2004-1 メニューへ戻る

 2004-1-2
 

あけましておめでとうございます。
一年の計は元旦にあり,などという。
和服を着て,おせちとお雑煮を祝い、さて。
子どもたちは太鼓をたたき続け,夫はパソコンで年賀状を作り,私は年賀状の宛名書きをして過ごす。 日の高いうちから飲んだので睡魔との戦いがつらいったら、つらい。
なんか、鈴木家,バラバラです。いったい、どんな1年がまちうけているのだろう。
どんな日々であれ,どーんと来いだ。なんとかなるもんだ。うん。命まではとられない。家族が無事で、この身ひとつ残っていれば,何をしたって食べて行けるものよ……って、いつの時代だよ。

大晦日は、大掃除をあきらめてしまうと意外にのんびりした。毎年ぎりぎりまで磨きあげようとおもったからイケナイのであって,抜くところは抜けばよいのだ。あきらめが肝心だと、主婦暦10年にしてやっと悟る。
お昼を外食にして、帰りに鶏肉や野菜などを買い込む。かつお節と日高昆布で出汁をとって、鶏肉とあわせてお雑煮の汁を鍋一杯作る。煮物、焼き物,炒め物をがーっと作り,お重につめる。こういうときばっかり料理に気合いが入るのも考えものだが、だってしょうがないじゃないB型なんだもん。とお祭り好きな自分を許す。こんなに台所を汚すんだから,大掃除してピカピカにしても空しいってもんよ。
伊達巻きと栗きんとんだけ、市販のお品が欲しいが,どちらもお高い。「おいしいのがあるのよ。体調が悪そうだから、ついでに買ってこようか」と三田ちゃんのありがたいお申し出を断ってまで,6時からの半額セールに照準を合わせた私。なのに、全然半額にならないではないか。強気なのだ、栗きんとん1700円、残りあと3つ。うちにサツマイモがあるぞ作っちゃうかと一瞬考えていたら、別の人がひとつお買い上げで、残り2つ。気が気じゃない娘、半べそで「おせちはお早めにって、書いてあるよー」と、広告のあおり文句を大声で読み上げる。……負けた。年末,最後の負けです。定価で購入。04年の年末は、「三田ちゃんご推薦のおいしいの」にしようと、1年後に想いを馳せる。それで緊張が切れ,寿司を大量に買い込み,無駄にお酒なんかも買っちゃってさー(私のようなタイプは、ひとたび身を持ち崩すととことん行くのであろう)、おでんをつつきながら紅白見て、イッセー尾形の「アトムおじさん」と一緒にカウントダウンした。
シャンペンをあけて、結婚11年目を祝す。地味だが、ま、こんなもんなんだろう。

明けて、年賀状を書き続けた元旦。その晩の初夢は,福助のお尻が猿のように赤くただれていて、猿のように逃げまどう福助をおむつを持って追いかけまわすという、干支絡みで、なんとも縁起のいいものでした。強引だなあ。
……今年は、どうか、心穏やかに過ごせますように。

 
 

 2004-1-7
 

七草がゆの日である。
今日で松がとれるのである。
で、母・ヨシコに新年のご挨拶をするついでに、一緒にシズラーに行き,七種類以上の葉っぱを大量に食べて新春食い過ぎ状態の消化を促す。
促したつもりなのだが,食べ放題のサラダバーだけに、さらに食べ過ぎた気がする、弱い自分。

弱い自分を責めないやさしさが大事よね。
と、言い訳しつつ,この大量の洗濯物と散らかり放題の荷物の山を見て,さすがにうんざりしている。
お正月のお出かけは楽しい。しかし、楽あれば苦あり、後始末はいつも女の仕事だ。
「うへー、渋滞だったね」
なんて、どこの家でもレジャー後のおとうちゃんは、自分がリヤカーをひいて帰ってきたわけでもないのに一人で疲れを背負った顔をして、家まで荷物を運んだら後は風呂に入ってビールかっくらって眠れちゃうが,おかあちゃんはそのあと、もうひと勝負、後片付けが残っているのである。
うちの場合は運転も私が担当するので、昨日、帰宅後はうっかりオヤジ化しており、荷物を運び込む力仕事まで協力してしまった。さらに年賀状がどっさり届いており,夫は印刷屋さんに、私は宛名書き屋さんになって、ばりばり作業。そこに来客があり,てんてこ舞いだった。まったくもって、新春らしい舞いである。
そんな帰省後だもの,夕飯後、夫の20分マッサージを受けたら、オヤジモードのまま酎ハイをかっくらって寝てしまうよなあ。帰省のあとはいつも鈴木家、おかあちゃん、不在なり。

そして、今朝だよ。
朝起きるやいなや、散らかり放題,うんざりの極地ね。なのに母・ヨシコと約束がある。やめりゃあよかったなと思いつつも,夫の親にばかり孝を尽くして自分の親には知らん顔、というのもどうかと思い直し,子どもたちをたたき起こす。
「孫のために働いている」と公言してはばからないババ馬鹿だが、それは彼女の孫であるP子や福助にとって、必須の愛情だと私は信じている。取り上げる権利など、母親風情にはないのである。
まったくいつ片付けりゃあいいんだとイライラしながら、お出かけした。
そういうストレスを抱えているときには、食欲、気をつけなくちゃいけないよね。牛のように馬のように、食べて飲んで、申年の新年だというのに。

ところで、母・ヨシコは「自閉症」という個性的な代名詞が嫌いだ。
「福助は全く普通と変わらないわ」と強調する。
だが、どう見ても普通ではない数字と文字への愛、さらにこだわりの強い個性は、自閉症のそれであり、隠したって仕方ないしなあと思う。
レッテル,というのはなかなか難しく、例えば「東大卒」という自慢のレッテルがあったとして、彼の行動のすべての因果を東大に求めるわけにもいかない。だが、東大卒の名札が時にギャグになるように,できれば自閉症という名札だってギャグにしたい。
福助の場合は、折り合いを付けて,社会と適応して行く訓練はたくさんしているし、まあときどき「ばかだなあ……」と、頭を抱えることもあるにはあるのだが,自閉症でなければであえなかった面白いこともまた、同じぐらいある。ばかな子ほどかわいいという格言は本当だ。無理矢理「彼の世界は輝きに満ちており……」と装飾することもないが、まあ、普通でないというのは、ある意味で特出した才能、福助の場合は天然ボケであると言い換えることもできる。普通でなくていいと思う,そんなことは全く気にせずに福助は福助らしく、変な個性をすくすく育くめばいいのだ。
障害というからかなりマイナスの印象だけど、三歳半でおむつがとれなくても,ご挨拶ができなくても,無理強いはしないで笑っていられるのは,その代名詞のおかげだ。できないことは仕方ないと親があきらめるわけで,だから福助はいつもにこにこ暮らしている。
本当は、健常者だって、そうやって許されていいのだと思う。弱い自分の部分を、追いつめちゃイケナイよなあ。
「悪いレッテル」だと思う心が、自閉症をいけないものにしてしまうけれど、「自閉症という個性」な、だけ。東大の偏差値が70っていうのと、あんまり変わらない「歴然とした事実」なだけなのよ。自閉症=障害=「    」この「    」が、ポジティブな言葉になれば、それが心のバリアフリーってやつなんだろうなと思う。そこについ、ネガティブな言葉が入ってしまうから、孫の福助を自閉症だと認められない、母・ヨシコの生き方はしんどいだろうなあと思う。
好き嫌いの問題なので,克服するのは難しいと思うが、母・ヨシコがいつの日が「うちの孫は自閉症だから、はっはっはっ」と高らかに宣言できる日が来るといいな。
事実は認識するしかないんだし,悲観するばかりじゃなくそこから面白い種を見つけていけたら,なかなかハッピー。彼女としても,生き方が楽になると思う。ま、孫の個性をとりたてて喧伝する必要もない、といえば、ないんだが。

正月の帰省中、夫の実家で,姑がふるびた文集だの通信簿だのを出してきた。
文集を音読して大笑いし,通信簿の先生からの通信で幼少期を推し量り、卒業写真を探して「絶対に当時だったらつきあっていないよなー、髪型,キノコみたいだし」と、楽しいひととき。
しかし何より,夫が幼稚園のときに描いたという画集に震えた。
特出した才能、というよりは異能というか、これはやはりどこか変だ。うますぎる。
「あひるの頭と花火」というタイトル(何を訴えたかったのか,この芸術家は?)の絵以外は、何を描いているのか全て一目でわかる。4歳児の描く視点ではない。色使いも斬新で、塗り方もPOPである。
血圧が高すぎれば問題になるのに、偏差値やIQは高すぎても問題にならないのを、かねてから変だと思っていたのだが,恐いほど達者な絵を見て,「多分、出生時のストレスで、あなたは脳に何らかの欠損があったのね」と納得がいった。欠損、それは才能と紙一重なのだ。
そして、うかつなことに、私は夫の才能に惚れて結婚した以上,福助が別の形で脳欠損があったところで怯むはずがないのよなあ、と、再認識したのであった。

その夫の才能が,今年はちゃ−んと花開きますように。「お仕事」という形で。「収入」という結果で。
さあ、明日からかあちゃんも、始動なのだ。洗濯物と洗い物,片づけものを、やるぜやるぜやるぜ。
今日? うーむ、今日はまだ松の内ってことで。人にやさしく!!

 
 

 2004-1-8
 

寝ちゃったよー。
実は新春から9時にはこどもと就寝、私は3時起きして自分の時間を作るという計画を遂行するはずだったのだ。少し仕事を始めるといっても、私にとっては趣味がひとつ増えるようなものなので、時間を作り出さなきゃならない。となると、削れるのは家事とテニスと睡眠時間だもんなあ。
なのに、寝ちゃったのね、私は、無計画にもね。
夜,眠そうな福助を見て家事を中断、9時から子守唄を歌う。寝かせたらまた再開するつもりで電気もつけっ放し。明日はこの時間までに私も就寝準備だなと反省しつつ,歌い続ける。ところが寝ないんだ、こいつ。なんか夜だというのに小一時間も朗々と歌っちゃてるぞと思ううち,私が眠くなってきた。眠い空気で福助もやっとうとうとしたところに、今度は無駄に明るく夫が帰宅。
「おとーしゃんっ!  帰ってきたー」と勢いよく目を覚ましてしまった福助を見て、お疲れ様も言わずに舌打ちするヨメの私。手でしっしっと追いやられて、黙って風呂に入る夫。父親の悲哀だなあ。
で、再び福助を寝つかせていたら、やはり私も寝てしまったのだった。
9時間も寝た。幼児かよ。
新学期。
やっと今日から、娘が登校後、1時間以上一人の時間だわー。と思っていたのに、福助は起きているのだ。4月から幼稚園なんだし、早寝早起きはいいことだけどね。
さーて、教育テレビに子守りをさせるのも、この辺が限界だなあ。ご飯にしよ。
果たして、うまくリズムが作れるのか,私は時間を捻出できるのか。まったくもー、楽しそうなことが多すぎると思うぞ、今の世の中。

 
 

 2004-1-9
 

9時間の睡眠は、39才の冬に必要なものなのか。
正月にたっぷり栄養を貯えて,頭が「冬眠」か何かと勘違いしているのか。
またしても起きられず,自己嫌悪である。
しかも、昨日の家事は全くはかどらなかった。全く,だ。
まるで何かに呪われたように動けなかった。
呪われるような,何をした?
どうも福助の体調が芳しくないらしく,彼は昨日の昼中、眠り続けていた。4時間昼寝をして,それでも10時に私と一緒に就寝した。「眠り病」とかいうウィルスでも,蔓延しているのではないか。
それで私の体調が万全ならいいのだが,眠り過ぎで頭はぼんやり,体はどこにこんな疲れが?と言うほど,痛くてだるい。ストレッチの効果が出始めているのか、効果がないから痛いのか。
これが世に言う,「お正月ボケ」というやつなのか。
しかもここからまた、三連休だって?
休日モードに惑わされずに,なんとしても早朝起床を実践して,時間を捻出しなければ。リズムを換えるのは難しいんだなあ。このまま、ずーっと眠り続けたら,どうしよう。
でも、ひとつだけ,いいことがある。
お肌が、びっくりするほどつるつるなの。中年の主婦に一番足りないものは、愛でも性でも金でもなく、睡眠時間なのかもしれないなあ。……ああ、むさぼってます。

 
 

 2004-1-10
 

休日の鈴木家。
息子が泣いている。
「コレー,何か書いてあるー」
最近お気にいりの小さな黒板に書かれた落書きが気にいらないと訴えているのだ。
自分が書いたんだろう,それ。変な乱数表。
うるさいなあ、こうすればいいんだよと、素手で消したら、突然号泣された。福助,泣きながら、黒板消しで丁寧に拭いている。
なんだよ,一体何があったんだよ、と戸惑う母。
「70がいいのーってばー」
と、いきなりチョークを突き付られた。大きく70、とぎこぎこ書いてやると,やっと泣き止んで、にっこりする。まだ頬に涙の跡が残っている。
数字の70、それがどんな意味を持つのか,大人にはわからない。

食事の後片付けもせずに横になって西原理恵子著「できるかなV3」を読んでいたら、福助がてとてと走ってきて私の頭をぐいっと持ち上げ、「おちてー(訳・起きて)」と言う。彼は寝っころがっているかあさんが嫌いだ。とうさんがうたた寝しているのは全然構わないくせに,かあさんというのは横にならないものと決めているらしい。
「やだよ、これは正座して読んじゃダメな本だから」
と抵抗したが、
「おちてよー」「おちてー」
と、また目に涙を一杯ためている。こいつ、泣き落しを覚えやがったなと思ってにらみ付けていたら、突然顔を近付けて、ちゅっと私のおでこにキスをした。本を落とす,私。びっくりしていたら,もう一度,今度は唇にキスをし,落とした本を拾ってくれて、
「おーちーてーねー」
と、溶けそうな笑顔で言う。……まいった。これは何? あんたは、イタリア人?
そして私は,それから読み終わるまでちゃんと椅子に座ったまま、まるで「図書の時間」のように、読んだのだった。なんか、とてつもなく奇妙な時間になってしまった。

福助は、キーボードをカラオケモードにして、「踊るポンポコリン」を一人で熱唱していたかと思うと、「おとうさんと遊ぶー」と二階に走って行ってしまった。ところが、おとうさんは娘とパソコンに取り込んだカラオケで熱唱しており,相手にされなかったらしい。下に戻ってきて,またビデオを探している。
天気のいい、休日。もったいないなあ……もっと外で走り回るような、健やかな育て方があるだろうにと、思いながら、またしても11時間も寝ちゃった我が身が重たくて、とても外に行く気になれないのであった。もう、早寝やめようかなあ。

友達が、離婚しようとしている。メールには、弁護士の知り合いはいないかと書かれていた。
もう一人,不倫にカタをつけると決意した友人がいる。
この日記を書いている最中に飛び込んできたメール二通は,なんだかとても清々しく、この日記を書き終わったあと、私はきっとメールを打ち続けることになる。
おばちゃんという生き物は、お世話好きだから,頑張ると決めた友達は、力の限り,応援したくて仕方なくなってしまうのだ。
女は、決心すると強い。その強さに触れることで,だらしない私も強くなれるような気がするからかもしれない。任侠映画を見たあとの、チンピラのようだけど。
だから私は、決意した女が好きだ。戦う女が好きだ。そうだ、二人に西原さんの本をプレゼントしよう、と、ふと思う。戦う女は、いつだってかっこいい。心の姐さん(同じ年だけど)・サイバラは、いつも戦っている。その姿が、勇気と笑いをくれるのだ。彼女たちが男と、未練と、システムと戦いぬくためのお守りとしては最適なんじゃないかしら。

私自身が戦う敵が,睡魔であるのが、情けない。

 
 

 2004-1-11
 

貧乏性で、働き者の女。
それが、男をダメにするのかもしれない。
ダメになる男は、きまって、野心家で夢想家の男だ。
そういう女におんぶにだっこのくせに、そんなこと,なかったかのようにある日突然女を捨てる。夢を言い訳にして,ひどいことを強いる。
友達の離婚話は、他人事ではなかった。
自分の過去と重なって、憂鬱になる。
幸せになりたくて、幸せになれないのはなぜだろう。
そんなに女は、重荷になって歩けないほどの期待を、男にするんだろうか。
何の期待もしないと,期待されなくて哀しくて,男はよそ見をするんだろうか。

友達は、パソコンを持っていないから、この日記を読むことはない。
でも、彼女の夫はもしかしたらこの日記を読んでいる。

ねえ、Mよ、あなたの見た夢は何だったの。
欲しかったのは、富ではなく、温かい家庭なんじゃないの。あなたが求めても求めても,得られなかったものだよ。
横に座っていつだって微笑んでくれる妻と,父親を必要とする子どもの両手こそが、あなたの宝物なんだよ。まじめに働いてさ、ああ風呂上がりのビールがおいしいなとか、今日は上司がまいっちゃったよーなんて言いながら、でもこのぬか漬けのキュウリはうまいなあって。だから、今日はまあ、いいか、って。子どもの寝顔に癒されてさ、今度の休みには、家族で公園にピクニックにいこうか、とかね。そんな些細なところにこそ、幸せが宿っていることに気付かなくて,どうするの。
その手を離したら,二度とつかめない夢になるのに。
あなたの見た幻は,結局誰も幸せにしない。あなた自身も。

でも、離婚した方がいいんだろうなと思う、私。
もし私ならMのような男はさっさと捨てると忠告する、私。
二時間半、電話で話して,ずっと笑っている彼女。
「だってさ、笑うしかないよ、もう」
いつの間にか、本当に強い女になっていた。一緒に海外旅行した時には、ハンバーガーも買えなくて,涙ぐんでいたのにね。その笑いの裏で、どれぐらい泣いたのか、想像できるだけに、心が痛む。

Mに幻を見せたのは、ねずみ講という名の、イカサマ会社だ。どこかで誰かが、Mや彼女の金を巻き上げて、枕を高くして眠っている。私は、人々を泣かすシステムを考え出したそいつを、心から憎む。絶対に許さない。そんなのにひっかかるMを、ばかだと思う。ばかな男を愛してしまった彼女を、愚かだと思う。
けれど,愚かな者ほど、愛おしいのだということも、知っている。
人は,哀しい生き物だなあ。

 
 

 2004-1-14
 

箱を持って、たったか二階まで走っていき、
「おとーさん、ねてるぅー」
と福助が叫ぶ。
その叫びで普通、起きる気がするが、うちのおとーさんは決して起きてこない。
ま、起きてこなくて賢明だと思う。
「ピタゴラスイッチ」という大人も楽しいNHK教育の番組がある。福助は微動だにせずそれを見て,また今日も、
「おとうさんスイッチ、作ってくぅだしゃい」
と言う。おとうさんスイッチ……それは,世の父親にとって、なんとも恐ろしい代物である。
空き箱にシールを5枚貼り,ひらがなを書く。♪曲がるストロー、アンテナにしておとうさんスイッチの出来上がり、なのだ。これが鉄人28号を動かすリモコンの役目をする。「おとうさんスイッチ、あ」とボタンを押された日には,「あ」から始まる動作を有無を言わさずしなければならないと言う、自動おとうさんコントロール・リモコンなのだ。私は今までいくつのおとうさんスイッチを作り、夫は今まで一体どれほどの無意味な行動を強いられただろう。
しかし、構音に問題を抱える,つまり「かきくけこ」や「さしすせそ」や「たちつてと」がうまくいえない福助には、とてもいい練習になるので、工作好きの母親としてはもう、即座に作っちゃうのね。
「おとうさんスイッチ、お。おちるー(起きる)、んー、ないよー」
と、福助は一人突っ込みをしている。か行、さ行、た行しか作らない教育的なおかあさんで、ごめんね。おとうさんスイッチ、おかあさん専用コントローラー・バージョン希望。

ところで、小学一年生というのは、どうしてああも、鉛筆や消しゴムをふんだんになくすのか。
出かけに、ちょっと鉛筆を貸して、と筆箱をあけたら、芯の折れた鉛筆が二本。消しゴムはなし。しかも、名前が書いていないのだ。私が名前を書いた鉛筆は、とうにどこかに行ってしまったらしい。机を見ると,二学期の始めに買った1ダースの鉛筆をすでに大半使い切ったかのように、残り3本、名無しのままペンたてに刺さっている。
いくらP子が冒険好きだからといって、その持ち物まで持ち主に似るものか。しかし、名前が書いてあるのに、なぜ、持ち主のところに戻ってこないのか。なくなった鉛筆は一体どこに行くんだろう。鉛筆をアジアの子どもたちに送る事業があるんだけど、ゴミとして処分されていないことを祈るなあ。
「もったいないおばけ」は、どこにいっちゃったんだろう。
名無しの鉛筆は取り上げて、
「まず,自分の鉛筆を探しなさい。そして,困りなさい。困って、どれほど大事にしなければならなかったのかを思い知りなさい」
と言ったら,いってきますも言わずにものすごい形相で私をにらみつけて、玄関のドアを強気に閉め、P子は出て行ってしまった。
後味の悪い送り出し方だ,どんなことがあっても,必ず笑って送り出すようにしていたのに。今日初めて,イヤな感じで見送ってしまった。あーあ。人間だから、そんな時もあるんだろうけど、くじけるなあ。

お仕事用のメールを書いて、日記を更新したら,午前中が終わった。
まだ私の爆睡は衰えず,3時に起きるはずだった今朝も,7時まで眠り続け、自然に目覚めて快適だったりした。
この、「快適な寝起き」が、悲しくて切ない。
時間が、足りないのに。わかっているのか、オレ?
こうなったら夜、やはり寝かし付けてから自分の時間を、と思ったが、すでに体は確実に21時になると眠くて「作業停止」状態になる。作業停止というよりは、もう生存できないぐらいまで、交感神経がぱったりといなくなってしまう。だから、ゾンビのように風呂に入り,歯を磨き、お肌のお手入れもせずに、片腕を落としそうな歩き方でベッドに入るのだ。それで7時まで眠り続け。夫婦の会話も激減している,私の睡眠のせいだ。なぜ、こんなに眠いのかが謎だ。呪われた糸巻きにでも、触れてしまったか?

 
 

 2004-1-15
 

我,勝利せり。
やっと睡魔との戦いに勝ったみたいだ。昨日は10時に寝て,ちゃんと3時に起きられた。すばらしい!!
ここから娘を起こすまでの4時間は、私だけの夢の時間。ああ、くらくらする。なんて贅沢,さあ何をしよう。
と、おもむろに、掃除を始めて30分を費やしてしまった。
ああ、いかーん。ばかじゃないの、私。仕事場を持たない私は、ダイニングで書き物をするのだが、どうにも散らかっていて気になったのね。
この4時間は、家事をしちゃイケナイのに。では資料を広げて……という前に、また,日記を書いているし。勢いつけるためには,これもまた、よし?

ところで、昨日は、実は、楽しい猿テニスだった。
草トーに出始めてから,試合が楽しくて、誘われるままに誰とでもペアを組む乱交状態を続けているのだが,やはりペアというのは固定してしっかり練習を重ねた方がいいものなのだろうか。スクール限定のトーナメントなどもあったりして,そうなってくると必ずこの人とだけ。というのは、むしろ難しい。そういうことを相談するためにスクールのコーチがいるのであって,聞いてみたところ,
「いろいろ換えてみるといいよ,そのうち、ああこいつは使えねーとか、わかってくるから」
と、敬愛する鈴木コーチはいう。……そのうち、私なんか誰も組んでくれなくなっちまうんだろうなあと、悲しくなった。
猿では久しぶりに「初めての人」、HALちゃんと組ませてもらった。春になったらまた草トーに出ようと約束していたが,全く合わせていなかったら、しばらくやっていないうちに、雰囲気が違っていて驚いた。彼女のテクニックったら,すごいんです。いやー、ここのところテニスの練習をさぼっているという負い目から,私が彼女に依存し過ぎるのである。センターへのナイスサーブでも,ポーチにもでれない。決めのスマッシュは打てない。「強気」は、私の唯一の武器だったのに。強気のない豚は,タダの豚だ。
私のバイブル、杉山貴子著「試合に勝つテニスダブルス・超実践テクニック」(実業之日本社刊)に、課題を決めて練習をしろ、とあったので、猿の試合を使って、足下へのドロップ、打たれてもサイドアウトしてもショートクロスを、徹底的に練習してみたのだが、試合は5-7で競ったものの、自分がひどく身勝手な者のように思えた。ついうっかり「初めての人」だと遠慮がなくなってしまうのは、図々しいおばちゃんそのものであろう。初めての人こそ、大事にしないとね。テニス以外の初めての人は,もう、昔過ぎて忘れちゃったけどね。それにしても、HALちゃんはさぞ、やりにくかったと思う。この場を借りて,ごめんなさい。
その後はとにかく強気で、配球に頭を使って、堪能しました。んもー、負けても面白いから、テニスはやめられないなあ。

と、遠い目で昨日を語っている場合ではないのではないか。
さーて、やるぞやるぞ。とてもうれしいのだが,果たして今日の夜は何時に眠くなるのだろう。夕方,寝ちゃったりしそうだなあ。そこをぐっとこらえて、時差ぼけを直すのだ。がんばるぞー!
と、ごちょごちょ書いていたら,夫が仕事部屋から降りてきて「寝ろ」という。
こんなリズムで生活するのは絶対に間違っている、ヒーターも結局一日中つきっぱなしになるし、太陽に逆らっていいことはない。ちゃんと睡眠をとれ。という。
が、そういう彼は、今まさに,午前4時半、これから床に入り昼まで寝ているわけで、説得力がないぞ、夫よ。
超朝型人間(1日目)と、超夜型人間(何十年来)が同居する鈴木家の運命や,いかに!?

 
 

 2004-1-17
 

土曜日は、家族でゆっくり過ごすのが鈴木さんちのやり方だ。
私が決めた。
レジャーとして外食し、ビデオなどを借りてきて、みんなでゆるゆると見る。
私としては、そのまま東京都内行楽施設めぐりとか、都内遊園地ジェットコースター制覇とかに出かけたいのだが,出無精三人組から全く賛同が得られず、せいぜい半径2キロ以内の移動が許されるだけだが、そこは無理強いしてはイケナイので、飲んだ。

でも、娘が昨日、
「もう家族はいいよ、おとうさんとは夜遊べるし,どうせどこにも連れて行ってくれないんだし。土曜日,お友達と遊んでいい?」
と言った。土曜日ぐらい、家族でコクーンを作っていたかったお母さんとしては、大ショックだったが、コレも成長なのだろう。記録しておこう。
地区班の飲み会があるらしく,子どもたちも集まるのでお祭りみたいになっていると、ネタ元のあゆちゃんが私に説明してくれる。P子はそれに出たいのだ。
「何時からなの?」
「7時だって」
「そりゃ、だめだ」
「なーんーでー? 」
「そもそも、その飲み会にお母さんは呼ばれていないんだよ。子どもだけ遊びに行くとしても,7時からというのは遅すぎるからね。今度,お母さんがちゃんと班のみんなとお友達になって,班の集まりに出られるようにしておくから、そうしたら遊ぼうね」
と、説得する。
ご近所なのでお友達にはなりたいが,正直、お友達になるための時間が捻出できない。誘惑に負けて,また草トーにも出るし。今いる大切なママ友達とすら,ゆっくり語りあう時間がないのに、あいたい遠方の友達だって、メールを書きたい人だってたくさんいるのに、こんなことで福助の幼稚園入園後は大丈夫なのかと不安になる。またたくさん、知り合っちゃうはずだからなあ。
友達は財産だ。そういう意味では、贅沢な悩みだ。でも、お金はいくら持っていてもちっとも困らないだろうに、時間のなさと友達の数が合わなくて,困っているんだよなあ。そしてたくさん失礼が重なって,大好きな人は遠い人になってしまう。
まあ、いいか。
「彼女」と知り合えて、語りあえた経験が消えてしまうわけではなく,私がその人を大好きでいる限り、きっと私にとってその人は友達なんだ。彼女にとっては私などもう、友達でなくなってしまったとしても。

ところで本日、土曜日の昼間、鈴木さんのうち。
夫はブランチのあと、子供部屋のベッドで寝ている。
息子は「太鼓の達人」待ちで、本日2巡目のkipper(子犬のビデオ)を、登場人物になりきって、見ている。台詞覚えがよく、ああお前の生きる道は、「演劇」なのか、と、頭を抱える。
演劇関係の方,ごめんなさい。
娘は何度注意しても部屋中散らかしたまま、変な格好で椅子に座って図鑑を見ている。
片付けられない女として、大きくなったらゴミアパートに暮らすんだろうかと、心配になる。今朝は着替えるのがイヤだ、パジャマで過ごすんだと号泣していた。7才の女帝様の考えていることはさっぱりわからない。叱られると、子豚顔のくせに三白眼で睨むので、恐いやらおかしいやらで,とても困る。
親の言うことを全くきかないっていうのは,親に威厳がないからかなあ。
威厳のある親関係の方,どうしたら威厳が保てるのか教えて下さい。ヒゲでもかくか?

あんまりうるさくせがまれたので,「太鼓」許可を出したら、こっちの方がうるさかった。失敗。
それでも夫はすやすや眠っている大物ぶり。
別にどこにも行かない,何もしない土曜日,とても狭い空間に,ただ4人が好き勝手なことをして一緒にいるだけのことだが、私はこういうのってりした空気が好き。
外は小雪がちらついてきた。寒いから、ヒーターをがんがん焚こうね。おうちっていうのは、あったかいものなんだから。

 
 

 2004-1-18
 

人は、弱い。
いや、私が、弱いのか。
なんでこう、ずるずると寝てしまうかね。あったかい福助の誘惑か。
土曜日はまたしてもゆったり眠ってしまったので、日曜日の今日、思い切って目覚ましをかけてみた。
そしたら案外すっと起きられるのね。止めて二度寝したりしない、偉い私。
さーて、とダイニングテーブルに一面資料を広げ、ちょこっと仕事エンジンが温まってきたとき、
「びぇーん」
と、泣き声。 P子と福助と同じ声なので、よくよく聞く。 P子なら寝言だからいいのだが、福助だと面倒だ。
……福助なのだった。これは寝かしつけるまでに長くかかるかもしれない。と、ため息ひとつ。
「おかーしゃん、おかーしゃん」
と、正座して泣いている。
抱きしめて横にして、「はなでたー」というので拭いてやったら、鼻血なのだった。おとといはP子が学校で鼻血を出している。風邪だということだったが、鼻血吹くなんて、出血熱のようじゃないか。こわいなあ。
「おかーしゃん、一緒にねる。寝ようね」
などと泣かれると、弱い。きっと、半裸のおねーちゃんにおねだりされるオヤジよりも、もろい。
仕方なくパソコンをベッドに持ち込んで、電気もつけずにHPの日記を更新しているかあちゃん。時折軽く咳をする福助。とりあえず横にいると落ち着くらしい。昨日のP子の不機嫌は、風邪のせいかもしれないな。子供は複数いると、この時期、たいてい誰かが風邪をひいているものだ。
新聞配達のバイクの音がする。だが、まだ朝とはいえ、闇の中だ。
こんな真っ暗な中でパソコンに向かっていると、私のお仕事はどうなるのかなあと、不安になる。こんな牛歩でいいんだろうか。イグニッションのあと暖めて止めて。暖気運転だけでエンジン切ったら、そのうち走れなくなるんじゃないだろうか。広げた資料も気になる。でも、横にいる福助は咳込んでいて、アトピーがかゆいのだと訴えていれば、放っておく訳にはいかない。
集中したいときに、子供の存在が邪魔になるというのは、親が抱える十字架だ。趣味でも仕事でも、何が大事なのか優先順位が揺れ始め、どんどんわからなくなってきて、矛盾を起こす。
同時に、妻が専業主婦である男の人たちは、ある種の特権階級であることに気づく。
仕事を中断されることがないだけでも、私から見ると羨ましいほどの恵まれた環境なのに、一蓮托生だから、彼女は完全バックアップ体制なのである。仕事中毒のオヤジみたいだった独身時代は、外で働いて休日は家族サービス ? サービスされたいのはおとうちゃんの方だろうよ。と、信じて疑わなかったが、身勝手な狭い見識を恥じ入るね。専業主婦に休日、夫がサービスをするのは当然だ。仕事における自己実現の立役者は、妻なのだということを忘れてはならない。
今まで、あんまりちやほやサービスされていないことにも気づいてしまったが、これから育児は夫に頼ることも多いので、目をつぶることにしよう。
夜明けまでまだ、時間があり、夜の闇は続くみたいだ。福助は私の腹肉をもんでうっとりしている。ここは、ヒーターを消して、一緒に横になった方がいいかもしれない。福助が寝入るまで、背中を掻きながら抱いていてあげよう。広げた資料は、朝ご飯のときに片付ければいい。いつ読み込みをすればいいのか、原稿を書けばいいのか、私にとっても深い闇が広がっているが、先の見えない不安は、手探りで解決していくしかない。きっと、明けない夜はないのだと信じて。
ここは、仕事中毒になりそうな、弱い私に、警告しておこう。
「目の前に親を求める子供がいて、その子供を抱く以上に大事な仕事など、ない」。

 
 

 2004-1-19
 

女子バスケ、五輪出場おめでとう。
その大黒柱の選手が30歳で「おばちゃんパワー」と発言していたらしい。「おばちゃん感激」の見出しがあって、いったいいくつなんだと読み進めたらまだ 30歳なのだった。これを書いたのは男性記者なんだろうなあと思ったら、案の定で、きっと20代なんだろうと推測した。
あるいは、「女は四捨五入して 20のうちに嫁に行くもんだ」と思っている年寄りか。
現役のバスケット選手では、30歳は珍しいのだと思う。やけに細かく、30歳の誕生日について書いてあったのも、その希少性の現れだろう。でも、多分独身の彼女を (もしちがっていたらごめんなさい )「おばちゃん」の代名詞にするのは、どうよ。マラソンの有森が銅メダルをとった年齢も 30歳にほど近かったと思うが、まだガブ君で苦労する未来を知らない彼女を、誰が「おばちゃん」と呼んだだろうか。
「おばちゃん」というのは、ある種の悟りの境地を開いたものにしか許されない呼称であると、私は思う。経験値は豊富で、人にも自分にも優しい。人目を気にしせず、自由にマイペースで人生を謳歌、生き方は楽ちんが第一義。楽しみ方を知っていて、ちょっとやそっとじゃくよくよしないほど、肝っ玉が据わっていることも条件に挙げられるだろう。
もちろん、都知事が「おば害」を懸念するほどの、パワーも持っていてこそ。
バスケの彼女が、そうでないとは言わない。知らないから。でも、まだ全然若い 30歳で、そんな悟りを開けるものだろうか。と、疑問には思う。まあ五輪に出るほどの逸材なので、その辺の精神力はすばらしいのかもしれない。私が30歳のときにまだまだ未熟であったからといって、彼女がそうだとは限らない。
いや、そうやって考えを整理していくと、「おばちゃん」とは、年齢ではないのかもしれないと気づく。たとえば母・ヨシコなど、未だに「お嬢ちゃん」と呼んだ方がしっくりくるなあと、思ったりする。
あるいはバスケの彼女は、すでに知っているのかもしれない。すばらしき「おばちゃん」ライフを。まだ、あまり公にされていない「おばちゃん」の良さを。

ところで、ふるさと小包便にあとちょっとで手が届く、つまり私の数枚後に書いた人には確実にあたっている数字の年賀状が二枚もあった。こういうのは、同じハズレでも数字が離れているよりずっとくやしい。一枚はとんでもなくご近所からだったので、あたっていれば半分お裾分けできたのにと、まだちょっといい人だったのだが、もう一枚が弟からだったので、これがなんだかすごーく憎らしいのだった。何が入っているのかは知らないが、それが当たっていれば私が独占だったのにと思われ、くやしさが倍増した。普段ほとんど交流がないんだから、住所録にあと2人ぐらい、私より優先していれておけよ ! と、思ったりした。たかが 3等でこんなんだから、これが 1等ハワイ旅行にでもかすっていたら、きっと一生呪い続けてしまいそうだと思い、ぞっとする。潔く忘れることにした。

友達と話していて、成人式の話題になった。 私は都内でアパート暮らしで、休日などなく働かなければならなかったので、その日は仕事をしていた。地元・所沢の祭典も記念品も知らない。仕事を終えて、最後の取材先から祖母の家に 30分ほどで行けると思ったので、何となくごちそうしてもらえることを期待して寄ってみたが、留守だった。
そういうときって、そんなもんだ。
当時はまだ、携帯はもちろん、留守電すら、一般的ではなかった。
でも、私はきっとこのままずーっと働くのだろう。記念すべき日に、働いていたのは尊いと思う。働き者で在り続けよう、この抱負を忘れるまい。と、帰りの電車で想ってみたりしたのを覚えている。
……それなのに、こんな忘れっぽい、そして怠け者なおばちゃんになっちゃったのは、あのときおばあちゃんが留守で、お寿司を食べ損ねたせいかもしれないわ。
でもいいの、今、お寿司が食べたければ、自分の力で食べられるからさ。おばちゃんは、強くたくましくないとね !!

 
 

 2004-1-21
 

火曜日。 P子を送った後、車を運転していたら、携帯が鳴った。
「始まったぞー」
と、夫が言う。福助の発熱が最高潮、多分39度はあるという。アイソトニックドリンクを買ってきてくれとの指示だったので、途中スーパーに立ち寄り、奮発してアイスクリームやイチゴなども買い込む。私が子供の頃は桃の缶詰さえ食べれば治った気がしたので、缶詰も買ってみた。
いつもの勢いはどこへやら、ぐったり福助がそこにいた。
考えてみると、朝起きてからずーっとぐずり続け、午前中はおんぶで過ごしたのだった。昼間にちょっと外に連れ出したのがいけなかったかなあ。ボール遊びも、まずかったかなあ。
P子の英語のため車で送迎も、こういうときにはちょっとつらい。食欲のない福助は、とにかく元気がないのだ。夫が在宅でなければ暖かい部屋に置いておくこともできないわけだなあ、と考えると、ご主人がいつも遅いとか単身赴任とか、そういう主婦たちはいったいどんなご苦労があるのだろう。せめて緊急のときぐらい、仕事を切り上げられる社会的容認があれば、本当にいいよねぇ。少子化少子化って、子供を産まないのを怠慢みたいに言われる世代だが、女一人で複数の幼児をケアするのは、よほどの才能がないと難しいのではないかと思う。そうやって子供を育てた方は、既に偉業を成し遂げていると思う。
なんてなことを考えながら車をすっ飛ばして戻ってくると、駐車場に奇妙な音がする。
玄関に戻ると、太鼓の達人あっぱれ三代目なのであった。
リビングで力強く太鼓を叩いている福助、おいおい、さっきまでのぐったり感はどこへ ?
「なんか……気合いで、治しちゃったみたいよ」
と、夫がそばに付き添って苦笑している。
39度が気合いで治るのか。すごい3歳児だな。なんか、まあ、よかったよ、と思う反面、心配して損しちゃった気分ではあった。イチゴも、高かったしさぁ。

水曜日の今朝。
娘が腹痛を訴える。
「じゃ休めば」とあっさり言った後で、今日は私のテニスがあったことに気づき、
「病院に行って薬もらって、それで学校に行こう、さあ用意しなさい。ついでだから福助もみてもらう」
と言ったら、しぶしぶ行くという。
朝ご飯はコーンフレークに、イチゴを散らして、つぶして食べるとおいしいよとお砂糖をかけたら大喜び。なんて単純なんだ。明日は参観日だとか 25日はリハーサルだとか、楽しそうな予定を話していたら、彼女の鼻の穴がどんどんふくらむ。そしてこれまた、気合いで治ったらしく、元気に出かけていった。

夫は気合いの人で、仕事中はまず体調を崩さない。
「人は簡単に死なないんだよ」
という。そして、大病で倒れたときは死ぬときだと言う覚悟が、山の民にはあるらしい。救急車がつくまでに 30分もかかるようなところだしなあ。そんなわけで、新興住宅地の郊外で育った私とは、気合いが違う。薬いらず、病院嫌いの鈴木さんちである。

さーて、ではやや風邪気味の夫に微熱の息子を任せて、私はテニスの用意をしよう。試合のための顔合わせと、サーフェスになれるための貴重な練習だ。と思ったら、ぶるぶるっと武者震いした。
ふっふっふっ。今度は勝つ !!と、そういうことかしら。ほーっほっほっ。えほっ、ごほっごほ。
あれれ、変だぞ。いや、気のせいだ。気のせいだと、知れ、オレ。と、熱を測ってみたら……。
ああ、はからなきゃよかったなあ。微熱かなあ程度なら、自分で自分がごまかせただろうに。
でも、気合い気合い。明日の打ち合わせまでにまとめるレジュメもまだまとめていないし、気合い気合い。福助だって太鼓小一時間で熱が下がっていることだし、テニスで汗をかいたら案外下がるかも。そうだ、最後は、気合いが勝つ。別にどこも痛くないしね。
じゃ、いってきまーす。

 
 

 2004-1-23
 

気合も寄る年波には勝てない。と知る。
熱に気をとられていたら、腰が痛くなっていた。ひーん。
にわか身障者は、慣れないところがつらい。腰をかばって必ず別のところも痛くなる。
しかも、授業参観で立っていられなくなり、一人だけ子供いすに座っていたのが恥ずかしい。これで私が風俗関係のおつとめをしていたら、あんなことやこんなことができず、全くご商売にならないだろうなあ。などと思う。
その前に、風俗関係ではもう雇ってもらえないという現実もある。
風俗にいく気はないが、「雇ってもらえない」前提は、悲しい。
私はまともに就職というものをしたことがないので知らないが、ハローワークなどにいっても仕事がないのはどんな気分かと思うと、こういうのが、中年の悲劇なんだろうなあ。
がんばれ、リストラされた人たち。
がんばれ、腰痛の私。

ところで、夕方からの打ち合わせで久しぶりに都心にでた。
家路を急ぐ勤め人に混じって、21時台、電車に乗る。
疲れた勤め人たちがまばらな地下鉄の駅に、その一家がゆっくり歩いてきた。
母親と、彼女にそっくりな思春期の娘と、父親と、彼にそっくりな思春期入り口の息子。彼らは実に楽しそうに、他人の目など全く気にせずに、ずーっと話をしているのだった。家族で輪になってみたり、腕を組んでみたり。とにかく家族の距離が近い。何を話しているのか好奇心が抑えきれず、ちょっと近寄ってみたら、聞こえてきたのはハングルだった。父親の言葉に、母親と娘が同じ顔で、この世で一番面白い冗談といわんばかりに笑う。手に、とても小さなTDLのお土産袋があったから、きっとまだネズミの魔法にかけられたままなのかもしれないが、それにしても楽しげなのだった。
まぶしいような気がした。
豊かな時間を、お裾分けしてもらったような気分で、心が温かくなった。
最寄り駅に着くととてつもなく寒かったが、家までの道を早足で歩けば大丈夫だ。P子が中学生になったとき、あんな無邪気な顔でTDLにつきあってくれるのだろうか。と、懸念はよぎるが、とにかく早く帰って、P子と福助を抱きしめたいと思った。腰痛でなければ、駆け出していたと思う。

帰宅した家は、真っ暗だった。
子供たちはとっくに寝ていた。
コートも脱がずに風呂場に行くと、ダイエットのため、自転車に乗って汗を飛び散らせている夫がにっこり笑って、
「おかえりー」
といってくれた。悪くない気分だったのに、なんとなく、オヤジの悲哀、と言う文字が目の前に浮かんだ。
がんばれ、働く日本のオヤジ。そして、働くかあちゃんたち。
がんばれ、がんばれ、腰痛の私。

 
 

 2004-1-24
 

「議長」
と声を張り上げ散会を求める動議を出した。

というのと、

「ぎちょー」
と声を張り上げ散会を求める動議を出した。

とでは、
同じ自民党議員が叫んだ事実なのに、ずいぶんイメージが違う。
新聞に書かれていたのは、後者。では、主語をつけて写してみる。

小渕優子議員が、
「ぎちょー」
と声を張り上げ散会を求める動議を出した。

優子の声が聞こえた、気がした。しかし、優子の仕事への熱意は、魂の叫びは、なんと一記者の独断で、「ぎちょー」と、ひらがなで表されたことになる。毎日新聞、笑いを取るつもりだったのか。っていうか、文章がうますぎて、多分に失礼だと思った。(1月22日14版)

新聞はこういう小さな記事があるから、面白くてやめられない。夫と「これ、読んだ?」なんて、重箱の隅をつついてよく遊んでいる。

今日は、川崎の暴れた新成人の問題。
せっかく記者が取材にきて言いたいことはないのかと紙面を割いているのに、いいたいことは言い尽くしたからもういいんだってさ。もったいない。せっかくなんだから、きちんとシステムなり、個人なり、式典の意義なりを批判したらどうなんだ。説得力があれば、全国から支持されるだろう。口をつぐむんじゃ、子供のいたずらじゃん。
「そいつが、主張すべきときにきちんと主張できるやつなら、20年後は演壇に立つ側になれたかもしれないチャンスだったのになあ」
と、夫が言った。
「そういうのが嫌いだから批判したんでしょ」
「いや、本当に嫌いな人なら式になんか出ないって」
……そういえば、私たちは二人とも式典知らずだ。
じゃあどんな式なら、無理してでも出席したか、という話になり、それは面白い式なら是が非にもと言うことになった。以下、各市町村の首長さんが使いたい場合は、ご一報ください。
1)成人式パイ投げ大会で、「演説する大人」めがけてパイを投げる。
●この場合、パイを投げるまでは子供と見なされるので罰せられることはない。
●「演説する大人」は、素早く逃げなければならない。演説は短いほど当てられる確率が減る。
●パイを投げ終えた瞬間から新成人なので、大人として生きていかなければならない。
●うまく当てることができれば「縁起のいい成人」とする。
●そのうち、会場内でぶつけ合い始めるかもしれないが、パイでどろどろの成人式が地域の新しい奇祭として容認され、村おこしにもなる。
2)出身地域じゃなくてもいいってことにする。
●すると、「北海道長万部生クリーム塗りたくり成人式(仮)」にするか「愛媛市みかんトラック一杯ぶつけっこ成人まつり(仮)」にするか、テーマに合わせて友達同士でツアーが組める。
●そして、今年はどこの市が一番荒れたか、盛り上がりを、よりわかりやすい形で競技として盛り込む。
「やはり、 はァ、水かけ祭りより、派手なのはトマト投げだべ」と、どこの国かわからなくなってもOKとする。
●広告代理店などが入り込み、イベントとして観客動員も見込めるようにすると、観光産業としての収益も上がる。
●着物姿が減り、文化を壊すと言う声が上がったら、呉服屋と組んで、仕込みを入れておく。芸能人水泳大会のおっぱいポロリ役のように。または新素材の和服を作り出してもいい。

いやー、やってみたかったなあ、パイ投げ。パイべっとりでピースサインだして、写真に写るの。和服もべちゃべちゃで、いやー、贅沢な成人式だなあ。(遠い目)。

新聞といえば、今年はセンター試験問題を解く時間がなかったなあ。
大学受験をくぐっていない私は、センター試験をクイズ感覚で気楽に解くのが好きだ。点が低くても、落ちるわけじゃないのがいい。
しかし、全国の受験生の皆さんは、いよいよ、戦っているのだよなあ。
そして、そのご家族も。
メールをくださった方の中にも、受験生が何人かいらっしゃいました。
そのがんばりが、「うれし涙」になりますように。
万一、悔し涙になったとしても、何度でもやり直しはきくんです。成人式できっちり、笑えますように。
人生万事塞翁が馬、ある日いきなり父親の後を継ぐような激動の人生にあっても、職務上の主張を敢えてひらがなで書かれたりしませんように。……やっぱり、あんまりだよなあ。

 
 

 2004-1-25
 

あややの「ね〜ぇ?」の歌詞で「キュートなお米ごころ」と歌っていた娘。正しくは、乙女心、だな。なんとなく、それは「あきたこまち」っぽいなあと、思う。

「あのね、お客様が持ってきたお菓子を出すときはね、なんて言うか知ってる?」
と、父親に得意げにクイズを出す。一般常識のない夫は、いや、知らない。と答える。
「おもらいさんですみませんけど、っていうんだよー」
娘よ、それをいうなら「おもたせ」だ。さすがの夫も、瞬時にそれは違うだろう、と、突っ込んでいた。

やっとカラオケの持ち歌ができた福助。マイク片手に、練習に余念がない。「踊るポンポコリン」を繰り返すのだが、どうしても「いつだって迷わない、エジソンは駅の中」になってしまう。それはやはり、土の中、または墓の中と歌うべきなのではないか。あるいは、エジソンではなく、キオスクだと思う。

「一発芸」で2時間ほど遊ぶ。孫の手、みかん、ラケットなどそこにある小物を次々と「変なもの」に見立てて、笑いをとったもの勝ちというゲーム。これを、3人でまわすのだ。最も受けたのが、孫の手を長い鼻に見立てて「象さん」といったP子の作品だったが、孫の手を股間に当てて腰を振って、「ゾウさん」と言うのは、禁じ手だろうと思う。君は女の子ではなかったか。

福助はクッキーモンスターが大好きだ。そして、彼の食べ方が世界で一番cool!かっこいいと信じている。クッキーを食べるときはもちろん、出来る限り憧れの君に近づきたい。今日はカッパ寿司で、納豆一本巻きをクッキーモンスター食いして、涙目でむせていた。米粒が散らばるのが、いつも、とても困る。

熱川バナナワニ園でお土産に買ったキーホルダーは、福助のお気に入りだ。リアルなワニの口を開くと、口の奥が赤く光る。自分で「ぐわーっ」といいながら口を開けては喜んでいた。あんまりにもそれを持ってきては脅かすので、一度演劇部部長の演技力で「怖いよー」と言ってみたら、以来、私を脅かしにはこなくなった。しかし、時々、思い出したようにこっそりワニの口をこじ開けて「ぐわーっ」とアテレコし、何度か叫ばせては、満足げに引き出しにしまっている。
福助が夫の部屋で、勝手にパソコンを立ち上げてゲームをしているときも、私が二階にあがるその音で脱兎のごとくパソコンから離れる。ドアをあけると、「ノー! 」と両手を上げる。反則なんかしていないと主張するサッカー選手のように。でも、夫がセサミストリートの画面だけを残していくはずはなく、「三歳児の秘密」は、まだまだぬるい。

私は、こっそりしまわれたワニの口も、固く閉ざされた瓶の口も開けられるが、夫のパソコンは開けたことがなく、使い方も知らない。ものすごい勢いで単語を間違えているくせに、パソコンのスキルに関しては娘の方がもはや上になってしまった。ある部分では、既に福助の方が私よりパソコンを使える。「腰が痛いなあ」と言うと、駆け寄ってきては「痛いの痛いのとんでけー」を繰り返し、「いたい、なくなった?」とかなり得意げに聞く福助が、いつまでその呪文を唱えてくれるのだろうと思う。いつまで、こうして休日を、四人で遊べるのかなあと思う。

 
 

 2004-1-26
 

娘がはじめてお誕生日会というものに誘われた。
招待状をいただいてからずーっとプレゼントで悩み続けた娘。そして、母。
相場もわからないし、好みもわからない。まあ、好みは娘の同級生なんだから、娘に任せておけばいいかと思ったら、これまた使えない。
何しろ、彼女の選ぶものが、どーにも、「変」なのだ。普通、7歳児がそんなものを発見するか? と、思われる、香水石けん。大学生が好みそうなポップな手鏡。何に使うつもりなのか、キャンドルとキャンドル立てだったり、ただの箱だったりする。おもちゃの双眼鏡、小型たこ焼き機、文房具だったら和紙の便せんセット。アジア雑貨店では、大理石で出来た卵を買おうとしていた。(もちろん、とめた)。彼女が「これがいいよ、おかあさん」と言うものは、ことごとく不思議で、お好きな人にはたまらない、だけど大半の人にとっては福袋に入れても迷惑なお品、なのである。
んー、プリンセスシリーズは? たとえばティンカーベルのキャラクターグッズは? などと勧めてみたが、「だめだよ、彼女はパワーパフガールズじゃないと」などと、キャラクターを限定しては、そんな子供っぽいものはだめ。と、結構ディズニーに冷たく当たる。未だにティンカーベルをこよなく愛している私としては、何となくむっとしてしまうの。
いろいろ見て歩いた結果、ある日娘が「絶対!!」と瞳を輝かせて私の手を引っ張っていったのは、アクリルキューブに3D彫刻がしてある置物だった。そんなものを欲しがる7歳がいるかーいっ。と言ったら、「私はこれが欲しい。お揃いでこれを買う。もし、彼女がいらなかったら私が二個欲しい」とまで言い張るので、こんなものを欲しがる7歳児は世界でおまえぐらいだと冷たく言い放ち、親の特権で却下した。
その子のママに、私のセンスが、疑われると思うの。
じゃあお母さんがパワーパフを探してきてあげるよ、と、安請け合いして、今日渋谷に出たついでに何軒かお店を回ってみたのだが、ない。ないったら、ない。
「シールをね、箱一杯詰め合わせセットにするのがいいと思うの」
と、P子は別の案を出すが、ソニープラザや伊東屋とかだとね、シールを箱一杯詰め合わせる予算がないの。そういうのはダイソーで、センス勝負するものなの。と、むなしく言い返す。
「ねぇ、P子、アクセサリーはどうかなあ?」
「そういうのは趣味のものだから」
そうですか。
とりあえず、家に戻ってから娘と相談すると、もう、娘は固く決意していたのだった。
「あれ!」
「あれって……、あれ?」
「そう。もう、絶対あれがいい」
「ええー、でも、あんなの、Mちゃんは欲しいかなあ」
「いい。私が欲しいものをあげるのが、一番いい」
……理屈は通っているが、アクセサリーよりずっと趣味のものである気がする。
という紆余曲折を経て、アレを買いに行ったのだった。
置物を喜ぶとは思えず、なんとなくバザーに出されたりするのではないか。というより、プレゼントを開けた彼女が、それ以上にその母親が「こ、こんなもの?! 」と、びっくりするのではないかと、私はとても怖い想いでいる。まあ、ノミネートされた品々を考えれば、まだマシと思ってくれるかも。
私も小学生のお誕生会は、楽しみだった。
小二のときの、クラス一番人気・すずきまさゆき君のお誕生会に、女子はたった二人だけ呼ばれたときの晴れがましさ。彼のお母さんお手製のお返し手提げ袋(ハート形のツートンカラー/白&あずき。今思うとすごいセンス)は、今でもはっきりと思い出すことが出来る。
ああ、そんな時期なのか。と、ちょっとびっくりする。
私が当時呼んでもらった女友達にあげたプレゼントは、全部ネックレスだった。アンカーの形をした、ブロンズ色の300円のネックレスに決めていた。世界で、それが一番かっこいいのだと信じていたから。そのデザインも、覚えている。
女の子らしい女の子だったんだなと思う。
自分の誕生日には、オルゴールを欲しがったり、ぬいぐるみやアイドルのグッズをねだった。結婚するまで私にとってお誕生日は特別で、仕事中毒でも、その日だけは仕事を休んだものだった。
一方、P子は、お誕生日は9月末なので夏休みに前払いで欲しい、その方がたくさん遊べるから。と、要求した。はじめてのお買い物は偽物の魚が泳ぐイオンも出ちゃう照明器具を選んだし、目覚まし時計は音量で決定していたし、キティちゃんのよりロフティーのガーゼ毛布がお気に入りだし、と、非常に実用的である。子供のアニメはちびまる子とサザエさんだけで、アイドルよりお笑い芸人に明るい。慎吾ちゃんよりセイン・カミュが好きだという好みも、まったくもって、私とはずいぶん違う。
ああ、子供といえども、ひとつの人格なんだなあと切実に思う。
でも、やっぱり、どーしても、思う。P子ってば、変な趣味。

 
 

 2004-1-27
 

新聞屋さんも、お豆腐屋さんも、偉いなあと思う。
冬は特に、寒いのでそう思う。
目は覚めているのに、布団から出られない。ああ、このぬくぬくが幸せ。
とりわけ巨大化した猫というか、中型犬ぐらいになった福助がくっついている。毛並みは悪いが、温かい生き物であることには変わりなく、んあー幸せと、暗がりの中、抱きしめてみる。
思うに、この幸せのために人は生き物を飼ったり、恋人を作ったり、そのまま結婚して子供を作ってみたりするんだろうな。猫でも、人でも、寒い冬にそばにいてくれるのはありがたい。
夏になると、もー、あっちいけよ、うら。とか思ったりするに決まっているんですけど。
あ。……は虫類は、夏向きかもしれない。

昨日はものすごーくパワフルな人とお話しする機会があって、パワフルな人を知ろうとする行為は格闘技に近いのだと思った。軽く打ち合わせのつもりでノートを開いていたら、気がつくとノンストップで3時間半、メモの字で埋まったノートが一冊終わっていた。驚いた。
ゴーストライターをする。
TDLのホーンテッドマンションで、書庫に棲んでいる、アレである。
それでも、パワフルな半生記を、加工前の素材から見せつけられるのは、俄然おもしろい。
あ、加工が、私の仕事なのか。
「そういう憑依系(?)の仕事は多分すっごくゆう子さんに向いていると思う」
と、書評家の友人(とかいうと、なんかすごいな。ま、勝手に出世していたから、いいだろう。マンション衝動買いして本人真っ青・読者大笑い/万華鏡ご推薦図書の、だらしな日記のフジタだけど)からもお墨付きを頂いたし、私は「いたこ」としてがんばりまっす。うっす。上梓した暁には、皆様、よろしくお願いいたします。背後霊となって、読者様のハッピーに貢献させていただきます。ホントか?

私は小さな頃から、人のお話を聞くのが大好きだ。たぶん、何よりも好きだ。おばあちゃんの戦前戦中戦後の話なんて、下手な映画なんかよりずーっとわくわくしたし、おかげで近代日本史はいつも臨場感あふれていた。例えば生理用品のない時代、女の子はどうしていたか、知ってます? 教育というにはあまりにも下世話だったが、子供の頃から下世話な趣味は変わらず、人への好奇心は押さえようがない。これが下着とかだったらフェチになり、しかも追求しすぎれば捕まっちゃうわけで、興味が「人」全般で助かっている。
私と交流のあるたいていの友達の恋愛話は、聞かせてもらっている。そこには宝石よりも輝く少女時代や、心の中に美しい泉をたたえている新発見があったりして、その友達をまたも好きになる。まあ中には毒の沼を見ちゃったりする、スリルとサスペンスもあったりして、人って、奥が深い。すごいことをしている人も、してない人も。人間ほど面白いものはないよなあと、しみじみ思う。

 
 

 2004-1-28
 

「思い出し泣き」ができます。
ハイジがクララを叱って、クララが立ち上がるシーンなんか、もう、条件反射のように涙が出ます。10秒で泣くのはぎりぎり厳しいですが、30秒もらえるなら100万円は確実に私のものです。いや、もうそんな番組、とっくに終わっていましたね。

素人ミュージカルに燃えている娘が今度、脚の悪い女の子が立ち上がって歩く、というシーンを演じます。正直、弱り切っています。アニメですら号泣なんです。「ぶりぶりざえもん」(クレヨンしんちゃんの映画)にすら、泣かされちゃったんです。パブロフのクララな私が、娘のそんなシーンに耐えられるんでしょうか。先日リハーサルで初めて見るときに、私は気をそらすべく必死に携帯でビデオを撮りました。おかげで昼日中、たくさんのお母さんたちの前で泣かずにすみましたが、本番ではビデオは撮れませんので、タオルを用意する予定です。
今、卒業式だ運動会だで、必ずビデオを撮りますが、あれはどうなんでしょう? 少なくとも私は写真ですら、集中すると、感動は全くかき消えます。記録ではなく、「記憶」に残しておけば、その場の感動とともにいつだって一番いいところを再生できるのに。というわけで、我が家にはビデオがありませんが、私の脳ライブラリーには傑作選がたくさんあります。もちろん、「泣ける」シリーズも、「笑える」シリーズも、充実。お見せできないのが残念です。からくりTVなら、30万円は確実に我が家のものですのに。いや、ビデオじゃないので、賞金はありえないってやつですね。

「人は誰の為に涙を流す?」
という質問を頂いてしまいました。どうなんでしょう。
頂いたメールは個別にお返しすべきなんですが、面白いテーマでしたのでお返事をそのまんま日記として書きます。ずぶさん、ありがとうでした。本日、禅問答のような万華鏡でございます。

……深く考えずに申しますと、私は「自分のため」以外に、泣きません。感動しているのも悔しいのも、「自分」。泣きすぎると頭が痛くなるなあと思って、この辺で泣き止んどこ、と思うのも自分なら、涙を流してさっぱりするのも自分。涙の中にとけ込んでいるといわれるストレス物質を、「ふっ、排出成功だぜ」とか思いながら、ティッシュをばりばり引っ掴むのもまた私自身でございます。
悲しかったり悔しかったりして泣くことが多かった昔に比べ、悲しいことも悔しいことも年を経て、ずいぶん少なくなりました。これを心の成長と言うなら、育ち盛りでいい感じの昨今です。鈍感になったとも言えるのでしょうが、尖って人を傷つけるコーラの瓶の破片が、波にあらわれて磨かれて、美しい宝石のような小石になっていったみたいなもんで、私はあの磨りガラスの感じが大好きです。
それが、おばちゃんになる。ということです。
おばちゃんは、たいしたことではめそめそしませんが、うれしかったり感動するとすぐに涙が出てきます。思い出し泣きという特技も、年の功だと思います。悲しいことより、うれしいことで泣く自分が増えてくる。年をとるって豊かなことだよなあと思う、ひとつの事例です。
自分のためにだけ泣いてきた私から見ると、泣きの質の変化はこんな風です。
「誰のために泣く?」という質問には答えていないかもしれませんが、悲しくて泣く自分も、自分。うれしくて泣く自分も、自分。どんどんおばちゃん化して強くなると、楽な方に流されて、つらい涙よりうれしい涙が多くなる。でも、どっちの自分も大好きで、どっちの自分も許せるようになります。どちらの涙も心の奥がちょっと痛くて、どちらも泣いた後は少し元気になっています。
そうだ、必ず泣いているときよりは、泣き止んだときの方が、いい状態なんだ。照れくさくて、笑っちゃったりもしてさ。人は、笑うために、泣くのかもしれませんね。
だから、たくさん泣いたら、その分、たくさん笑えるようになる気がしました。

と、私は「なんとか保保子」さんか?
 読んだことないんで、知らないですけど、生き方指南みたいな本だと聞きました。「大丈夫、ぶっちゃけ、涙は心の汗だから」みたいな本を自費出版で出そうかしら。……あのぉ、このタイトルのひどさは、笑うところですんで、念のため。

 
 

 2004-1-29
 

「机を片しなさーい」
と、娘を叱りながら、私の台所の後片付けのいい加減さは何だ。と責める私がいる。
「なんでそんなになくしものばっかりするの」
と、娘を叱りながら、私もよく探しものをしているじゃないか。と責める私がいる。
大人は万能、みたいな顔をして子供を叱るが、遺伝子の仕業なんだからしょうがないよなあと実は知っている。知っていて、あんまりにも自分の嫌なところに似ているので、よけいに腹が立つ。

今日、公園にダッフルコートを忘れてきた!と、慌てて娘がとりにいったが、既にそこにはおいていなかった。探したが、なかった。
で、私はこいう場合、泣きながら母・ヨシコに「ごめんなさい」といい、激しく叱られたのだが、P子は「ないものはないんだからしょうがないでしょ」と言い放って、私に叱られるのだ。
似ている。似ているが、何かが違う。
なんとなく、ここは「ごめんなさい」と言われたかった。うまくいえないんだが、こう、帳尻が合わないと言うか、私が損をしている感じがするのはなぜ?

だらしなさは、忌まわしい血族の証なのだ。と、思う。
思うが、何となく納得がいかない。
母・ヨシコはさんざん私を叱ったくせに今、一人暮らしでだらしなさをエンジョイしているのだ。後片付けもせずにこたつで寝ちゃったり、もう掃除機をかけようにも足の踏み場がなかったり、あの人が仮に死んじゃって葬式の後、あの家の片付けを考えるとぞっとするような暮らしぶりなのだ。
私もまた長じて、だらしなさをエンジョイすれば、それはそれでなんとなくつじつまが合うような気もする。
けれど、私がだらしなさをエンジョイすることはないだろう。散らかっているのを悪だと叩き込まれた私は、実はあんまりにも散らかっている状態になると頭痛がするという、とんでもない条件反射を植え付けられた、悲しき改造人間だからだ。
私が片付けが下手なのは仕方ない、と思っている。それは、血だ。
だが、そんな私が一日家をあけて、片付けないと、玄関の靴はムカデが試着したように乱雑になっていたり、ものすごーい大量のはなかみゴミがゴミ箱の周りにおちていたり、子供のおもちゃが出しっ放しだったり、靴下が片方だけ脱ぎっぱなしになっていたり、 みかんの皮がテーブルにあったり、飲みっぱなしのコップが倒れて机に牛乳がこびりついていたり、ベンチの座布団が床に落ちていたり、毛布がぐちゃぐちゃに棚の上に乗っていたり、ビデオテープが散乱していたり、するのはなぜ? 
つまり、これだけの散らかりを、私は毎日毎日せっせと片し続けていることになる。
下手なのに。不得手なのに。
母・ヨシコの呪いの笛によって、頭痛がする前に片付けてしまう。
疲れているのに。疲れていても。
なんか、かわいそうである。エプロンをつけると、赤い靴をはいてくるくる死ぬまで踊り続ける、踊り子さんのような気分になる。くるくる、くるくる、片付けをして回るのだ。くるくる死ぬまで片付けるのだ。
その悪しき連鎖は断たなければならないだろう。私はP子に決して片付けを強要することも、交換条件を出すこともしないと決意する。それは、言ってみれば、私の愛だ。私の言う「片付けなさい」は、母・ヨシコの言う「片付けなさい」と、呪いと毒の量がはるかに違っているのだ。
なのに、P子は私がちょっと「片しなさいよ」と言うだけで、三白眼で睨みつける。
なんで?
ここは素直に「はーい、わかったー」と言われたかった。私はなんか、とてもとても損をしている気がする。その損を、どこで取り返したらいいのかがわからない。わからないまま、リビングを一人で、またくるくると、片付けるのだ。ああもー、くるくる。

 
 

 2004-1-30
 

昨日の日記に、まるで片付け魔のようなことを書いていて、実際「一般レベルよりかなり下」というのが悲しい。からしのチューブが横たわって、そのそばにポッカレモンが寄り添っている。ちょっとずれて、急須がある。静物画かよ? そんなダイニングテーブルでこれを書いている。夫は夜食を食べ終わった後、明らかに、テーブルを拭いていない。それに気づいているのに、拭かないでそのまま、パソコンをおいて、書き始めちゃう自分。

HPが、いつの間にか一周年を迎えていた。と言うことに、数日たってから気づく。誕生日とか、記念日を覚えておくのがすごーく苦手で。夫もそういうタイプなので、私たちの結婚記念日は1月1日。これなら必ず「おめでとう」ってお酒も飲めるし。

38歳から39歳の一年間は、なかなかいろんなことがあって、ネタには困らなかったなあ。でもきっと、日記を付けていないときは埋没している日常って、やっぱりずーっと、39年もの間、日々事件だった気がする。
十年日記をつけようと思って高い日記帳買ったのに、初年度にあまりにも悲しいことがあり、二年目の日記はどんなに楽しい気分も、去年の悲しみで暗くなってしまうのでやめたことがある。楽しいことばっかりの毎日ってわけでもないけどさ、どんな「困った」も、「ネタだー」と思ってみると、それなりにおもしろがれたのは、公開日記の効用かもしれません。
毒を吐く日記、というのも人によっては必要かもしれないけど(十分、毒、吐いてましたか?そうですか) 私は面倒だから、嫌なことは忘れちゃおうと思う。せっかく「忘れっぽい」という機能を、人より優れた形で神様から授かったんだから、フル活用しなきゃ損だと思っています。はい。

「で、P子ちゃんがお友達のお誕生日プレゼントにしたアレ、とは何ですか」
と数人からメールをもらう。例の、3D立体彫刻が内部に入った、アクリルのキューブです。置物です。趣味のものです。それ本体はとってもいい感じなので、私も個人的に一個、買いました。デパートで似たようなものを見たら、クリスタルだったのか、一桁違っていて、びっくりした。鈴木さんち愛用のお店は、いろいろなものが安くていいです。
小一生が喜んでくれるだろうか。と、苦悩していたんだけど、とりあえず、喜んでくれたみたいだったので、よかったわ。

考えてみると、主婦の何でもない日常をこつこつのぞいてくださる方がいて、そしてときどきくじけているとてきぱき励ましてくれたり、暴走していると間違えを指摘してくれたりするお友達や見ず知らずの方がいる。そういうつながりがあると、人は、ぐれたり出来なくなりますね。実は、これこそが報酬なんだなあと。広告クリックの現金収入じゃなくてね。いや、あの、それもありがたいですけど。
今は立派じゃないけれど、いつか立派な日本の母になろう。ぐらいの大言壮語もとい希望的目標を吐いてみたくなったりするってもんです。
ま、いいよね、二周年に向けての抱負ってことでね。
掲示板もつけていないし(めんどくさいからなんだけど)、読むと得するわけでもないのに……ありがたいよなあ。
というわけで、二年目に既に突入していましたが、また、ゆるゆるとつづけていきたいと思います。ご愛読に感謝しつつ。

 
 

 2004-1-31
 

午前中、小学校へ。
お母ちゃんたちは、テニスボールを机と椅子にかぶせる作業をするのだ。「いまどきの手内職」というかんじが、とてもよかったわー。作業効率を上げるために「エースを狙え!」なんか、歌いたくなっちゃったもの。
出来上がった教室は、テニスボールの黄色がかわいくて、いい感じ。
これによって机を引きずる音がなくなります。自閉症傾向のある子供はなぜか増加の傾向にあり(検査の精度があがったんだろうなあ)、広義では自閉症のお仲間の学習障害やら多動などの子供も、お仲間だけに特徴としてはよく似ていて、音による不快感が健常児より強かったり、集中の途切れがある。だから、テニスボールの消音効果はとても有効なのだ。と、校長先生が言っておられた。
いずれは福助もお世話になる学校が、こういう取り組みをしてくれるのはすごくありがたい。これはもう、福助のお仲間のためにも、力の限り入れて入れて入れまくらなければね。
もちろん、健常児にとっても静かな環境の方がいいだろう。障害児に優しいってことは、健常児にも優しいってことなのだ。「愛していると言ってくれ」で、聾者を演じるとよえつが使っていた聴覚障害者用の枕、アレをヒントに応用して、今、私も活用しているしね。(手抜き家事術にコラム化しますが、携帯をバイブにして、枕に埋め込んで、目覚まし代わりにしています)。
テニススクールでは処分するのにお金がかかる使用済みテニスボールを寄贈できるわけだし、理想的なリサイクルだなあ、と感心する。
先行・切り込み隊は事前に1000個以上のボールに十字の切り込みを入れており、実作業で二時間近くかかったらしいが、私は第三班・かぶせ隊のメンバーだったため、20分で終了してしまった。やるぜやるぜモードだったため、なんとなく前かがみの残念な気持ちを抑えて、お茶を頂く。
こういう、地域の集まりって、腰があがるまでは面倒だけど、いざやってみると意外に楽しいのよね。ご近所とお友達になるというのも、「地元」って感じで、こう、悪くない。ただ、ご近所の悪口は怖くて書けなくなりますねぇ。地域が限定されるのを恐れて、ご近所のことみたいな書き方で書いたら、「それは誰なのか」とママ友達で話題になっていたことがあって、びびったし。ええーっと、一応マスコミの末席にいた以上、このミニコミでも、人物は特定できないよう配慮はしているつもりなのだが……難しいっすね。

帰宅したら、なんだかもう一日の仕事が終わったみたいな気分で。
何かで一度、化粧して外に出たら、そんなもんです。
今朝は目覚ましをかけなかったら、久しぶりにお日様が出てからの目覚めだった。たっぷり眠ったおかげでスコブル健康だが、寝た割にはまだ眠い。腰も痛い。あーあ、やらなきゃならない仕事は山盛りだよ、家事には終わりがないしさ。なのに、だらんとして、ちょっとぼーっとしてたら、時計の針がびゅんびゅん回ってんのな。 あれは、何だ?  ノロい?
だけどさー、主婦にも休みは必要だって。無理にでも休んだ方がいいときって、あるよ。毎日ばりばり働いていたら、いつ疲れを抜くんだって。いっぱい寝たら、機嫌も良くなって、よごれた台所もそんなキーキー、気にしないでいいかもしれないし。お酒の量も減って経済的かも。子供に対しても余裕ができるし。いいこと尽くめじゃん。ホコリじゃ人は死なないし。(福助、ハウスダストアレルギーだけど)。
「プロなんだから、このぐらいは、きっちりこなさなくちゃ」
なんて考えるのは、間違い。完璧主義の主婦の陥りがちな罠。それは、旦那に、
「もっとうーんと稼げ、私の時給はいくらだと思ってんだ 家事のプロなんでございますわよ」
ってプレッシャーをかける悪妻である 。
お外で働く旦那さんが、一分一秒も無駄にせず、ばーりばり集中して働いていると思います? だらしなーく居眠りしている通勤電車の中年を、忘れたわけではないでしょう、我が同志よ。都内の公園や喫茶店や路駐の車の中に、いっぱいいます、日中だらっとした人。
抜けるときには、抜こう。休日ぐらい、まあ、のんびりでいいんじゃないですか。と、誰よりも自分に言い聞かせる、土曜日の夕方。ああ、夕焼け小焼けのメロディーが。朝ご飯の食器もシンクに置きっぱなしなのに、からすも一緒に帰りましょうって、何? 私の数時間の記憶がどこかへいってしまったの?  ええーっと、とりあえず、お風呂でもわかそーっと。日の沈む前に入浴して、ビールだビール。……徹底的におさぼりモードのようですが、これも明るく楽しい家庭経営になくてはならない大事な福利厚生の時間です。無理してでも、休むんです。無理してでも。ねぇ、奥さん!!

 
 

  
 
日記
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