包帯で湿布を巻いて大げさに固定し、三角巾でつって安静にし、痛み止めを飲んで耐えていれば、二週間で痛みが消えるだろう。
というご神託を頂いた。
家族で遊んでいて、ちょうど一瞬、左手一本で残った残った、はっけよい、こけた。
かつての私なら難なく力を逃したのだろうけれど、全体重をかけてぐぎっと音がするほどの状況だった。
RICE!と私が叫ぶ。
と、大盛り飯が出てくる程よいボケを期待するのが漫画家一家の本来のあり方だが、アスリート一家なので早速氷が用意されるのだった。
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小僧が一度、早稲田のグラウンドで怪我をしたとき、早稲田大学の方だと思う、スタッフの適確な処置に感動したことがある。
そして整形に運んだときに、やはりその適確な初動に医師が「なおりの早さが違う」とおっしゃり、実際にどこの怪我より早くよくなった実績と感動の下、私はこのRICEを叩き込んでいるのである。
私のドラえもんバッグの異名をとるでっかいバッグには、ぱちんと割ると氷になるパックと三角巾がいつも入っていた。最近はかさばるので冷えピタと手ぬぐいにしたが。
ぐぎっの後に私が安静にしていると、お嬢が氷を運んできてそれを幹部に当て、三角巾ですぐに圧迫した。
小僧はクッションを積み上げて患部を心臓より上に。
そして、痛み止めを多めの水で飲んで、すぐに寝た。
翌朝、全く問題なし。
昨日の適確な処置を絶賛し、自分の丈夫さも自慢しながら子どもたちを送り出し、朝から区の役員仕事に。自転車にだって乗れちゃうもーん。
ところがこの会議中、冷や汗が出るほど痛くなってきたのだ。
左肘が、ずきんずきん、自己主張するのだ。
明け方にとりかえた湿布の効力が切れたのか、ロキソニンが切れたのか、緊張緩和しちゃったのかはわからないが、痛いのだ。
で、病院に駆け込みレントゲンを撮って、骨には別状ないけれど、ああこれは痛いねー、ここは靭帯だねー。と腕を持ってあれこれ捻られては、うひゃーと、ふなっしーのナシ汁状に汗が吹き出す始末。
これが十歳若かったなら、反射神経もぴちぴちで、きっとこんなひどい故障にはならなかったはず。
相当腫れてるよなあとお医者様につつかれてひゃっはーと痛がっているものの、ひょっとしてそれは腫れではなく脂肪では......とちょっと不安になったりするおばさんの乙女心であった。
サポーターは、小僧の小学生時代のお膝用の。
そして、三角巾は最新型の黒くてカッコいいの。
利き腕じゃないし、これを言い訳にしばらく家事もさぼれるし。と、つかの間ほくほくしたのだが、基本的に児童施設でのバイトはお休みしなくちゃならないし、両手で物はもてないし、かわいいバッグは諦めなきゃならないし、上着すら着られないし、食事は犬食いになるし、化粧はできないし、パソコンは激遅い入力になるし、LINEは音声入力で誤植のたびに弱っちゃうし、いいことは何もないのだった。
何より、痛い。
ちょっと捻っただけで、激痛。
トマトが落ちそうになった時に、あっ!と反射的に左手を伸ばしてズッキーン! お水のカップを持とうとして、ガッキーン!
洗い物ひとつとっても、片手ではいつもの三倍かかる。
まだ急性期なので湯船はナシにしても、洗いにくいことこの上ない。
自動車、自転車はもちろん、走ることすらできない。これがせっかちな自分にはつらい。
バランスを崩して体中の変なところが筋肉痛になるのがつらい。
にわか中途身障者は「できない」ことに直面していらだつばかりだ。
左手の肘の故障ひとつで、こんなにもできないことだらけになるのにはびっくりした。
今まさにパラリンピックを戦うアスリートたちよ、あなた方こそ真の勇者だと、左肘一つで音を上げる弱い自分はソチの方角に向かって最敬礼する。
左手よ、不器用で握力もないお前はいままで何の役にも立っていない、単なる飾りだと言い続けてきて悪かった。
と、心の底から左手に詫びたい。
早くよくなってね。
早くよくなって、また一緒に遊ぼうね。
世界中の療養中の方々にも、心から、「早くよくなってね!」と思った。