好きな人嫌いな人

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私は、自分が好かれているか嫌われているかはとりあえずどうでもいいと思う。
嫌われたくはないし、好かれていれば嬉しいが、正直、どうでもいい人に好かれようと嫌われようと、どうでもいいと思っている。
親戚でもない限り、興味のない人とごはんを食べたり何かを語り合ったりはしないのだし。
直接被害があれば怒ったりもするのだが、被害がなければその人がどうしていようが、全くどうでもいい。
家に火をつけに来なければ、藁人形ぐらいまでなら気にもならない。
どんな非常識なことをしようが言おうが、非常識なことを持ち込まれない限り、感心を抱けないというのが、本当のところだ。

だから、多分嫌いな人というのは一瞬の感情としてはあっても、長期的展望にたって嫌いでいられるエネルギーがなくて、消滅してしまう。
いつまでも「憎む」形で感心を寄せ続ける負荷に、私は耐えられないのだと思う。そんな情熱は、思春期に燃やしてしまったのだと思う。
何より、私は信用に値しないいい加減な人間だし、かなり不誠実だし、アバウトすぎるからきちっきちっとしている人はそばにいるとさぞ不愉快だろうなと思う。そういう方にはもう、ごめんなさい、と笑ってごまかして許してもらうしかなく、なぜならそういう人たちの期待に添う立派な人間になるつもりは全くないからで、多分相手が不愉快なら、できるだけ接点を持たないようにするのが一番だろうなあと思っている。
相手が逃げてくれるのなら、有難いとさえ思う。

じゃあ好きな人はどうか。
というと、好きだなあと思えるだけで案外幸せになってしまうので、別にその人からの愛がこちらに届かなくてもあまり気にしない。
死ぬ程好きな人がいて、その愛が欲しくて欲しくて、死ぬほど苦しい思いをして、学んだことなんだと思う。
そして、私がすごく好きだなと思った人は、別にどんなに私の悪口を言おうが、どうせ私を好きに決まっていると思うから全然気にしない。仮にその人は私のことを嫌っても、私がその人を好きなんだから、仕方ないと思う。

時々、私のことを嫌いだという噂を聞くんだけれども、そんなに強い感情を抱き続けてくれるほどの引力を私はまだ持っているのだろうかと思う。
逆に、こんな私をすごく好きだと言ってくれる人もいて、もーありがとうね、でも何もお返しできなくてマジごめんなさいねと思う。

いつからこんなふうに考えるようになったのかなあ。
昨日、ちょっとわたし的に5つ星レベルのお友達と話していて、ああそういえばいつからか、人から愛されることに執着がなくなっていたなあと気づいたんだった。
私は彼女と話していると幸せになる。
それは彼女が私を好きだから嬉しいってだけでなく、彼女が彼女らしくいてくれるからだ。もしも彼女が私を嫌いでも、きっと私は彼女の大ファンのままだろうと思ったの。
そして、そんな風に思える友達がけっこうたくさん身近にいる自分って、すごくいい目をしていて、すごくセンスがいいんじゃない? と思ったの。

父からの愛を希求して希求して、結局何もないまま亡くして、母からの愛を希求して希求して、結局とんちんかんな言動から汲み取らなければならない。
そんなユニークな状況に慣れると、愛はちょっとばかりめんどくさくなってしまうのかもしれない。

でも、何もかもを家族歴のせいにするのは、なんだかちょっと違う気もするのよ私。
私自身が自分への愛にあふれたから、やっとこんなふうに他人の目がどうでも良くなってきたのかもしれない、かな。
誰がなんと言おうと、私は私が好き。
そして、私の命令は絶対って思えるほど、ちゃんとしてる自分。
好きも、嫌いも。
それで、いいじゃん。
みたいなね。

多分、ここ10年間で最も成長したのが、対人関係のような気がする。
さて、明日は臨床心理学?。楽しみ?。早く寝ようっと。