私が死ぬまでに氷河期がやってくるんじゃないかと不安になるほどですわ、異常気象。
けれども、問題は今日の雪。傘がない。長靴がない。雨合羽がない。
頭の中で陽水が「いかなーくちゃ 君に会いにいかなくちゃ」と歌い続けている。
そう、多摩の方のお嬢の学校からは早々に休校のお知らせがきたが、都心の小僧の学校は通常営業なのだった。
玄関が開かない。
昨日、雪かきして、階段で滑って右半身打撲してまでがんばったのに、ずんずん積もってやがる。
とにかく階段がない、こんもりと山になっていてもはや風情すら感じる趣だ。
道はない。
うちは奥まった場所にあり、車は滅多に通らない。今日は会社も公立もお休みだから、誰も雪かきなどしない。すると、八甲田山死の彷徨のロケ地のような、前人未到の、非常に狭い平原のような道が、道なき道としてぼーっと続いているだけで、こんなの見たことないからかなり怖い風景として映る。
「おとーさん、道がないんだけど」
「休めよ、こんな状況で学校に行くのが間違っている」
自然環境の厳しい田舎で育った相方は、決して自然に抗おうとはしない。
それはそれで正しいが、都市部に暮らす者は自然をねじ曲げてでもブラックな社会に身を投じるべきだと教え込まれて育っていて、どうもそこが相容れない。
私は新興住宅地育ちだ、「団地の子らのよい学校」と校歌に歌われ、農家か地主か自営業の戸建ての子はその立場がないほどに企業戦士たちがぎっしりみっちり暮らしていたニュータウン育ちだ。団地の道はアスファルト、そして団地の道は団結の道。雪の降る日は七時には総出で雪かきがなされ、長靴など不要だったりもする小学生時代を過ごしている。
「階段埋まってるんだけど」
と、徹夜の相方に打診してみるも、
「だーかーらー、休ませろって。サッカーの試合だって学校休ませるんだから、それ以上の緊急事態だろう」
と布団に潜り込んでしまうのだった。
じゃあ誰が玄関の階段から道路までの雪かきをするのかというと、やはり私しかいないのね。はい、了解。
右ひじがやばい感じだが、そんなことをいっていたら小僧が道路に出られないのだ。寝返りのたびに痛さで目が覚めていたけれども、この雪の中を学校に行く小僧に比べればなんだというのか。まずは玄関までの道を通してあげないと、昨日の私のように滑って転んでもいけない。
朝から、静かすぎる無人の町で雪かきをする。
そして、小僧が出かける段になって、お嬢が小僧から借りたレインコートをなくしていたと判明し、本気で激怒した。普段ならなくしものと忘れ物には比較的寛容なのだが、無人の雪かきで何かあらぶる魂が刺激されていたに違いない。
私のレインコートを出す。
長靴はサイズが合わないため、スーパーの袋を革靴にかぶせてガムテープでぐるぐる巻きに。
学校指定のコートではないがご容赦くださいの旨と遅刻が危ぶまれる旨を学校にメールし、ほっと一息ついたら、昨日の打撲が痛みをぶり返し、いすから立てなくなった。
今日はこの後、お嬢の御用と、小僧の御用でそれぞれ都内を走り回らなければならない。
スイッチをオンにすれば、たいていの痛みは消えてしまう。痛い痛いと言っているときは実はたいしたことなくて、本当にヤバいときに真価を発揮するのだ。昔、天井裏から階下に落ちて、あばらを骨折、足首打撲とねんざがひどくてもとりあえず一晩眠れて、翌朝病院まで一人で歩いて行けた。病院について崩れて、帰りはギプスと車いすだったけどな。
締め切り前にはインフルエンザにならないという相方も同じで、試合前の体調は常に万全なお嬢、中学サッカーで未だ怪我知らずの小僧と、鈴木家はどれだけ頑丈なんだと思う。
大事な御用なので、二時間後には起き上がって、ちゃんと歩けると思う。
でも、安心したせいか今は全身の痛みが増している。そして、とんでもなく眠い。
湿布を張り替えて、痛み止めを飲んで、少し眠ろうと思う。
そうだ、出かけるときに私のレインコートがない。どうしよう。お嬢めー。
昨日、お嬢は私のレインブーツを履いていってしまって、どうやって仕事に行こうかと途方に暮れた気分を思い出す。お仕事はお休みになったんだけどさ。お嬢めー。お嬢めー。ああ、眠い。
みんな雪のせいなんだけど、今はお嬢を逆恨みしつつ眠るのだ。
おやすみなさい。
ゆう子の屋根に雪降り積む。