YaYaYaお三味線がやってきた!

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YaYaYaというよりは、ちんとんしゃん、でございましょうかね。
三味線、いいなあと思ったのはいつ頃でしたか。寄席通いを始めた十年前ぐらい、寄席で色物の三味線漫談、三遊亭小圓歌師匠を拝見してからもうハートをズキューンと撃ちぬかれましてね。

ちょうど十年前の三遊亭小圓歌姐さんはこんな感じ。

今じゃ年増の色気も増して、さらにぐっと粋な音色の艶っぽさ全開なんですが、初めて行った寄席で、姐さんはそりゃあもう「かっけー」と!脚気じゃないですよ、「かっけー!」ですよ。
まだ二つ目だったでしょうか喬太郎師匠の噺を聴いて「こりゃすげぇ」といきなり大ファンになり、落語なんてじゅげむとちはやふるぐらいしか知らなかったオボコの私はこの新しい世界観に夢中になっちまったわけです。
その寄席というめくるめく新しい世界にそっと導いてくれたポン子にいさんが、当時、太棹の三味線に入門したばかり。
いいないいな、三味線触ってみたいな。と思いつつも、そんな時間もお金もなくてね。
近くて遠い楽器でございました。

二年前、たった一度だけ、人間国宝の方にお三味線を手ほどきしていただけるという機会があり、万障繰り上げて馳せ参じ、生まれて初めて三味線を膝の上に載せました。
とてつもなく幸せな時間は一瞬に過ぎ去り、師の奏でる三絃の音は途方もなく美しく、ああその音色に近づくには私の余命は短すぎると潔く諦めたはずでした。

才能の限界も自覚していました。
今、16歳の娘が小学校に入った時に、私はおことを始めるんですね。おとこじゃないですよ、お琴ね。
この地域は邦楽がなかなかに盛んで、いざというときにお琴が弾けるボランティアを募集していたものですから、それがボランティアになるなら喜んで!と、好奇心の塊だった私はもちろん手を挙げてみました。
先生の慈善事業のような形で、雀の涙ほどのまさしく薄謝で「さくらさくら」からゆっくりゆっくり教えていただき、やがて娘まで弟子入りすることになり、お琴を買い、娘がものすごいスピードで私を追い越していった段階で、他のことも忙しくなったために一休みとなりました。
老人ホームの慰問や、小学生邦楽教室のアシスタント、地域の文化祭での演奏など、確かにお琴のボランティアターはそれなりにお役に立つ場所がありました。
いつもいつも「わー楽しい」と思っている間に終わってしまう素敵すぎるボランティアでしたが、徐々に私はご辞退すべきと痛感するのでした。
一番の問題は、やはりどうにもお琴が下手なことで・・・。
私はピアノもそうなんだけど、どうも楽譜がまともに読めないんです。
頭が悪いんですね、逐語訳のように翻訳ができない。
譜面は読めても、それが演奏と同時に入ってこない。
曲は耳で覚えてそれで弾くもんだから、どうしたって連弾ではみ出ちゃう。長丁場でうろ覚えになる。
箏曲は大好きだけれど、大好きと才能は別のところにあるんですよね、神様は残酷です。

先生に「本当は三味線をやってみたいと思っている」と、大昔、こっそり野心を打ち明けて打診してみたことがありました。
先生はもちろん三絃も教授資格を持っていらっしゃる。けれども、それはボランティアとは関係ないので、やはりそれなりの月謝がかかるわけです。
その金額を聞いた時、夢は夢とすっぱり諦めたつもりでした。

でも、先生は私のその声を覚えていてくださって・・・。
忙しい忙しいで過ごしてきた昨年から、ちょうどぽっかり心に隙間ができた今、
「ひとつ三味線があるのだけれど、今も興味があるかしら?」というお声がかかり、破格で譲っていただけることになって、我が家にお三味線がやってきたというわけです。
基本自主練ですが、困ったときにはお稽古のご相談に乗っていただける特典付き。お月謝ではなく、チケット制のような、申し訳ない弟子入りの方法で。
というわけで、今夜から我が家の近くだけ神楽坂のような小粋な音が漏れ聞こえるようになる、予定です。

たった今、お三味線を引き取ってきて、基本のご指導を頂いて、うれしくてうれしくて、ご報告しました。
才能がない、と見極めるまでの時間だけかもしれないけれど、膝にのせてるだけでちょっと嬉しい。ちんとんしゃんと弾くだけで、なんかうれしい。
更年期で寝込んでる暇はない、ということです。
さあ、ご飯を食べて区からの委嘱式にでかけよう。ボランティア、ボランティア。そしてバイトへ。
帰ってきて、ご飯を食べたら自主練が待っています。小圓歌姐さんや人間国宝様や私の師匠は雲上人でも、同じ三味線を持っているというだけで。
ああもー、うれしすぎる。