友情

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若い頃、特に学生時代にしか本当の友達は出来ない。
みたいなことを親の世代は割と平気で言いました。
基本、バカ素直な私ですから「そういうものだ」と信じていました。

でも、ちょっと違うんじゃないの?
ということは、仕事を始めてすぐにわかりました。
日本の会社は家族みたいなもので、その結束は鉄よりも硬いのです。

会社をやめてフリーになってからも、出版社の方たちはどなたもとても人なつっこくて求心力に長け、一つの目標に向かって組むチームのメンバーはマイナーチェンジを繰り返し人脈は膨れ上がっていくものの、その結束は鋼鉄よりも熱かったのです。

「おかあさん」にジョブチェンジしてからは、小説もドラマも軽く凌駕するドラマティックなことがリアルに展開して、日々驚きの連続でした。
ここでわかったことは、子どものために費やした時間は利子を付けて自分の財産になって戻ってくるということでした。
初手はそれなりにビビったり面倒くさかったりするPTAも、子どもたちの応援団に徹して頑張っていると、将来一緒の老人ホームに入りたいなと思うぐらい戦友のPTA仲間がもりもり増えていきます。
そもそも子どものために動くことを厭わない、という点である程度着地点が一緒ですから、お互いの欠点は多少多めに見てもらいながら共に時を過ごしているとあら不思議、超硬合金よりも強いきずなで結ばれていくわけです。

子どものための仕事を面倒臭がる人は、友情に対しても水撒きをしないで花を枯らすタイプの人ですから、大事なサークル活動(PTAね)に無理やり誘ったりはしません。ましてや参加しないことを責めたりもしません。
例えば、BBQの薪割りや水汲みから逃げるのは自由ですもんね。額に汗して何かをした、その結果のご褒美である満天の星空や美味しいお肉は、参加者だけで味わえばいいんです。うししし。
一緒に培った経験は珠玉の記憶になり、これが友情の基礎固めになります。学生でなくても、実際にキャンプファイヤーを囲めなくても、違う意味のキャンプはたくさん日常生活に転がっているもんです。
「おかあさん」は、実にいい仕事です。
フルタイムでお仕事を持ちながら、「おかあさん」仕事も頑張っていらっしゃる方ともたくさん組んだけれど、友情に増して敬愛の情を抱くことが多かったです。学ぶことが実に多かった。別の角度からの情報交換は刺激的で、共に過ごす時間は短くても、これまたなくてはならない友人になりました。

子どものサッカーや弓道を通じても、いつまでも話していたいほど話題が尽きない素敵な友達ができました。
自分の子どもだけでなく、大好きな選手は自分の子どものように応援したくなるもの。
ご贔屓の選手が、母親に近い位置に私を置いてくれて、大切なサポーターとして扱ってくれるのです。これはね、もう冥利に尽きます。自分が大好きな選手の母親というのは、たいてい素晴らしい何かを持っていることが多く、そういう方とドラマティックな競技を応援していればそりゃもうドラマティックな出来事はたくさん沸き起こってくるわけで、泣いたり笑ったり、そんな感動も捨てがたい魅力です。なんていうか、チームの在り方次第なのかもしれないですけれど、大切な友情をじっくりコトコト育てている感じがあります。

大人になってから大学に通っているものですから、第二の学生時代、友だちは二十代から六十代まで、バラエティーに富む状態になりました。口角泡を飛ばしてディベートしたり、福祉のあり方を語り合ったり、心理について学び合ったり、一緒にボランティアに出かけて行ったり。実習に行けばまた実習先でも戦友ができるかもしれません。
今は休学中なのに、ラインで繋がったりゼミのお誘いを頂いたり、もちろん休学中でも飲み会には参加してみたりして、大人になって突然降って湧いた友情もなかなか乙なもんです。

私はつくづく人が好きなんだなあ。と思います。
誰かと関わることが。
「その人」に感激したら、「その人」がどんな人か、知りたくて仕方がない。
好きな人と一緒にいる時間が私の幸せなんだと確信しているので、そうしてみると、私はずーっと幸せだったということになるんだなと思います。

先日、大昔の友人から四半世紀ぶりにメールをもらっていたことに、半年もたってから気づくという失態がありました。

学生時代の友人は、もちろん大切。自分が何者かになりたかった時代を、共に切磋琢磨してきた貴重な時間の共有がありますから。
お互いに知らない時代を経て尚、懐かしくて恥ずかしい、大昔に易易と連れ戻してくれます。
あわてて近況報告をしようとして、その時、すでに私の肩書が何者でもないことを改めて痛感したんです。ライターでもなく、主婦でもなく。アルバイターでおかあさんで大学生ですが、功績は何もない。
ただ、思い出す学生時代以降の私は、実に愉快で、実に幸せでした。大勢の大好きな人達との巡りあいは、ちょっと自慢して良いレベルだと思ったのです。
気が付くと熱血な私はたいていいつも何かに一生懸命なんですが、その一生懸命には友情という報酬がたっぷりついてきたんだなあと、ありがたいようなくすぐったいような。
もちろん、癖っぽいですから私を嫌いな方もたくさんいらっしゃると思うんですが、私が好きになった友人たちがこんなにたくさんいることを寿ぎたいと思いました。多分みなさんがこんな私を大なり小なり許してくださって、わりと楽しく一緒に過ごしてくださっていることに、改めて感謝しちゃったりしてね。

ありがとう、いつも仲良くしてくれて。と、大好きな人の顔をひとりひとり思い浮かべながら、2013年師走に胸を熱くしている私なのでした。ええーっと、書き終わったら、掃除を始めます。