純愛は長い長い一週間で挫折したけれど、あまちゃんは一週間が早すぎる気がするほどだ。
我が家では早くも、じぇじぇが日常会話に使われだし、主題歌パラッパに合わせてインコたちは「檻から出してね」のサイドステップを踏むようになった。
映画「たんぽぽ」で海女が食べさせていたのは生牡蠣だったとご指摘を受けた。謹んで訂正させていただく。映画にも牡蠣にも、ウニにも人にも、失礼だからな。
ただ、ほんのちょっとだけ気になっているのは、鈴木みそ著 「限界集落(ギリギリ)温泉」と、今のところ大変展開が似ているところだ。
さびれた温泉街を、ネットアイドルとオタクの力で町おこししていくお話。
オタクカテゴリーが、鉄道ファンではなかったけれども。
私は彼の、自分の故郷を舞台に展開させていく「ギリギリ温泉」が大好きで、脳内で勝手にドラマ化だの、ノベライゼーションだのをやっていただけに、なんかちょっと正直、「町おこしにオタクパワー」みたいな、よくある話として陳腐化してしまうのには抵抗があるのだった。
しかし所詮私の脳内シアターはクドカンワールドには敵わない。
さらに、鈴木みその作家性のせいかギリギリのほうがアクが強いので、とりあえず別物として二度あまちゃんする毎日だ。
鈴木みそは、先見の作家だと思っている。
突然やってきた好景気・キンドル伝道師としての働きは、早くも潮目が変わって凪を迎えてしまったようだが、誰もやらないことをやろうと思ったおかげで、とりあえず漫画家としてもうしばらくは生きていけそうだという目処が立った。
近々、連載も復活する。
過去の作品を読めば、彼の当時の突拍子もない発想は後に、ものづくりの先鋭たちによっていくつか具現化されていたりもして、別の味わいがある。
ちょっとだけ残念なのは、彼が15年以上も前に、ゲームキャラクターたちを俳優に見立ててその栄枯盛衰を漫画にした短編が、偶然、アメリカで同じようなコンセプトで映画化されることだが、考えようによってはヒットしたとすれば、やはり先見の明があったという証明になるわけで、それはそれで寿ぐべきことなのかもしれない。
じぇじぇじぇ。
自営業者と人生を共にするというのは、驚きの連続だ。
今日は相方、私がとてつもなく敬愛する方に会いに行く、らしい。いいなー、いいなー。
先がわからないからドラマが面白いみたいに、先がわからないから明日が面白い。
うれしい展開なら、ワクワクしながら広げていける。
ちょっと苦しい困難なら、考えて動いて、解決してカタルシスだ。もう毎日、ウェルカム トラブルといってもいい。
さすがに「あまちゃん」見たさほどには、自分の明日がそう楽しみってわけでもないけれど、それでも私の日常はじぇじぇじぇ続きの、案外おもしろい出来事満載なんじゃないかと自負している。
さあて、準備してパートにでかけようっと。
職場の「じぇ」、今日はどんなことがあるかしら。うふふ。