おとな弓道部

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おとな弓道部を作ろう。
ということで盛り上がっている。
なんのことはない、お嬢の学校の保護者応援団が、子ども達の弓道のあまりのかっこよさに萌えが高じて自分たちも弓を引きたくなってきちゃったの。
インターハイの前哨戦にあたる某大会で、都内はもちろん関東近県強豪相手に死闘を繰り広げたお嬢達。
死闘、といっても、弓道は自分との闘い。

発して中らざるときは、則ち己に勝つ者を怨みず。反ってこれを己に求むるのみ。

文句言うなら、自分にね。ということなのだが、これが深い。
さらに、あたって笑ってもダメ、はずれて泣いてもダメ。それを忠実に実践しているストイックな我が子達。(部員全員我が子扱いでございます)。
何時間も待って、集中してイメージトレーニングして、そして4つ矢、たった五分に懸ける青春。的に入るか入らないか、それだけに見ている方にもしびれるほどの快感が伴います。
「美しい射は、心が清々しくなる感じがするね」
と、今回男子のママが言ったんだが、本当にそうだと思った。
全国大会を見て、神々しい高校生にたくさん出会ったのよ。

我が子達の場合。
前日までの大阪遠征で不調だったり好調だったりをどう立て直しどう向上させていくか、それぞれの選手には課題があり、進路をにらんで引退時期を選ぶ新高3生でもあり、それぞれ抱えている個別の事情もあり、もっといっちゃえば中学時代からの絆と歴史も含めて、一人一人にドラマがぎっしり詰まっている。その想いが矢に込められて、的中をめざすわけで、しびれるのも当然でございましょう。
下手な小説よりずっと面白くて、いやもう文学部行くYはこれを書けばいいんじゃないの?と思うぐらい。
読みたいよ、私が。Kindleで出したいよ、私が。

そんな熱い日々も、彼女達のプライバシーと彼女達の成果なので詳細を語れない。
しかし、我がことのように興味深くこの燃えている日々を、追体験でなく実体験できないか。
というのが、そもそもの発端だった。
それなら、書いても多分大丈夫だよね?
的を置く安土が壊れ、みんなでぎゅっぎゅっと砂を踏んで道場を作っていく貧乏だからこそ面白い状況や、その砂に猫がおしっこをしにきて、そいつが子連れだったりして切ない気分になる話なんかも「フィクションです」という前提で、楽しく書けそう。
試合前の攻防。
精神の調整。
部内での努力の差と、結果。その切磋琢磨の方法論。オタク心を全開にして(ああもう、うっとり)。

なによりも、子ども達のお下がりの道具を使えそうだし・・・。←もったいない病。
子ども達と、共通の話題ができそうだし・・・。
子ども達は我々の先輩になる訳で、敬意を払って、よい関係を保てそうな気がするのだ。とっくに抜かされていても、どうしたっていつまでも「親の方が偉い」風を吹かせがちだから。
門前の小僧ながら習わぬ教本を読んで、お嬢が不調なときに適確な一文をお弁当の文(ふみ)に忍ばせたりしているので、その心髄には傾倒しているところもある。
いいよー、弓道、いいよー。

しかし、いざ動き出したらきっと夢中になるのは想像に易く、それが今、尻込みしている最大の理由になっている。
子ども相手の学童がらみのバイトも楽しい。
あまり好きじゃなかった書道も、子ども相手に教えるのはやっぱり楽しい。
福祉に関してはやはり適性に難ありを痛感して、大学は復学を迷っているけれども、それでも学ぶことの楽しさはいかんともしがたく。
最終学年、PTAでのご奉仕もあって。
私は忙殺ちゃんなのに、さらに殺戮可能な道具を使う武道に手を出すか。

春は、なにかいろいろと新しいことをやってみたくなっていて、桜が超絶満開になっているのを見て、心の底からワクワクが止まらない。だれかこの欲をなんとかして。
弓道は欲との闘いでもあるのだが、その矢でこの強すぎる欲望を射止めてほしいわ。

ああ、まいったな。いろいろなことが楽しそうすぎて、時間が足りないんだよ。
お花見にも行かなくちゃならないのに!←それは、いいんじゃね?