・・・というのは、道徳に反します。下品な行為です。
と、私は小学校で習ったように思います。
でも、長じて、そこまでどうしてもやりたいことだったら貫けばいいんじゃね?と思うようになりました。
靖国参拝、結構だと思います。
私が政治家なら、一国の代表である以上、諸外国に慮ってしまって、とてもじゃないけどお参りできないからです。
それでも俺はやるしー! 玉串、払うしー!!
という姿勢も、ある意味潔いと思います。批判を恐れない。やればいいんです。
同時に。
俺はやりたいことをやるけどー。お前はその表現、禁止だから。
・・・みたいな、ジャイアンですら言わないような自分勝手な表現は許されるものではありません。
と、私は小学校で習ったように思います。
自分はやる、というからには、他人の「やる」も許容するだろうというのが、まあ普通の考えだと思います。
でも、児ポ法、成立しそうなんですって?
俺様が見て不快だから、とっ捕まえられるようにするぜ。って。
私が政治家なら、そんな中世の焚書みたいな表現の弾圧がいいわけないと、歴史に学べば答えは出ているからと、言います。
批判はすればいい。
私も女児を持つ身ですから、吐き気を催すような作品が出まわるのをすっげぇいいじゃん!とは思いません。
でもね、批判までだと思います。
メディアが犯罪に直接結びつくという心理的なデータはまだどこにもありません。
誰かにとって不快だから、全部ダメっていう原則がまかり通るなら、為政者は靖国参拝なんかしちゃいけないんです。
参拝する同じ理屈で、何かを禁止するのは矛盾なんです。
誰かにとって不快な「はだしのゲン」が、教育委員会の一存で閉架になった市があります。
私自身、一巻目の途中で挫折した本です。
子供心に、きつかったからです。でも見せないで欲しかったとは思いません。
読むも読まないも、そこに選択の自由があります。
戦争は悲惨だった。ということを知るきっかけにもなりました。
私にとってはだしのゲンよりずっとショックだったのは、小学生時代に連れて行かれた広島の原爆ドームであり、長崎の平和公園でした。そこには「生」の姿がありました。
歴史は厳然として存在します。
誰かにとって不快だからと、後年、原爆ドームが封鎖されるようなことがあってはいけないと、敢えて極論をぶつけてみます。
誰かにとって不快。それは批判してもいい。
でも、現在の価値観だけで、くだらない権力で、なきものにするという考え方には猛反対です。
私が子どものころ、家族旅行という楽しいはずのイベントなのに戦争絡みの施設見学に連れて行かれたのは、おそらく祖父が赤狩りにあって獄中死していたからだろうと、今にして思います。
祖父は仏徒でしたので、殺生である戦争を是とはしませんでした。
大学で学んだ仏法に忠実であり、僧侶として当然のスタンスだったと思います。
父は、原爆ドームで怒りに満ちたとても怖い顔をしていたことを覚えています。
長崎では踏み絵を見て苦渋の顔をしていたのが印象的でした。
後年、その2つの表情が「批判」と「弾圧」という言葉でリンクされることに気づきます。
こんな悲惨な戦争を批判したのは正論だったはずなのに、自分の父親は命を落とした。
マルクスだのレーニンだの、亡くなった父の書架から出てきましたから、祖父はもっともっと思想犯だったのかもしれません。
しかし、父は当時の子供らしく陸軍や海軍に憧れていたのに、突然軍部の方が来て自分の唯一の親である祖父を連れ去られ、そして祖父の死をもって自ら突然孤児になってしまったという厳然たる事実に対して、その後、いったいどう向き合っていったのだろうかと思います。
どんな表現も自由であれ。
戦時中に、戦争を批判すればまわりは不快極まりなかったと思いますが、それを弾圧するというのは間違いでした。
私は時折、祖父の無念と、父の無念を思います。
祖父は時節に迎合せず、正しい行いをしたある種の英霊であると、私は讃えたいと思います。
獄中死した英霊は靖国にはいませんし、国会議員たちが讃えることもありませんが、そんなのに安らかに眠ってくださいと言われなくても結構だ。と私は思っています。
父とは不仲だったので、断片的にしか話を聞いたことがありませんが、お盆になるとちょっとだけ「もっと話を聞けばよかったなあ」と残念に思ったりします。
さて、お盆も終わりました。
明日からは残暑厳しきお仕事の日々です。