2004-2 メニューへ戻る

 2004-2-2
 

ゲーム業界の方に、ご提案がございます。

マイクに向かって台詞をしゃべるゲーム、それが「しばいみち」。
難なくクリアし続ける母を、尊敬のまなざしで見つめる娘。
ええ、そうですとも。これ以外のゲームはほとんどクリアなんか出来ないんです。私は。

テニススクールでお茶を飲みながら、高校時代からテニスをやっていればよかった、私は演劇部だったので。と、ついうっかりカミングアウトしてしまったら、「女優さんを目指していたの?」と勘違いされた。おいおい、仮に高校時代にテニス部だったからといって、全員が全員、ウィンブルドンを目指せるもんじゃないだろうと思ったが、40代50代のお姉様がただったので、激しくは突っ込まない。
確かに高校時代の部活動は、文化部と名乗るのが恥ずかしいほど、体育会並みの運動量でしたし。
マラソンに発声、他校との交流練習会、早朝と深夜までの活動、合宿……部員の皆さんごめんなさい。私はあのとき、確かに演劇中毒だったんだと思います。そんな私につきあわせてしまいました。他に光り輝く青春もあっただろうに。懺悔、懺悔。休日はバイトか、劇場巡りで、私は大変、幸せでしたけれどもね。
それで、彼氏ともごちゃごちゃあって、ものすごい量の本を読んでいて、あのころってなんでそんなに時間があったんだろう? 時間の貯金が出来たらなあ。きっと、してないけど。
そんな話はどうでもいいや、一番いい時期に私はテニスをやらずに、演劇なんかをやってしまっていたわけです。で、今残っている財産は、腹式呼吸と早口言葉ぐらい。早口言葉なら、スマッシュを打つより、ポーチボレーに出るより、確実に上手に決められます。ああ、あのときテニスをやっていれば……!!

いや、だからさー、そんな青春の蹉跌はどうでもいいんだって。ご提案はどこにいったんだ。

ゲーム「しばいみち」にね、「あめんぼあかいなあいうえお」という発声練習が出てくる。北原白秋の詩で、演劇をかじったことがある人なら必ず音読したことがあるものです。これをP子が読んでいたら、福助が真似した。「あいうえおーっ」とか、言うわけね。
これは、すばらしい!! すばらしい練習になってます。
発音に難があるのよね、うちの息子は。
で、ここはひとつ、構音障害を抱える子供用に、簡単な日本語をしゃべらせる「しばいみち・兆し篇」とか、作っていただけないだろうか。あめんぼアリ、あえいうえおあお、あり。早口言葉あり。色の名前あり、ものの形あり、ご挨拶あり。で、クリアすると、派手にぐるぐるトーマスが回ってくれたりすると、息子はきっと大喜びだわ。トーマスは版権の問題があると思うので、人面機関車ヤプー(仮名)でもよし。ゲームからの物体Xでも、自閉症の福ちゃんでも、キャラはなんでもいいです。
難聴の子供の発語練習にも使えます。
外国人の日本語入門にも使えます。
外国語版ボタンを押して、英語の発音でクリアするとナンシーとローラが(誰?)チアリーダーの格好で踊ってくれたりするの。ああ、今スーパーボールの最中なもんで。早期教育を目指す英語大好きなママたちが、ミッキーのシリーズとともに購入するかもしれません。英会話業界は、お宝の山ですぜ、だんな(もみ手)。
英語はともかく、「社会的福祉的貢献」を御旗に掲げたゲームは、行政の関係者も購入するでしょうから、結構な数がはけるはずです。いかがでしょう? 企画書、書きます、プレゼン行きます。……ってさー、主に主婦が訪ねてくるサイトで、こんなことを書いていてもダメか。うーん、国語の苦手なお子さんを持っているお母さん、外国人のみなさん(は、この日記を読まないだろう)、難聴・構音障害を抱えているお子さんを持つお母さん、そういう教材があったら、どうですか? 使ってみたくないですか? 反応がよかったら、ゲーム会社にお願いしにいこーっと。

上級編で、外郎売りの口上が入っていたりするとうれしいなあ。演劇をかじった人なら必ず一度は練習する、歌舞伎の台詞のひとつ、早口言葉のことです。私の唯一の隠し芸だったんですが、これがものすごぉぉぉぉぉく久しぶりに口に出してみると、かなり、忘れちゃってるの。で、ネットで探して、ちょっと口にしてみたら、今度は驚くほど口がまわらない。何となくくやしいので、もう一度、練習してみようかしらと、ちょっと思ったりしたのでした。

 
 

 2004-2-3
 

自分のためにしか、泣かない。
それは事実でした。
でも、不覚にも涙があふれる。怒りで、痛みで、わけもわからず。
それは、なんだろうね。
人としての根源が揺さぶられるような感情が襲いかかってきて、どうしていいかわからない状態に陥りました。
一人前のおばちゃんを名乗っていたのに、まだまだ、未熟者だわ。
ばか売れ保保子さんの人生指南には、まだ全然近づけないってことですね。

昼寝、というものをしてしまいました。
体の中で蠢く気持ちのなだめ方を知っているのは、経験値の高さです。
でも、かっこいいおばちゃんになりたいのに、私、かっこわりぃな。
ま、そういうことも、あって、きっとまた経験値がふえるんだろう。

息子が、本日第二回目の「太鼓の達人」を約束の30分で、切り上げることができました。
得意げに消したテレビを指差して、
「おかーしゃん」
と言っていたので、
「えらいね」
とほめたら
「えらいじゃないよ、あてりまえ」
と、やっぱり得意げに言ってました。
はやくいろんなことが、「あてりまえ」になると楽だよね。
君も、私も。
あれも、これも。
鬼は外、福は内。でも、鬼も寒かろう、うちで少し温まっていけばいいのに、なんてちょっと思ったりした、今日は節分。

 
 

 2004-2-5
 

父はうちの中で鬼のように仕事をしていた、昨晩のこと。
「鬼は外。福は内」
と母が言い、勢いよく豆を投げつける。
「鬼はぁー、外ぉ。福はぁー、内」
と続いてP子が言いながら、砲丸投げみたいな変なフォームで豆を投げる。
福助は、大魔神佐々木のように、美しくも豪快に豆を投げた後、叫ぶ。
「おにはー、しょと。ちくわー、うち」
今年もたくさんの福と、ちくわが、きっと我が家にやってくることだろう。

ちくわ、といえば、素材食いをしてよく叱られた。
冷蔵庫を見るとちくわがあったとする。それは、そのまま食べるよなあ。
すると、翌日か何かに、「ちくわが消えたー」と同居人に大騒ぎされたのだ。同居人は、なんか、いろいろと予定をたてて買い物をしていたらしい。しかし、ハム、缶詰、ちくわ、魚肉ソーセージ、チーズなどは、私にとって既に調理加工されているものであって、素材を、そのまま頂いて何が悪い ?と思っていた。牛乳やビールだってそうだ。冷蔵庫に入っていれば、食事のときに限らず、飲みたいときにゴブゴブ飲んだ。だって、ちくわも牛乳も、そういうものでしょう ?
だが、同居人にはそれがどうにも赦せなかったらしい。
放っておくと冷蔵庫の食品が次々消えていくなんて。丸のまま、ちくわ一本食いするなんて信じられない。と、私を野蛮人扱いしたものだった。当時、私が食費を持ち、同居人は食事を作る係だった。どうせ食べるのは朝食ぐらいになっていたが、それでも作ってもらえないのは困るので、私は自分の食べたい物と飲み物は別に買って、名前を書くようにした。
寮生活みたいな共同生活では、細かいお互いのアラが目立つものだ。結局別々に暮らすことになって、アパートを引き払うことになった。大半の家具も家電も「欲しい」というので、同居人の新しい部屋に運んだ。どう考えても私の方が持ち出しが多かった気がするのだが、それは別にいいや。と、思っていた。しかし、引っ越しの日、
「ちくわとかはさ、素材食いされると腹が立つんだよね。気をつけた方がいいよ」
と、共同生活解消の基本的な原因が、さも私のちくわの素材食いにあったようなことを言ったのだった。
それ以来、ちくわを見ると、あのときの腹立ちががーっと沸き上り、ほとんど買わないものになっていた。

ちくわうち。鬼は外。 現在共同生活をしている夫とP子と福助は、私が冷蔵庫の中に何をしまっていようが、こっそり素材食いしていようが、全く文句を言わない。
それどころか、夜中にけたけた笑ってうるさいニモの父・マーリンの人形 ( Byマクドナルド )が、野菜室に沈めてあることや、義父が元気な頃についた餅を捨てられずに冷凍したままにしてあることにも、多分気づいていない。
っていうか、「忙しくて夕飯に間に合わないから、冷凍八宝菜を温めて先に食べてて」と指示しても、「チルド」の引き出しに入っていたがために探し出せなくて、近所のスーパーにお惣菜を買いにいったんだぞと文句を言われたことがあり、もうちょっとこう、冷蔵庫に興味を持ってはいかが ? と思ったりもした。
しかし、ま、今はちくわを仮に100本まるまる素材食いしても、私を叱らない家族と生活している。これこそが福である。と、しみじみ思う。ちくわ、今更買わないけどさ。

 
 

 2004-2-6
 

「おはようございます、鈴木様。今日はお早いですね、いつもお昼頃いらっしゃるので……。あ、髪を切られたんですね、すてきです」
と、行きつけのレストランのマネージャーさんに、にっこりされた。
このマネージャーは半端じゃなく仕事ができると思う。
気がついたら、毎週土曜日のブランチは、レジャーという名目でここに食べにきているもんなあ。同じようにお店は近所にもあるけど、我が家は必ずここだ。……って、マクドナルドなんですけどね。

朝マックは久しぶり。
夫の時計が完全に半周遅れというか、締め切り時差ぼけ状態のため、一般人ときっちり生活時間がそろったのである。ハッピーセットも朝のパンケーキセットやエッグマフィンセットだったため、おじゃる丸グッズはいっきに4アイテムゲットしちゃったし、クーポン券で新製品はお試しできるし、それでいてお安いし、なかなかよいことづくめだ。
「おかあさん、ここにくるといつもうれしそうな顔しているねー」
と、娘に言われる。休日に車でお出かけして、ブランチを食べる。子供の頃夢見た、「アメリカ人一家」みたいな自分にうっとりしているのかもしれない、私は。
「おかあさんがうれしそうだと、P子もうれしいから、これ、あげるよ」
と、P子からおじゃる丸のシールセットをもらった。うわあ、うれしさ倍増だなあ。どこに貼ろう。

ところで、娘がどしても欲しいと、おじゃる丸の別売りおもちゃも購入した。帰りがけに夫が注文して受け取るが、ぱっと見た感じ、箱の中身が透明なのである。最近の箱詰め技術は不器用な私には考えも及ばないほど複雑化している。
「仕掛けが斬新だなあ」
と、本気で感動して、
「うわー、それで、入ってるんだー。すごいなあ」
と言ったら、中身が入っていなかったのであった。あやうく空箱を500円で買うところだったが、なんか私は感動した結果発した言葉が、単なるいやみでミスを指摘したみたいになってしまい、きまずいのであった。しかも、全然普通の箱詰めで、感動も消えちゃったのであった。せっかく大好きなお店なのに。うけとったときに、重みで気づけよ、夫。

 
 

 2004-2-8
 

夫が左目のふちを切り、顔に擦り傷を作っている。
夜になって、内出血が下がって滝のか、目の下のあたりが青くなった。
スニーカーのひもはずたずたで、コーラの入ったコンビニの袋はすり切れていた。
いつだったかのお誕生日プレゼントだった白山の眼鏡は、どこかになくしてきていた。
本人の記憶はないと言う。最後に、どこで飲んだかも、覚えていない。

子供たちが熱を出したので、子連れ参加予定の飲み会には私が遠慮した。
時間通りに出かけていった夫の帰宅は、午前四時。日曜の今日、昼過ぎに起きてきたときに、その惨状を知った。

この人は、きっとこうやって死ぬんだろうなあと思った。
私の係累は、みんな、きちんとしたお酒の飲めない人ばかりだ。きっと、私の血がどこかだらしないお酒を飲む男を、よしとしてしまうのだろうと思うが、けがをして帰ってくるとなると、ちょっと笑えない。

風邪をもらったのか、疲れているのか、それとも夫の死の可能性という恐怖から逃げたかったのか。私も一日中眠ってしまった。それでも、まだ眠い。
なんかとてつもなくリアルな、スマップの夢を見られたから、かなりお得な気分だった。久しぶりに、いい夢だったー。平井堅に口説かれた以来だわ。現実がつらいときには、このぐらいのご褒美がないとね。
でも、仮に毎晩日替わりでスマップが夢に出てきてくれるとしても、実際に夫が元気でいる方がいいなあ。タバコはやめられた。次は「無茶飲み」をやめてくれますように。

 
 

 2004-2-10
 

家族そろって、発熱しています。
面白いことが何も浮かばないです。
朝、四時に目覚ましが鳴ったとたん、後頭部を誰かに殴られ、「起きたら死ぬぞ」と脅かされたような気がしました。
おかしいなあ、私は昨日まで確かに元気だったのに。軽く咳が出るぐらいで、元気だったのに。
ウィルスって、怖いなあ。インフルなんでしょうか、ただの風邪でしょうか。病院に行って薬をもらいたくても、病院に行くのがつらかったらどうしたらいいんでしょうか。久しぶりに自分の体じゃないみたいです。腰骨の辺りがすでにフォン・ド・ボーです。全身が痛くて、何時間でも眠れます。
夫も手負いの猿のようにじーっと寝室でうずくまっています。
だいぶよくなった娘が、だるそうに福助の面倒をみています。
福助だけが、元気です。熱があるくせに。もう私が叱らないのをいいことに、部屋中散らかし放題だ。トーマスのおもちゃを動かしながら、一人でトーマスのビデオを脳内再生していて、台詞、訳が分かんない分、うるさいです。わかったらわかったで、あそこに出てくるいけ好かないキャラに腹がたつんでしょうが。
いずれにしても、こんなへろへろなのにご飯の用意とかしている自分を讃えます。
 「うへー。しょっぱい。何、この味。何で味つけたの」
と、一般的に生息する嫌みな姑のような台詞を娘に吐かれて逆切れした自分も赦します。いやなら食べなくてよろしい。これで食べなさい。と、生卵を彼女の前に冷静に置いたんだし。投げつけていないんだし。……って、生卵投げつけたらだめだよなあ、それは母として。ウィルス、脳にまわってるよなあ。でも、正直、一瞬狙いそうになっちゃった。 後片付けを考えて思いとどまったけど。気力がないのは、悪いことばかりでもありません。
調子が悪くなると、みんなでちょっとずつ思いやりがなくなって嫌だなあと思いました。元気なのがいいね。

 
 

 2004-2-12
 

2月11日〜12日

祥子はいちごめいさちん
いちのめいさんちにに
一ゴリ名産地にす
イチゴの名産地に住んでいます。
送ってくれたイチゴをひとパックむさぼり食って、やっと少しまともになりました。 タイプミスを考えると、ちっともまともじゃないですけど。
ああ、体の中にイチゴビタミンが。Cのパワーがみなぎっていくぜ!!

ちなっちゃんは「緊急お助け隊・買い出し隊長」の名乗りを上げてくれたし、三田ちゃんは実際に作っていろいろ持ってきてくれて、なにげに玄関先に置いて帰ったのだった。ううう、ありがたさに、ちょっと泣く。受けた恩義は石に刻むぞ。私はあなたたちに何かあったときに、命を賭してもあなたたちを守るよ。まあこの世の中、そうそう命を賭けることもないんだろうが、心意気としてね。……ありがとね。
おかげで、パソコンをベッドに持ち込んで、ミスタイプの連続ながら、こんなことを書けるまでになりました。まだ眠いんだけれども。

11日の朝、さすがにちょっとヤバいかもと思った私は母・ヨシコに緊急要請を頼んでみたが、まずは断られたのであった。
「仕事があるのよねぇ……突然言われてもねぇ。まあ、断れば断れなくもないんだけど、これこれこうで」
といかに彼女が ご多忙な重要人物であるかを拝聴したあげく、ご来迎を乞うかたちになったので、
「 ダメならいいんだけど、来ていただけるの、ダメなの?」
と、震える体と声で尋ねると、
「しかたないわねー、なんとかするわ」
と言われた。母・ヨシコは副業でやっている指圧の方も免許皆伝なので、一時間ほど施術してもらったらこの全身の痛みから逃れられるのではないかと甘い夢を見たのだが、しかし、いかに仕事のコントロールが大変だったかを吹聴される一時間では、確実に体温が一度上がる気がしたので、もう一度電話をかけて「元気になったから、やっぱりいいや。仕事を休ませるのも、悪いし」と、きっぱり電話を切ったのであった。
彼女が、孫に会えると半分浮かれていることはわかっていて、かなりいじわるだな、私。と思いながら、またベッドにもそもそと帰っていくのであった。

蠢く。という漢字が頭の中で蠢く。体の中に変な虫が入っているみたいだ。年末にもひどい風邪を引いた。それで今期の風邪はおしまいだと思ったのに、そのあとやたらと眠っている時期があって、やっと時差ぼけも治っていい感じだったのに、どうしたんだ、頑強な私。私は虚弱体質になってしまったのか。養命酒を飲まなければならないのか。やはり週に二度三度のテニスが必要だったのではないか、ちがうか。

ベッドに横たわってにわか身障者気分でパソコンを打っていると、「失う機能」への恐怖がわいてくる。老化は、確実ににじり寄ってきている。痛いの、やだなあ。こんなふうに、つらくなるのかなあ。寝たきりになったら本が読めるからうれしいやといっていたが、活字なんか追えないよなあ。健康でなければ、 いらいらもする、ちょっと当たり散らしたくもなるだろう。若い頃には自分の可能性だけに挑戦すればよかったのに、年を重ねると自分の可能性をなくす数々の痛みに、強引に挑戦させられるのだ。それはきつい……覚悟が必要だろうなあ。
とにかく寝よう。明日は医者に行けるぐらいになって、薬も飲もう。

などとこんなのんびりしたことを書いていた昼間はまだ、よかったのさ。
私史上ベスト5にはいるほどの高熱(熱、出にくい体質なんでたいしたことはない)で一晩うなされて「ああもう死ぬんだ」と思ったのだった。オーバーなんですけど。でも本当にきつかったわ。痛くて、その上寒くて熱いのくりかえしなんだもーん。
あけて12日、今日も一日寝ているのはもったいない。けれど何も出来ないだろう。痛くて寒くて熱くて。いや、なんとか病院に行くのだ。薬をもらって、なんとかしよう。
今回助かったのは夫と同じ苦しみを分かち合っているため、いつになく夫が助けてくれることです。娘を送り出すために朝も起きてくれていたり。
「同じ痛み」というのは重要なんだなあ。

意識をばったり失う感覚で眠ってしまうのは怖い。

そして病院に行ってきました。
A型インフルエンザでした。
今さら「タミフル」を飲むわけですけれども、これで今日の夜からはまともに暮らせるはず、もっと早く病院に行くべきだったわ。ついでに花粉症の薬二週間分と、頭痛薬と咳止めももらって、インフルエンザ予防接種4000円よりお安いわけで、昨日の夜、確かに私は今度こそインフルエンザの予防接種をしようと決心したはずだったが、のど元すぎてさっさと熱さを忘れちゃったのであった。
病院に行く道すがら、久しぶりの外出に喜び勇んで子犬のように走り続けた福助を不憫に思う。すまない、福助。元気になったら、走り回ろうね。出かけに、母ちゃん、尻ポケットに入れた携帯電話が見つからなくて、何度家から電話をかけてもくぐもった音だから場所が探し当てられなくて「出かけられないじゃんよー」って泣いちゃうぐらい、弱ってんだよ。別に出かけりゃいいじゃんね、と、思うんだけどさ。思考も停止していたの。すまないね。

 
 

 2004-2-16
 

夫はインフル・ダイエットに成功したと言うのに、私は全く痩せないの。
ねぇちょっと。同じウィルスじゃ、ないの?
症状まるっきり一緒で、この結果の差は何なのよ。全く、差別しないで!!と、いいたいわ。

「夏場は平気なのに、冬場は汁物を食べると鼻汁が出るのはなんでだ?」
という話題になって、食事をしながら、「ああそれは、気化熱だよ」といってみた。
娘が「気化熱って何? 」と突っ込み、「液体が気体になるときに吸収する熱だよ」(合ってる?)みたいな御託を私が言い放ったところに、「汁と汁じゃ液体から液体じゃねーか、しかも吸収するのは麺だし」と夫が突っ込み、「ああ、関係なかったかー。気体だけに、期待はずれ」程度のオチで頭を抱える一幕……の、準備が、確かにあって、振ったのだった。
ところが、娘は食事に夢中で乗ってこない。いつもはちょっとでもわからない言葉には雑魚のイレ食い状態で食らいついてくるのに、今夜はデザートにミニパフェを用意したものだから、
「うわあ。今日の私は世界一幸せ!!」
と、聞いたこともないはしゃいだ台詞を吐き、とにかくパフェを熱く見つめたまま、がむしゃらにディナーをむさぼっていて、まるで聞こえてないのだ。
さらに、夫が黙り込んでいる。
「……あのさぁ、気化熱って、知ってる?」と、夫。
「知ってるよ、液体が」
「じゃあさ、気化熱じゃないことは、わかるよね? あ。もしかして、わかってて、言った?」
知的にボケたつもりなのに、天然バカ扱いされるほど悲しいことはない。

 世界一幸せなお姫様は、みんなが残したミニパフェ(つまり、そんな味)を、片っ端からたいらげて、お礼にと食器を全部、台所に運んでくれたのだった。全校生徒の前で生まれて初めて表彰されて、興奮して、帰宅してからの行動が変だ。表彰の話を聞いていなかったら、寄生虫でもわいたのかと思う。
ずーっと前に買って忘れ去られていたドリルをいきなりやり出し、「何やってんの? 宿題?」と聞かれて、「いいえ。おべんきよう」と、小さな「ょ」をかなり大きく発音してすましていたり、「やめなー、勉強なんてするとバカになるよー」といつもの調子で話しかけると、いつもなら「うるさいなー」と笑って言うのに、「なんで? なんで馬鹿になるの? なんでそんなこと、言うの?」と悲しそうな顔でシリアスに親を責めるし。
母ちゃんはさ、楽しそうにしているP子が好きよ。たかが表彰されたぐらいで、無理にいい子にならないでいいのよ。と、思う。思うけど、彼女の優等生のふりがかなり珍妙で面白いので、「しばらくやっててみ」とも、思う。
賞状に「考え深い人になってください」とあり、それがP子の寄生虫の卵だったわけだが、最初P子が音読するのを聞いて「感慨深い人ってなんだ?」と思っちゃった。思慮深い、とか、いっぱい考える人に、とか、もう少し他の適切な言い方はないのか?と、ちょっと語句の使い方を注意したくなった。つまりそんな程度の賞状なんだけど、魔法にかかったPちゃん、てきぱき弟をお風呂に入れて、9時前には就寝。机周りもいつになく整理整頓され、明日の用意も万全である。
なかなか感慨深い人になった、今日のお母さんなのだった。

 
 

 2004-2-18
 

義父が肺炎をおこした。
もう、末期なんだということは、入院したときに、医師に言われている。いや、医師は自ら患者は末期であるなんて言わない。そこは、「生きるため」のリハビリ病院なんだもの。
「余命の告知は不可能、奇跡的な回復の可能性が全くないわけではない」
といわれて、
「じゃあ、いよいよ末期になったら尊厳死を」と、リビングウィルの文書を送ったところ、
「この意思の文書に従うと、いま行っている治療は一切できなくなる」
とドクターに告げられ、初めて「義父はすでに末期だったのか」と知った。
そして、末期だけど義母の意のままに延命措置もとられてきた。
もし義父の病院が「死んでいくため」の、末期患者専用のホスピスだったなら、もう抗生物質は投与しないだろう。苦痛をどうやってとるかを医師と相談して決め、残された最期の時間、家族はどう過ごすべきかを考えるはずだ。
でも、「生きるため」の病院だから、今も義父は、抗生物質を武器に、肺炎と戦っている。義母の悲しみを少しでも小さくするために、無言で義父は戦うのだ。
それはそれで、男らしいのかもしれない。
それが義父の意思なのか、問うても、答えはない。

自分の最初の息子が闘病していたとき、私はなぜもっと早く彼を苦しみから解放してやれなかったかと、小さな体に手術まで課して一縷の望みに賭けたのは親のエゴではなかったかと、消えることのない十字架を背負い続けている。ただ一度でいいから何らかの「幸せ」を与えてやりたかった、たとえば「おいしい」「あったかい」「うれしい」……なんでもよかった。だってそうじゃなければ君の生まれてきた意味はなんなの? 一度も楽しいことがなくて、なんで死んでいけるのと、思えてならなかったから。
でも、プラスを与えることだけが愛じゃなくて、マイナスを取り除く正のベクトルだって愛だったのだと、今ならわかる。愛には実にたくさんの形があるのだ。
苦しいことしかなかった息子のわずかな人生だったが、だから意味がないなんてきめつけはとんでもない傲慢だ。そんなことは本人以外が決めることじゃない。月満ちて生まれてくるときがそうであるように、死んでいくときも人は自分でそのときを知るだろう。彼らには彼らの生があり、死があった。その人生は、母である私にとって誇らしく、それ以上の贈り物はないほど立派な、生命だった。 なのに、たくさんの医療器具を抜管しなければならなかった彼らの、生き方も死に方も、私のエゴの上にあったことが、亡くして9年たつ今も私を苛む。

私は、秘境に行くような感覚で天国に旅立ちたい。
息子との再会が楽しみだ。私はたくさんのお土産話を携えて、先に逝って私を待っている親族や友達を尋ねよう。当分退屈はしないだろう。
痛くないのがいい。ま、最期は出産程度の痛みを覚悟していればなんとかなるだろう。誰にも看取られないで一人で逝きたい。そばで泣かれていたら、旅立ちが遅くなる。私の愛する人たちはみんなとても強いから「さようなら」を改めて言わずとも、きっと大丈夫だ。私が心でひとりひとりにさよならを言う。必ず、忘れず、言う。場合によってはありがとうも、付け加えたりする。あるいは、バカヤロ! なんかも。
なるべく質素なお葬式をやってもらって、ちょっと高価な普段着で焼かれるのがいい。私の残した財産といえば子供たちだけだから、気も楽だ。夫は若い後妻をもらう予定だといっていたので、安心だ。

「死」を考えることは、「生きる」ことを見直すきっかけになる。いつか来る死に抗うことはないが、生きる上で大切なものを守るためにはいっぱい抗って、精一杯考えて、力の限り行動してみようと思う。
ひとまず、余命いくばくもないと仮定すると、やるべきことが見えてくる。まずは「平成新山」造成だ。この後、ダッシュで洗濯物をなんとかし、お掃除をしておこう。今生に残す未練があまりに下手だった家事技術の残骸、では、死にきれない気がした。

 
 

 2004-2-19
 

サッカー中継の間にコトンと眠ってしまい、後半が始まって起こされる。
結婚しててよかったなあと思う瞬間だ。
独り者だったらそのまま眠り続けてしまい、久保のシュートで叫ぶことも、そばにいる人と抱き合って喜びを分かち合うこともないのだ。
でも、一人だったら、その後小僧に蹴られて起こされることも、P子のけたたましい寝言笑い(女帝様に何があったのか?)で起こされることも、夫が夜中に夜食をごそごそ食べにくる音に起こされることもないわけで、起こされる幸せと起こされない幸せについて、ちょっと考えていたら、今度は目覚ましに起こされた。また、眠ってしまっていた。

しかし、眠い。咳止めの薬を飲んでいるのを忘れて、昨日の夜はついうっかり、缶チューハイを飲んじゃったもんだから、かなりハイで、えへえへ薄笑いが止まらなかった。まあ、ある種の幸せか。記憶がところどころ飛んでしまっているのが怖い。これ、キッチン・ジャンキーへの第一歩ですか?
「若い頃薬づけになった人はね、年いって、必ずトッポジージョみたいなしゃべり方になるんですよね」
と、最近聞いた言葉をふと思い出し、時々咳止めとお酒のカクテルで、でへへへ気分を味わっていた私としては、大変に怖くなる。繰り返すと、歳いってからあんな声で二語文でしゃべるおばあちゃんの私になっちゃうのか。脳がきっと、外国産のチーズみたいに穴だらけになるんだな。それは、ちょっといやだ。トッポジージョは、私とはキャラが違う。
じゃあ酒焼けしたドラえもんの声あたりならどうよ、というと、あの声質はちょっとセクシーで、ありかな。という気がする。「ぼく、U子ちゃんです。しょーがないなあ、みそ君は」……セクシーではないな。

 
 

 2004-2-22
 

手作りのお菓子はおろか、市販のお菓子もほとんど与えていない鈴木家です。
西原理恵子さんの「毎日かあさん」で、主治医から「頭を使う時期の子供には甘い物が必要」と言われているのを読み、「そそそ、そーだったのか」と思うものの、やっぱり買い物のときにお菓子を選ぶのが面倒で我が家には置き菓子がないのでした。何を買っていいか、わかんない。
お菓子なんて甘美な味は与えられて知ってしまうから欲しくなり、欲しいのに手に入らないからつらいのであって、知らなければ知らない幸せもあるだろう。という、何か処女信仰にもよく似たへりくつで、ほとんど与えないできましたら、P子は甘い物が嫌いな渋い小一になりました。チョコレートや松の実や、いわゆる滋養強壮系の食品で鼻血を吹きます。自閉症に甘い物を与えるのは健常児に覚せい剤を打つようなものらしいので、依存症まっしぐらにしないために、福助には「何か言うことをきいたら」という、ご褒美の餌としてしかお菓子を与えていません。だから、福助はチョコをもらうとき芸をしなければならないと思い込んでいます。
ああ、幼稚園に入ったらまたお菓子三昧の日々だよ、事情を話してわかってもらわないとなあ、でもちっこい子供たちが気の触れたようにチョコレート食べるのを見るたび、ハイパーテンションになるのは食生活も関係あるんじゃないか?などと推測し、いっそみんなでお菓子をやめたらいいのに。と思っててしまいました。
「うちの子、乱暴で」
「やだ、うちの子だって落ち着きないわよー」
なんてへんてこな謙遜合戦を繰り広げている見知らぬままさんたちの会話を公園で聞いて、甘いジュース与えてそれだけ菓子食わせてりゃ飯の量も減るだろう、チョコなんて元々興奮剤だぞ、ちょっと考えろよ。などと、おばちゃんは思っちゃったのでした。こら、菓子の袋はもって帰れって。
なんにつけ、「適量」というのは、難しいよなあ。その加減を教えるのも教育なんだろうが、正直言って、面倒です。
しかし、そんな鈴木家でも、なぜかしょっちゅう、ホットケーキは焼いている。頭が悪くなりそうなほど甘いハニーやらメイプルシロップやら、ホイップクリームをべたべたにして、頂きます。ホットケーキ作りは子供とできる簡単なお楽しみ。福助は毎日ご挨拶のように「パンケーク作ろう!」と言います。本気でつきあっていると、「太鼓の達人・一日30分」「ディズニーチャンネル・一日30分」「英語のビデオ・一日2本」をきっちり日課にする福助なので、昼食はなしくずしに毎日パンケーキになってしまうため、「明日の明日の明日ね」などといってごまかし、いよいよごまかしきれないなあと言う頃、ホットケーキを作るわけです。我が家にはホットケーキミックスが業務用で買い込んであります。スーパーでお菓子を買うよりずーっと面倒な気もするんだけど、パンケーキ用の小さいフライパン(100円ショップ)を用意し、エプロンをつけてあげたりするときにはちょっとわくわくしていたりもするのよね、私。
これはきっと、昔、「朝日玩具のママレンジ」がほしくてほしくて(未だに歌えるCFソング)サンタクロースにもおじいちゃんにも誕生日のときにもいっぱいいっぱいリクエストしたのにまぁぁぁったく相手にされなかったのが、功を奏していると思います。おじいちゃん、私の欲しかったのは新製品の方の綿菓子マシーンではないのだ取り替えてきてくれ使った物は返せないってそんなの大人の都合じゃないのかそもそもプレゼントなのにあけて最初に作っちゃうのはなぜなんだ綿菓子作ってみたかったのはあんた自身なんじゃないかどういうことなんだじじいっ!と泣いて抗議して親にこっぴどく叱られた、苦い思い出。(女帝様P子を責められないか、親の子だと反省する)。私はあの頃、ホットケーキを焼きたかったのだ。とてもとても、焼きたかったのだ。日がな一日、できれば毎日、エプロンつけて焼きたかったのだ。そして大人になって、誰にも文句を言われずホットケーキを焼ける幸せったら!!
後片付けを考えるとかなり面倒なのでさすがに毎日は焼かないが、スーパーでお菓子を買うのが面度だというほどのめんどくさがりが、それでもホットケーキだけは子供と一緒に作ったりしているわけで、子供の頃に与えられなかった喪失感というのは意外に大きいのだなあと思います。
……ってことは、その喪失感で、長じてスナック菓子を馬鹿食いしたりするんだろうかね、うちの子たちは。やはり、少しは与えておかなくちゃならないのかもしれません。お菓子の類い。

 
 

 2004-2-23
 

「おはよー」
と、四時半に起きてきやがった福助は、
「しゃあ! 電車、のろーね」
と、気合もノリノリだ。お出かけは11時だよ、七時までは私の時間。その後一時間は女帝様に仕える時間で、その後は家事の時間だ。
「トーマス、見ていい ?」
と、気分を勝手に盛り上げている。
 都内を電車でぐるぐるするだけで福助はご機嫌。そのうえ、駅構内では楽しそうに走り回っているので、へたに公園でお砂場に陣取るよりずっと運動量が多いかもしれないと思い、仕事場付近に託児所を見つけて一時預かりをやってみたら、これが大ヒットだった。都内の電車デートは、行き帰りの電車で私自身が退屈しないのがいい。本は読めないけれども、ずーっとおしゃべりしたり、くっついて居眠りしたり、なかなか幸せな時間である。ただ、どうみても仕事には見えないので、もちろん時間をうまく設定しないとえらい目にあう。今日はラッシュを外しているので、なんかとってもハッピー。
それにしても、「働く人」たちはどうしてこう、子連れに厳しいのかと思う。遊びにいった帰りなんでしょ、おんぶして当然よ。とばかりに、冷たい視線が降り掛かかり当然誰も席など譲ってはくれないのだ。ええい、将来お前は15キロの重りを背負って立ってみるがよい、と、ケータイメール打ってる元気そうなお姉ちゃんに毒づいてみる。ふーんだ、15キロも太ったら、足首なんか結構つらいんだからね、と、呪っておく。おねーちゃんめ、あんただってやがて中年太りが待っているんだ、ふっふっふっ。私の場合は 20代が53キロなので、15キロの福助にさらに10キロ以上の肉を着込んでいることになり、気分はコッテ牛。まさに、「通勤・着ぐるみショー」である。いずれ同じ苦しみを味わうがよい。
 カッコいい出で立ちのおばちゃんが、「まったく、乗る時間考えなさいよ」と建設的かつ差別的な発言をしたので、ああなんて観察力のない女なんだ、遊びにいったと勘違いしているんだろうが、誰がスーツ着て遊びにいくんだよと問いたかった。小一時間も問いつめたかった。スーツにばってんおんぶヒモで、背負った子供はラフな格好だが大荷物のリュックサックを背負っていて、その母は業務用鞄首から下げている姿を見て、古畑任三郎ならすぐに私の状況を察知するであろう。パートタイムジョブに子供を連れて行くという発想もなくて、創造的な仕事をしていると威張るな女 !
 女の敵は女だなあ。と、知る。想像力が欠落してんだよなあ。自分は「そんな想い」をして電車に乗ることはないと思ってる。「そんな想い」するかもしれないのに。ハンディーなんて、いつ背負うかわかったもんじゃないのに。「そうなったときにはお互い様」の社会の方がずーっと楽なのに。そういう想像力が欠けているのだ。福助つれたラッシュで迷惑そうな顔をするのは、決まって女だった。そういう女はきっと、想像力がないんだ。
別に立っているのはいい、譲ってもらえたらうれしいし、その人の一生分の幸福を勝手に祈り続ける覚悟はできているけれども、実際、満員の電車なら座りたいとも座らせたいとも思わない。もちろん福助には「座りたいと言うな」と指導してあり、それでも「座りたい」と言ったときには即座に引きずりおろして叱りつけるので、福助はそんじょそこらの学生さんあたりよりずっと、公衆道徳は心得ている。なので、周りの大人にご迷惑をかけるとすれば、「踏まないように気を使わせる」ぐらいだが、そのぐらいのことができない人は、電車に乗って私立のいい学校に行く必要はないし、社会に出る以前に修行をし直せと思う。
 まあ、福助にとってもかわいそうなので、時間をずらしたからもう問題はないのだが、何回かいやな思いをした。思い出し怒り、しちゃったわ。それでも福助は電車が大好き。愛すべき、鉄ちゃんである。今夜は、8時にすでに爆睡している。駅を走り回り、電車を追いかけ、ずっと外の景色を追っていたから、さぞ疲れたのだろう。……しかし、これでまた明日4時に起きられた日にゃ、私が困ってしまう。急いで寝よう、と思ったら、もうこんな時間だし !! あ゛ー。日記書いてる場合じゃないじゃん。想像力が欠落しているのは、私かもしれない。

 
 

 2004-2-26
 

ほぼ同世代で、週4日もやっている主婦がいる !!
なんという羨ましさだ。
「ご主人の反応は ?」
などと嫉妬を込めて聞くと、
「まあ、私が機嫌、いいからね。私が怒っているより、機嫌いい方がいいんじゃないかなあ。子供にも優しくなれるし」
そうか。子供にも優しくなれるのか。女帝様には吉報だな。夫に協力を申し出てみようかな。
「でも、そんなにしてて体壊さない ?」
などとさらに意地の悪い嫉妬を込めて聞くと、にこにこ笑いながら
「そうだよねー。テーピングもバカにならないねぇ」
と言いながら、テニスコートのベンチでべたべたキネシオテープを貼付けていた、五十嵐さんなのだった。先月、草トーでベスト4になったそうだ。おめでとう。
ああ、羨ましいったら、ないなあ。
私は週一回のスクールを死守して、月に一度ぐらいはお友達のママテニスにいれてもらい、月に一度の猿テニスに行けたり行けなかったりだ。今度 HALちゃんと草トーにでるというのに、ふたりで一緒に練習する時間も取れない。

仮にこれがエッチだったらちっとも羨ましくないのに、週4日のテニスは羨ましすぎるよね。と、同じ主婦テニス仲間に言ったら「キムタクと週4日なら、テニスを休んでもいい」というすごい妄言が返ってきた。キムタクと週4日……工藤静香の太ももは、私の二の腕と同じぐらいの太さだったことを思い出し、私はやはり、テニスの方がいいと思った。メイビー。
キムタクでなければどうか。
タレントさんとどうこう、というのはほとんど考えたことがないが、もしそんな夢のような妄想が実現するのなら……ええーっと、ええと。松岡修造がいいな。私はヒロミになって、宗方仁ばりの特訓を受けたい。べつにそれは今いっているスクールのコーチでも十分なので、必ずしも松岡修造である必要はないか。そうか。

うまくなりたい。もっともっといいテニス、したいなあ。
なんてなことを考えながら居眠りをしていた。昨日、水曜日の福祉施設で福助の言語指導中、空いてる和室で眠る至福の時間。突然ばたばた走り回る音、お母さん、お母さんと叫ぶ大人の声がする。
「福助くんのお母さんじゃありませんか ? 大変です、福助君がっ」
呼ばれていたのは私だったのか。立ち上がり、部屋にダッシュ。すると、そこで福助がゲロを吐いていた。血圧が低くても起き抜けにこんなダッシュができるのだということに驚く。着替えをとりにいき、後始末をすごいスピードでこなし、最後にゲロまみれの服をビニールにしまうときに、「この試合に負けたら福助の命はないぜ」なんて脅されたらたいていのショットには追いつくし、スマッシュだって決められるのではないかと思った。
時間がないなら、精神力で勝負だ。よし、眠る前にはテニス雑誌でイメージトレーニング !! 腹筋も背筋も、もうちょっと回数を増やしてみよう。
「あのね、お母さんも、 (お昼寝するほど )お仕事大変なんでしょうけど、ちゃんと福助君の様子を見てあげてくださいね」
と、心ここにあらずを見透かされたようにスタッフに注意されてしまった。はーい、お仕事大変なんでーす。睡眠時間削ってまーす。テニスのことなんか考える暇もありませーん。

 
 

 2004-2-27
 

今さらいわれても困ること。

「うんちー。しちゃった」
する前に、言ってくれ。福助。
「うんちどこでするの? トイレでしょう」
一人で語らないで、語るより行動で示してくれ。福助。

「四月保育園入園許可証」
が届く。もう幼稚園のいろいろ、払い込んじゃったし。行政。ひょっとして誰かがお骨折りくださったのかもしれないとちらり感謝はするものの、今さら頂いても。そんなわけで降ってわいた保育園入園話は、断りの電話を夫がいろいろな部署にかけまくって終了。ところが、
「お手数ですが、入園許可取り消し申立書を提出してください」
と、さらに通知が届く。もちろん、幼稚園に行く話は申し込みの段階できっちりしている。なのになんでそんなに二度手間 ? 「納税だの国保だの公共料金だの、滞納しているのは、父の入院など予定外の出費があったからだ。それを埋めるために私が季節労働者になる。だから春までなんとか預かってくれる場所が必要なんだ」と再三、いろんな部署に訴え、しかし結局全く力になってもらえなかった。
同居家族でなければ介護ポイントは認められません。
両親そろって在宅仕事ならなんとかなるんじゃないですか。
今まで定期的に預けていないですからポイントが低くなります。
あ、自閉症ですか……それはいいですね。ポイントになります。
いったい、なんだろう。この会話は。
そのくせ勝手に手続きしちゃって、だから今度は行かない理由を書いて出せ、と。こっちの切羽詰まった理由は全く考慮しなかったくせにと思ったので、理由に「行政への不信感」と書いてみる。もう、今さら怖くないもーんだ。

何が少子化対策だと笑う。女にもっと子供を産ませたかったら、滋養のある物を食べさせて、温かい巣を用意しなくちゃダメだ。それが、生き物の原則じゃないか。国としてもっと人口が欲しいなら、そういうケアを個人に任せてないで、お上はお国でそういうものをきちーんと用意しなきゃ。それこそが対策でしょ、何やってんだ。
どうしても仕事に出なくちゃならない切羽詰まった状況のとき、私は三歳児を小一の娘に託して出かけたことがある。子供が子供だけで冷えたご飯を食べ、お風呂にも入らずに世話もされずに鍵をかけたまま、寒々しい家で眠りについた。これはすでに、あってはならない「虐待」だと思う。父親がとりあえず餌を持ってくるというその責務を果たせないとき、生活保護だの助成金だのという父親がわりはお上がちゃんと用意している。なのに、母親が不在のとき母親がわりがすぐそばにいる、例えば誰でもすぐに利用できる、温かい巣がわりの託児施設や、滋養のある物を作ったり食べさせたりしてくれる安価なベビーシッターは、ほとんどないじゃないか。
それでいて子供を産めって、作るのは好きだし産むのもいいが、どうやって育てろってんだよと問いたい。危機的状態で、ほ乳類が喜んで子孫を残すか ? 「あぶない」と思ってわらわら卵を産むのは、猿に青い柿を投げつけられた蟹ぐらいじゃないのか。
私は自分が仕事大事なあまりにやってしまった「虐待」に心を痛め、男の人の社会で男の人と対等に仕事をすることを早々にあきらめた。けれどもし、私がシングルマザーだったらそうはいかないだろう。お父さん兼お母さんの一人親家庭の、親は、その子供は、何をあきらめたらいいのか。

ああそうか。託児所に入れない人は、生活費の足りない分働くんじゃなく、当然納税など社会に貢献する必要もなく、みんなの税金から作った補助金をお上からもらって、母親の仕事だけすればいいんだ。そういうのを請求できる仕組みにしたらいいのでは……って破綻するじゃん。少子化以前に。
と、国の行く末を憂いていたら、国保の督促がやってきた。
未払分を払うために私は働かなければならず、しかし働くために預ける託児所はない。手足縛られて、どうやって前へ進めと言うんでしょう。ちょっとしたSMプレイになっちゃうわ。もちろん知恵と工夫と体力で乗り切るつもりだが、別の部署とはいえ同じ区役所、言ってること変だよなあ。今さら支払えと連呼されても、困るったら、困る。
連呼も、うんこも、行動で示してくれ。

 
 

 2004-2-29
 

水曜日に福助がかかった嘔吐下痢風邪が週末、私を経由して、今、P子が吐いた後リビングでぐったり眠っている。すごい。感染症って、なんかすごい。目に見えないウィルスがばーりばり増殖してはこの家の中で、その住人に次々引っ越していく。きっと「まっくろくろすけ」のように、わらわら引っ越しているんだなあと思う。ちっくしょー、目に見えたらなあ。手、真っ黒にしても戦っちゃうのにさぁ!!さあ、次はみそ君、君の番だ。今、ウィルスたちは静かに君の所に向かっているだろう。二階の仕事場に忍び寄る、ウィルス。
インフルエンザから脱却して一週間、もうすっかり元気になった頃にまたしても我が家に襲いくる敵。もはやリーサルウェポン、タミフル (抗インフルエンザ薬 )は効かない。さあ、どうする。一家の主の締め切りが迫る鈴木家、大ピーンチ !!

というわけで、今日は私も病み上がりの半病人のくせに、気力を振り絞って大掃除を試みる。飛沫感染が考えられるから、床は消毒するに限る。トイレは特に念入りに磨く。防臭剤代わりにおいておいた香水をひっくり返し、私の右腕はとんでもなく香水臭い。やられた、これもウィルスの仕業か。既に鼻がバカになってしまったが、そんなことに構ってはいられない。
ついでなので、キッチンに飾ってあった小さなクジラの写真を階段に持っていったら、キッチンに入った福助からクレームがついた。
「たーいへん。おかーしゃん、ここに、ないのないの。かじゃるの、ないの」
……なんで君はそんな所を見ているのか ?とびっくりした。つまり、福助はものすごーくつまらない変化に敏感に気づいてしまうほど、どうでもいいところを見て、記憶しているのだった。ということは、あの洗濯物の平成新山や、このカウンターいっぱいのお皿やコップの木立は、彼にとってどうなんだろう。この野趣あふれる我が家の有様は !!
きっちり教えた後片付けは、言われずとも必ずする福助。託児所で、別の子がぶちまけちゃった積み木をひとつひとつ箱詰めして、先生に「もういいから」といわれても決してやめなかった几帳面な福助。彼の将来のためにも、ここはひとつ、おかあさん、がんばらなきゃならないのか。っていうか、世の中のお母さんたちはなんであんなにいつもきれいな部屋で暮らしているんですか ? いつ、誰の家に行ってもとてつもなくかっこいく片付いているのはなぜだ ! それでどうやって、私よりテレビ見る時間を作っているのか。一日 28時間ぐらい、へそくりで隠し持ってるんじゃないか。
玄関とトイレと廊下とリビングを消毒したら、もうへろへろで、キッチンは途中でやめた。乾燥機をかけるそばから平積みされる洗濯物は、寝室でしわしわむくむくと成長し続けている。どこもかしこも引っ越してきたばかりの頃のようでいっそ新鮮だわ。もう、泣きそうな気分で、ふわははは。吐き続ける娘の世話をしながら、ふと子供部屋を見ると、お嬢さんの机周りはとにかくゴミだらけなのだった。ああこれじゃあ病気にもなるわというほどの。……でもこれは、彼女の三歳までの記憶に残っている、我が家のワイルドな真実の姿を再生している結果なのかもしれない。子供は自分を映す鏡だ。もう遅いかな、今からでも何とかなるかな。
子供に施すべき教育の根幹はきっとこういところにあるんだよね、と、だめだめ母さんは思う。整理整頓、掃除の仕方、お出汁の取り方、お米の研ぎ方、洗濯物の干し方、たたみ方。それは男の子にも女の子にもきちーんと親が教えなければならない、大事なお仕事だ。ふぇーん、自分が教わっていないことをどうやって教えりゃいいんだ。「勉強するのが子供の仕事」などといわれていい気になって、長じては「金稼ぐのが私の仕事」とパートナーに甘え続け、結婚してからは「子育てするのが私の仕事」と言い訳していたら、今年40だってのに、このざまだ。ピンチピンチ、大ピーンチ。静かに成長し続けるホコリのマリモ、散らかり続ける無秩序なモノたちの山。そしてウィルス見参、新しい生態系が今ここに。ああ、どこかに家事の先生はいませんか ?

 
 

  
 
日記
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