仕事場と見学した学校の最寄り駅が同じなので、それではでかける時間は別々でも帰りは一緒に帰ろう、ついでにご飯でも食べようよ、ということになった。
その日、私は和服で急いでいた。
雨が降っているので草履をやめて下駄を履いていたのだが、これがぬれた路面で滑りやすく、そう、まさにそのご想像通り! 駅の階段を軽やかに上りきって風の用に改札を抜けトントントンと階段を下りていてあと少しのところで、滑った。左手で手すりをつかめればよかったが、とっさに治りかけの左肘をかばった私は、ガクンと左足で階段を踏み外し、そのまま尻餅をつく形で落ちたのだった。
雨のホーム。
人影が疎らだったけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい。
それでも何事もなかったように立ち上がり、懐から手ぬぐいを出して尻をはたき、歩こうとしたそのとき。
ずっきーん。
左の足をどうやら捻挫してしまったらしいのだ。
折れてはいない。これは捻挫だ。たいしたことはない。歩くと痛い。痛いが急いでいる。急いで、来た電車に乗って、仕事場に向かわなければならない。たいした痛みではない。
かわいい生徒が待っている、遅刻は許されない。
左肘を怪我して以来、動作がとろくなっているので、時間の余裕はたっぷりとって移動することにしている。落ち着け私、30分前につきたくて急いでいたのであって、ここからはまあ、そんなに急がずとも。と気持ちを切り替えればいいのだ。
切り替えるが、痛いものは痛い。
とりあえず、和服だがストレッチをしてみる。足をくりくりまわしてみようとして、ヒー!と声をあげそうになった。
痛い。どうしよう、やっぱり痛い。まだまだ、目的地は遠いのに。
左肘の靭帯損傷の加減はだいぶ良くなっていたが、まだ時折痛むため、左腕で重い荷物が持てないというハンディがあった。これが諸悪の根源だった。
この左手が使えないというのは、実は地味にしんどい障害で、めんどくさい。
私の左手は不器用すぎて、いわゆる飾りのようなものなのだが、それでも案外重要な存在だったことは先日の日記で書いた通りだ。
私には寄る年波の影響で頸椎管狭窄のトゲトゲがトゲトゲしており、左半身は意識すると軽くしびれている。
まあ意識しなければ、つまり集中して何かやっているときには全く何でもないので日頃は問題ないのだが、左手にものを持たせておくと軽くこぼれることが結構ある。
我が家のコップや茶碗が、ある時期から百円ショップオンリーになったのは、私が左手で持って落として割るからだ。
これで尿意がわからなくなったら頸椎をすっぱり手術することになっているのだが、今のところお漏らしはしていないので、ほぼ健康なんだと思っている。
たいていのことは小器用でうんと力持ちの右手が担っているので、不都合を感じたこともなかった。
だが、左手を怪我すると、荷物を持つのが右手になる。これは手も足も出ない状態に近いということだ。
かくして、普段ならがっちりした筋力で格好良く踏ん張れたか、あるいは俊敏な反射神経で舞うように手すりを持って難を逃れたはずが、私は階段の数段上から派手に転んで落ち、一目を気にして真っ赤になりながら、電車に乗り込み、左足首の痛みに耐えなければならないわけである。
しばらく座っていると、痛みもすっかり和らいで、無事駅に到着した。
うむ、気をつけて歩こう。と思って立ち上がり一歩めを踏み出すと、ずきーん。まだまだ痛い。
これは軽く足を引きずりながら歩くことになる。定時に到着するのがやっとなんじゃないだろうか。なんで乗り換え電車って歩かなきゃならないんだろうか。どこでもドアがあったらいいのに、助けてどらえもん(泣)!
仕事を終えて、娘がオフィスに迎えにきてくれたので、後片付けを手伝わせて帰路につく。
オフィスでアイスパックを頂いたので、とりあえず足袋の上から手ぬぐいできゅっと巻き、仕事になればどこにも痛みを感じなかったのだが、帰路はまた格別に・・・。
ということで、足を引きずる理由をお嬢に話したところ、
「やっだー。すごいドジっ子!どじっこゆうこりんだね」
とコロコロ笑われて、その「どじっこゆうこりん」というネーミングに、なんだかとってもむかついたのだった。
50近いドジっ子だのって、どうなのよ。夜が明けたとおもうべな。
「痛い間は、どじっこゆうこりんって呼ぶことにした」
と、鎖骨を骨折しても気づかなかったようなお嬢に言われたので、私の左足は即座に痛くなくなった。心頭滅却すれば痛くない程度の痛みは、痛くないので問題はないのだ。ふんっ。
ここのところ、怪我が多い。
怪我をかばって、怪我を重ねていく感じだから、本当に気をつけないといけない。
まあ、痛くないと思って痛くない程度の怪我は、怪我のうちに入らないんだけどね。