若き日の仁王立ち

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友人からの依頼で、筆耕のお仕事をした。
地方都市に、ちょっとした看板が出ている。

私は大きな字が苦手だ。
床の間に墨痕淋漓かっちょよく飾られるでっかい書で何度も受賞していた母にはかなわない。
心の中で戦ってしまって、半切やら画仙紙やらを目の前にした段階で、もう負けている。
こんなでっかい図体して、ゆるゆると書く仮名の草書が最も好きだったりするのは、負け戦を好まないからだ。
30年前。
母に、仁王立ちで「高校生でいる間に師範をとれ」と迫られ、資格をとっても絶対に書道で食べることはないから! と負けじと仁王立ちで宣言した。
同じ165センチ。だが、体重53キロの若き仁王立ちが、65キロの海千山千の母の仁王立ちにかなうはずもなく。
でも、未だにあの時の宣言は私の核であり、そもそも母ごときを超えられない、たいしてうまくもない書道でプロになることはない。と心に決めていた。

字を書くときには、変体少女仮名を使った。
18で家を出て、書道の経験は長いこと秘匿してきた。
仕事でのお礼状と、企画書に添付してご協力を仰ぐレターには精魂込めて達筆モードになったが、それ以外で筆を持つことなどなかった。

私がレターを書くと難しいアーティストさんが誌面に出てくれると評判になって、手紙の代筆屋さんで稼いだことがある。
企画書に添付した手紙から、筆耕のお仕事が来たこともある。
しかしバブル全盛期のお話だから、原野だって新参のブランドだって使い古しのブルマーだって私の文字だって、なんだって売れて不思議はなく、私もそれがプロとしての仕事という自覚すらなかった。

紫舟さんの書はとてもいいと思うが、私にはあんな、「力強く伸びやかなくせに緻密で繊細な字」は書けない。
書は人柄だ。性格が透けて見えるようだと思う。
母の書道塾を手伝っていた時にも、インターで子どもたちと遊びながら書道を教えていた時も、近所の子にちょっと手ほどきする時も、ああこの子はこういう字を書くよなあ。と、観察するとしみじみ思う。
そう考えると、書家になどとうていなれないとつくづく思う。

私の書く文字は子どものような字だから、まず人としての修行が足りないと思う。
素直だなあ、とは思う。訓練だけは積んでいるな、というのもわかる。
でも、心から書道を愛している字ではないのも、透かして見える。
こんな文字でお金をいただくなんて笑止千万。と、心のなかで仁王立ちしている若かりし私が私を責める。

ネットで求人を見ても、フリーペーパーのバイト探しも、47歳に仕事はない。
特訓に特訓を重ねた文章は、今や買ってくれる出版社がない。
というわけで筆耕のお仕事があれば、「大サービス素人特価=お気持ち」で喜んでお引き受けするわけだが(ご用命はYUKO@misokichi.com ※ゆうこは小文字半角 まで、よろしくお願いします←大人)、しかし、仁王立ちして「書道では食わない」宣言をしたあの日の自分を、どこかで大切にしたい想いも捨て切れないのだ。

そのあたりがきちんと整理できたら、もっと字が上手になって、母にも優しくできるのかしらね。