東京オリンピック

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1964年、東京オリンピックの歳ーー。
東洋の魔女が奇跡の金メダルのために命がけで頑張っている最中に産気づいた母は、初産にしては見事な安産で私を産んだ。
知らせを受けた父はかねてから用意していた産着とおむつの入った風呂敷包みを車に積んで母の里に急ぐ。
ところが赤信号を無視しした容疑で警察に捕まってしまう。運のない人だった。
「子どもが初めての子どもが生まれてー」と叫んだところ、きついお叱りを受けたものの即座に容疑は晴れたというから、当時の警官は粋である。
早速産着とおむつを・・・と祖母が風呂敷をほどくと、
「あんた、これは何なのー!」と鬼の形相、祖母の怒号。父の持参した風呂敷は、産着の入った方ではなく、ボロ布の方だった。運のない人だった。
でも、何度、誰に怒鳴られても、それが「おめでとう」に聞こえちゃうほど、その日の父はずっと笑っていた。

私は若い父がわたわたしていたこのエピソードが大好きだ。
何度かテレビの再放送で見たモノクロのオリンピックや街の画像と、頭のなかの想像が勝手にコラボして、高揚感あふれる脳内ミニムービーとして私の中では完成されている。

2020年、東京オリンピックが決定するまであと4日。
絶望的だと書いてある記事もあれば、これはいけると書いてある記事もある。
どっちでもいいな。と思っていた。
そうなったらなったで楽しみだし、ダメでも別に何も変わらない。
今年は東京国体なのに、国体のキャラのゆりーとくんも、オリンピック招致のおかげでほとんど目立たなかったなあというのが率直な感想だった。お嬢が東京代表でなければ、あの巨大なカモメがなんなのか、ゆりーとくんの妹がいもーとちゃんという名前だなんてことも、全く気にしていなかった気がする。
「スポーツ祭・東京」という、都立大が首都大東京に変身を遂げた同じようなコンセプトのネーミングから、国体をイメージするのは難しかった。
お嬢は試合前日なので開会式には出ないで準備すると聞いて、開会式の抽選当選券をそのまま放置してしまったのだが、結局選手団は全員、味スタで入場行進をするときいて、ああチケットが!!と、ものすごく残念な気持ちになったり、東京代表はさすがにメダルを期待されているので気合が入っていて、なかなか大変そうだなあと間近で思っていたりしていた。

でも、間近に迫ってみて、弓道はオリンピック種目ではないけれど、オリンピック種目の人は国体がオリンピックの前哨戦になっていくんだなあということを意識するようになった。
どっちでもいいどころじゃなく、この招致は、じわじわと効いているのだと思う。

4日前に、何言ってんだ。という、おっとりぶりだけれども。

何より、2020年に生まれた子どもは、全員、東京五輪のエピソードと自分を何らかの形で絡めていくことになると思う。それが幻であっても、現実であっても。私のささやかなお誕生エピソードがオリンピックの話題のたびに親族で語られたように。
オリンピックという世界の祭典の中、どんな世界一より、輝くメダルより、素敵な世界一の「あなた」が生まれたのだという事態になるのは、なんだかとってもいい感じだ。

お嬢が生まれたのはアトランタ五輪の年。その瞬間、相方は友達とゲームに興じていた。
まだ携帯電話の普及していない時だった。
お嬢の退院の日、相方は友達とゲームで徹夜して、約束の時間に遅れまくり、すわ離婚かと思う大げんかをした。
今となっては、何もかもが懐かしい。
東京五輪2020の時に、競技を見ていて徹夜したパパ達が遅刻しないように。
信号を順守して間に合うように。
そんなことを考えていたら、どっちでもよくないや、こりゃ東京オリンピックの方がずっと面白そうだ。という気になってしまった。

頑張れ、日本。
頑張れ、東京。