ここに飛ぶと、今まさに母校と出身県のほまれを背負った高校弓道戦士たちが弓を引いている。
ユニフォームこそ胴着と袴、地味で質素だが、その芯には熱くたぎる血潮を感じる。
我らが東京都は、団体戦男子の部で城北学園高校が予選を通過し、決勝へと駒を進めている。
実力が発揮できれば上位入賞は間違いない。美しい射形は一見の価値がある。お嬢からは、部員の品格素も晴らしいと聞いている。
個人でお嬢が的前に立った時には、迫力ある声で的中を応援してくれた。今度は彼女が、少しでも彼らを後方支援できるといいと願う。
夢じゃないよ、目標だったんだ。
と笑顔で臨んだ大舞台。
会場入りした日の練習から自己ベストに近い的中続きの絶好調の仕上がりで、応援団と一緒に御飯を食べるときも、いい感じでリラックスできて、とても楽しそうなお嬢。
「あの表情なら大丈夫だね」
と応援団のママ友にいわれて、くるくる表情を変えて笑う彼女を見ていた。
この大会に来ている選手の中で最も幸せな状況で弓を引ける選手なのではないか。そう思うとありがたくて目頭が熱くなる。そういうお膳立てをしてくださる顧問やママ友、信頼のおける部員たちに心のなかで手を合わせる想いだった。旅費だけでも負担が大きいのに、宴会代も子どもたちの分を補助しようねとさらりと申し出てくれた。
大会当日。
気丈に予選を四つ矢全部的中させて通過し、続く準決勝も、四つ矢皆中、つまり8つの矢を全部的中させた。文句なしの強い心臓に、決勝進出を喜ぶ応援ツアー組。手を握り合い、小学生みたいに跳ねたりして。
会場には、新旧校長先生、教頭先生、事務方の職員の方のお姿もあって、部長、部活のチームメイトとそのママたち、そして部員の有志たちと共に喜びをわかちあう。
お嬢は何も怖がっていなかった。あの緊張感が愛おしくて仕方ないと言った。ここで弓を引ける喜びと、応援団の期待に応えたいというプレッシャーもまた幸せで、と語った。
決勝の日、ちょっとしたアクシデントで開始時間が二時間半ずれた。
仕方ないこととはいえ、選手たちにとってはタフさが求められる試合になる。天候の逆境には強いお嬢だが、おなかがすくと全く使い物にならなくなるという弱点がある。ちょっとだけ、心配になる。
96人中、4射3中以上を2回、つまり8射6中以上を当てた28人が次のステージに挑むわけだ。この時点で東京代表が二人、きっちり残っているのが頼もしかった。
危なげなく、一巡。その28人が弓を引いて、あたった者だけが次に進む。
続いて二巡目。ここも問題なく。お嬢の表情は変わらず、ダイナミックな射形は安定して全くブレない。
これは上位に食い込める。私たちは誰も疑わなかった。
だが、魔物は三巡目に潜んでいた。
ほんの少し、わずかに少しだけ早く矢が放たれたと思った瞬間、外れた音がした。中心にありながら、的からほんの少し下だった。
表情を変えないお嬢は、ゆっくり退場する。
まだ、心が折れてはいない顔つきだった。そう、泣いている暇はないのだ。三巡目で外した者たちでの八位決定戦がある。同じ的に放ち、最も中心に近い選手が勝つ遠近競射だ。
一位は鳥取の選手だった。男女共に同じ学校から優勝者を出した。
一位決定戦も、二位から七位までの順位決定戦も終わって、最後に八位決定戦になる。
これが終われば男子の個人決勝に移るのだ。
ひとつだけ用意された的。
恐るべき集中力で選手たちがこのたった一矢のために弓を引く。
当たる音、外れる音、また当たる音。
お嬢は、最後の順番だった。
この大会最後になる女子個人大会の弓を、いつものダイナミックさでしっかり放った。
ぱーん!あたりだ。すぐさま的を見る。・・・と、お嬢の矢は、少しぱかり七時の方向だった。最も中心に近い選手に矢が返されて、お嬢には9位タイ入賞ならずという結果が残った。
上には上がいる。
飛行機の時間があり、すでに私たちは走ってバス停に向かわなければならなかった。
お嬢に一言だけ声をかけたい。気持ちは整理できておらず、こんな時なんというべきか用意していなかったことに自分の傲慢さを覚えるのだが、とにもかくにも声をかけたい。帰路につく前に選手がいるはずの、ロビーに向かった。
お嬢は談笑中だった。
私が名前を呼ぶと、私にむかってニコッと笑い、しかしみるみるその表情が崩れていった。
取りたかったプライズがあった。そのための努力があった。一瞬の隙でこぼれ落ちた勝利はこの後じっくり自分の力にしていくのだろうが、私達を見るなり、おそらく閉じ込めていた敗北の苦しさが体を貫いたのだろう。決壊する涙腺はどうしようもない。
「・・・とりたかった」
嗚咽の中で絞りだした声にならない声。
「かっこいい射だったよ。ありがとう。よくがんばった。さあ、次だ。国体がある」
私は笑顔でそういうのが精一杯で、あとは応援団とその母たちがうまくお嬢を励まし、勇気づけてくれたと思う。
応援ツアー中、緊張でほとんど役に立たなくなっていた私の行動をサポートしてくれた人たち。とにかく明るくて楽しくて、何よりも子どもたちのために動くことが大好きな部活仲間のママ友が、最後の最後まで私以上に母親だった。
私はあとをよろしくと介添えと顧問二人に深く頭を下げてから、会場を走って後にした。
勢い飛び込んできたのは夕日に染まるももいろの入道雲の景色で、うるさいぐらいセミが鳴いていて、それは私も部活の終わりによく見た思い出の風景で・・・ああそうか、これは彼女の高校二年の夏だったんだ、と不思議な気持ちがした。
しかし彼女の夏はまだまだ終わらない。
10月には東京国体が控えている。この夏は、去年の国体に続いてまた練習三昧の夏になる。
去年は補欠だった。一年強化選手としてじっくり連盟に育てていただき、今年は正選手になった。大前、先頭で弓を引く切り込み隊長だ。
高校総体で学んだことを糧に、どこまでも進め。
試合中はたいてい緊張で何もできなくなる私だが、私にも心強い部活仲間のママ友達がついていて、きっと一緒ならなんとかなると確信した。彼女には誰よりも力強く応援してくれる、家族のような部活仲間もいる。
選手は一人で強くなるわけではないんだ。
たくさんの仲間に支えられて、それが力になっていくんだ!
と、高校生のような熱い想いを抱えながら、一人、夜の道を走るバスの中で涙した48歳の夏なのだった。