きょうだい

  • 投稿日:
  • by
小僧がくさっている。
ベンチに居続けることは、なかなか忍耐が必要だ。

今、リビングではお嬢が弓道ノートを小僧に見せている。

絶対に大丈夫だと思って臨んだ大舞台で、まさかの大敗。
その時の生々しい日記だ。
いけると思っていた、驕っていた、欲に負けた。
照準を合わすための左手が震えている、いつも完璧なまでのフォームで弓を引く彼女の、そんな姿は大きな大会で見たことがなかった。
四回矢を的に当てるだけのシンプルな競技で、彼女は初めて一中しかできなかった。個人はもちろん、団体でも彼女の成績のせいで、まさかの予選落ち。
弓道は武道だから、勝っても笑わないし、負けても泣かない。
入場から、4回弓を引いて、退場の時まで、体配には作法があり、心を平静に保ち続けなければならない。
「残念だったね」
と道場の裏手で声をかけた時に、彼女はようやく人目もはばからずに号泣した。
努力は裏切らないと言ったのに!もうこれ以上、何をしたらいいの!と、いよいよ泣き崩れた彼女の姿が忘れられない。
大事な大会での成果は選抜の結果に連動する。
選抜選手でいられなくなることの不安、大望が潰えてしまった気持ち、ふがいない自分。
一生懸命練習したのに、成果を得られなかったことへの憤り。
私よりすでに大きくなった彼女の肩を抱きながら、小さな頃から激しく泣く子ではなかっただけに、そのショックがダイレクトに伝わってくるのを感じた。
人は、夢をなくした時にこんなふうに泣くんだ。
慟哭って、これなんだ。
もらい泣きしないように、客観的であろうと思ったのを覚えている。

高校一年の時。
団体戦の選手に選抜された喜びが凌駕していたようだが、結局彼女は補欠だった。
それでも彼女はうまい先輩方と弓をひけるのが嬉しくて嬉しくて、練習日には毎回、誰より早く道場に向かった。
来年は、必ず正選手に。
練習にも熱がこもって、手応えもあって、その夢への第一歩だった大切な試合で、彼女は己に負けたのだった。

勝負の後で部屋に引きこもり、食欲もなく、眠り続ける。数日は手負いの獣のようで、傷んでいる彼女を見るのは辛かった。
失恋状態に近いのかなあと想像してみても、私にはその痛手がわからず、ただただ一緒に気鬱になっていた。
私がこんなんじゃいけないわと、ママ友とランチをしても、「おねえちゃん、どう?」と聞かれて話始めると、つらそうな彼女を思い出して私が涙ぐむ始末で。

しかしついに彼女が吹っ切る時はやってくる。その経過もきっかけも、私は知らない。
私には突然気がふれたようにしか見えなかったが、ひたすら練習に精を出すようになったのだ。
試験前でも弓を休みたくない、そうであれば日常の勉強もしっかり頑張るしかないと、夕食後は勉強するようになった。
テレビも見ない、遊びに行くこともない、そうやってひと月に1000射以上の弓を引く。
手にタコができてゴツゴツになり、二の腕が小学生のふくらはぎのようになった頃、的中率がメキメキ上がっていった。
小さな大会ではいくつか勝利を飾れても、大きな大会は限られている。
タイトルにはなかなか手が届かない。
運命の女神は意外に残酷だなあと応援のたびに私はため息を付く。
それでも彼女自身、苛立つことなく、ただコツコツ、地道に精進を続けていた。
程なく始まった選考会には毎度気合が入っていたけれども、いつも出かけにはなんだか楽しげで、見送るときにも勝ちを意識する顔ではなくなっているのを感じた。
これ以上どんな練習をすればいいのかと泣いていた過去の彼女を、たかがあの程度の練習量でそんなことを言っていたのねと今の彼女が笑う。
私にはそれがどのぐらいのことなのかわからないが、おそらく的中させようと焦るのではなく、あたってもあたらなくても「己の射」を追求していること、誰と戦うのではなく今ここで自分と戦い、弓を引ける喜びを見出したようだなと思っていた。

本当に悔しかった時から、真剣に弓道ノートをつけはじめたんだ。
良くないときには良かった時のこと、天狗になりそうな時には悔しかったダメダメな自分を読み返すんだよ。
常に小さな目標と、大きな目標を掲げておけば、今何をすればいいかがわかるからね。

ノートの効用と解説をしながら、姉は弟に語る。
「君はさ、ベンチだって試合に出るチャンスがあるでしょ? ユニフォーム着て、アップもできるんでしょ? 私なんか、弓を持っていくことさえなかったんだよ。補欠だったんだから。
でも、だからこそ頑張れた。来年はあそこに立つんだと信じて、毎日頑張れた。君は、まだまだ悔しがり方が全然足りないなー。本気で悔しがるところがスタートラインなんだよ」

先日、彼女は大きな大会の欲しかったタイトルをようやく手にした。
去年からの夢は、叶った。
小僧には姉の姿がどう映ったか、彼女の言葉がどう届いたか、わからない。
でも、私がグダグダ言うよりははるかに心に染みたものがあるだろう。

講義が一段落して、二人一緒に期末試験勉強をしている。
仲の良いきょうだいだ。
文武両道でなくてもいい、一芸でいい。何か夢中になれるものがあれば、それで。
「ちょっと、福助(仮名)! 今は試験勉強にしようよ、いつまでサッカーノートを書いてるの!」
と、姉の声がするんですけど、じぇじぇじぇじぇじぇ、そうなの? えー勉強、してないの? えー。