊かにさせる。
結果がでればそれはそれでアスリートの価値だが、実のところ応援団にとっては結果などどうでも、ただその選手に関われるだけでとても幸せな気分になるから応援している。だからこそ、選手がやめる時は、寂しくせつない。
引退を待たずに部活をやめていく選手が案外多いことも、桐島甥1をきっかけにネット検索していて知った。
中には、やめないでがんばって、頑張りすぎて自殺してしまったり、リンチにあって殺されてしまうなどという悲劇的な結末もあった。
桐島甥1が「部活やめるってよ」と聞いたときには、ただただ伯母のエゴで「もったいないよ!」と思ったが、平和な着地と新たな目標をもったことに安心し、彼が野球を通して培ってきたてあろう「しなやかな勝負強さ」と「ピンチを乗り切る精神力」と「チャンスにはがんがん攻める姿勢」に、改めて感動した。
甥を見守る気持ちは、高校球児だろうと別の部活をやろうと変わらない。
いろいろな子ども達が、いろいろな想いで高校時代を過ごす。
今、私がはまっているドラマ「弱くても勝てます」は一勝もできない高偏差値高校の物語だが、甲子園球児の対極のあんな高校球児にも萌えちゃって萌えちゃって、おばちゃんは大変だ。
部活やめるってよ、もあり、弱くても勝つために頑張る、もあり。みんなちがって、みんなイイに決まっている。
だが、やめていく子も多いと知った今、たくさんの高校球児の、ある意味、頂点に立っているのが「甲子園球児達」なのだなあという感慨もまた深く、今現在、最も身近な佐野日大を応援する気持ちがさらに増している。
さの字が両手に抱っこしているチビ二人。一緒に写った写真のちびっ子が野球で甲子園に行った。
どんな想いで、どんな練習で、何を犠牲にして、日々をどう過ごして。
妄想は、「ごちそうさん」のふくのように。限りなく果てしなく。
大阪の全国私学弓道大会の応援団だった私たちは、たまたま春の甲子園に出場した高校球児達と宿を同じくした。
そこで礼儀正しくホテルにご挨拶しているところと出くわして、びっくりした。
がっちりした熱い胸板、太い腿。そして全員、例学なく坊主。女っ気もなく。
見たこともない、でっかい高校生たちが、どこまでも礼儀正しく、どこまでもカッコよく並んでいた。うっとり。
夏の甲子園、今年は地元東京代表に、お嬢の代の直接の知人がいるかもしれない。
小僧のサッカー友達の兄なんかもいるかもしれない。サッカー強豪校は野球強豪校も多く、「うちの高校が」と語るママ友もいるに違いない。
お嬢がらみの他校弓道部の親類縁者も、いるかもしれない。私との関係性は、遠いけど。
遠くてもいい。応援しちゃう。全く関係などなくても、滑り込み方が小粋だったとか、コーチングボックスで叫ぶ姿が男前だったとか、そんなんでももう応援しちゃう。
そして志半ばで、ひとまず野球を中断している様々な事情を抱えたたくさんの野球選手達にも、ネットの片隅からしっかりエールを送る。
焦るな。人生は長い。
野球が9回ツーアウトからのように、君の人生、逆転ホームランをかっ飛ばす可能性は満ち満ちている。その可能性を誰よりも知っているのは、野球によって育てられた選手自身なのだから。
頑張れ。みんな、頑張れ。
その頑張りと、何よりその存在自身が、周りを幸せにする。