※女性に対して夢を持っている男子は決して読んではなりません。
教会に定期的に通っている時には懺悔という便利なものがあったのだが、アスリート応援ママになってからというもの教会に行く機会もめっきり減ってしまい、貯まるストレスと皮下脂肪、時折、王様の耳はロバの耳!と一人になったリビングで歌ってストレスを発散しているぐらいで、最近の私はちょっと危うい。
ツイッターでのどんよりしたつぶやきが、すべてを物語っているかもしれない。
gloriayukoがつぶやいていることが、多分私の隠し切れない本音だと思う。
ちなみに、グロリアというのは洗礼名ではなくて、マダガスカルという映画に出てくる主演女優の名前だ。
いとしの小僧がまだちっこい頃に、私の腹を撫でながら「グロリアに似ている」と言ったのが命名の由来である。
予定外の出血大サービスにあまり体調が芳しくなく、痛み止めを飲んで横になって好きな本を読んでいると、復学に向けて勉強したほうがいいのではと思う。
勉強するとわからなさに焦る。
焦るからとりあえず逃げる。
結果、眠るか、すごい勢いで映画ばかり見るか、本を読み耽るか、ネットに依存するかして、今の私は危うい以上に、ちょっとダメダメな人っぽい。
体の底から「やる気」が湧いてこないのだ。栄養補助食品を試してしまおうかという誘惑にかられる程に、元気が出ない。アンパンマンの顔が水浸しになっちゃったときにきっとこんなかんじなんだろうなあと、アンパンマンに共感して泣きそうになるぐらい、力が出ない。
長い5月病。
いや、思春期に抱えた「体の中にワケの分からない生き物がいて暴れる感じ」に近いから、きっとこれが更年期障害なんだろうなあと思う。
王様の嫁はババアの身〜!ホルモン大暴走なう。
自分の力でどうにもならないことに抗うのはやめて久しい。
何に対しても謙虚にすごいなあと思うことが増えている。
うまく年を重ねて、それなりに免疫力も上がっていると思うし、人格は体格同様、割と円満だ。
こだわりと粘りがなくなった分、スルーする力も侮れないほど高くなった。
良い感じに太ることは剃髪によく似ていて、「母親」であることを中心に据えて生きる決意に近かったし、女の匂いを消し去ることにに未練はなかった。女でも男でもない、人としての私。どこからみても安全、安心。みたいな立ち位置が心地よくさえあった。
何を着ても平気、シミもシワも勲章。執着をなくして素敵な枯れ方を追求しているフシさえあった。
なのに、変な汗をかきながら、変な夢をみる。解脱できない欲求に気づいて、途方に暮れる。
情緒不安定は子どもに対しての叱り方の不規則さでも痛感するが、激高すると止めることができなくなることがある。
あんなに気持ちのコントロールには自信があったのに。
自信といえば、記憶力にも、体力にも、行動力にも、外向性にも、好奇心にも、交渉力にも、説得力にも、想像力にも、問題解決能力にも、雑学にも、笑顔にすら、根拠なき自信があったのに。
なくしてしまった力を悔やんでいる、というわけでもなくて、なんだろう、こう、ただ淡々と弱っていく、そこに焦っている、怖がっているように思う。うまくいえないんだけど。
男はただ、渋くオヤジになって、渋くじじいになるからいいなあ。
周りの魅力的な中高年女子たちも、こんなに弱ってはいないだろう、輝いて見える。
隣の芝生は青々と茂って気持ちよさ気なのに、私のところには熊笹がちょろちょろ、という感じである。
思春期のサナギ時代を経て、私は結構いい感じの大人になれたと思っていのだが、思秋期にもう一度サナギを繰り返して結構いい感じのババアに生まれ変われるんだろうか。
サナギのまゆを作るというよりは、この見知らぬ生き物みたいな「中の人」(大暴走の傾向あり)を、どうやって飼い馴らせばいいんだろう。
これはやがて来る老いの諦観への準備なんだろうか。
自分の文章が加齢臭に満ちているのを感じても、読んで頂く価値などないことがわかっても、ほら、止めることすらできない。
苦しい。
子どもたちははるかに大きな視野に立って、私よりも大人になっている。
お嬢も小僧もスポーツを通して成長著しく、結構立派なことを言うようになってきた。
それは望むところだ。
だが、支援していたつもりが、私自身に支えが必要になっている現実に愕然とする。
ああ、愚痴っぽくていやだなあ。
今年は空梅雨だというのに、なぜこんなジメジメしているのか。
梅雨明け頃には、笑える自分になりたい。