この作業を終えたら、歩きに行こう。今日もいい天気。
と思っていたのに、なぜかなんとなくつけていたBSプレミアムからさだまさしの歌声が。
さだまさしの曲は、中学時代にギターを弾き始めた頃に出会った。
中学生といえば、もう痛々しいほどに思春期。
暇があればギターを抱いてFMで音楽を聴いて、その他の時間はランニングか腹筋か素振りか読書か、あるいは頭痛で寝込んでいるという、もうどうにもとっ散らかっているくせに偏狭な行動に、自分の将来を描くことができなかった日々だった。
愛読書はタブ譜のついたGUTS。
フォークソング、ニューミュージック、フレットを押さえるFの音がいまいち出なかったけれどもそこはソフト部で鍛えた声量でカバーして。
さだまさしの歌詞が好きだった。映像がすうーっと浮かんでくる。
美しい旋律でありながら、無理な転調のないさださんのコードは簡単だった。初心者に簡単コードで歌える曲は神の曲である。
さだファンの友達にカセットテープを作ってもらって、歌本を買ってきてはよく歌った。
深夜ラジオで「関白宣言」を聴いた時には、笑って震えた。
プロポーズ、というシュチュエーションに萌え、結婚したら私も旦那様に言うのだ、「お風呂にする?ごはんにする?それとも...うきゃあ」と妄想が大暴走して真夜中に呼吸困難に陥りそうになり、心を落ち着かせるために金属バットで素振りをしたものだった。
ほどなくしてこの曲が大ヒットし、ピントの外れた両親が「女性差別だ」「いいや、よくいった」と数日間に及ぶ大げんかを見て、ああこの人達はダメだ、ものごとの表層しか見えていないのだ。と、初めて自分が親を追い越してしまった感を覚え、同時に結婚に幻滅するのだが、それはまた別のお話。
仕事をバリバリしていた頃に、「関白宣言」を聴いた時のこともよく覚えている。
あーダメダメ。特に二番がダメ。まさしんぐワールドの女性はいつも可愛らしいが、私には在住資格がないからね。異文化の因習を遠くから眺める感じに近かった。
ところが今日、改めて聴く「関白宣言」に、私は不覚にも涙がこぼれたのだ。
三番の歌詞に、何か響くものがあったのね。
終末に、私は今の相方と何を話すのかなあってリアルに想像して、歌詞同様、相方のおかげでいい人生だなあと本気で思っちゃって、じーんとしたのだった。
そして恐ろしいことに、相方も多分同じように感じているなと確信していて、実際は若いお姉ちゃんと浮気しているかもしれないけどそんなことはどうでもいいぐらい、私はきっと大切に想われているなと思えて、泣けてしまったのだった。
大切にされすぎて神棚に飾られたまま手つかずのおこわみたいな状態だとしても、そこに生えるカビすらも愛おしい気分。
更年期は精神状態が不安定になるが、時折多幸症エキスの分泌が過多になるみたいだ。
今、私は毎日のように「先にお風呂? ごはん?」と聞いている。練習で遅く帰った小僧に。
私がプロポーズの歌で萌え死にそうになっていた時期を、小僧が不機嫌そうに生きている。
真っ暗だった思春期を駆け抜けた後に見る、不思議な光景だ。
さだまさしの番組を見ながら一緒に歌う。
デイケアサービスセンターに通っている、おばあちゃんのように。
この先、相方との、家族との、仲間との、たくさんの思い出をさらにたっぷりぎっしり詰めこんでいけば、私は老後が怖くないような気がした。湯水のように忘却の彼方に投げ込んでいったとしても、そこは思い出の貯蓄高が違うんだから。
とても短い時間しか一緒に過ごせなかった最初の双子の、今日は墓地礼拝。
でも、天国で再会した時に報告することだけはいっぱいありそうだよ。
来年は長崎がんばらんば国体だ。
がんばらんば、という言葉もさだまさしから初めて聞いた。
お嬢が目指す、最後の目標だ。
今回の大会で予選落ちしているので、次回の大会で外すと目標から単なる夢にトランスフォームしてしまう。彼女はいつもいつも首の皮一枚、背水の陣からの底力がすごいのでハラハラしながらもあまり心配はしていないのだが、まさしく、がんばらんば!ではある。もう少しだけ、私は「母親」でいられる。
私の手は必要なくなったけれど、応援を通して、子どもたちを近くで見守ることができる。
さだまさしの歌声を道先案内に、ほんの少しの間、私は自分の中の時間旅行をした。
なんでもない笑ったり泣いたり怒ったり、悲しかったりやっぱり笑ったりしている日常を、私は「幸せ」と呼びたい。