確か、学校は定期試験前で、部活はお休みなはずでは・・・。
「特例の部があるんだよ」
振り向きもせずにそそくさと行ってしまった。
小僧は六年生になってから、サッカーのときには本格的な夕食一食分のお弁当を持参するようになった。
練習が終わって30分以内に食事をとるためだ。
塾弁のような、途中で食べてまた勉強、みたいなハードな予定ではない。が、食事の摂り方も内容も、アスリートにとってはトレーニングのひとつみたいなもので。
若い頃、よくぞフィットネス雑誌を3年間も書き続けたぞ、私。ニュートリションの基礎は叩きこんである、ふふふ。
とは思うものの、あいにく料理をすることがとっても苦手なので、お弁当は苦痛以外の何物でもない。
さらに、週に二回も、小僧と一緒に夕食を食べられないのだ。これも、とっても寂しい。
日本酒を二合。それが相方の晩酌なので、ほぼ、ごはんは食べない。
こっちは肴を幾つか用意すればいいので、いくらでも手が抜けるようになってしまった。
私もビールを500ml。おかずを肴にすればいいから、質素なものだ。
どうでもいい話題をふたつ、みっつ。
お年ごろの娘ちゃんは、その気で食べれば十倍は入るだろうに、小さなお茶碗一膳で「ごちそうさま」をいう。
そして、すぐさま宿題とかPCとかに向かう。時には自分の部屋にこもりっきりになる。
小僧は、練習ではない日、御飯のあと、ゲームをやって、宿題をやって、お風呂に入って、そして寝る。小さな体で、彼はとても忙しい毎日を生きている。
子どもは、いつまでも子どもではいない。
母の日には、朝ごはんを娘が、昼ごはんを相方が、夕ごはんを三人で用意してくれた。
喜ばしいことだ。こうして、自分のための時間をプレゼントされるほどに、家族は成長したのだ。
何なら、全員、自分のためのごはんも用意できる。
洗濯も掃除も、できる。後片付けやお米とぎは課せられたお手伝いでもあり、ああ楽チンとも思う。
でも、遊ぼうといえば大喜びで一緒に遊びに行った昔が、ちょっとだけ懐かしい。
煩わしいぐらいにまとわりついてきた、抱っこをせがんで泣くほどの、全身で表現する愛情が、
面倒くさいなあと思いながらも、必ず一緒に夕飯を食べた、過ぎ去った毎日が、
ほんのすこしだけ。