意識、高い。
私もかくありたいと思う。
ところで、お米が底をついていた。一番近いスーパーが先日閉店してしまったので、さてどこにいこうかと思案するばかり。
お米は重い。
お米屋さんに届けていただくのが一番いい気がするのだが、田舎から送ってもらうことも多い鈴木家なので、お得意さんにならない以上お米屋さんに申し訳ない。
お出かけしたお嬢を待って合流し、夕食はどこかで食べてしまって、ゆっくりとお米を買って帰る計画を立てた。
私が手のマメをつぶしてまで頑張った雪かきに敬意を表して、米は俺が運ぶからと小僧が名乗りを上げている。
大きなリュックサックを背負わせて、小僧と月夜の道を歩く。
小学校の学区の道路の脇、スクールゾーンはものの見事に除雪されていることに驚く。
これなら、明日晴れたら完全に道路は乾いて、週明けから子どもたちは快適に小学校に通えるだろう。
駅前の道が案外ぐずぐずで、多分これが普通のあり方だと思うと、うちの近所の学区の大人たちはなんて子どもたちを大切に思っているんだろう、と、意識の高さを痛いほど感じた。
学校から早く帰ってきた小僧にもスコップを持たせ、隣の家の道を除雪させた。
雪かきは自分のためだけではなく、ちょっとだけ誰かのためになっているんだよ。と教える。
周りに住んでいるお年寄りのために、ほんの少しだけ余計に雪をかくことも教える。
意識の高さとは、道徳観でもある。
頭脳派ではない分、肉体派として、こんな風にご近所と顔見知りになっておくことも小僧には大事な効用だ。
意識の高いご近所さんの働きぶりに、小僧、感じるところがあってくれたらいいんだけどな。と思う。
意識の高さは、親だけではどうしようもない。環境が育む要素が大きいのだと、最近富みにそう思う。
小僧が使う「意識高い」はサッカーに限定しているようだったけれど、いざ米を買うときに10キロを選んだ。
トレーニングにするからと言っていたから、やはりサッカーのためなのかもしれないが、その意識の高さは鈴木家を幸せにする。
うん。
誰かの意識の高さは、きっと、誰かを少し幸せにするんだ。と、思ったものだから、今日はブログ連投で。