「アジアを食う」

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小僧が学校に中学の過去問を持って行ったら、お友達に「なんて簡単なんだ!」と羨ましがられたという。
私は、そういうお友達の頭脳が羨ましいと思う。

今になって、とりあえずここまでは仕上げたと思っていた、今まで解けていた算数の問題が、急に解けなくなっているのはどうしてなんだろう。付け焼刃で勉強していて、突然猜疑心の塊になってしまったのだろうか。何か頑張りすぎて脳のどこかが焼き切れてしまったのだろうか。
理社もやっつけで進行しているが、あと二週間、記憶が続くんだろうか。
この期に及んで、それでも定時には就寝した。サッカーの番組を見て、漫画を読むことを欠かさないあたり、いっそ大物なのではないかと思う・・・ことにして、諦めよう。
ご縁があればつながるだろう。
その子にはその子の天命がある。無理してもいいことはない。

日本で合わなければ、きっと別の国に彼を生かせる場所があるかもしれない。
所変われば品変わる、である。
今日は相方の電子書籍化を見据えて、副音声ならぬ、副読本としてお楽しみいただくべく、「私家版・アジアを食う・・・喉に刺さってる小骨編(仮タイトル)」を書いていたので、気持ちがおおらかなのだ。
どれぐらい読んでもらえるのかなあと思いながら、恥の多い道を邁進していく。
思えば、若いころの私はうんとバカだったし、今はうんと衰えた。小僧がアホだからといって、一体それがなんだというのか。蛙の子は蛙、かもめはかもめだ。
どんなにダメダメでも、私はこの私自身と付き合って行かなければしょうがないわけで、それは小僧だって同じ事。ダメダメだなと思ったら、克服するか、許すかしなくちゃならない。それこそ、そこは自分で決めることだから。

ただ、私の恥が、子どもに影響しなければいいと思う。
「アジアを食う」は、まだ子どもなんて金玉袋にも子宮にも影さえなかった頃の、新婚旅行記である。
相方が執筆時に腹に入った娘は今年16歳、私たちは結婚して20年めを迎えた。
できることなら、五年後に、子どもたちは独立し、私たちは二人でタイに移住するなりして、周りの変化のレポートも含むアジアを食う2を発表したかった気もする。銀婚式なので、もちろん香港でウェディングドレスを着て写真を撮り、ビフォア・アフターみたいなご開帳がよかったかな、と思う。
でも、理想は理想として、まずできることから動かなきゃね。
どんなに誰かを羨ましいと思ったって、替われるわけじゃないんだし。