ハッシュタグに誘われて

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ツイッターの機能に、ハッシュタグというのがあります。
#ほにゃらら
とつけると、ほにゃららなグループが一つにまとまっているサイトに飛べて、同好の士とつながれるわけです。

時折、面白いテーマがあれば投稿していましたが、なぜかたいていは私がフォローしている友人ASDRO(もちろん仮名)が発信したハッシュタグなのでした。一度同じバンドでライブをやったことがありましたが、それ以来特に行き来がある訳でもなく。という、付かず離れずの友人なんですが、なんとなく好みが合う。

今朝、私は何の因果か、とあるハッシュタグを、珍しくASDRO経由ではなく発見し、ひとつだけ試しに投稿してみました。
すると、するするするするっと湧いてきて、いやもうこれは書かずにはいられない情動に突き動かされ、ツイッターでは嫌われる行為と知りつつも連投に次ぐ連投をしてしまったのでした。
何かが取り憑いていたのかもしれません。
で、ひとここちついて「連投ごめんね」をつぶやいた後で、ハッシュタグの集うサイトに飛んでみました。
すると、いたのよ。ASDROその人が。ちゃんと、同好の士としてつぶやいていた。
あるあるネタだったのですが、特に彼のネタには「ものすごいあるある〜」と共感してしまいました。

ほどなくして、年若い友人からツイッター経由でコメントがきました。
あるあるネタのところで書いた「頭の中が常にうるさい感じ」という言葉に共鳴してくれたのでした。
彼女も私と同じ「頭の中がうるさい」人だったのよ。
いるんだー!と思ったら、うれしくなっちゃって。
記憶力はとてもいい、だけどその記憶が入ってくるたびに、あるいは無駄な記憶が消去しきれずに、頭の中がガチャガチャうるさい感じの人って、きっと案外たくさんいるんだと思うんだけど。どうかなあ。
その彼女は私と違って立派な経歴とキャリアとかわいらしい雰囲気とすてきなお家柄なので、まあ誰からも愛されるタイプのキャラなんですが、私が特に彼女に惹かれる理由のひとつに、
「同じ傾向の人が受ける、同じような経験」
があったからなのかもしれないわ、と改めて思ったりした次第。

私は今の相方と一緒になるまで、世界中の人はみんな暗記するときには文字化または映像化して目の前に映し出すみたいに蘇らせるのだと信じていたし、そういうわけでビデオカメラみたいなものが頭の中にあって、それをオンにすれば何でも記憶の中に放り込めるのだと信じていました。
「あれ、見なかった?」
と聞かれれば、ちょっと待ってもらって記憶を巻き戻すと、「あの辺で見かけた気がする」って、私にとっては普通のことで。
そんな無駄な記憶がぎっしり詰まっているんです。そりゃあごちゃごちゃします。部屋も片付かないです。
疲れたときに、溢れ出すどうでもいい映像には困ります。
そんなときに外から音楽が重なってくると、頭の中の音と不協和音になって、ものすごく疲れが増します。
私は音楽が好きですが、年中音楽の流れている場所にはいられません。

一円にもならない、気味の悪い、思い切り無駄な才能を抱えているね、と笑い飛ばすまでに、ずいぶんと時間がかかりました。
私が発達障害に対して理解を深めたいと思ったのは、根源的には自身も抱えている「変な癖」を見極めたかったからなのかもしれません。

でも、頭の中がうるさいタイプの人って、やっぱり結構いるような気がするんだよな。
迫害されないように、上手に適応しているけど、っていう人。
適応できていればそれは障壁にはならなくて才能だから、発達障害ではないけれどもね。
そうそう、具体的に話をしたことはないけれど、冒頭のASDRO君もきっと、頭の中がうるさそうな気がしています。

最近では頭の中のビデオライブラリーが老化の神様のお陰でごっそりなくなって、脳内ノイズも減ってきた感があります。
頭の中がうるさくて苦悩中の方に、朗報でしょ?
ことほぐべき老人力です。
問題は気がつくとものすごく時間が早く流れていくことと、瞬間記憶力の著しい低下です。認知の問題は、かなりヤバい所まできていると思っていて、思い出しては検査法の「100から7づつ引く」ことを試みています。「アルジャーノンに花束を」な気分で。

変わり者であることは、なかなかカミングアウトに勇気が必要です。
でも、そのおかげで、私の大好きな若い友人を、もっと身近に感じることができました。
変わり者の相方と結婚して、変わり者同士で子供を作ると、その子供もたいそう変わった者になりますけれども、変わった者同士なので変わっているところは認めあえるため、変わっているところやできないことを責められることがなく、すると平和な家庭が出来上がって、割と幸せに生きていけるんだなーと思っています。

ハッシュタグには同好の士。
ネットによって、広い世界に同じ種族を見いだして、なんとなくうれしい気分になっている今日の私です。