昔むかしの

  • 投稿日:
  • by
今日は懐かしい友だちに会った。
ずーっと当たり前のようにそばにいた人たち。
何も考えずに、覚悟をしないで会ったら、ああもう明日から全然あえなくなるんじゃん!と帰宅後改めて寂しくなって、いてたっても、どうしようもなくなった。
こういう時は歌だな。
久しぶりにギターを引っ張りだして歌う。歌う。歌う。
歌本をゴソゴソ出していたら、相方が「パソコンの画面を見ながらのほうが楽じゃない?」といい、ギターコードが書かれている歌詞のサイトを教えてくれた。
その上すごいことに画面がスクロールして、歌いながら譜面をめくらなくていいのだ。ぶぶぶ、文明開化だ。未来だ。
それでも歌うのは、90年代ジェイポップと80年代ニューミュージックなんだな。奥田民生、甲斐バンド、サザンオールスターズ、ドリカム、スピッツ、中島みゆき、ユーミン。あと、さだまさしも歌っちゃったわよ。
一時間半歌いまくった今、左手の指がじんじんする。
さすがにこれ以降はご近所迷惑だと思ってやめたんだが、この指の痛みでは、今が夕方でも、さすがにもたなかった。
この痛みが、もう久しぶりすぎて懐かしぶりすぎて。
私は幼少期に左の人差し指をざっくり切ったことがあって以来うまく利かないので、ハイコードはいまいち下手くそなのだけれど、歌ってしまえばこっちのものだ。コードなんかめちゃくちゃでもいいの、大事なのは声。
ああ気持ちよかった。
じんじんする指も、気持ちよかった。
ギターの弦が錆び付いていて、アルペジオがぽそぽそなので、張り替えなくちゃなあと思う。ああ、何年もいじっていなかったなあと思う。

中学時代、高校時代は、一体どれぐらい無駄な時間があったのだろう。
部活も毎日がっぷりやっていて、それなのに空き時間、私は毎日何時間も、哲学的考察をするかギターを弾いていたように思う。
生きる意味と意義を探したくて本を読み、考えを構築するために作文を書き、疲れ果てて下手なギターかキーボードをひいて、歌って心を整えていた気がする。
産大ムダ時間のサブジェクトの中でも、一番多かった時間配分が、歌だったと思う。
親友・さの字(仮名)の彼氏とギターセッションしたり、そういえば「須藤と鈴木」というそっけないグループ名で、文化祭にも出たりしていた。
その間、英単語を記憶していたら。
あの時間、数式を解いていたら。
大学の選択肢に国公立があれば、進学の時に親とあんなにもめなかったのかしら。と、思ってみたりする。
でも、あの時代に楽しみながら練習していたから、私はこんな歳になってブランクがあってもギターで歌えるんだし、歌っていてストレスや寂しさが綺麗サッパリ吹き飛ぶんだし。
英語は今でも多分試験を受けたら全然点数は取れないと思うんだけど、必要に迫られて身につけたブロークンイングリッシュでとりあえず困らない。
私は。
相手は困ったとしても。
私は困らない。
我々は車社会に生きている、とリーディングした忠兵衛さんの英語もちゃんと同時に理解できる@あまちゃん し、人の話を黙って聞き、言いたいことを黙っているという機能は言語がなんであれシステムとして私の脳には搭載されていないので、たいてい言いたいことは言える。
それはすなわち、語学力ではなく、性格の問題だとも思う。アメリカ人だって、タイ人だって、フィンランド人だって、片桐仁だって、話が弾むポイントは、言語より相性。
数学はスーパーで買い物ができる程度には使えるので、今のところ、そう困ることもない。
そんな私が、どの面下げて子どもたちに「勉強しろ」といえるのか。と、心のアカスリが終わってまっさらのつるつるになった今、かなりスススっと、思っちゃったりしたのだった。
だからさ、子どもたちも「好きなこと」、一生懸命やっていればいいんじゃないかなあ。
と、さっぱりした心はフレッシュに、そんなことを考えるのだった。
私の場合は、「気持ちいい事のすぐ隣に、自分の天職があった」のと同様、「苦しい事のすぐ隣に、いつも歌があった」。それは、そっけなく見えるが私には素敵な「セット」というか、無二の「グループ」だったように思う。

私は未だ、どこから来て、何をやって、どこに行くのかがわからない。
わからないからといって歌っていても、何の解決もしない。
でも、歌って心を浄化しなければ、心は重くなるばかりで、きっとパランスを壊していただろうと思う。
歌えない深夜には、またいつもの哲学的考察か読書に戻っていく。
いつか見つけるだろう答えを、溶けないパズルを味わうようにいつも抱えていて、それでも人々は私に優しく、日々は平和に過ぎていく。

会えなくなる友達とは、会いたくなったら会えばいいのだ。という、究極の答えがみつかった。
明日は無理でも、未来に約束があるというワクワク感で毎日が潤うだろう。
娘の部活の成果、小僧のポジション、相方の仕事、気になることはもちろん山盛りあるけれど、つらい時には歌えばいいのだ。一時間もすれば、かなりどうでもよくなる。
昔、私はギターに無尽蔵の時間を投資した。
カラオケ全盛の昨今だし、プロになれるほどの腕も喉もないから、この投資は経済的に換算すると負けだ。
でもね。
今日みたいなことがあると、まあまあの回収だね(Vサイン)......なんて、しみじみ思っちゃうんだけどね。