ボブ・グリーンというコラムニストがいる。
いた、と言うべきかな,淫行で捕まったから。おやじ、キャラクターがちがうじゃねーか。
ともかく、私は彼のコラムが大好きだったし、コラムの彼の行動や考え方も大好きだった。
で、「チーズバーガーズ」という本にあったエピソードだったと思う,自分が幼少期に過ごした家で過ごす夏の数日を書いている話があった。
今日、冬の夕暮れどきに、私はちょっとしたボブ気分を味わった。
吉祥寺の、以前住んでいた家に入ったのだ。もちろん、家宅侵入で捕まらない方法で。
それは私たちがあまりにだらしなく過ごしていたために、作りつけのストーブの裏側に落としたまま引っ越してしまった、その忘れ物がすべてのきっかけだった。
埃にまみれた,本の表紙。しかも、危険きわまりないストーブの裏。業者入れて掃除してもらった分,確かにお支払いしたのに,なんとプロの業者も見落とした忘れ物であった。
「鈴木みそ……そんなマイナーな作家の本の、しかもなぜ表紙が?」
と、不審に思った新たな住人・シンノスケ君が、夫にメールを下さったのだ。普通,本の表紙だけ落としていく人はいない。それじゃ古本屋さんにも売れないし。
「その家はひょっとすると、吉祥寺の?」
柿の木のある,家が有に2軒は建とうかというほどの庭。特徴をいくつか確認すると,合致する。夫はシンノスケ君に「それはオレの住んでいた家でした」とメールを打ったのだった。
私たちが借りていた時より,いくらかリーズナブルになっていたそうだが(聞くなよ>夫)、その分、マメに庭木も手入れされて、大家さんとしてはきっと、とても貸しがいがあるに違いない。っていうか、私たちが出て行った後も、しばらく駐車場だけお借りしていた時期があり、シンノスケ君一家が入居後しばらくしてお礼に伺った時に、
「お庭がねー」
と、大家さんはうれしそうに語ったのでね……。
私たちの時には雑草はやし放題で芝生を全滅にしたからなあ。遊びにきた友達の子どもが庭を見て,「たんぼ?」と聞いたぐらいだったしなあ。こんなところに稲穂が生えるかいっ!と笑いながら、実らない雑草に反省してこうべを垂れてしまう、私たちなのであった。
蚊の大群、毒蛾の大群、その幼虫の(うぎゃっ!!)大群、蝶の大群、蜂の大群、果てはゴキブリの大群、意を決して作った家庭菜園(三日坊主)ではミミズの大群と戦い続けた家でもあった。モグラが庭に出没するんですのよ、奥様。
うへへーん、虫、苦手なんですよぉぉぉ。かくしてサッシは閉め切られ,定期的に植木屋さんを頼んではやたらと費用がかかる家を持て余すようになっていったのも事実である。
今は世田谷の、建ぺい率の部分まで体を横にしなければ通れないような、そこに産毛のような植栽しかない家に住んでいるのも,庭は勘弁して下さい。という前科に似た気持ちの現れだろう。
だが、吉祥寺のそこは、とめと十蔵(うさぎ)が眠っている庭でもある。
未熟児で生まれた初めての子どもを見舞う傍らで、まだ美しかった庭の雑草をこまめに抜き、たくさんの花を植えて彼の帰りを祈ったのも、悲しみを癒すために贈られたおびただしい数の花鉢をベランダで枯らしたのも,台所の土間にありったけの瀬戸物を投げつけて、怒り、悲しみに溺れたのも,そしてたった二人で何百時間も語らい,笑い方も忘れていたどん底から這い上がって夜な夜な爆笑する夫婦になっていったのも,何より新しい命の訪れも、この家と共にあった。
六年間ーー。
P子も福助も,メイドイン吉祥寺なのである。
蚊に喰われながらも,柿の木に吊るしたブランコで遊び,大きくなったP子なのだ。
いつかP子が大人になった時,この家がまだあったなら、ぜひ一度、ここを訪れて見せていただこう。ボブ・グリーンのように。
そして,P子にいろいろなことを話してあげよう。と、思っていた。
過去に借りていた家の、現在の住人とコンタクトできるなんて滅多にあることではない。私たちは数奇なご縁を寿いでいたが、その日が来たのは引っ越して三年目の冬、それが今日なのだった。
メールのやり取りからずいぶんして、突然大家さんから電話がある。別件だったのだが、そのときに
「そうだ店子さんのすばらしいクリスマスイルミネーションを見にこない?」
と誘われたのだ。シンノスケ君と夫はメール友達だと聞きつけた大家さんは、ご縁結びの神を買って出てくれたのだと思う。
庭木をマメに手入れされるシンノスケ・パパさんは、暮らしを楽しむ達人でもあったらしく、庭はこの時期、「すごいこと」になっているらしいのだった。
うきうき喜んで出かけてみたら,それは、本当にすごいことになっていた。
広い庭いっぱい,クリスマス電飾。すてき、すてき、うっとり。
いろんな意味で,イッツ・ア・スモールワールドな気分になった。
外からちょこっと見せていただくつもりで手ぶらで出かけたのに,私とP子は「どうぞ」と招かれ,なつかしすぎる家にもあがらせていただいた。
もちろんアジアンテイスト満載の貧乏くさかった我が家とは趣をかえ,重厚な調度に圧倒されそうなほど、アメリカのお屋敷になっていてびっくりしたが、壁紙も床材もそのままで、つかのま、タイムスリップ。
そして、六年の記憶が、とめどなく溢れ出した。
来年もまた、この時期に。今度はちゃんと、手みやげを持っていこう。
引っ越す時には忙しすぎてほとんど感じなかった感慨を、三年遅れで、ちゃんと味わう。
吉祥寺、いい街だったんだなあ。
忘れがたい、三十代前半を過ごした場所だった。
シンノスケ君、シンノスケ・ママさん、ありがとう。大家さん、ありがとう。
それからね、P子と福助,生まれてきてくれて、ホントありがとう。