大人になった日

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雨が雪に変わったとき、子どもたちは拍手して室内を走り回った。
踊って喜ぶ子もいた。
積もらないといいな、近所はお年寄りばかりだからまた雪かきが大変だな、と恨めしそうに曇天をにらむ私と、並んでキラキラした瞳でうわー、うわーと叫び続ける子どもたち。
いつの間にかつまらない大人になっちまったぜ、と思う瞬間。

先日、私は生まれて初めて、大人眼鏡を作った。
眼鏡なしではほとんどのものの輪郭しかわからないド近眼なのに、近くまでほとんど見えなくなって、書いたり作ったりのときには眼鏡を取って作業をする。するとその眼鏡をどこに置いたかわからなくなる。眼鏡を探すために眼鏡が必要になる。
ところが、その眼鏡のままついうっかり過ごしてしまい、同様になくしてしまったときに探すための眼鏡が必要で・・・という悲しい現実に耐えられなくなった。
小学生で初めて眼鏡をかけたときと同じ、真っ赤なふちの、メタルフレームにしてみた。
あのときはどんどん見えなくなっていくことへの不安と、先の見えない未来への不安があって、眼鏡がきらいだったけれど、今は不便だけど不足を補って生きていく方法と、先の見えない不安の対処法も良く知っている。
またひとつ、大人の階段を上りながら、もうずいぶん高くまで来ている気がした。

今日、私は携帯を新しくする。
もちろん、スマホのような無機質な四角形ではなく、かわいいデザインのガラパゴス携帯だ。
選びにいって驚いたことに、ほとんどデザインや色の選択肢がなくなっていて、うわーこの際ピッチでもいいかウィルコムデザインかわいいじゃん!という誘惑に少しばかりの時間がかかったが、何しろ選択肢があまりにも少ないため、一瞬で決まった。
携帯メールを使いすぎていることが見直しのきっかけだった。
経費からの見直しだったのだが、何よりも使用容量を具体的に見せてもらって、愕然とした。
今はここにiPadミニのLINEまで入って、私はいったい、どれぐらい時間を費やしているんだと青くなったのだ。
見習いライターだった頃、ファミコンという魔法のおもちゃが出現する。
私はひたすら勇者ゆうたんになって、ドラゴンと戦う日々を過ごし、それはそれは夢中になっていたが、あるとき「こんなことをしていたら、ライターとして独り立ちできないではないか!!」と気づいて、ゲーム途中で←ここが大事。完了したからにしようと思うと、絶対に大団円を迎えたときに次がやりたくなると思ったの。ファミコンを捨てた。
愛すべき時間泥棒との決別は、その後の私の暮らしを一転させた。
ところが、今じわじわとiPadと携帯に、私の時間が寝食されていたのだ。
ということで、新しい携帯は今までのシャープではなく京セラ製。打ちにくいので、もうメールを気軽にすることはなくなる。
これを機に、依存症に近くなっていたネットも時間を区切ろう。寝ぼけて変なクリックもしなくなるし、顔に降ってくるタブレットで痛い思いをすることもなくなる。

そして生み出された時間で、本当にやりたかったことをやらなくちゃ。

無限にあるように見えた時間が、そうでないことは自分が一番よく知っている。
勇気を持つんだ。
大人になろう、成長しよう。
そういう決意表明を、ちゃんとここでしておこう。