子ども時代

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小僧が怪我をして、学校に迎えに行った。
ケガは大したことないのだが、大事を取って早退する。
私には今自転車がないから、一緒に通学路を歩くことになった。

重いランドセルを背負おうとすると、さすがに私には肩紐の位置が短い。
並んで歩くと、まだ少しだけ私のほうが大きいけれど、娘が中学に入ってかろやかに追い越していったように、おそらくあと一年もすると追い越されてしまうのだろう。
そして、あと一年すると、多分余程のことがない限り私に荷物を預けたりしないだろうし、命にかかわらない限り、帰宅するために私の手を借りる事もなくなるだろう。こんなふうに一緒に歩いてどうでもいい話で笑ったりもしなくなるんだろうな。

まだ溶け残る雪の塊を蹴りながら歩く彼に、
「へーい」と声をかけてみた。私の歩く速度を考えて、パスの要領で、いいところに蹴ってくれる。
「路面に、足あとみたいなのがつくね」
削れた雪の塊を眺めて、小僧がそういう。
この軌道は角度がどれぐらい・・・雪、霧、霜は漢字で書くと・・・雪といえば赤穂浪士だけど・・・では、削れた氷の破片はこのあとどうなるか、水の循環を説明してごらん・・・とかもう、すっかりにわか教育ママモードの私は次々問題が溢れてきちゃうんだけど、小僧の方は誰もいない道を二人っきりで歩いて、雪のせいかすっかり童心に返って、ちょっと嬉しそうでもある。
勉強の話をするのは無粋な気がして、どうでもいい、ホントにどうでもいい話を聞いて、すごいスピードで路面を滑っていく氷を蹴りながら帰る。
お。前から、タクシー。と、彼は瞬時に私の腕を引っ張って、
「あぶないよ、おかあさん」
と言った。
いつの間にか、私はもういたわられる側に立っているんだなと思う。氷を蹴るのだって、小僧のほうが百倍うまい。
一緒にボールを蹴りながら幼稚園に行ったのにね。
傘から落ちる水滴を眺めて歩かなくなった時には、ずーっとそのちっちゃな手をつないでいたのにね。

家が見えてきた。
「病院行くほどじゃないよね? ま、今日は寝てればいいんじゃない?」
と、私が蹴るのをやめて帰宅後の段取りを考え始めた時、小僧がさりげなく私の手をとり、腕を組んできた。
にっこり笑う顔は昔のままなのに、肩が並びそうだった。うっすらと、鼻の下の産毛が目立っている。手の大きさは私とそう変わらない。足は、はるかに私より大きい。
そして、まわした腕がとても温かい。
「うん、寝てるよー。今日はおかあさん、どこにも行かなくていいんでしょ?」
「うん、行かないよ」
受験まで残された日はあと10日、あと一週間、ああ間に合わないいいい!
そんなことばーっかり考えていた。不安なのは、私ではなく彼だというのに。
そして、目標は合格することだけでなく、そういうことを乗り越えておとなになるための試練としての受験だったはずなのに。
「やったー」
子供時代は、そう長くは続かない。
ちゃんと愛でておかなければあっという間に過ぎて、記憶の断片にすら残らずに、消えてしまう。親だって、きちんと子どもでいたことを確認しなかったら、安心して大人になんかさせられないんだからさ。
今日、そんなことに気づけてよかった。

一緒にいられるときには、一緒にいよう。
もう、いいや。と、小僧が思うまで、いやってほど、一緒にくっついていよう。
小僧の子供時代。これは、期間限定の私のお楽しみなんだもんなあ。