中国に書道の真髄を求めて旅するのだ。
見ながら、ものすごく胸が傷んだ。でも、決して目を離すことはできなかった。
私の母・ヨシコは書道塾の先生だ。お習字を教えて生業にしてきた。
展覧会にも定期的に出している、書道家でもある。
彼女の作品作りは鬼気迫るものがあって、子ども心にその姿が怖かった。畏れに近い感情だったといってもいいと思う。
展覧会が近づくと私達も作品を作るのだが、その指導の厳しさもハンパなかった。
私は書道家にはならない。お習字の先生もやらない。絶対にあんなふうにならない。
そう言い続けた。
無理やり師範科の勉強をさせられていた時も、ずっとそう心に決めていた。
でもそれは、あんなふうにならない、ではなくて、あんなふうになれないことに、無意識で気づいていたからだったんだと・・・番組を見ながら思った。
中国で書家は医師と並ぶほどにステイタスのある職業だという。
夢中で書き続ける書家の卵たちの目を見ていて、ああ、母・ヨシコと同じ眼だと思った。
あの眼差しが、私にはないのだ。
どんなに頑張ってもあの眼差しで書けない限り、人の心に届く思いを文字に載せることなどできないとわかっていた。そこまで夢中になれないからと逃げていた。決して超えられないとわかっていたから、初めから勝負をしようとしなかったんだ。
字を書くことは、楽しい。
そんな風に、書道と出会えたらよかった。
勝ち負けなんかではなく。
思いを込めて字を書くことで、字は自分の心を映し出す。
私は多分、普通の人よりは上手に字が書けると思う。子どものような字から、古老のような手まで、臨書して形や風情を真似ることはうまいと思う。
だが、そこに「書く」喜びがなかった。
勉強でも芸術でもスポーツでも。
親が圧倒的に高い壁になってしまうと、その子どもは大変だ。
スタート時は早く、圧倒的にうまくなる。うまいことはたいてい楽しい、気がするものだ。だが、揺るぎない楽しさは、多分子ども自身の『好き』から派生する。コーチが自分より常に上にいることで、いうことを聞けばいいのだと信じこんでしまう。
そして、主体が自分になければ、その得意は続かない。
幼稚園でお習字を教える機会を頂いて、私の書道観はかわった。
書道が、本当に楽しくなっていったから。
小さな子どもたちは自由で、何より「おもしろがることの天才」だった。彼らの伸びやかな線の中に、私はたくさんの教えを見た。
そして、胸の奥が痛むけれど、テレビでドキュメンタリーを見続けて、自分の弱さと母・ヨシコを改めて認められたのは、きっと私のかわいいお弟子さんたちとの楽しい書道の時間と、「素直な心」に感化されたからだ。教えているつもりで、子どもたちに育てられた部分が大きかったのかもしれない。
生活を変えようと思って、いろいろなことを一時停止してまわった。
ある日、運転していて自分がどこにいるのか、どこにいくのか、にわかにわからなくなったことがあり、戦慄が走った。ありえないミスが日毎に増していく。
自分が怖くなった。
疲れはてていたのだと思う。
精神保健福祉士を目指す私の教科書に、そんなときには「まず休め」と書いてあるではないか。
それで生活を全て、一度リセットする。
請け負うべき仕事を、区切りをつけてすべてやめてみた。
学校には休学届を出した。
推薦された来年度の役員は固辞し、ボランティアは休みたいと申し出、親孝行も自分第一を申し出た。小僧の応援も、娘の部活の支援も、「ガンガンいこうぜ!」から「いのちだいじに」モードにシフト、どうしても放り出せない活動以外は、全部止めた。それが一時停止。
そうやってできた時間に、たまたまぼんやり見ていたテレビが書道のそれで。
せっかく少し時間ができた。
私にとって書道とはなんだったのかもう一度見つめ直しながら、ちょっと書いてみようかなと思う。
うまく書くのではなく、楽しく書く時間を、ほんのちょっとだけもとうと思う。