あまちゃん

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ツイッターにハッシュタグというのがある。
自分のつぶやきの後ろに「♯あまちゃん」とつける。すると、そのつぶやきはハッシュタグをつけた人たちのつぶやきがまとまった場所に格納される。ハッシュタグをさわれば、それに関係する発言がまとめて読める。
そこは、あまちゃん愛の巣窟だ。
自分の発見した小さな小ネタや、独自の解説、今日の見どころ私のツボガイド、松田龍平に萌える「♯ミズタク俺の部屋祭り」、美術さんこだわりへのだわり賛歌、あま絵と呼ばれる本職が無料で描かずにはいられない情熱のイラストが、ぎっしりひしめきあっている。
そこにNHKが渾身のホームページづくりで番組サイドからも情報を発信している。
七時半から衛星で放映されるあまちゃんは「はやあま」。
八時からの本放送が「ほんあま」。
十二時四十五分からの再放送が「ひるあま」。
二十三時からの最終放送が「よるあま」。
私は時間が許せば、はやあまかほんあまが多い。ここに子どもたちの他の録画あまが入るので、だいたい2回は見ている。
もう記憶容量は年をとってとても小さくなっているのに、あまちゃんの珠玉のセリフはグイグイ入ってきて、もう私の脳内で今新鮮味を持っている言葉は大半、あまちゃんであることはイナメナイヨネ。
一人でも楽しい。
私がフォローしているリアル友人の毎日のミズタク萌えを見ているのも楽しい。
家族と感想を言い合っても楽しい。
わからなかった小ネタを解説してくれる見ず知らずの人との連帯感も楽しい。

芋たこなんきん、ちりとてちんも好きだったが、録画してまでは見なかった。
カーネーションの後半も、たしか二度ネーションしていた気がするが、ちょっと萌えの方向が違っていた。
あまちゃんはなんていうんだろ、こう、天野アキは身近なご近所の子っていうか、自分があのドラマの中にちゃんと入り込んでいる感が半端ないんだろうなあ。
北三陸市の既視感もすごくて、死ぬまでには一度久慈にも必ず訪れると決意している。
この後、震災の話が描かれるときいた。
あの時、岩手は直接の知り合いがいなくて、むしろ心配だったのは、青森と宮城と福島にいる大学の友人だったりしたのだが、きっと追体験するドラマの中の東日本大震災で、きっとみんながもう一度東北に心を寄せるだろう。当事者のような痛みをもって。

やっと娘も家も売らなくていい経済状態になって、今まで約束しながら少し待ってもらっていた寄付が再開できるようになった。
あまちゃんのおかげで、ぐっと身近になった東北。その復興を願う気持ちは風化しないどころか、ますます強くなる。

宮藤官九郎の偉大さや、キャスト一人ひとりの素敵さを称えると多分あと二十時間ぐらい書き続けることになってしまうので、そこは涙を飲んで割愛するが、毎朝起きるのが楽しみで、あまちゃんのたくさんの感想で楽しみをふくらませて、実生活ではちょっとぐらいの辛いことなんかもあるんだけど、それでも一日終わってお風呂に入って発泡酒を飲んで、「ああ、明日もあまちゃんだなー」と思うとちょっとうれしい気持ちで眠れたりする。
小学生の頃、毎日「マンガのくに」や「新八犬伝」が楽しみだったり、毎週ドリフが楽しみだったり、ちょっとそんな感覚に似ている気がするんだ。
長い長い一日、毎日プールに入って、たいてい雑木林や空き地や公園に冒険の旅に出て、仲間がいればちょっとボールで遊んだり缶蹴りしたりして、夜が来る前に本を読むかちょっとだけドリルをやって、お風呂入って家族でご飯食べてテレビ見て。
テレビが茶の間の真ん中に鎮座していた時代。
情報電子機器は、電話とテレビ以外、何もなかった時代。
なーんにも考えないで幸せだった小学生時代の感覚に、ちょっと似ていて懐かしい。
すごく平凡で単純な幸せを、平和でなければ絶対に味わえなかったその平凡さを、私は今、満喫しているんだなあ。
2013年の夏は、あまちゃんとともにすごした。
娘の総体の朝も、福岡で「あまちゃん起き」したしね。東京ローカルの「それではみなさん、今日も一日お元気で!」の掛け声なしにあまちゃんに切り替わる違和感を、2日間ばかり体験した。いい夏だった。







ただ・・・あと一ヶ月でこの幸せは終わっちゃうんだなあ。
ううう、このあとの喪失感はやっぱり、イナメナイヨネ。