という言葉を久しぶりに思い出した。
東京スカイツリー、今日は快晴で風もなく、きっと絶景だと思う。
金環日食のあとには、東京スカイツリーーのオープンか...。
日本中が見上げたもんだなあ、というのは、なんとなく好ましい感じだ。
私も煙同様、高いところが大好きなバカなのかもしれない、と、ニュースを見ていて初めて気づいた。
行きたい。
行ってみたい。
展望台にのぼりたくて、仕方がない。
しかし、正直に告白すれば、かなりの高所恐怖症なので、高いところにずーっといることはできない。
ほんの短い時間だけタワーを満喫して、すぐに帰ることになるのだが、それでも「展望」と名のつくところには、行ってみたいと強く思う。
高所恐怖症のタワー好き、という段階で、なんかこうすごく間違っているが、これはきっと遺伝子が騒いでいるのだろうなと思い当たった。
発端は、おじいちゃんだ。
母方の、*詐欺師みたいなおじいちゃんが、新しい高い場所が大好きだったのだ。
霞が関ビルも、東京タワーも、東京上空ヘリコプターツアーも、おじいちゃんにつれていってもらった。
刑務所後に高層ビルができるなんて素晴らしい!と楽しみにしていて、サンシャインには、間に合わなかった。
当然都庁ができる頃にはとっくに亡くなっているのだが、何しろ新しい街と高い建物がマニアックに大好きだった人だけに、私は最初に都庁展望台にいったときも、そういえばおじいちゃんに見せたかったなあなどと思うのだった。
生きていれば、きっと東京スカイツリー・オープニングの昨日、さあ行くぞ。と言ったに違いないのだ。そういう人なのだ。
そして、おじいちゃんは大変にせっかちだったので、行ってまわりがどうしていようとさっさと下に降りていってしまう人でもあった。
おばあちゃんは大変だったと思う。小さな孫たちがぞろぞろいて、多分、景色を楽しむどころではなかったろうと思う。
「全く、バカと煙は高いところが好きなんだから」
とまあ、毎度毎度、おじいちゃんには聞こえないように小さくこぼすわけだが、上等の着物を着て、綺麗に髪を結いあげて、これからレストランでのお食事がまっているわけで、そのウキウキが詰まった揶揄は、なんとなく私にとっては悪いイメージがないのだった。
おじいちゃんがバカだったおかげで、私もきっと高いところに行きたくて仕方ないのだろう。
いや、高い処が好きだなんて気づかなかったけど(4階以上には住めない、高所恐怖症で)、そういえばなんとかタワーと名のつくところには必ず行っているじゃないかと思い当たった。
エンパイヤーステートビルも、キンタマーニも、ドイステープも、ロスではスカイダイビングまで、チャンスがあれば高いところに登るのだ。
そこに高いところがあるから、登るのだ。
そして、「怖っ!」と震え上がって、すぐ帰るのだ。・・・バカである。
おじいちゃんがバカだったおかげで、私の経験は立体的になった気がする。
多分、おじいちゃんがいなければ、高いところは怖いから、と近づかなかっただろう。あのヒヤッとする、足の浮く感じは不快だ。
でも、私には高いタワーに違う意味で浮き足立つ、ウキウキ条件反射が小さな頃から埋め込まれている。
そして、愛しのパブロフ、私のおじいちゃんは、死んでからなお私が展望台に行くたびにちゃんと心の奥の方からスッと出てきて、「さ、見た見た。見たから帰るぞ」みたいに、安全に、せっかちに、背中を押してくれるのだ。
バカも極めると、ちゃんと誰かに影響を残す。
私のバカな部分も、そうやって誰かに受け入れてもらえたらいいな。
天国ってのは、結構な高い場所にあるんだろう。
きっと、おじいちゃんは幸せなんだろうなと思う。おばあちゃんがまた、そばで世話を焼いてハラハラ、軽くイライラしてるんじゃないかとは思うが、それはそれでいいおしどり夫婦だったから、きっと時々はおめかしして、ワクワク楽しくやっているに違いない。
次に、私が東京スカイツリーに登ったら、またおじいちゃんとおばあちゃんの事を鮮やかに思い出すんだろうな。
墓参りより、私にはそういう方が、亡くした家族との対話になっちゃってて・・・まあこれも、血筋ってヤツなんだからしょうがないね。
*詐欺師みたいな=私の知っているおじいちゃんは、東洋医学の整体師として日本中から患者が訪れる名医として亡くなったが、もともと役者くずれで、若いころはデパートでは外商部で通訳をやったり(いつ英語を勉強したのだ?)、副業で占い師をやったり(資格はあったのか?)、手品師だったり(小さな頃は彼は魔法使いだと信じこまされていた)、発明品の特許を売ったりしていたらしい。なぜか芸者遊びもよく知っていて、子どもたちを集めては遊んでくれた。とにかく話の面白い人で、しかしそれもこれもどこまで本当なのかはわからない。