今日は福助の入園試験だった。
都内の多くの幼稚園は今日が入園試験だよね、お疲れ様でした!!
朝から「エイゴリアン」に毒されて、脳みそにキノコがはえてんじゃないかと思われる福助も、無事面接試験を終えて帰宅した。途中だんご虫化したり、考査では問題が半分ぐらいしかできなかったりと、P子の時には考えられない新鮮な驚きがあったけど、園は受け入れてくれる模様。
障害児に特化している私立の園よりずっと、きめがこまかい指導を受けられそうだと思うのは、先生方の理解と度量に感動したからだ。障害のことは面接官の先生もご存知だった。予め福助について話しに行き、園の都合より先に、それが福助君にとっていいのであれば受け入れようと言われた段階で涙したものだったが、今日はなんと普通の子供と同じように、「園に望むこと」まで聞かれて、胸が詰まった。
こんな、脳みそキノコリアンなのに。
ご迷惑をかけるのだから、多少の不利益を被るのは覚悟していた。障害児受け入れの園はいくつか見たが、そのいずれも、「私たちに間違いはないのだ、こんなサービスがある、黙ってついてきなさい」という姿勢だったからだ。世の中は、そういうものなのだと思っていた。
なのに、この園は、対等に扱ってくれている。「障害者だから」ではなく、「福助だから」で、見てくれた。
私も夫も、子供の障害を認めて学習し、早いうちに対処した。とにかく、自分達の体裁よりも福助のことを第一に考えて行動した。だからすばらしい幼稚園が与えられたんだ。これはきっとご褒美だ。
娘の幼稚園時代は、奇跡のママ友達をたくさん得ている。
正直いって、こんなに「地域」のお友達ができるとは思っていなかったんだよね。しかも、みんなみんな信じられないぐらい頭のいい、できる人たちでさ。私は専業主婦のレベル設定を間違えていました、すみません。って、本気で思ったもん。
多分幼稚園の質の問題なんだと思う。
選んだ園には、園バスも制服も延長保育も給食もない。親はちっとも楽できない。行事がほとんどないから、成長を確認するためには自主参観せねばならず、つまんないし大変かもしれない。
だが、「やらなくちゃいけないこと」におわれることなく、ルーティンのゆったりしたリズムで進む毎日は、貴重だ。考えてみると、幼少期にしかそれは許されない特権なのだ。先生たちは複眼か?
と思うほど、的確に子供たちを見て、個性に応じた指導に当たる。その能力の高さには実際、驚いたが、これも行事やら保護者への形ばかりのサービスで忙しかったら期待できない余裕かもしれない。男の先生が複数いるのも、子供たちの心の安定にはとても効果的だ。広い園庭で子供たちは走り回り、机上では得られないたくさんのことを学ぶ。そんな楽しい記憶こそが、もっとも大きな財産だと、私は信じている。
いみじくも、娘は「幼稚園は世界でいちばん好きな場所」と言った。
前回の打診で、福助を受け入れてくれそうだと複数のママ友に言った時、みんな喜び、そして異口同音に「そういうとこよ、この幼稚園は。だから、いいのよね」と、そんな幼稚園に在園したことを誇りに思うみたいに言ってくれた。
この園に通わせるには、ある種の覚悟というか、「子供第一」の教育理念が必要だ。付属の私立でもなければ、お受験校でもないのに、そんなことが問われるわけだから、楽したい人は預けない。踏みとどまったママたちだからこそ、いい関係が築けたのかもしれないと思う。
変態君は困るけど、変人君は個性だからおもしろいじゃん。と、言ってくれた人、いつでも預かるよーと全く態度が変わらない人、悪いことをすればしっかり叱ってくれる人、ママ友たちは「福助」本体を、ちゃんと見てくれる。「いいかあさんたち」が揃っているのだ。
恵まれてんなあ、私。ママ友憎くて子供を殺しちゃった母親がいて、その犯人に共感する母親たちが多かった、つまりママ友達でご苦労している女性がかなりいる、その同じ時代に生きているのにさ。
この四月から幼稚園ママになる同士たちよ、私たちにとっても幼稚園は学びの場所だ。楽しく生きて行こうね。