思いがけない5月病が教えてくれたこと

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人並みに白髪も生えはじめ、シミもシワもいい感じで、ゆったりとおばあちゃんへの一途をたどっていると思っていました。
加齢臭と歯磨きに気をつけて、忘却力も気持ちよく生きていくためには案外いい特性だよなあなんて現状満足してもおりました。
ところが、突然ホルモンの大暴動。
きっかけはわかりません。
体内テロとも言うべき、ゲリラ生理、勃発。
これが不穏な感じの呼び水となり、今まで眠っていた逆流性食道炎だとか、頚椎管狭窄症だとか、椎間板ヘルニアだとか、さらには下痢だの頭痛だの腹痛だの悪寒だの咳込みだのが一気に武装蜂起して、普段の不摂生を攻めてくる。
ひー。
どこか悪い。
でも、多分、血液検査は健康優良婆だし、どこが悪いというわけじゃなくて、テロの目的は「寝ろ」「寝ろ」と体が訴えている感じでした。
黄金週間だというのに、応援と「あまちゃん」以外、ほぼ寝たきり老人でございました。
iPadだけがお友達。
このiPadに殴られないようにうたた寝するわけですけれども、私には一生起こり得ないと思っていた食欲不振という状態を経験し、お酒も全く飲みたくない、ただひたすら寝たい、いくら眠っても眠いという、ちょっと怖いぐらいの数日間を過ごしたのでした。
なんだったのかなあ。
巷はいい天気。いろんなところにお出かけする予定だったのにさ。

原因は、いくつか考えられます。
4月からの変則時間は、今までの暮らしと全く異なる状態でした。朝早く夜遅く。
小僧は学校の勉強でも、クラブ活動でも、きつい競争を余儀なくされています。
娘ちゃんはここ一年間とんでもない努力と犠牲を払って、大会と選考会に臨みます。
ふたりとも自分が選んだことで、その緊張感を含め、厳しい境遇を楽しんでいるわけですが、一緒になって応援している私はフツーのおばちゃんなので、同じレベルで共感しちゃうと苦しくなってしまうのかもしれません。
すわ夜逃げかとパートに勤しみ、仕事探しと起業と未来の展開を考えていたのですが、とりあえず相方が一生懸命頑張ってくれたのでお金の工面をしなくていいことになり、ホッとしちゃったところもあるのかもしれません。
復学に向けて、慣れない教科書読みだのレポート書きだの、心機一転新しい学びを!なんて自分に課したのもいけなかったのかもしれません。
PTAが終わって、今まで見たかった映画やら本やらを一気に貪り消費したのも、会いたかった友だちに会うべく予定をどんどん入れていったのも、無意識の疲労になっていたように思います。

丸三日間ほぼ眠り続けて、ちょっと憑き物が落ちた感じ。
のんびりいこう。
頑張りすぎて、慣れてきた頃に疲れが出て、という、典型的な5月病なんじゃないかしら。
身体症状を伴ったのでびっくりしたけれども。

子供の頃からずっと、とにかくオンになったら眠らないで突き進む、頑張りすぎてしまうゆうこちゃんだったので、小僧や娘ちゃんが頑張りすぎて苦しくなっちゃうんじゃないか、と歯を食いしばって肩肘張って見守っていたように思います。それは、何かどこかが滑稽な間違いです。
もう子どもたちは、半ば大人で。
自分のことはたいてい自分でできる歳なのだし。
競技の努力も成果も、称賛も悔しさも、疲れも休養も、全部全部、彼らのもの。
感情移入して一体感を味わうには、彼らはもう、大きすぎるということを、いい加減、自覚しなくちゃ。
そして私はもうすぐ49歳なんだし、いつまでも若い時と同じペースで動いたり詰め込めるはずがないということを知ろう。
悪あがきせずに、上手に枯れていくことを、ゆるゆると課題にしなくちゃね。

いくら寝ても、実はまだ眠い事態は続いていますから、ここは無理をせずのんびりってことで。
明日は朝五時に小僧を春合宿に見送ったら、娘の遠的大会。これもまたのんびり明治神宮をピクニックする感覚で行ってきます。
子離れって、難しいんだな。
「おかあさん」って仕事はやりがいがありすぎて、楽しくて仕方ないので、上手に引退するタイミングがわからないんだよなあ。
後片付けが苦手なだけに、まだまだ戸惑うんだろうけれど、うまい形で仕舞って行かないと・・・と思いました。
2013年の5月病から教えられたこと。