四十九日法要

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今、吉祥寺アトレには楳図かずおさんと一緒に写真が撮れる顔出し看板がある。
「顔出し」に目がないわたしが、トライしないはずがない。
で、それをごく身近な友人にLINEで送ってみたところ、
「楳図さんが同じ顔にはさまれてる〜www」というコメントをもらった。
楳図さんの横から二人が顔を出せるので、片方、娘に立たせたのだった。似ている、確かに、似ている。
遺伝子恐るべし。

そんなわけで、日常生活をしっかり満喫している。
日常の中で、痛みは少しずつ癒えていく。
はやいもので、もうすぐ四十九日法要がある。
突然亡くなってしまった義姉・琴ちゃんも、未だなんとなく現世をひゅーひゅー漂っている気がしていたので不思議とそんなに寂しくなかったのだが、準備期間を経て、いよいよ大空へ。という感じなのかしらと思うと切なさが増す。
そんなの仏教業界の人が適当に考えたことなんじゃないの?と訝る反面、こういう「考え方」は案外うまいことできてて、いいもんだなあとも思う。
あれよあれよという間に一気に病気が悪化してしまったから、本人が一番納得していなかっただろう。
そろそろ納得がいったかしら。
やはり、納得はいってないままかな。
ゆっくり準備をして、旅立つ。私たちの場合は「宇宙兄弟」ならぬ「宇宙義理姉妹」だ。琴ちゃん待っててね、いつか行くからね!という心持ちだね。
(実の弟である夫は超・リアリストなので、「宇宙姉弟」にはならないのだ)。
階段の飾り棚に置いた琴ちゃんの写真は、とびっきりの笑顔で、まああの人はどこにいても楽しい人だから安心だとつくづく思う。
来世という考え方があると、割と便利なのね。
なんていうか、こう......、電波の通じていない場所に行くだけのことで、心の中ではあまり距離感が変わらない。
インターネットが天国に通じていたらいいのになあ。
将来病気になった時点で、私にもし準備する時間が残されるなら、天国からのメッセージをちゃんと用意しておきたいなと思った。
いや、まてよ。
そんなメッセージはあってもなくても、実はあんまり変わらないかもなあ。
人は死んでも、誰かの心に生き続けてるし、心の中の琴ちゃんに問えば、なんて答えるかなんとなく想像がつくし。
そっくりな顔した娘二人もいて、ちゃんと遺伝子は上手に乗り変わって、彼女達の中に生き続けているわけでね。
いいもんだよね、遺伝子。
そっくりな二人の姪を眺めに、近日、四十九日法要にいってきます。