2003-12 メニューへ戻る

 2003-12-01
 

なんか、世情はとんでもないことになっているなあ。
とうとう戦死者ともいうべき犠牲者が出ちゃった。小さなお子さんと、これから出産を控えた身で残された奥様のことを思うと……。これからお正月休みでせっかく一緒に過ごせるはずだったのに,五人家族がきなり四人になってしまったご家族も、痛ましい。
哀悼の意を表します。
それでも、「派兵する」とした政党に投票したのが大多数、それが私たちの民意なのだから,戦争に巻き込まれていくのはしかたないのかもしれない。戦争って,こうやってひたひた忍び寄ってくるのは、残念ながら今までの歴史が教えてくれる。うーん、恐いなあ。大きく成長した福助が、戦地で人を殺すのも,殺されるのも,想像するとゾッとする。団子虫のようにまるまって奇声を発していたら、まず味方から打たれそうだしなあ。
犠牲者は二人,外交官とはいえ、兵隊さんではない人が殺されたのだと思うと、決して他人事じゃない気がする。
派兵しないですむなら、それがいちばんいい。誰も戦死を望まない。だが、派兵しないときのデメリットが大きいからこそ,自衛隊に「行ってくれ」と言っているわけで,命と引き換えにしても得たいほどのメリットがあるはずじゃないか。ということは、そんなに大きなメリットって具体的に何で,それを断った時の不利益は何なのかを、知りたいなあ。とりあえず平和ボケした主婦の想像では、「北の脅威」ぐらいしか、浮かばない。用心棒が沖縄から引き上げたら、やっぱり根こそぎやられちゃうんだろうか。そうならないために、黒沢映画のように、用心棒を雇ったってことかなあ。村人と自らの栄誉のためにあの侍たちは死んだけどさ、……その点は、大丈夫なのかしら? 
その点は大丈夫として,その見返りに酒とか米じゃなく、自衛隊派遣を要求されちゃうんだとすれば、そんなまどろっこしいことしないで、自衛隊を沖縄において自衛したらどうなんだろ。と、思う。それじゃあ無法者がやってきて負けちゃうんだよー、って言うなら,自衛隊ってなんのためにいるんだ? と、思う。そんなへたれなら派兵しても役には立たないだろうし,へたれ呼ばわりしたら命がけの自衛隊の兵隊さんたちに失礼だ。海で溺れても助けてもらえないことは覚悟しなければならない。
なんか、こじれているんだよなあ。その辺,すっきりできないのかなあ。
「用心棒を高い値段で雇わないなら,年貢、高くするよ」って、日本製品排斥など経済制裁を与えられた場合,どのぐらい困るんだろう。コーラが飲めなくなるぐらいなら我慢するけど,輸出制限で仕事がなくなっちゃう人はどのぐらいになるんだろう。そういう試算を、与党も野党も出したらいいじゃないかと思うんだけどなあ。
年金の問題も大切かもしれないけど,戦争になったら平和な老後どころじゃなくて、そもそも年金を支払う若い世代がばたばた戦死しているはずだ。絵に描いた餅になる。私は、福助や男女同権の現在,P子も、戦争にとられて失うのは困る。この「困る」という感情で何か動かせるものがあるかしら。
ああなんとか大事に至らずにおさまりますように。

 
 

 2003-12-02
 

ところで、クリスマスツリーの電飾というのは、寝る時に切るものなのだろうか。
我が家のクリスマスツリーは、光ファイバーの白いやつで、電気でわらわらと七色に光っていないと、遠目ではいかにも作り物の樹氷のようで、なんだか訳のわからない代物になる。だから、「さ、寝よう」と電気を切った瞬間,クリスマス気分はひゅーんと盛り下がる。といって、寝ている時にわらわらやっている必要はない気もする。

年賀状の話をした。
「お粗末顔で、よくとれているよねー」
と、P子が自慢げに言う七五三の写真に、
「それをいうならおすまし顔だろー」
と、クレヨンしんちゃんのみさえのように突っ込む。P子のおしゃべりは最近、とてもおもしろい。その七五三写真を使って、見ざる,言わざる,着飾る。というのはどうか。
「おやじくさーい」
と、おやじに突っ込まれた。
じゃあね、じゃあね,猿と言えば豊臣秀吉,「鳴かぬなら,鳴かせてみせようホトトギス」を家族の性格で作るのはどう?
「鳴かぬなら、テニスにいくぞホトトギス」みそ作、みたいな。
「じゃあ、お前は……鳴かぬなら、訴えてやるホトトギス。ゆう子詠めり、で、どーだ」
勝手な歌の詠みあいでしばらく盛り上がったものの、年賀状の案としては全然使えないのであった。だめぢゃん。しかし,「あけましておめでとう」って書けるのが、こんなに嬉しいなんてね。すでにちらほら届いている喪中はがきのみなさんに,来年は良いことがいっぱいありますように!

最近、私は機嫌がいい。
それもこれも、おぼんこぼんのおかけだ。
珍しく夫と一緒に見た番組のゲストが、おぼんこぼんだったか、中田カウスボタンだったのか賭けたのだ。どうでもいい話なのに,なんとなくかたくなになった二人は意地の張り合いで、なんと,太っ腹,一万円を掛け金にしてしまった。聞いたネタは同じ,それを夫はカウスボタンの演目だったと言う。
ネットで顔を確認。やったー、いただき。
ところが、ちがうちがう、おぼんこぼんなら、オレも顔は知っている,変なラップを歌ったのは、記憶では確かにおぼんではなくカウスだったという。それはもう、夫,力強く言い張る。
うそだー。そんな主張はありえない、真実はひとつなはずだ。記憶だけでは水掛け論だ,ちょっと待てぃ。
番組名を司会者から探り当て,手帳で調べたアリバイから一緒に見た日を特定し,その日の番組表でゲストを確認する。そして,おぼんこぼんがホシだと検証した時には!! 興奮したねー、脳内麻薬、全開放出、打ち止め必至だったねー!! 危うく一万円もらうのを忘れるほどだった。もう、うれしさのあまり、踊り出しちゃうほどだった。
これが土曜日の話。
そして、火曜日の朝に至るまで,ちょっといらいらすることがあっても、「おぼんこぼん」とつぶやくだけで、私にはちょっとだけ幸せがやってくることに気付いたのだ。さて、いつまでもつのか、おぼんこぼん効果。

クリスマスに年賀状。12月はきっとあっという間に過ぎる。
夫も年末進行で徹夜が続き、一万円を私に支払う暇もないらしい。
忙しい。忙しい。でも、忙しい中にも、結構笑っちゃうことや踊っちゃうことが(普通はあまり踊らない?)あるっていうのは、いいことだ。今朝はホントにいい天気。さーて、きゅっとエプロンのひもを締め直して,ガンマンのようにスプレーを握り,しゅっしゅっと掃除するぜするぜ。オレンジエースのジョーと化すぜ。いや別に,ジョーでなくてもいいんですけど。おぼんこぼん、と。

 
 

 2003-12-03
 

P子は英語が大好きだ。
だが大好きな割にはぬるいのだ。
大好き、というからにはもう,骨までしゃぶり尽くすぐらいの情熱が欲しいのに,P子は腹八分で、上品にちょっと残したりする。
英語の劇団に入って、一生懸命公演の日を目指しているP子だが、一度目の前で演じてもらって,あまりの発音の悪さ、台詞覚えの悪さにびっくりした。
さくさく台本を読んでいたが,先生の発音を録音したテープをいかに聞いていないかが露呈してしまい,放置プレイを基本としている母としても,これはちゃんと取り組まないといけないのではないか。と、奮起した。
周りのお母様たちは,なんか、すごいのだ。
いつも、高そうなブランドを着ているし,受験や習い事の情報交換に余念がなく,私は未だにただニコニコ笑っている以外,ほとんど口をきいたことがないのでよくは知らないのだが,このおしゃべり女王を自負する私が、話題を探せないほど、子どもにいろいろ「してあげている」のだ。
私は何もしていないもんなあ。話題に加わる資格がないんだよなあ。宿題の音読ですら,評価せずにサインするだけだし。うう、P子。すまん。

ところで、先生に「ひどい発音は私が放置し過ぎたせいだと思う。特訓モードで家庭学習もやる」と、今さらながら奮起してメールしてみたところ,「P子ちゃんはノープロブレムです」とご丁寧かつ情熱に満ち満ちたお返事が。いちいちもっともな意見で,やはりプロに任せるのが一番だなあと痛感する。この指導者は若いのにできたお人で、個人的に私は大好きだ。
しかし、同時に気付いてしまった。我が家は、「目盛り」が狂っていることに。先生はさぞ,言いたかったことだろうと思う。
「一年生に、一体どんな過大な芝居を求めているのか」と。

特別な訓練を受けたわけではないので絶対音感こそないが,私には苦手な音がとてもたくさんある。音には敏感だ。当然,お歌は三回も聴けば歌詞も曲も完璧にトレースできてしまい,「そこだけ(美空)ひばり」の称号を祖父からもらっていたぐらいだ。P子が歌も台詞もいまだ完璧でないことが、信じられない。
夫も、村では(村では,というところがすごいな)祭りに必ず全員の前で歌うような幼少期を過ごしており、私たちが結婚したのも,夫のカラオケに私が自在にハモリをいれるのが気持ち良かったからなんじゃないかと……。
いや、それだけじゃないですけど、もちろん。(それだけじゃ困るし)。
だから、P子が音を外して歌っていると意外と厳しい夫。そして、福助はP子に合わせて歌いながら、いつしか正確な音を強制。そういう不協和音に「頭がおかしくなるからやめて」と叫ぶ私という、変な家庭で、P子はただ静かに、むりむり、育っているのだった。
多分P子以外、みんな自閉的傾向の、障害と紙一重の変な才能,個性をもっている家族なのだと思う。みんなへんてこな三角形だと、一人だけ安定した丸の形が奇妙に見えるように,一番まともな彼女が、我が家では一番浮いている存在になっているのだろうと気付いてしまったのだ。
「自閉症児が育つには願ってもいない環境です」
と医師は福助の診断の時に言ってくれたものだが,そういう家庭で育つ健常児というのがもっとも悲劇なのではないかと、今にして頭を抱える。
例えば我が家では「P子は集中力がない」と評価されている。
「楽しい」とか「好き」といってもせいぜい一時間しか集中が続かないなんて信じられないと夫も私も思う。同じビデオを毎日必ず4回は見ないとダメな福助は、二時間ぐらいなら砂場でじーっと砂を見ていられる。38時間ぶっ続けでマンガを書き続けられる夫の根気は私には不思議だし,読書している時に話しかけても本当に音が全く聞こえていない私に、夫は気味の悪さを感じてもいるだろう。だから、一時間集中が持たず、呼べば中断もできて,例えば大好きな番組を録画し忘れてもさしたるこだわりもないP子を理解するのは難しかった。どんなテストも全部いつも満点だから見せられてもつまらない。絵も作文も、それなりに優秀で面白みに欠く。足が遅いぐらいの愛嬌はあるが,逆にP子の「これならクラスで一番」という、特出した場所が全く見えないのだ。平均的にバランス良く80点の人は、ダントツで100点か人として怪しい0点を合わせ持つタイプの、「何をご商売にすればいいのか」が大変わかりやすい私たち夫婦にしてみると,逆にわかりにくい。
P子が女帝になるのも,「お前ら,おかしいよ!」という魂の叫びなのかもしれないなあ。
普通の子どもが、普通に暮らしているのに,歪んでいる物差しの家庭にいると,普通に見えない。そうなのだ、私は福助を「困ったなあ」と思うよりずっと「面白いなあ」と思うことが多い。しかし、P子には「助かるなあ」という感想が第一で、「いい子」はいい子でも、「親にとって都合のいい子」にしているのではないかと、先生からのメールをきっかけに、ものすごーく反省してしまった。社会適合性のない三人と暮らすまともな少女・P子の運命やいかに。と、今日初めて自覚したので、書いておく。

 
 

 2003-12-05
 

夫は迷信や宗教や霊や電波が嫌いだ。
私は宗教も持っているし迷信には意味があるだろうし霊や電波も私には見えないけどいてもいなくてもいいと思っている。でも、そういう上位の人や物や光や波が「こう語っているからこうすべし〜」という言葉は基本的に聞かないようにしている。会ったこともなく見えもしない存在に、生き方を指示されるのがいやだからだ。
で、私たちは、お互いその辺には不可侵なのだった。
ところで、とあるきっかけで,先日風水の大御所という方にお目にかかってしまい,なんだか彼がとてつもなくいい人だったことから、初めて風水の本を手に取ってみて、びっくりした。
この家、がっちがち。コレはどこぞの風水の人の意見をとり入れて建てたな。という、風水好きには震えるほどたまらない造りになっていたのだった。さすが、野球選手が現役時代に建てた家だよなあ。
でも、その分奇妙なところもあった。多分(推測だけど)玄関までの階段の数を調整するために,廊下が途中から一段高くなっていたり(つまずかなくなりました)……西側の壁だけ黄色かったり(塗り直して全部黄色くしました)……北に金庫がつくりつけで設置してあったり(撤去しました)……結構きりがないんだけど。
奥様はきっと風水とか全く信じない人だったと思われる。内装の色やカーテンや家具は風水と全く無縁だったからだ。リビングの南窓を飾る紫色の超高級カーテンを「合わないなあ」と思いながらも、そのまま使っている私には意見を言う資格がないけれども。
(だって外してクリーニングに出したら、それだけで何万もしたんだよー。どんなに貧乏くさい我が家の家具にロココ調が合わなくても,そんなに払ったんだから、元とるまで外せないのが人情である)。
しかし、そーかー。運気のいい家に住んでいたのか,私。
そういうのは、うふふ、ちょっといい気分だ。こうなると,その風水の大御所の言うことに従って,来年幸運がやってくる方位を気にかけてしまうから,人間は単純だ。
3500円で干支の黄色い申が赤い玉と白い玉を持っている、開運グッズを買ってこようかと思ったが,きっと夫が嫌がるだろうから、やめた。
そんな運気が上がる家に住んでいるのに、なんかいろいろピーンチ!なのはなぜだろうか。と、読み進めると,「家の栄養は換気と掃除」と書かれていて,頭を抱えた。換気はいいんだけど,掃除、苦手だからなあ。それか。それが原因で、運気を滞らせていたのか? 
まずは平成新山の位置を、鬼門ラインからはずしてみる。いや,かたずけないと意味がないな。それから、観葉植物を買ってきて飾る……って、置けねーよ。あ゛ー。しょうがない,掃除するかぁ!! いつも10分で丸くすませていたが、運気アップという欲にかられると隅々まで雑巾がけ、俄然やる気になっちゃうのよね。
これだから、見えない法則や迷信や人や物や光や波は、恐い。ピカピカになれば、目に見える効果として福助のハウスダストアレルギーも治って、P子の教育上も好ましく、そんな私を夫も気遣ってくれて夫婦円満、仮に運気が上がらなくてもイイコトだらけなんだけど……私は、つらいじゃーん。嫌いなんです、掃除。
さて、どうする?

 
 

 2003-12-08
 

うわ。733。
昨日のカウンターです。
気になっちゃうなあ,原因,分析のしようもなく、観客動員数減り減りの一途をたどっています。
何か巨大な組織の陰謀が? 渦巻くはずもなく,まー、でもこんなもんでしょう、一主婦のべたしゃべりですもーん。まったり、まいりましょう。おほ。

今日は娘の学校でした。
今の時期,PTAの役員さんを決めるのが学校行事です。一年生の母親としての心得は、まついなつきさんの名著「ねじまき小学生」に詳しく,アレを読んでおいてよかったです。
ただ、読んだ通りの展開だったので心の準備はできていたとしても、避けられないのは役員決めの時間なわけで、これがあと何度か繰り返されるのかと思うと、「忍耐力」のない私にはなかなかの修行であります。状況が許すなら,さくさく引き受けて時間の浪費を避けたい気がします。
一人当たりの時間単価を人数分でかけたら、一体いくらになるだろう。パートの時給が仮に800円として一回平均20人参加、それが2時間で32000円。つまり,一クラス約30000円の価値だとして、全学年で約10クラス、つまり一回の話し合いで30万円分の労働対価。それが仮に3回だとして90万円。ねえ、3回集まったつもりでアルバイトして、100万円を役員さんの賞与としたらどうだろう。すぐに決まらないか? 逆にだめか。
ちょっと待てよ,出席した人の中からずーっと立候補を待つわけだから、出席者からお金をとっちゃいかんか。出席しない人だな、それらの人はその間働いて私腹を肥やしているわけだから、時間給の何パーセントかを提供してこそ公平なのではないか。しかし、それでは生活のために働いている人はどうするのか。どこで線を引くのか。うーむ、私のような日雇い労働者は時給に換算するとものすごーく少額になるが、どうしたらいいんだろう。
例えば「PTAの仕事」というのだから、この際、労働に対してギャラを支払うというのはどうなんだろう。それならパートタイムとして自分に合う仕事を選ぶこともでき,雇用のチャンスも増える。求職中の父親や、育児休暇を取った父親などにも、子どもや学校と触れあう仕事のチャンスが広がる。問題は、いくらならペイできるかと言うことだが……。
などと、会議の最中、PTAの立派なボランティア精神に反する野暮も野暮,大野暮なことを考えてしまっていたのでした。すみません。
えぇー、福助がお世話になる暁には,私,仕事もテニスも育児も夫も整理し,喜んで会長なり副会長なり,なり手のない職に立候補致しまして、無駄なお時間を取らせませんので、妄想,ご容赦のほど、何とぞよろしく,よろしくお願いいたします。

……こういうタイプは、尊いPTA役員様になってはいけませんね。
風邪ウィルスの巣窟ともいえる学校に連れて行った福助が、夜になって声変わりしている。世田谷区は幼児医療が無料だが,今週はちょっと仕事があったりして、彼に寝込まれるとものすごーく困る。いや、困っても今週の予定はずらせないため、もし風邪の症状が出たらどうしたらいいのかと不安になる。これが本業であれば,鬼になって彼を置いて行くか,入院させるかを選ぶだろう。そうまでしなければ「本業」として認められないほど,世の中の仕組みは、働く者に厳しい。
うがいだ、みかんだ、あったかくして早く寝よう。もう民間療法総動員で,とにかく今月を乗り切らなくちゃ。
あ゛、なんてこった、私ののども痛いじゃないか……。

 
 

 2003-12-09
 

ボブ・グリーンというコラムニストがいる。
いた、と言うべきかな,淫行で捕まったから。おやじ、キャラクターがちがうじゃねーか。
ともかく、私は彼のコラムが大好きだったし、コラムの彼の行動や考え方も大好きだった。
で、「チーズバーガーズ」という本にあったエピソードだったと思う,自分が幼少期に過ごした家で過ごす夏の数日を書いている話があった。
今日、冬の夕暮れどきに、私はちょっとしたボブ気分を味わった。
吉祥寺の、以前住んでいた家に入ったのだ。もちろん、家宅侵入で捕まらない方法で。

それは私たちがあまりにだらしなく過ごしていたために、作りつけのストーブの裏側に落としたまま引っ越してしまった、その忘れ物がすべてのきっかけだった。
埃にまみれた,本の表紙。しかも、危険きわまりないストーブの裏。業者入れて掃除してもらった分,確かにお支払いしたのに,なんとプロの業者も見落とした忘れ物であった。
「鈴木みそ……そんなマイナーな作家の本の、しかもなぜ表紙が?」
と、不審に思った新たな住人・シンノスケ君が、夫にメールを下さったのだ。普通,本の表紙だけ落としていく人はいない。それじゃ古本屋さんにも売れないし。
「その家はひょっとすると、吉祥寺の?」
柿の木のある,家が有に2軒は建とうかというほどの庭。特徴をいくつか確認すると,合致する。夫はシンノスケ君に「それはオレの住んでいた家でした」とメールを打ったのだった。
私たちが借りていた時より,いくらかリーズナブルになっていたそうだが(聞くなよ>夫)、その分、マメに庭木も手入れされて、大家さんとしてはきっと、とても貸しがいがあるに違いない。っていうか、私たちが出て行った後も、しばらく駐車場だけお借りしていた時期があり、シンノスケ君一家が入居後しばらくしてお礼に伺った時に、
「お庭がねー」
と、大家さんはうれしそうに語ったのでね……。
私たちの時には雑草はやし放題で芝生を全滅にしたからなあ。遊びにきた友達の子どもが庭を見て,「たんぼ?」と聞いたぐらいだったしなあ。こんなところに稲穂が生えるかいっ!と笑いながら、実らない雑草に反省してこうべを垂れてしまう、私たちなのであった。
蚊の大群、毒蛾の大群、その幼虫の(うぎゃっ!!)大群、蝶の大群、蜂の大群、果てはゴキブリの大群、意を決して作った家庭菜園(三日坊主)ではミミズの大群と戦い続けた家でもあった。モグラが庭に出没するんですのよ、奥様。
うへへーん、虫、苦手なんですよぉぉぉ。かくしてサッシは閉め切られ,定期的に植木屋さんを頼んではやたらと費用がかかる家を持て余すようになっていったのも事実である。
今は世田谷の、建ぺい率の部分まで体を横にしなければ通れないような、そこに産毛のような植栽しかない家に住んでいるのも,庭は勘弁して下さい。という前科に似た気持ちの現れだろう。
だが、吉祥寺のそこは、とめと十蔵(うさぎ)が眠っている庭でもある。
未熟児で生まれた初めての子どもを見舞う傍らで、まだ美しかった庭の雑草をこまめに抜き、たくさんの花を植えて彼の帰りを祈ったのも、悲しみを癒すために贈られたおびただしい数の花鉢をベランダで枯らしたのも,台所の土間にありったけの瀬戸物を投げつけて、怒り、悲しみに溺れたのも,そしてたった二人で何百時間も語らい,笑い方も忘れていたどん底から這い上がって夜な夜な爆笑する夫婦になっていったのも,何より新しい命の訪れも、この家と共にあった。
六年間ーー。
P子も福助も,メイドイン吉祥寺なのである。
蚊に喰われながらも,柿の木に吊るしたブランコで遊び,大きくなったP子なのだ。
いつかP子が大人になった時,この家がまだあったなら、ぜひ一度、ここを訪れて見せていただこう。ボブ・グリーンのように。
そして,P子にいろいろなことを話してあげよう。と、思っていた。
過去に借りていた家の、現在の住人とコンタクトできるなんて滅多にあることではない。私たちは数奇なご縁を寿いでいたが、その日が来たのは引っ越して三年目の冬、それが今日なのだった。
メールのやり取りからずいぶんして、突然大家さんから電話がある。別件だったのだが、そのときに
「そうだ店子さんのすばらしいクリスマスイルミネーションを見にこない?」
と誘われたのだ。シンノスケ君と夫はメール友達だと聞きつけた大家さんは、ご縁結びの神を買って出てくれたのだと思う。
庭木をマメに手入れされるシンノスケ・パパさんは、暮らしを楽しむ達人でもあったらしく、庭はこの時期、「すごいこと」になっているらしいのだった。
うきうき喜んで出かけてみたら,それは、本当にすごいことになっていた。
広い庭いっぱい,クリスマス電飾。すてき、すてき、うっとり。
いろんな意味で,イッツ・ア・スモールワールドな気分になった。
外からちょこっと見せていただくつもりで手ぶらで出かけたのに,私とP子は「どうぞ」と招かれ,なつかしすぎる家にもあがらせていただいた。
もちろんアジアンテイスト満載の貧乏くさかった我が家とは趣をかえ,重厚な調度に圧倒されそうなほど、アメリカのお屋敷になっていてびっくりしたが、壁紙も床材もそのままで、つかのま、タイムスリップ。
そして、六年の記憶が、とめどなく溢れ出した。

来年もまた、この時期に。今度はちゃんと、手みやげを持っていこう。
引っ越す時には忙しすぎてほとんど感じなかった感慨を、三年遅れで、ちゃんと味わう。
吉祥寺、いい街だったんだなあ。
忘れがたい、三十代前半を過ごした場所だった。

シンノスケ君、シンノスケ・ママさん、ありがとう。大家さん、ありがとう。
それからね、P子と福助,生まれてきてくれて、ホントありがとう。
 
 

 2003-12-12
 

「全身麻酔をかけ,まぶたの裏側からメスを入れて肉芽腫を取り除く手術を行います」
と言われて,ビビる。
福助にできた「ものもらい」のような物が、細菌感染ではなく「霰粒腫(さんりゅうしゅ)」という脂肪分をお外に出せずに作り上げたプチサイズのコブだと眼科医から説明を受けたのだ。
らくだ福助は、痛くも痒くもないと聞いて,自然治癒の可能性に賭けてみようと思った。三歳では全身麻酔の事故の方が恐い。おめめのプチらくだコブは醜いが、命に別状はない。 とにかく無事に育て上げることが親の最大の使命なんだから。と、思う。

その後,今日は私の歯科だった。四十代を目前にして全面改装中なのだが、福助のらくだショックか、肉体的な疲労がピークだったのか、歯科の麻酔が効かない。久しぶりに痛い想いをし,勧められるままに麻酔を増やしてもらったが、今度は手足が冷たくなって震える始末。心臓はばくばくするし、頭は酔っ払いみたいになるし、なんだこりゃあ。
東洋医学を修めた看護士さんが小指の先をぐりぐり押し、足の指もばりばり揉んで、なんとなく動けるようになりことなきを得たが、こんなことは初めてだったのでびっくりした。
弱ってるんだな,私。
帰宅してインターネットで調べたら、たかが歯科の麻酔でも死亡事故は起こりうるのだと知り,さらにビビる。一応体調と近況は治療前に説明していたが,いままでこういうことがない以上,医師だって加減のしようがないだろう。治療を受けるのは私なのだ。情報と選択肢を与え、最高の技術を提供するのは医師の責任だと思うが、選択、決定するのは患者の責任である。あまりコンディションが良くない時には潔く予約を見送る勇気も必要なんだなと悟った。

思えばアジア旅行中のダイビングなんか、ちょっと風邪ぎみで鼻でもでれば、すぐに予約を取り消したのに。一度、耳抜きができなくなって、痛い想いをしたからだ。現地でとった予約だから,当日キャンセルでもキャンセル料もかからなかった。
時々日本人ツアー客と一緒になって、熱があっても無理して船に揺られていたり、この後帰国便に乗るのに潜っていたりするのがいて、日本のツアー旅行はタフでなければ参加できないのだと知る。っていうか、一歩間違えたら死ぬのになあ。私たちのぬるいアジア放浪新婚旅行よりずーっと冒険している彼等の、命への無自覚を危惧していた。
それなのに、今や私は立派な日本人かあちゃんとして、「予定は予定どおりにきっちりこなすこと」を主眼において、日々、ツアー客以上の目まぐるしさで行動していたのではないか。
そうだ、今朝から体調が悪いサインはいくつも出ていたのに,いい天気だから洗濯物を! 福助の眼科ついでに公園で天日干し! 今日はあのスーパーが特売! P子の舞台衣装に手を入れないと! など、次々に自分を追い立てていた。
予定を決めたのは私なんだから、縛られることないのにさ。
「決めたから」「そうなっているから」「迷惑かけたくないから」……
変な潔癖主義は、結果としてもっと大きなダメージをつれてくるものだ。
例えば私は頑丈だから麻酔事故で死ぬことはないだろうが,フラフラの自転車はかなり危険だったと思う。ああ、そうだよ、そういう時はタクシーで帰ってこようよ。いくら主婦にとって660円が大金でも,タクシー代を惜しんで命を落としたら大変だ。子どもたちをある程度育て上げるまでは、自分も大事にしなくっちゃ。
とりあえず、今日は無事でよかった。
疲れたら、無理せず休もう。
主婦は競走馬じゃないんだもん。体に脂肪をたっぷり貯えてるんだし、そうね、らくだのリズムで、ぽくぽく行こーっと。

 
 

 2003-12-16
 

学校の荷物がじりじりと運ばれてくる季節。
P子のかいたポスターが部屋に転がっていたので、地下室の段ボールにしまっておきなさいと言ったら、女帝様の怒りに触れた。
「どうして玄関に飾ってくれないのっ」
……強気だねぇ。ものすごーく手を抜いて描いた「ざりがに」らしき絵を、私の唯一の財産,内藤忠行さんの「zebla」の写真と取り替えろと? 
母「絶対,だめーっ」
P「なんでよー」
母「写真があるから」
P「取り替えればいいでしょ」
母「だめ」
P「だから、なーんーでー」
母「だめだから。だめったら、だめー」
……子どもの喧嘩である。しかし、それが一番説得力を持つ。本気で自分のザリガニが勝ちだと思っている子どもを説得するのは,なんてったって子どもの目線になることだからだ。

ところで漢字テストで丸がついているものの、書き順が明らかにめちゃくちゃな漢字を訂正したら、女帝様の怒りに触れた。
「そんな字、見たことないし。えー、違う。おかあさんが絶対,違うよ」
……強気だねぇ。漢字を書き始めて半年経たないのに、文部省認定ペン字検定と書道検定2級の私の方が間違っていると?
母「でも、これはこういう書き順なんだよ」
P「なんでよー」
母「なんでって、そう決まっているから。はねるところが違えばバツなんだよ」
P「なんでー。先生は丸くれたもん」
母「それじゃあだめなんだってば」
P「だから、なんでよー」
母「うるさいなーこの子は。だめったら、だめなの。ダメなもんは、だめなの」
……またしても、子どもの喧嘩である。しかしコレは説得力を持たない。なんで?
ほめてほめて育てて、万能感をがっちり持った子どもは始末に負えない。万能感はある時期、確かに必要なのだろうが、「ほめて育てよ」ばかり先行させてはみんないばりんぼにならないか。そこはどうなのよ、文部科学省。勝手に挫折するのを、待てばいいのか。でもいばってる分,きっと今の子どもは挫折に弱いぞー。
たとえば、私が一年生の時に,母ヨシコに「それは違う」なんて、絶対に言えなかった。けど、違うよと指摘されても泣くほどいやだとも思わなかった。思春期になって自分の体も心も知識も鍛えてから、「反抗期」に突入したもんだが……。
母「ふんっ。じゃあ自信を持って一生間違った字を書き続ければいいでしょ、恥をかくのは母さんじゃなく,あなたなんだし」 と、呪いの言葉で言い合いが終了して、かあさん、すごーくイヤな気分だ。こういう呪いは、ティ−ンエイジャーなら跳ね返せるだろうが,7歳児にぶつけちゃいかんのじゃないか。でもでも、我慢できないんだもーん。P子のばーかばーか。……もー、まるっきり、子どもである。
試合に勝って勝負に負けた気分というのを知る、39歳の冬。

 
 

 2003-12-16
 

学校の荷物がじりじりと運ばれてくる季節。
P子のかいたポスターが部屋に転がっていたので、地下室の段ボールにしまっておきなさいと言ったら、女帝様の怒りに触れた。
「どうして玄関に飾ってくれないのっ」
……強気だねぇ。ものすごーく手を抜いて描いた「ざりがに」らしき絵を、私の唯一の財産,内藤忠行さんの「zebla」の写真と取り替えろと? 
母「絶対,だめーっ」
P「なんでよー」
母「写真があるから」
P「取り替えればいいでしょ」
母「だめ」
P「だから、なーんーでー」
母「だめだから。だめったら、だめー」
……子どもの喧嘩である。しかし、それが一番説得力を持つ。本気で自分のザリガニが勝ちだと思っている子どもを説得するのは,なんてったって子どもの目線になることだからだ。

ところで漢字テストで丸がついているものの、書き順が明らかにめちゃくちゃな漢字を訂正したら、女帝様の怒りに触れた。
「そんな字、見たことないし。えー、違う。おかあさんが絶対,違うよ」
……強気だねぇ。漢字を書き始めて半年経たないのに、文部省認定ペン字検定と書道検定2級の私の方が間違っていると?
母「でも、これはこういう書き順なんだよ」
P「なんでよー」
母「なんでって、そう決まっているから。はねるところが違えばバツなんだよ」
P「なんでー。先生は丸くれたもん」
母「それじゃあだめなんだってば」
P「だから、なんでよー」
母「うるさいなーこの子は。だめったら、だめなの。ダメなもんは、だめなの」
……またしても、子どもの喧嘩である。しかしコレは説得力を持たない。なんで?
ほめてほめて育てて、万能感をがっちり持った子どもは始末に負えない。万能感はある時期、確かに必要なのだろうが、「ほめて育てよ」ばかり先行させてはみんないばりんぼにならないか。そこはどうなのよ、文部科学省。勝手に挫折するのを、待てばいいのか。でもいばってる分,きっと今の子どもは挫折に弱いぞー。
たとえば、私が一年生の時に,母ヨシコに「それは違う」なんて、絶対に言えなかった。けど、違うよと指摘されても泣くほどいやだとも思わなかった。思春期になって自分の体も心も知識も鍛えてから、「反抗期」に突入したもんだが……。
母「ふんっ。じゃあ自信を持って一生間違った字を書き続ければいいでしょ、恥をかくのは母さんじゃなく,あなたなんだし」 と、呪いの言葉で言い合いが終了して、かあさん、すごーくイヤな気分だ。こういう呪いは、ティ−ンエイジャーなら跳ね返せるだろうが,7歳児にぶつけちゃいかんのじゃないか。でもでも、我慢できないんだもーん。P子のばーかばーか。……もー、まるっきり、子どもである。
試合に勝って勝負に負けた気分というのを知る、39歳の冬。

 
 

 2003-12-17
 

「おかーしゃん、ほら。新幹線,笑ってるよー」
といわれて、すり切れるほど見ている乗り物ビデオを一緒にチェックすると,なんという新幹線かは知らないが,確かに笑っている。目は四角くて人相が悪いのが多いが、たいていお口は笑っている。
新幹線は、見ようによってはとてもかわいい。ご存じでしたか?

今日は福祉施設の日だった。
生まれて初めてマジックミラー越しに部屋の中を観察するという機会に恵まれる。こっち、暗いのねー。撮影も出入りも飲食禁止なのねー。音声モニター入れなかったので,声が聞こえない。最初は物珍しくて手を振ってみたり顔を近付けたり遠ざかってみたり自分をガラス越しに映してみたり、いろいろしてたんだけど、福助はこっちを見ないし,対面の鏡にも自分は映り込んでいないし、だんだんつまらなくなってくる。
結局、福助がどうこうと言うより,自分の睡魔との戦いになってしまった。こっそりチョコレート食べて「規則やぶりだわ」なんて、ドキドキしてみたり。
福助は少しずつ新しい先生にも慣れてきている様子。相変わらず「こんにちわ」も「さようなら」もいえないけど、楽しそうに遊べていてよかったよ。私ほど眠くもなかっただろうし。

帰宅後、P子のお迎えに。
友達の家というのが、ラブホのおそばだったのだが、このラブホのせいで環境が悪くなるのではないかと抗議していた保護者がいたんだよーと聞いて驚く。
そうか。考え方は人それぞれなんだなあ。私なんか、せっかくだし一度はご利用してみたいものだ。まあ子どもが大きくなったらそのうち必要になるんだろうなあ、なんてぼんやり好意的に考えていたのだった。
吉祥寺に最初に住んだ時には、「旅荘」に至る路地ぞいだったが、「環境がっ」などと考えたこともなかったし、新宿から歩いて新大久保のマンションに帰る時には、外国人ホステスさんが立っているラブホ道を通るのが近道だったし、私の所属する教会に日曜日に礼拝に出かける時には、駅から、今まさに出てきたカップルとずーっとすれ違いながらラブホ街を行くことになる。稀に朝だというのに熱愛ビームをまきちらしているカップルもおり、目のやり場には困ったが,「尺八指導/小唄」の看板も下町らしく出ていたりして、別の意味でドキッとしたりして、なかなか面白い場所だなあと思ったりしていた。
みんな、するときはするわけだし。健全に青空の下で。というわけにも、ねえ。
その保護者は、きっと子どもに聞かれてすごーく困っちゃったんだろうなあ。あるいは、その建物を見るたびにいろいろ想像をはり巡らせちゃうんだろうなあ。入り口でばったり2軒隣の奥様に会ってしまった、とか。それが自分の知っているご主人ではなかった,とか。「夏休みのラジオ体操で見かけたもの、まちがいないわ……第一、20歳も年下と思しきイケメンを、一体どこで?!」と、自分の旦那の太鼓腹が空しく思えるA子46歳。もはや昔の勝負パンツは処分たわよ。今夜のばばシャツは血行をよくすると評判で、しかも縁起のいい赤なのだけど……。
なんてな。ああ、想像が暴走するぅぅぅ。誰か私を止めてぇぇぇ。

夜。
福助とお風呂に入っていて、「お湯」がどうしてもわからないらしい。「タップ(蛇口)、みーじゅ」と、どこまでも「水」なのだった。「お湯っていうんだよー」と言っても,「ちやう。ホットみーじゅ」「これ、あつぅい、みーじゅ」……真剣に私の言っていることを訂正する。
P子といい、福助といい,人の言うことを信じねぇたぁ、いい根性だ。ども私は親として信用がないらしいなあ。
「のーのー。こぉれぇは、Oh,You! ヘイ、ユー。ほっ・わら・いず・お湯」
とふざけて言ったらやっと「オー、You」と復誦してくれた。蛇口も「じゃぐーじ」。ぶくぶく泡立てるか? 手桶は「て・OK」の発音だった。外人かよ、と、つっこんでおく。
「家庭では、英語でなく、ちゃんとした日本語を使いましょうね」
と、今日、言語療法士に指導されたばかりだというのに。
残念だなあ。おもしろいんだけどなあ。
欲しがったのでノートをあげたら、「氷」らしき立方体を描いた。ほめてみたら、全ページに渡って箱形を描きつづり、そのノートを昨日は1日離さなかった。さっき、そのノートが手もとにないことで泣いていたが,P子と遊んで大笑いしているうちに忘れたらしい。そして、ビデオを見ているのかと思って、今、見てみると、ストーブの前でうずくまって寝ていた。勝手に寝ている福助は、いつもちょっと笑っている。そして必ず、一番暖かい場所にいる。猫かよ、と、つっこんでおく。

今日は、なんでもない1日。平和で、やっぱりよく笑った日。

 
 

 2003-12-20
 

烏骨鶏、という鶏がいる。
で、なぜかこいつらの産む卵は高い。
理由は知らない。

烏骨鶏の有精卵が手に入る秘密の場所を仕入れたので,わくわくしながら出かけて行ったら,今日はもう売り切れなのだった。農家のおばちゃんを捕まえて直訴したら、「いつもあるわけではない」という。放し飼いの烏骨鶏の有精卵を買い占めるつもりで出かけて行ったのに。おばちゃんは片ほほで笑っていた。
「運がよければね」というアテレコが聞こえたような気がした。

こうやって値がつり上がって行くのかもしれない。
食べられないとなるとますます食べてみたい。
休日は農家の店先販売もお休みだというので、近日再度挑戦する予定。卵好きの友達の分もゲットしなければと、気持ちは異常に前向きになっている。
これは賭けに似た高揚感だ。「運がよければね」……烏骨鶏め、次回,私の強運を思い知るがよい。子孫が絶えるほどに、買い占めてやるのだ。
しかし、こんなことで高揚できるのは、主婦の才能だと思う。パチンコ屋の駐車場で、子どもを室内に入れたまま殺してしまうこともない。

賭け、といえば、ドリームジャンボ宝くじ。だが、今回は買おうかどうしようか、ものすごく迷ってやめた。
3000円あったら、豪華なご馳走がつくれるじゃないか。なんたって、定価でいい肉が買える。
前回サマージャンボでは、ビギナーズラックを信じたのに、3000円が300円になってしまって、すごくショックだったので、宝くじを買うことはもうないのだと思う。
2700円で何が買えるか、例えばバンコクなら。などとしばし考えてしまった。屋台で15バーツ、うーんと贅沢して30バーツのご飯を食べたとしても約30食分。うう、10日分の外食費だぜ。台所に立たなくてもいい夢の時間がそこに。
スケール、小さいなあ。んもう。
3億あたったら、3000万ほど教会に寄付しますからと真剣に祈ってもみたのに、神様が与えたのは300円だもんなあ。現世利益を追求しない昔ながらの神様は、なかなか「いけず」である。

今月はなかなか厳しい。
サンタクロースの代理としてプレゼントを購入してきた。
締め切りで忙しい夫だが、しっかり連係プレーをとり,私がごく自然に一人で買い物にでかけられるようにしむける。
夫は嘘が下手だ。ランジェリーパブ、そのあともっと怪しい場所で遊ぶご接待の時には思いきりバレバレで、あんまりにも嬉しそうでかわいくて、
「ああ、よかったねぇ。今夜はランパブかい?」
とついうっかり聞いてしまったために、夫がひいてしまい、その日の接待を断ったという経歴の持ち主だが(何も断らなくても,とは言ったが,ばれてしまったら行きにくいとのことだった。世の奥様の勘をなめてはイケナイ,ご主人衆)しかし、今回は、ものすごく上手に嘘をついている。
デパートでは、かあちゃん一人、リクエストのお品めざしてまっしぐらである。
生きた伊勢エビ(4才),特別な見蘭牛の牛肉(5才)ときて、「ココパット」というおもちゃ(6才)に続き,今年は「とっておきのものを何か」と、はがきに書いていた。7歳児よ、もうちょっと具体的に欲しいものはないのか。
そのあと、「英語のドリル」とか、「キーボード」とか、「金沢の老舗のお漬け物」とか、いろいろ変化していたが。
サンタはご馳走便ではないので、今年は見てくれで威圧する「大物」にする。
いしかわじゅん
さんがとっているアンケートによると、サンタを信じるかどうかのターニングポイントは小3あたりのようなので、あとわずかなのだなあと思う。P子はきっと知っていても、いつまでも知らないフリをしそうだけどなあ。いつまでしらを切るつもりなのか、しっかと見届けてやるぜ。と、これまたワクワクすることで。
サンタクロースが与えるプレゼントって、子どももうれしいけど,こっそり準備したりするのは実は大人のお楽しみだ。そのお楽しみこそサンタの存在意義であり、存在意義がある以上、サンタは存在すると、私は思う。

つまんないことにワクワクできるのは、貧乏な証拠でもあるが,そう考えると貧乏も悪くないなあと思えてくる。
お金持ちも貧乏も、幸せの量はそんなに変わらない気がするんだけど、それは私がお金持ちになったことがないからか。知らない世界があるのかしら、1パック150円の卵と、烏骨鶏のソレぐらいに?
でもさー、烏骨鶏も、普通の鶏も,きっと卵を産む苦労と幸せは同じようなものだと思う。味も栄養価も、きっとたいして変わらないんじゃないかなあ。どうかしら。
……それでも一度は、烏骨鶏の卵を手に入れようとしちゃうんですけどね。庶民のくせに。

 
 

 2003-12-23
 

深夜、網タイツをはく。
ちょっとボンレスハムを連想する自分が哀しい。
ノーマ・カマリのニットのミニスカートは、多少毛玉も浮いているが,なに、夜目にはどうせわからない。
深紅の口紅をさす。
「切れたケツを連想するよな色だなあ」
と、夫に言われた言葉がよみがえり,ちょっとイヤな気分になるが、気にしない。切れたケツ,それもまた冬の風物詩というものだ。
約束の時間に間に合うように,ちょっと焦りながらブーツをはこうとしたら、ファスナーが、ファスナーが。ししゃもで例えるなら腹の部分にひっかかって、上にあがらない。卵みっちみち、うまそうな状態。私はむくんでいるのか。腎臓でも悪いのか。……また、太ったのか。
ブーツはあきらめてハイヒールを履く。
ビンテージ物のGジャンの上には、ダウンコートを羽織って。いざ、お外へ。
「寒いっっっっ!!!」
なんだこの寒さは。全身突き刺すような寒さに凍えた。
寝室に走って行き,上半身全部脱いでババシャツを着込む。台所へ駆け降り、使い捨てカイロを激しく振る。背中に貼る。リビングに走り,ブランケットと化していたウールのショールを腰から巻く。玄関でヤコフォームのインナーもこもこ冬用ショートブーツを探し、履く。革の手袋をする。
厳寒の中,おばちゃりを立ちこぎして、一路駅前の居酒屋へ。
今日は前々から予定していた猿テニス協会・女子連合会の飲み会なのだ。
22時5分、ボスザルふちゃはすでに奥の方でたばこをふかしていた。
「遅れてすまーん!!」

濃いぃぃぃ楽しいぃぃぃ、夜だった。
実のところ,女子連、メンバー4名。なんだそりゃ、な人数の会合である。
名目はともかく,ただ飲みたかったのである。
「猿女子連」といえば、夫は納得するのである。
うち、1名は「旦那がまだかえってこない,行けない(泣)」と直前電話があり,1次会は3名での盛り上がり。ちょうど閉店時間に「旦那が帰ってきた、行くぜ行くぜ(気合)」と電話があり,場所を隣街に移して、再び禁断の盛り上がり。
いやー、飲んだなあ。焼酎、何杯飲んだんだろう。後半何を話したか記憶がないの。なんか浮かれていた、私。ひたすらにこにこしていた気がするわ。もし,失礼があったらごめんなさーい。
帰宅したら三時半だった。びっくりした。まだ1時ぐらいだと思ったのに。
しかも、帰り道はいいこんころもちで,もうちっとも寒くなかったし。ついうっかり寝込んじゃうという飲んべえの気持ちが、ちょっと理解できた。しませんけどね、夫ではないので。
記憶がなくなっても大丈夫なほど,心を許せる友達がいるのは、うれしい。
ああん、もう。飲み会、好きだなあ。
指摘されて,私はとにかく人と会うのが好きなんだなあと改めて思った。いろんな人と会いたい。いろんなものを見たい。いろんな場所に行きたい。何でも食べたい。テニスもしたい,マシントレーニングも、海外旅行も、映画館やライブにも行きたいなあ。そして、仕事も。忘れていたおしゃれも、いいんだけどなあ。ああ、年末だというのに、この溢れる欲望を、どうしたらいいんだろう。

午前中いっぱい眠って,二日酔いになっていない元気な肝臓に驚く。来年40だというのに、この湧きいずるパワーは一体、なんだろう。無理がきかないのは承知のうえだが、気力はどんどん勝ってきている気がする。
ひとまず、欲求を「お部屋をきれいに」というところに向け,ゆるゆると掃除を始めよう。

 
 

 2003-12-24
 

Merry Christmas!
ご縁あってこんな私におつきあい下さっているあなたに、感謝を込めて,礼拝でたっぷりお祈りしてきたいと思います。
「私は創価学会員なので、邪教で祈られても困ります」
などという方は,お申し出下さいませね。そうでない方は、もれなく「無病息災・商売繁盛・順風満帆・千客万来・家内安全」が降りかかってくる予定です。……そんなこと言ってると,牧師先生から殴られそうだな。すみません。
こんなときにしか教会に行かないのを「お祭り信者」といいます。
はい、もちろん自他共に認める、お祭り信者です。すみますみません。

夫からちょっと早めにクリスマスプレゼントをもらった。
プレゼントの内容からして,特にクリスマスに限定していないみたいなんだけど,いくつになってもプレゼントをもらうのはうれしい。J-waveのアンケートによると,予算は5万円というのが一位だったようだが、気は心である。便利な日本語,気は心。
それがさー、あなた、「交響曲ドラゴンクエストのCD」なのよ。最高!
クリスマスイブだというのに聖歌でなくてオーケストラを聴いて過ごしています。
これはいいです。ドキドキします。わくわくします。
冒険に出かけたくなるけど。
お買い物もしたくなるけど。
ちょっと戦ってみたくもなるけど。何とだ?
あちこちうろうろ、さまよっていた19才の自分を思い出して、懐かしさに、泣きそうになります。
あの当時に比べると、なんて生きて行きやすくなったんだろうなあ。
おばちゃんって、いいぞー。
あんまりみんなが声を大にして言わないのは,きっと秘密にしておきたいほどいいものだからなのだ。モア・リポートがでるまで、女性がセックスを語るなんて考えられなかったように。どこかの出版社で、ババ・リポートを出せばいいのになあ。
だって、年を重ねて経験値が増えれば,難攻不落だった敵も楽勝、簡単にやっつけられるんですもの。触る者皆傷つけてきた若い時代より、「スライム? いいよいいよ、メタル以外は見逃せば」という余裕よ。器,でっかーい。
ただねー、脂肪と言う名の、鎧が重いです。毒沼でもダメージゼロで、浮きます、きっと。

 
 

 2003-12-25
 

「秋はあったかい
でも、ときには寒い
いつの間にか夜が来る
月を用意しなくちゃ」
原作は、「いつの日にかよるがくる/月ようい!!」だった。
この「月、用意」はとても広がりがあるいい句の使い方だが、広がり過ぎるので、作者の意図がわからない。助詞をつける遊びから本意を探ったところ,推敲後の作品になった。
終業式
。 娘P子が共同で作った2004年版カレンダーを持って帰ってきた。
他の子は絵を描いているのに、彼女は手を抜いた絵と丁寧な詩で構成していた。複数枚、絵を描くのが面倒だったらしい。それが、冒頭の詩である。
「すばらしいよー、P子。君はすごいじゃないか。おかあさん、震えた!」
と、久しぶりに心の底から本気でべた褒めするが,心ここにあらずのP。
「もう、いいかなあ?」
一枚、階段ギャラリーのために、別の紙に書いてもらったのだが、やる気のない字である。褒められても特に喜ぶわけでもなく。
あわてて昼食をとると,一目散に駆けて行ったのは、サンタクロースからのプレゼント、キーボードの前だった。………まあ、子どもらしいといえば,大変に子どもらしい。
そして私は拷問のようなへんてこメロディーを聴かされ続けています。
メロディーを紡ぎ出すより,言葉を紡ぎ出した方が、君の才能を活かせると思うんだけどなあと思いつつ,夢中になってキーボードを弾くことの楽しさはわからないでもないので,放置する。
ううう。でも、リズムがめちゃくちゃな音の洪水は、やはり、拷問だなあ。

感動モードに入っている私がもうひとつ感動したこと。
エッセイストの藤田香織さんの12月22日の日記に、「散歩をしていると、地主のじじいが土地をポンとくれそうな気がする」(鈴木超訳)とあって、「うわわわわ、いたぞ。同じことを考えている人がいたぞ、ダーリン,ダーリン、大変だっ。私は決して少数派ではなかったのだっ。ディテールまでそっくりだっ」という、共感に震えたのだった。
バカみたいと言えば確かにそかもしれない。言葉にしてしまうと一見バカ丸出しだが,案外,多いんじゃないかと思う。
いや、万軍の援護を受けた想いで言ってしまえば,人類は皆、ほとんどその妄想を抱くといっても過言ではないのではないか。少なくとも日本では、散歩時にはその妄想こそが、言葉にこそされないけれども主流なのではないか。
これだけ宝くじを買うんですぜ。そうだそうにちがいない、みそが少数派なんだという発想が、なぜなかったのか。うかつだった! 王様は裸じゃないか。
いや、百歩譲って、日本に住んでいる人が、ではないのだとすれば、埼玉に住んでいた人の県民性か。いやいや、所沢限定かもしれない、ダイオキシンの影響か? あるいは中央高校卒業生だけか? なんかやっぱり少数派な囲い込みにもってっちゃうなあ。
そういえば、たかが20年しか伝統のない母校から、藤田さんに続いて大型ミステリー作家が誕生したらしく、無名の分筆業者はもちろんもっといるのかもしれず、妄想癖はあの米軍基地跡の磁場の影響とかなのかなあ。(ああ、やっぱり主流派である自信はない)。
いやまて、私。
きっと「そうやって土地をもらいましたよ。ええ、家だけ某ハウスメーカーで建ててね」なんて言う人が、メールをくれたりするのだ。700人+αの中に一人でも存在すれば,それは日本中で頻繁に起こっているポピュラーな出来事と言える。そして日本の新事実、新常識として「人は、散歩の時には土地をもらう妄想を抱くものである」「ときに、本当にもらう」という風に、なったりするのだ。間違いない。
……もらいたいものである。

 
 

 2003-12-31
 

年末の主婦は大忙しだ。
かあちゃん、今年はものすごーく早くから、まめに大掃除計画を練り,実行してきて,例えば40リットルのゴミ箱一杯、賞味期限切れの食品を捨ててみたり、平成新山の造成に取り組んだついでに片方だけの靴下や毛玉の出た服をやはりゴミ袋一杯処分したり、お風呂のよけいな棚を外しておもちゃをスーパーの袋一杯につめて捨てたり、ああなんて我が家はゴミ屋敷だったのかと、そんなにもいろいろなものを無駄にしてきた自分を責めながら、捨てに捨てに捨てた年末。さすがに「武蔵野市」と書かれたかんぱんが出てきた時には、「こここ、こんなものがでてきて、主婦なんていっちゃイケナイのではないか,私は専業主婦の看板を下ろすべきである」とその失態を笑った。
そして、引っ越してきて3回目を迎えた、大晦日。
もう、今日は掃除はいいや、なのである。やらなきゃならないことを数え上げたらきりがないが、全部来年に先送りすればいいや。車,洗って、トイレ掃除して、午後から簡単に煮物とかおせち作って、それで終了だ。来年,来年。もう、体がいうことをきかない。
数日前ーー。
早朝から電車を乗り継いで行った年内最後の礼拝は、私にとって忘れがたい日になったし,そのまま子どもを母・ヨシコに預けて、楽しく忘年会に出かけた。
会う人に「痩せたねー」といわれて大層気をよくしちゃったわー。ちょっと無理したコムサのキャミはそのまま着ると肩から「太ももが出ちゃう」という感じで別の意味で恥ずかしく,上に羽織ってしまったが,そのままフェンシングの大会に出られそうなほど全身ボディスーツでがっちがちに固めて、毛穴の奥の奥までファンデーションをみちみち詰めた厚化粧も、ちゃーんと功を奏したというものだった。そんな気合いの入った作家や業界人はいない。彼等にとっては、普通のパーティーなのかもしれない。けれど、普段夜遊びしない主婦にとっては、もう、「シンデレラの舞踏会」と同じで,頑張りどころですもん。王子様のとりさんは、黒尽くめで河村隆一のようだったし。
最近取材なんかにもちょこちょこ出かけているパートの身としては、お高い化粧品なども使い始めたのだが,しまったことにマスカラはもっていなくて、ずいぶん昔に買った100円ショップなのだった。これでまつげを固めて行ったのだが,久しぶりに会う方たちの面白い話に笑って涙するうち,だんだんマスカラが落ちていき、目の下が焼き魚状態になって行くのをフォローするのが大変だった。
「マスカラなら,××だよー」
と、某国営放送に再就職して突然とんでもなく若返っていたちぐみさん(サイズ5号!!)にナチュラルメークのツールを聞き,今度のギャラが入ったら早速ゲットしようと心密かに誓う、U子13号。
先輩ライターとして尊敬する鹿野さんからは、ホームページに関して過分のお褒めの言葉を頂き,来訪者も減っていることだし1年目を機に縮小しようとしていたが、心密かに計画を練り直す。メールでも見ず知らずの方からたくさん励まされていたのだ、ありがたいことだ。
三次会ではうえけんさんとおおひなたさんの歌声に、本気で惚れそうになる自分と戦いながら(ごめん! ご一緒したこにしさんもうまかったと思う。思うが、なんといっても声質が、もろにストライクゾーンだったの、あのお二人。聴いていてドキドキしたなんて、久しぶりだった。好みの声にはうるさい私は、きっと前世が鳥だったに違いない)……朝方に帰ったら、寒かった。
で、珍しく発熱してしまい,と言って年末に寝込むわけにはいかないぞと薬を飲んだが、ただ眠いばっかりで丸1日使い物にはならなかった。
さらに薬を飲み続けて昨日はちょっと頑張った。頑張らないとこの家はすぐに足の踏み場もなくなるもんで。昨日はP子に大掃除の仕方を丁寧に教えて戦力とし,夫にはべた塗りや消しゴム掛けにも通じるためとてつもなく上手なワックス掛けを頼み,最初はちょろちょろと邪魔だった福助には、途中から応援団としてゲームの太鼓を叩かせ続け,大掃除終了。
もっとも頑張ったのは,福助であった、と、記録しておきたい。
応援団だからね,頑張って叩いてね。といったところ,本人なりに真剣に取り組んでおり、景気のいい太鼓は二時間近く、途切れることがなかった。「終了」のかけ声と共に、「痛いよー」と私に右手を差し出す福助。親指のまたに、マメができて、それがつぶれていたのだった。なにも、そんなになるまで……と、強く福助を抱きしめてしまった年の瀬なのだった。
その後,吉祥寺・外口書店の次男坊一家と焼き肉屋に行って,年内のイベント終了。
そして、今日が大晦日だ。
今年1年,おつきあい頂きましてありがとうございました。「私だけが楽しい」ために始めたものでしたのに,励ましもお叱りもたくさん頂き、それが大きな栄養になっていくのを感じています。今は、温まった肩で、ちょっと投げてみたくなった元・草野球少年みたいな状態です。で、来年は少しだけ兼業主婦になります。変わらぬご愛顧を、よろしくお願いいたします。

 
 

  
 
日記
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