自家製パクチー

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今、パクチーとバジルとイタリアンパセリとしそをプランターで自家栽培している。
これが、実に便利だ。
もう少ししたら、ミントも加えようと思う。夏はお湯で煮だして、ミントティーを作る。これがまた、爽やかでいいんだな。

パクチーは種から植えた。
芽を出し始めたら可愛くて、しかも割りとぐんぐん伸びていて、摘みたては香りも強烈で、私の貧弱な食卓が急にうれしいものになっていく。

私は、いくつかのひねくれた美学を持っていて、肉じゃがを得意料理というような女にはなりたくない、とか、家庭菜園でハーブを育てたりピクルスをつけるような主婦にはなりたくない、と思っていた。
余裕のあるプロ主婦には絶対になれない、そんな才能はないと思っていたからこその、「酸っぱい葡萄」理論だったんだと思う。
素敵な奥様を目指すことはない。
だから肉じゃがは今も作れない。
エプロンはつけない。
お化粧はほとんどしない。
太っている景気のいい体型を愛していて、女であるよりかあちゃんでありたいと思っている。
友人のお料理上手を見るたびに心底羨ましく思いながら、私は別の路線(多分「面白い」)を突き進んできたのだった。


女らしさ、というのが、どうにも受け入れられなかったんだな。
だから、憧れながらも自分は違うのだという美学で縛った。
屈折したお育ちのせいもございましょう。

でも、ハーブやらスパイスは、どうしても好きだったんだよね・・・で、美学を自分自身で裏切っての、自家栽培。
っつったって、プランターにごしょごしょ植えているだけなんで、なんとなくこれをかっこ良く見せたらいけないと思っている、ひねくれ部分は消せないのだけれど。

誰が見ているというのだ?
と、最近は特にそう思う。
自分の美学と戦うときに、それを許容し、責めるのは誰なのか、って。
パクチーが大好きなんだよ、わんさか山盛り乗せて食べたい。だからパクチーを作る。その何が、「アンチすてきな奥さん」部分に抵触するのか。

そろそろ我慢しない生き方を始めようと思う。
迷惑かけちゃったとしても、言いたいことを言うし、やりたいことをやる。
迷惑かけちゃった分は、かけられちゃっても文句言わないからさというところでトントンにしてもらおうと思う。
迷惑をかけない努力より、寛容になる努力のほうが、私には楽そうなんだもん。
人様に迷惑かけないように生きている人は、それはそれで素敵な生き方だけど、人様の迷惑ってそんなに不快でもないんじゃない?と思う。迷惑かけられるうちが花、っていうかね。その迷惑、どんと引き受けましょう!っていうかね。
そして、
かけまいとしたってかかっちゃうのが迷惑という真理も、忘れちゃならないと、本気で思う。
一生懸命迷惑かけまいかけまいとしてたって、そりゃ、個人によって迷惑かそうでないかラインの高さが違う以上、かかることはあるよ、それは仕方ないよ。と開き直った。
社会常識は備えつつ、ですよ。一応、お断りしておくけれども。
でも、開き直って、残り少ない現役時代、自分を縛る美学でやりたいことを諦めるのはもったいない。
好きな事を追求しようと思うんだ。

パクチー作ることは、私の中の「美学担当係」にとってはえらくご迷惑な話。
だってそれ、キャラじゃないでしょ。家庭菜園とか何言っているの、貴方はマーシャになりたいんですか?無理無理! とか、私から私へ、クレームの嵐なわけよ。
それでも、好きなんだもん、しょうがないよね、パクチー食いたいんだもん。ってとこで、突き進むしかないんだなと思う。

ええーっと、たかがパクチーで、ここまで話を広げなくてもいいような気もするんだけどさ。
すごくいい感じなの、パクチーが。梅雨時に。
そんなわけで、私はコジャレた家庭菜園を、一見そっけなく実はとっても、愛しているのでありました。