2003-11 メニューへ戻る

 2003-11-01
 

今日は福助の入園試験だった。
都内の多くの幼稚園は今日が入園試験だよね、お疲れ様でした!!
朝から「エイゴリアン」に毒されて、脳みそにキノコがはえてんじゃないかと思われる福助も、無事面接試験を終えて帰宅した。途中だんご虫化したり、考査では問題が半分ぐらいしかできなかったりと、P子の時には考えられない新鮮な驚きがあったけど、園は受け入れてくれる模様。
障害児に特化している私立の園よりずっと、きめがこまかい指導を受けられそうだと思うのは、先生方の理解と度量に感動したからだ。障害のことは面接官の先生もご存知だった。予め福助について話しに行き、園の都合より先に、それが福助君にとっていいのであれば受け入れようと言われた段階で涙したものだったが、今日はなんと普通の子供と同じように、「園に望むこと」まで聞かれて、胸が詰まった。
こんな、脳みそキノコリアンなのに。
ご迷惑をかけるのだから、多少の不利益を被るのは覚悟していた。障害児受け入れの園はいくつか見たが、そのいずれも、「私たちに間違いはないのだ、こんなサービスがある、黙ってついてきなさい」という姿勢だったからだ。世の中は、そういうものなのだと思っていた。
なのに、この園は、対等に扱ってくれている。「障害者だから」ではなく、「福助だから」で、見てくれた。
私も夫も、子供の障害を認めて学習し、早いうちに対処した。とにかく、自分達の体裁よりも福助のことを第一に考えて行動した。だからすばらしい幼稚園が与えられたんだ。これはきっとご褒美だ。
娘の幼稚園時代は、奇跡のママ友達をたくさん得ている。
正直いって、こんなに「地域」のお友達ができるとは思っていなかったんだよね。しかも、みんなみんな信じられないぐらい頭のいい、できる人たちでさ。私は専業主婦のレベル設定を間違えていました、すみません。って、本気で思ったもん。
多分幼稚園の質の問題なんだと思う。
選んだ園には、園バスも制服も延長保育も給食もない。親はちっとも楽できない。行事がほとんどないから、成長を確認するためには自主参観せねばならず、つまんないし大変かもしれない。
だが、「やらなくちゃいけないこと」におわれることなく、ルーティンのゆったりしたリズムで進む毎日は、貴重だ。考えてみると、幼少期にしかそれは許されない特権なのだ。先生たちは複眼か? と思うほど、的確に子供たちを見て、個性に応じた指導に当たる。その能力の高さには実際、驚いたが、これも行事やら保護者への形ばかりのサービスで忙しかったら期待できない余裕かもしれない。男の先生が複数いるのも、子供たちの心の安定にはとても効果的だ。広い園庭で子供たちは走り回り、机上では得られないたくさんのことを学ぶ。そんな楽しい記憶こそが、もっとも大きな財産だと、私は信じている。
いみじくも、娘は「幼稚園は世界でいちばん好きな場所」と言った。
前回の打診で、福助を受け入れてくれそうだと複数のママ友に言った時、みんな喜び、そして異口同音に「そういうとこよ、この幼稚園は。だから、いいのよね」と、そんな幼稚園に在園したことを誇りに思うみたいに言ってくれた。
この園に通わせるには、ある種の覚悟というか、「子供第一」の教育理念が必要だ。付属の私立でもなければ、お受験校でもないのに、そんなことが問われるわけだから、楽したい人は預けない。踏みとどまったママたちだからこそ、いい関係が築けたのかもしれないと思う。
変態君は困るけど、変人君は個性だからおもしろいじゃん。と、言ってくれた人、いつでも預かるよーと全く態度が変わらない人、悪いことをすればしっかり叱ってくれる人、ママ友たちは「福助」本体を、ちゃんと見てくれる。「いいかあさんたち」が揃っているのだ。
恵まれてんなあ、私。ママ友憎くて子供を殺しちゃった母親がいて、その犯人に共感する母親たちが多かった、つまりママ友達でご苦労している女性がかなりいる、その同じ時代に生きているのにさ。
この四月から幼稚園ママになる同士たちよ、私たちにとっても幼稚園は学びの場所だ。楽しく生きて行こうね。

 
 

 2003-11-02
 

「福ちゃんは楽しいっ」
と子供にきゅーっと抱きしめられて目覚める朝は格別だ。
最近よく寝ぼけて、夜中に寝言で叫んでいる福助だが、昨晩6時半に寝付いてノンストップ睡眠だった。いや、起きているのかもしれないが、私がノンストップ睡眠、気づかう余地なしだった。
朝7時、彼は上機嫌で起床し、私の顔を触っていた。(それで私は起こされた)。そして、きゅーっと。
今はおにぎりを食べたあと、テレビゲームの「ファンタビジョン」をうっとりしながらやっているところだ。一日30分までのテレビゲームだが、私が「終了」を告げるのをおこられているのだと勘違いしてか、終わると一人でそそくさとソフトを隠してしまうのがおかしい。何度か、隠し場所を忘れて大騒ぎしており、お前はリスか、アグーチか。と、突っ込んでしまった。埋めたドングリで森ができるなら、隠したソフトで何ができるだろう。もっとも、時計で「長い針が9まで」と言えばきちんと約束は守れるので、ワタシより立派なお人ではある。
昨日の夜、テニススクール主催の「中級ナイターダブルス大会」があった。
ここのところすっかりスランプだった私は、実のところラケットも握る気力がなく、二つ通っていたスクールのひとつに休講を申し出、もうひとつもまともに通えなくなるだろうと危惧していた。
別に私は岡ひろみでもなければカプリアティーでもないのだから、そんなに落ち込まなくてもいいんじゃないかと思うのだが、「全くやる気がしない」というのは鬱にも似て、ちょっと恐くもあったのだ。あんなに夢中だったのに、突然冷める。まるで何か憑き物が落ちたように。そういう状況が恐い。じゃそれまでテニスの魔物が憑いていたんか、ということですけれども。
ダブルスは、チーム戦だ。私がやる気なしなのはいいが、相手に迷惑をかけてはいけない。それで私はメンタルトレーニングの本を取り出し、必死で気持ちの向上を試みた。
……単純なんだなあ。結局、そういうことだ。みるみる気力がよみがえり、試合は楽しみだ。さあ行くぞと、復活。
もちろん、だからといってスーパーショットが炸裂するわけでもなく、普段の実力どおり、勝った数より負けた数の方が多かったです。でも、練習よりミスは少なく、とても楽しかった。デュースも多く、何より試合内容が濃くて、面白かった。
帰ってきて、シャワーを浴びてそのままベッドに倒れ込む。
一晩中テニスをしている夢を見た。
体がとてつもなく疲れている時って、眠りは浅くなるらしい。試合での失敗が全部、巻き戻し再生されて、失敗くやしい! あれ、同じところにまた同じ球が。そして、今度は打ち込みに成功! という、「精神安定上、大変すばらしい」夢でした。あんまりにも悔しくて心がつぶれないように、脳が夢を使って回避したのかもしれないな。メンタルトレーニングの成果かもしれないけど。
しかし、一晩中球をうち続けると、さすがに目が覚めた時には、ぐったりだ。
今はまたしばらくテニスはいいや、お腹いっぱいだ。という気分だけれど、そのうちまたテニスに夢中になる日が来るだろうか。もうこの辺が限界なのかなあ、というコレを超えると、また見えてくるものがあるんだろうか。どうなんでしょう?
ああ、いい天気だ。全身筋肉痛で、ホンダの二足歩行ロボット・アシモよりアヤシイ歩き方になっているけど、今日はたくさん洗濯をしよう。久しぶりに掃除もしよう。
福助、えらいな。ちゃんとテレビゲームをやめて、今度はレゴで遊んでいる。私も、気持ちの切り替えを、見習わないといけないな。

 
 

 2003-11-03
 

FAXが壊れた。
11月1日に「お誕生日おめでとー」のFAXを姪に送ってみたのだったがだめだった。再三トライして、やっと届いた半分までのは、一面真っ黒だったと言う。実家の鈴木さんちは、うちからしかFAXが送られないからいいが、普通のご家庭や仕事先には、どうみてもいたずらFAX、不快な誤解を招いてしまう。バースディカードは、FAXなんかですますのではなく、ちゃんとカードが必要だろうと次善の策を考えたが(後手だけど)、問題は家電の故障だ。
釜の真ん中だけおかゆになってしまう炊飯器、リモコンがなくて留守録のできないビデオ、電球をかえてもつかない玄関の電灯、タンクの水が溜まりきれずにかすかに流れ続けているトイレ、ソフトのかわりに小麦粘度でおなかいっぱいのMD。そして、紙を飲み込まず、飲み込んでも真っ黒に送信するFAXが仲間に加わった。家庭内LANの整備より先に、すべきことがあったのではないか、夫よ。欠けた物ばかりの我が家の家電は、みんなでオズにでも向かうのか。ヤマダ電気の方がよくはないか。
実はメールも「出したよー、届いた?」と口頭でいわれて「ええ?届いてない」ということが何度かあった。しかし、お互いママ友の携帯メールは、そんなに重要事項を語らないから、うやむやになっていたのだ。が、その時に気付いておくべきだった、「他のメールも、届いていないのではないか」ということに。
「昨月送ったはずの資料に対するご返事を」
と今朝早く電話を受けて、全く知らない話だったので「パソコンよ、お前もか」と、思った。資料請求に対して、ものすごく素早いレスを頂いていたのに、私ったら失礼だわ。
謎をそのままミステリーにするわけにはいかず、パソコンをいろいろいじってみた。結果、迷惑メール自動選択機能によって、「迷惑どころかお宝メール」がわんさかさっとそっちのファイルに入り込んでいたのだった。マック、殴っていいですか? ばかばかばか。これは、OS10を絞めるべきですか、ぐぉらっ。
ここいちばんの時にいつもメールを下さる「モーゼ・愛」というメル友がいる。いつも目の前がかぱっと開けるような内容なので、「モーゼ・愛」と勝手に呼んでいるが、本名はもっと、牛のような、いや間違えた、牛の名産地のような、かっちょいい名前である。そのモーゼ・愛からの大切なメールが、ほかのお宝メールにまぎれて何通も出てきたの。すみません、お宝メールを下さった方々、お返事してなくて、すみません。ところで、まだ見ぬ彼女は、私の中でプリンセス・テンコーのように神々しいのだったが、実はローリー寺西(槙原のいとこってホントなの?)に似ている、またはピーターに似ている、つまり夜と昼の間の、いやまたしても故意に間違えた、男と女の間のタイプのお方であったと、早い段階でカミングアウトしていたりするのよね。知らぬこととは言え、失礼しました。……び、美形じゃん。どっちにしても、きらきら系が似合いそうだ。
誰に似ていますか、と書かれていたのに、そんなわけで返事もしていなくて。今の私は、誰に似ているだろう。
「誰に似ている?」
と、昼ご飯を食べて目の前でコーヒー(ああ、コーヒーメーカーも調子が悪い)を飲んでいる夫に聞いてみたら、
「携帯で自分の写真を撮ってアップし、投票してもらったらどう?」 と言われた。今まで似ていると言われたことのある人……吉永小百合(一回だけ)、メグ・ライアン(一回だけ)、寺田理恵子(頻度そこそこ)、紺野美沙子(10代の時)、水前寺清子(10代の時)、檀ふみ(頻度そこそこ)、林真須美容疑者(最多頻度)、ジュゴン(数回)、大橋巨泉(頻度そこそこ)、九重由美子(数回)、三沢明美(数回)、和田アキ子(数回)、そして昨日、卓球の泣き虫愛ちゃん(1回だけ)。つまり、鼻がでかいってことだわね。魚眼レンズで撮った犬にも似ているかな。投票をお願いして、またパソコンが壊れてもいけないので、結果「犬」ということで、どうでしょう? 特技・家電壊し。

 
 

 2003-11-03
 

かかかか、勘弁して下さいよー。
HPの管理人であるところの夫が、私の酔っ払い写真をアップしました。
即刻撤去を要求します!! 私は市井の人なんだからさー、顔はいいの。出さないの。
ひょっとして吉永小百合とかメグ・ライアンを想像する人がいるかもしれないじゃん!
と抗議する。多分、すぐに消されていると重いますが、一瞬見ちゃった人は、悪い夢だった思って、忘れて下さい。お願いします。
「いちばんいい写真で、ああやっぱり犬なんだなと思ってもらえばいいじゃないかー」
と夫は笑うのだが、あれが夫にとっていちばんいい写真なのか。と、その現実に愕然とする。えー、じゃあ私が先に死んだら、ああいう酔っ払い写真とかを葬式に使われちゃうわけね。いちばんそれらしい気もするけどさ、久しぶりに会う人だっているのに。ああ、私は会えないのか。
やはりこれはプロのカメラマンに一発、撮っておいてもらわないといかんな。そして、遺言状と一緒においておこう。夫よ、いいですか。遺言だからね。
ぜぇーったい、変な写真、使わないでよね!! 
「こんなきれいな人、オレのヨメじゃない……」
と思うような、修正入り(指定)の写真で見送って下さい。去年から滞っている「誕生日に頂くはずの肖像画」でもよし。ただし、記憶絵は禁止。夫の記憶絵は、トトロがヒバゴンになるから、私がジュゴン程度ではすまないかもしれない。それは、だめ。見本となる美しい写真が手もとになければ、高校時代のを祥子がいっぱい持ってるから。って、すでに二十年以上前だよ。それはサバ読み過ぎか。
葬儀の後、あなたのパソコンのデスクトップに飾るのは、酔っ払いが踊り狂ってるのでいいからさ。そして、私の保険金を寿ぎつつ、さっさと若いおねーちゃんと再婚したら、ぜーんぶ消しちゃってかまわないから。

 
 

 2003-11-04
 

とても悲しい話を聞いてしまった。
その子は、多分オーティズム(自閉症)だ。
オーガズムなら隠しても気持ちいいが、オーティズムは隠されてしまうととてもかわいそうだ。似ている言葉でも、ずいぶん違う。
P子の遠いお友達に、ほとんど私とは目を合わせない子がいる。声をかけてもしゃべらないし、こっちの言うことは時々、間違って伝わった。
「あれ?」
という違和感はあったが、普通学級にも通っていることだし、下手に自閉症の勉強過多で、今私には、世界中が自閉症で満ちているように見えている以上、ピンチ(仮名)君も自閉症なのでは?と思うのは失礼な気もした。小学校の低学年なんて、まだ数年しか人間をやっていないのだから、多少失敗して当たり前だ。P子が小一のくせに大人過ぎるのだと、軽く流してきた。ほとんど接点ないし。
ところが、ピンチ君の一見明るい美人なお母さんは、「何でピンチだけ、こんなにいろんなことができないのっ」と、よく泣いていたというのだ。近所のスーパーでかんしゃくを起こして手がつけられなくなったピンチ君を怒鳴りつけていた姿も、近所のママ友に目撃されていた。
(もっとも、近所のスーパーで怒鳴りつけているお母さんの姿は「本日特売」の旗よりも日常だが)
……うーん。あのぼんやりに、そのかんしゃくか。それは、多分、自閉症なんじゃないかなあ。
「そうだよね、福助君より、ずっと自閉症だよね」
と、そのママ友は言う。
福助より自閉症、というのはわかんない、福助もまた自閉症だからねと笑いながら、でも、お仲間の匂いだよなあ。
近視の人には遠くが見えないように、自閉症には成長に応じた発達ができないことがある。眼鏡なしでキャッチボールをやれって言われたら近視の子供は困るように、「普通にしろ」といわれても、感じ方の異なる自閉症児は困ってしまって、パニックもおこすだろう。
不幸なのは、かたくななまでに健常児モードの育児法を実践するお母さんに育てられる、その子供だ。 うちのオーティスティック(自閉症の)小僧は、私と一緒にいる限り、ほとんどパニックをおこさない。またパニックを起こしても、どうすればいいかツボを心得ているので、福助的にはわりと早く立ち直れる。要は、そばにいる大人の理解だと思うんだ。
例えば、「突然近づいて抱きしめる」なんてP子だったら「きゃー、うれしーっ(はーと)」と、逆に抱きしめ返してくれそうな場面でも、福助は死ぬほど驚愕してパニックの引き金になる。軽く肩をたたくだけでも、ダメな時もある。自閉症独特の団子虫(夫の田舎ではポピュラーで、方言で「ちんぶりをこく」状態。ひょっとして、自閉症の宝庫なのか? ←註・そんなことはありません)つまり、うつぶせで丸まってしまった時には、福助の場合は背中をさすりながら、大丈夫だよと英語で言い続ければ戻ってくる。
ひどければ抱いて連れ去り一人にしてから、ゆっくり暗示をかければいい。パニックのなだめ方のキーワードは「大丈夫」なのだと思うが、健常児なら単なるわがままに見えるから、大丈夫どころか、野原みさえのような金切り声で「いけませーん!」と逆上するだろう、正しい日本の母として。だがこれは、近視の子供に豪速球を投げつけるようなもので、お前は星一徹か。と軽く突っこんでおきたい。
我が家では福助のパニックを「びっくり病」といっている。
しかし、これは自閉症ではない私にも、ある。
要は自分が集中している時に別の世界に呼び出されるのがダメなわけだ。ものすごーく楽しみに集中して見ているドラマや映画中に、再三声をかけられるようなもので、最初は呼び声が聞こえないから一瞬焦って、すぐに不快になる。最初は「なぁに?」が最後は「だから何っ、ちょっと黙っててよ!」っていうのに、近いかも。この、「何だよ、だまってろっていってんだろーが、しばくど・われ!!」が、オーティスティック語で「きーきー」パニックなのだ。簡単自閉症語講座でした。
「私はピンチ君を直接知らないからさ、一度自閉症の診断に行ってみたらと勧めてみてよ」
と、話をしてくれたママ友に言ってみた。
「うーん……ゆう子さんには悪いけど(いやべつに、悪くないけど)、彼女はそんな現実を絶対に受け止められないと思う。ピンチを殺しちゃいそうになると相談を受けた時に、さすがに保健センター(世田谷区の保健所)勧めたけど、絶対に相談に行かなかったし、自閉症なんてわかったら、彼女が死を選ぶかもしれない、そういうタイプだから」
そうか。ピンチ君、パンチ入れられて、ぴーんち。お母さんも崖っぷち。
なんでなのかなあ、ピンチ君にとって楽な生き方の方が、お母さんにとってだってきっと、楽しい子育てになるだろうになあ。福祉関係の公僕様があてにならないと思うなら、民間の施設だってたくさんあるのに。ピンチ君の周りの大人も、特に先生だって、指導しやすくなって、みんなハッピーなのに。 頑張る方向が、違っている気がするよ。
不幸な話だ。とても悲しい気持ちだ。
ただ、目が悪いとか足がないとかと、変わらないハンディキャップなのになあ。足のない子に義足もつけないで車いすも乗らないで「走れ、みんなと同じように」とは誰も言わないのに。見えなくても聴覚と音感が優れているスティービーワンダーとか、義足だけど甲子園の投手とか、例えば「五体不満足」の著者・乙武君以降、ハンディキャップもまた「個性」であるという風潮なのに。見た目だけでは重度でない限り、一見障害者かどうかわからない自閉症は、多くの場合「普通」であることを強いられる。そこのところもさらにハンディーだよなあ。
この日記は、自閉症用コラムに移植すべき内容かもしれない。そんなもん作って、読む人がいるかどうかが、問題だけど。
あ、P子を英語学校にお迎えに行く時間だわ。睡眠時間がぐちやぐちゃな福助はいい感じで眠っているし、がんがん音楽かけて、夜のドライブだー。うふふ。
障害児がいたって、暮らしはあんまり変わんないし、幸せもたくさんあるのになあ。ピンチ君ママが、変な方に頑張り過ぎませんように。「頑張らないで」って、こういう時に使いたいよなあ。

 
 

 2003-11-05
 

続)ピンチ君物語。
ピンチ(仮名)君と関わって、P子もピーンチ、の巻。

ところで、ピンチ君の美人ママが、血相を変えてA(私のママ友)に電話をしたらしい。
Aの子供が無事かを確認した後、突然家の話題になった。
「P子ちゃんって知ってる? あのお家、何があったの? P子ちゃん荒れているの?」
Aは知っている限りの私の事情を伝え、仮にP子に問題行動があったとしてもまあ、福助のことや祖父のことがあるので多少大目に見てやってくれと言ったという。
しかし何の接点もないはずのピンチ君がなんで突然、P子ちゃん?と尋ねたら、
「ピンチが、今日P子と学校で一緒になった時、Aの子供が死んだって言いふらしていたっていうのよ。幼稚園時代、ピンチがAの子供になついていただけに、ビンチも私も心配しちゃって。内容が内容だけに確認しておこうかと思って」
……Aは苦労人だけに、客観的で冷静だ。
自分の子供と仲良しのP子が、万にひとつもそんな流言を言っているとは思えない、よほどP子の精神状態に何かあったのかと心配して電話をくれたのだった。

Aは、引っ越して学区が変わってしまった。
一緒に同じ学校に行けると思っていたのに寂しい。
お引っ越しというのは、まるで死んじゃったみたいで、いつでも会えるわけじゃないからつらい。

ってなことは言ったかもしれないが、私がAの子供ととても仲良しだったことをお母さんだって知っているはずだ、たまたまビンチ君と話していたら共通の友達の話題が出たので、寂しいという気持ちを伝えたくていったことがそんなふうに誤解されるとは思わなかった、とても悔しい、もうピンチ君とは話さないと、P子は涙で訴えた。

「くだらない子供のいざこざ」だと最初は思ったが、どんなささいなことも、丹念に見ていくと、問題はちんまり潜んでいたりすることがある。
誤解はわかった、話してくれたのはP子の功績、そしてあとは全部お母さんが修復しておく。これがお母さんの仕事。ピンチ君はP子ほど上手に言葉がつかえないから誤解しただけ、絶交するのはいけない。あなたも誤解を招くような強い言葉を使うのをやめようね、という終わり方に、同じクラスの男子は「殺すぜ」とかいう、それはどうなのか? と聞かれる。それを聞いてうっとりするか?イヤな気持ちにならないか? だからやめよう。と、うまく逃げたけれど、子供は強い言葉で感情を表現するものだよなあ、それは芸術的な発露だ。
誰かを傷つけるかも。って、そんなことを考えていたら、例えばこんなHPの日記を書き散らかすことだってできないよなあ。傷つけてしまったら潔く謝ろう、ただ、最初からそいつを考えたら、書くことなんかできないわけだしなあ。と、実のところ頭を抱えた。
そして何よりも、ピンチ君の勘違いが気になった。
自閉症は、冗談や皮肉や当てこすりや抽象的な比喩がわからない傾向にある。
聞き書きだが、そんなことをする子は家の子じゃないと言われて戸籍を調べに行ったとか、おとうさんなんか大嫌いと言った母にいつ離婚するのかをきいてきたりとか、はいはいこんなに真っ黒に汚してくれてアリガトと言われて毎日必死で汚してきたりとか。まじめで、嘘がつけないといえば長所だが、要は融通が利かない石頭なのである。
そんなわけだから、ひとつひとつ状況に応じたリアクションを「学習」して行かないと、時に、問題を抱えることになるわけだ。なんだよ、あいつ。と、ハブにされかねない。
もし、福助が「誰かが死んだ」みたいな事件を口にしたら、私はまずこういうケースを疑い、懇切丁寧に指導して行かなきゃならないんだなあと、他山の石としよう。ううう面倒だが、仕方ない。
しかし今回の本当の問題は、P子というより、そこでAに電話してしまう、ピンチ君ママのピンチぶりだ。
「まるで死んじゃったみたいで悲しい」という言葉を字面どおり受け止めて、大騒ぎしてしまうピンチ君の危機に、気づいていないのだ。まあ、P子のいい方にも全く問題がなかったとは言えないんだろうが。女帝様、B型らしく表現オーバーだから。
かといって、私がしゃしゃり出て行って「ズバリ自閉症でしょう、そうでしょう」というわけにもいかないしさ。
所詮は子供の言うことだから、と、笑えない私は、融通が利かない石頭です。

 
 

 2003-11-10
 

ずーっと笑い転げていた土曜日の深夜。
いいなあ、近所の友達って。夜中にこっそり家を抜けて、駅前の居酒屋で飲んで、知り合いママがいるというスナックに行って、お立ち台の上で震度3だぁーと揺れながら新曲と20年前の曲を歌って。別れがたくて立ち話していたら「うるせーぞ」と住宅街で怒鳴られて。
学生時代みたいだった。
地元に住んでいるとずーっとこれができたわけだ、と、18歳で捨ててしまった故郷のことをちらっと想う。同じ飲み会なのに、何かが違う。新規開拓の友情にお水をやっていたら、ぽんっと花開いた感じ。そういうのってうまくいえないけど、ひさしぶりの興奮だ。
楽しかったなあ。
無防備に飲んで騒げて自転車で帰れる。
心を許せる友達が「自分の選んだ新しい地元」にいる。
際どい話をしても大丈夫という信頼感は、「地元」意識なんだろうな。みんな、抱えるものが大きくて、ちょっとやそっとじゃ、引っ越して行けないのだ。
都市部の新興住宅では地元なんてありえない、当然地元の友達は知り合いと呼ぶにふさわしく、一緒に飲んだところでぶっちゃけたりはしないんだと思っていたのだが、侮れないものなのであった。
私の友達運はものすごーく興隆だ。強運を誇ろう。

日曜日は土曜に引き続き、子供部屋大改造。信じられないほどのゴミと暮らしていたことを娘に自覚させる。放っておくと靴下を脱いでうっかりそのまま引き出しにしまってしまうような娘なので、今こそ教育が大事と、収納の仕方を徹底的に指導した。同じ年のお子たちは晴れ着を着ている日だが、頂いたお祝い金が収納家具やカーテンに変わる現実的なうちなのだ、我が家は。
二日がかりで区分けしたおもちゃたちはどれもしっかりしまわれ、押し入れの奥の奥のホコリまでみっちり掃除されてピカピカ、とてもいい感じだったが、そうなってくると、台所もいじりたい、平成新山(洗濯物の山・すでに三週間分)もぴしっと造成したい、家中の無駄なゴミを全て捨てたい!!欲求にかられ、時間が足りない。
ちょっとお出かけの予定がかさむと、家中ひどいことになってしまうということから、主婦の日頃の働きたるや、なんと偉大なのか。という結論を、私は導き出したいのだが、夫はただ単に私が仕事をさぼるからひどい状態になると思っている。つまり、マイナスをゼロに戻す発想であって、戻っていなければマイナス9がマイナス3になっていても、マイナスはマイナスなのであった。私が働くエネルギー、すなわちプラス6のベクトルに着眼してくれないのだ。ひどいマイナス状態を作っているのは誰なのか。まったくもー。
私は一人暮らしの時に、いつ誰がどんな状態でやってきても、五分待ってもらえば「どうぞ、入って」と言えた人なのだ。「そこは寝室なのー」といって、ホームパーティー以外の時には絶対誰も招き入れない魔窟、「開かずの間」があり、「五分間でサッパリ! 魔法のトリック」はこの魔窟にあったんだけどさ。
そして、魔窟で敷きっぱなしの布団の中、休日は男がいればいちゃいちゃして過ごし、いなければ一日ゴロゴロしながら本を読んで時々うとうとしていたのがいちばん楽しかった気がする……。あれあれ?  思い出せる青春のお楽しみって、あの魔窟? 三十代最後にして振り返る青春の輝き、楽しかった瞬間が、魔窟での……。
えー。
連日連夜がーっと働いて、むりむり遊んで、毎週末は廃人として過ごしていたのだが、実はあの廃人を愛していたのか、私は。好きで毎朝早起きして掃除していたわけじゃなかった気はするけど。掃除して眠気さまして、きれいになった自宅兼事務所で、コーヒーでサクロン飲んで、ばりばり仕事するためだったのは認めるけど。で、全国走り回って、観光して名物食べてマッサージかかって、寝て。時計にらんで都内走り回って、人とあって、原稿書いて、飲んで遊んで、寝て。
密度濃いぃぃぃぃ。今一週間でやることを、十年前は一日でこなしている。
あ、当時を想い出して、胃が痛い。
己の怠け者度合いを深く考察する、月曜日の朝のホームページ更新。
あのー、これを書き終えたら、ばりばり仕事する予定だったんですけど。どうなんでしょう、もう一人のゆう子さん。
今は何をするにも、子供という言い訳があって、彼等の時計に合わせたゆっくりしたリズムで動いている。きりきりしていない分、仕事ものんびりになるわけで、このだらだらした感覚は、魔窟の休日に近く、だから毎日が楽しいわけか。リラックスしている分、太るわけだが、もうウエスト60センチ、63センチのスカートは全部処分したし、いいやね、別にね。
人に優しく。自分にはもっと優しく。
じゃ、平成新山はとりあえず崩れないように固めて、台所は洗い物だけでOKってことにするか。
娘がだらしないのは、夫だけでなく、私の遺伝でさらに強化されたものかも知れません。
でもお部屋がきれいできりきりしていて、「母のだらしなさに我慢ができません」なんて作文で告発されるより、宿題忘れても平然と学校に行ける、「おかーさん、パンツが平成新山に埋まっててわかんないよー」と私を許してくれる娘の方がいいや。
雨の月曜日はダメですね。雨音でリラックスしてしまって、やる気がそげました。このまま布団に戻って、福助といちゃいちゃしたい欲求にかられつつも、そこはぐっとふんばりましょう。
ああ、今週は忙しいのだ!!

 
 

 2003-11-10
 

「いさこおばちゃんだ、いさこおばちゃんがいるっ!!」
と、思った。私が子供の頃、見たまんまのいさこおばちゃんが、ワールドカップでばっこんばっこんサーブを打ち込み、アタックを決めている。なんだありゃあ。
それは、母がどうにも苦手にしていた、父の妹だ。
しかし、顔は私に瓜二つで、何度も「んまーっ、そっくりねぇ」と親子と間違われるたび、母・ヨシコは苦い想いをしていたときいた。38-9年前、母・ヨシコは初めての子供を産んで気がたかぶるあまりちょっと変になっており、自分が泉ピン子に似ていることを忘れてわが子・ゆう子を絶世の美女だと錯覚、森永ヒ素ミルクのベビーモデルに応募してしまったという逸話がある。
「あら、なんだったか賞はもらったのよ、ものすごくたくさんの粉ミルクを」
そりゃあ、参加賞じゃないのか。と突っ込むべきか、あんた母乳出過ぎでしぼって捨てていたんだろうに粉ミルクそんなに積み上げてどうするつもりだったんだ。と、突っ込むべきか、母・ヨシコは当時から挙動不審なキャラクターである。
長じて、ヒ素カレーの被告に似るとも知らず、母の愛はいつも重たい。
いや、そんなことより、プリンセス・めぐだ。
ああ、私にはでっかくて若いいさこおばちゃんにしか見えない大物選手は、栗原めぐみ19歳なのだった。
バレーボールのワールドカップには興味がなかったが、昨晩、月曜日の夜、「ビギナー」を見ようと思ってテレビをつけたら盛り上がっていて、ついつい見てしまったの。
いやー、燃えたね。最後はアナウンサーがインタビューで泣き出してしまい、「うわ、男が泣くのかよ」と差別発言をしてしまった私だったが(全国泣き虫の男性の方、ごめんなさい)そんなことはすぐに消し飛んでしまうほど、うれしそうな、いいインタビューになっていた。そして、いつしか私の目にも涙が。
そういえば、みたちゃんにも「ワールドカップ、見てる? 出てるのに、見てないの?」といわれた。夫が似ているといわれた水泳選手(北島、だっけ? すでに名前が思いだせない)といい勝負な程度には、似ているかもしれない。でも、私にとってプリンセス・めぐは、やっぱり、しつこいようだが、いさこおばちゃんなのだった。私がいちばん自分に似ているスポーツ選手は田村亮子だと思うが、いちばん自分に似ている親族はいさこおばちゃんなので、プリンセス・メグに似ているといってもいいのかもしれないが。
しかし、母方で私にいちばん似ている従兄弟は、ごまきとガッツ石松を7:3でモーフィングした感じだから(どんな不幸な女だよ、それ)、プリンセス・メグと私はやはり、かなり遠い気がする。メグが長じて、現在の横山樹里のような体型になった時にぜひ横に写真を並べてみたいものだが、メグの健康のためにも、そんなことにはならないように祈りたい。
追伸
今日の日記は、私の親族は大爆笑だろうが、知らない人にはちっとも面白くないんじゃないかと思った。しかも、親族で読んでいる人はほぼ皆無なので、どんなもんだろうとも思った。

 
 

 2003-11-12
 

「いらっしゃいませ球根はいかがですか」
と、ampmに入るなり、声をかけられた。えええ。いきなり、球根ですか。
しかし、まさかこんな深夜に球根を勧められるはずはないのだ、いくら今が植え時だからといって、深夜にビールを買いにきたampmで球根はありえない。
待った。私は次のお客さんが来るのを待ちに待った。全然関係ないのに、雑誌なんか読んだりして、待った。店員さんは、一体何をお勧めなのか。
あ、来たーっっっっ。客、客。
「いらっしゃいませ球根はいかがですか」
くぉら。店員、今、絶対に球根って言ったよな、どこにも置いてないのに球根っていったよな。球根以外聞き取れないほど、球根だったよな。
だめだ。私の負けだ。この後、待っても人は来ないだろう。夫も待っていることだし、急いで帰らねばな。
と、毬花(まりはな)という怪しげな名前のビール(去年飲んでうまかった)を買うべく、レジに。球根、球根と言われなければ、毬花なんて名前のビールを選ばなかっただろうから、キリンは漁父の利、球根の勝利である。今日、ここの店員・そがくん(名前チェックしてるし)は、一体何人に「球根」「求婚」等から連想させるアレやコレを、客に買わせただろう。こういう広告効果というのもあるんだなあと思いながら、お金を払っていたら、来たーっ。来た来た、客だ。ぴんぽーん、と、ラブホと同じチャイムの音が鳴ってドアが開く。
「いらっしゃいませ中華まんはいかがですか」
店員・そがくんは条件反射のように言ったのだった。不明瞭な発音だったが間違いない、とっさに、唇も読んだからな。
中華まん。球根の正体は早口の中華まんでありました。
普通だったら無理がある聞き間違いだよなあ。そがくん、句読点をいれて感情を込めたら、もっと売り上げが伸びると思うよ。余計なお世話だけど。
ああ、しかし、たかがそんな謎がとけただけで、こんなにうれしいなんて!!
中華まんは買わなかったけどね。別に、食べたくなかったし。

 
 

 2003-11-14
 

夜,福助の「算数遊び」に、家事をしながら小一時間つきあう。
学年誌の付録についてきた計算機型の計算練習機(式だけが出て,答えを打ち込むとランプがつく、つまり大人にとっては全く意味のない物)を、姉のように動かしたいけれども、数字が並んでいるばかりで意味不明、当てずっぽではまず正解ランプはつかないのだ、なぜなんだー。と、幼児なりに苦悩している姿はちょっと不憫だったので、西洋そろばんを使って、簡単に足し算の概念を説明してみた。
すると、もうとまらない。福助は目をきらきらさせて、次々問題を解くのだ。最初はそろばん玉を動かすのが母の担当だったが、やがて自分で計算練習機の数とそろばんの玉を対応させて数を数え始め,正解をぱたぱた導くようになってきた。正解ランプがつくと,うれしくて仕方ないという嬌声をあげている。
楽しそうだなあ。そんなに楽しいことがあって、よかったなあ。数を数えているだけで、幸せいっぱい。セサミストリートのカウント伯爵と同じだ。一桁の足し算を一時間。ああ、おむつもとれていないのに。いえ,カウント伯爵はおむつユーザーではないと思います。福助のことです。
オーティズムは、脳の機能にちょっと問題があるためにおこる、ある種の才能の固まりだ。
「みんな違って,みんないい」みたいなかけ声を、有無を言わさず実践している個性的な存在だ。もし子供を株に例えるなら、福助はハイリスクハイリターンの株。中期国債ファンドにしか手を出せないわという安定志向には育てにくいかもしれないが,日々,スリリングで面白いと言えば,こんなに面白いものもない。
巷によくいる「ちょっと変わった子」は、個性が求められる今,最も尊重されるべきなんだけど、実際のところそれをオーティズムかもよと言われると、不安だったり不愉快になったりする人もいると、複数のメールで知る。そんな不安とか不愉快とか可哀想とかを、私に戻されても、私にとってはオーティズムを抱えていることがすでに日常なので、ちょっと戸惑ってしまったわ。悪くないよ、結構おもしろいんだけどなあ。
自分の子供と似ているわ,同系列なんじゃない?ということが、相手を攻撃したり不安にしたりすることになるっていう経験がなかったので意外だったが,ああ、それが世間の見るオーティズムということなんだなと学ぶ。ええーっと、そんなに絶望的なことじゃないですよ、オーティズムの母は。本人はこれから大変なのかもしれないですけど。
同じものでも、角度を変えれば毎回形が変わる,光を当てれば何でもない模様がこんなにきれい。それが万華鏡です。このWeb日記は、そういう理念で書かれています。
……嘘です、ごめんなさい、テキトーに始めて、テキトーに書いてますが。
まあ、誰だってハンディキャップを喜んだりはしないだろうけど,あんまりにも変わってて育てるのがきっついなあ、と思った時には、自分の育て方のせいにしないで,子供が個性的すぎるせいかもと考えてみたら? それがハンディーキャップなら、その現実から逃げないで、「みんなと同じ」の発想を捨て,その子にあった育て方をすれば、うーんと楽になるよ。と、言いたかったんだけどね。
いいじゃん、個性の時代なんだし。私の回りにいる人たちはみんなみんなひどく個性的だけど、誰も誰も困っていないみたいよ。なんだ、たったこれだけにまとめられることだったのか。

ところで、P子は、鬼の霍乱で、昨日一人静かに吐き続けていた。何も食べず,ほとんど飲まず,一日中ぐったり。今朝もひきつづき、ぐったり。こんなP子は久しぶりだ。夕方からは熱も出てきたので、これから病院に行く。一度「大丈夫だろう」と放っておいたら福助が肺炎になっていたこともあるし、子供は急変するので侮れない。P子は水を飲んでも吐く以上,少なくとも栄養切れなはずだから、放置するのは危険だ。
本当は今日「取材の日」だった。兼業主婦に華麗に変身すべく,密かに準備万端だったのに。明け方、取材に行けない旨、報告とお詫びメールを書きながら,ものすごぉぉぉい無念に襲われていた。
よりによって、夫の締め切り日だから、かわってもらうわけにもいかない。病気の子供は,母親を求めている以上,見捨てて仕事に出るわけにも……。女性が外に出て、子供を持ちながら男性と同等の仕事をこなすって,まだまだ大変なんだなあと思う。では、病院にいってきます。

 
 

 2003-11-17
 

この週末は、今年最後にして最大の休暇である。
土曜日は娘の学校の文化祭だった。
娘P子は、吐き気止めと下痢止めと鼻水止めと咳止めを飲んで、つまりいろいろ薬で止めながら、舞台の上で動きまわるわけで,ご苦労様なことであった。
「リハーサルと生徒用の発表会の二日間,お休みでしたから,P子さんは全く文化祭を見ていないわけですよね。どうぞ、一緒にステージを御覧になって下さい」
と、八時半に担任の先生からわざわざ電話を頂き,実は看病疲れからもらいゲロを吐いていたのだが、気力で止めて、かあちゃんは学校に行くのだった。
期待していなかったが、これがびっくり。きょうびの小学生は,すごいです。全く飽きることなく,存分に楽しませてもらった。長年の観劇で培った「でっかい音の拍手」で盛り上げ,手拍子もどよめきも笑い声も、観客としてすべきことは全部やらせていただいていたら,娘が「おかあさん、恥ずかしい」とぬかしやがったので,ステージというのは客も一体となって作りあげるものなのである。それが総合芸術である,と諭す。そして、小学生の芸術を堪能することで、私はすっかり元気になっていたのだった。よい芸術は、たくさんの喜びを与えてくれるなあ。うーん、いつだったか古代の壁画は呪術的な意味があったとする仮説を追求するドキュメンタリーを見たが,子供のブリミティブな芸術に触れて「ありえるなあ」と実感した。
校長先生が九州男子のくせに最後に感動で泣き声になっているのを見て,ちょっともらい泣きして,ああこれから娘だけであと五回,息子もうまく普通学級に入れればさらに4回プラスで計10回も見られるのか。タダで。うれしいなあ。と思う。いや、子供が卒業してからも,地域のおばちゃんとして、見に行っちゃおーっと。私は「子供が一生懸命」という姿がとても好きだ。
娘のアート作品も見た。六年生まで、全部の教室を回って,たくさんの作品に触れた。……いるんだよね,ああこの子はきっと将来「ものづくり」に進むだろうという子供、将来きっと「研究者」になるだろう,「ああきっと美大に進むのだろう」「デザイン系しかないな、これは」……などなど、才能の原石がごろごろしている中で,娘の作品を探す。
小一は「粘土人形」を公開していた。女の子の人形を作っている人が圧倒的に多い中で,「ユーカリの葉を食べるコアラ」と「赤い恐竜」を作っている子がおり、娘に「芸術的才能というのは、人と違うこと」と解説してみる。オリジナリティという点において娘の作品はこじんまりまとまっており,人型の人形でも卓抜した才気が見えかくれする子がいる中で,娘の作品は目立つ物ではなかったが,「ねむいので枕をもっています」というタイトルには心惹かれた。よく見ると,人形は枕らしきものをもっているのだった。多分,後付けでそう見えたのだろう,けれども、彼女の「その場しのぎ」の誤魔化しの才能と、全体を把握して的確に要旨をいい当てる才能を、確かに感じた。そういえば幼稚園の時には、滑り台のオブジェにビー玉をくっつけて「コロコロさん」という秀逸なタイトルで他を圧巻していた。 「恐竜」や「コアラ」を作るタイプの子供だったらなあというのは、親の勝手な望みだ。そして、どんな親だって,そうそう理想的な子供を手に入れられるわけではないだろう。P子にはきっと、P子のよさがある。企画屋か広告屋か詐欺師になれば、無難に世の中渡って行けるはずだ。その能力を私が愛せるかどうかは別の問題として、才能に貴賤はない、はずなのだ。
アートで興奮したP子はすっかり元気で,予定していた夫の実家行きをキャンセルしたのを恨まれたが,薬が効いているだけかもしれないので午後からは安静にさせる。福助と一緒に手をつないで昼寝している姿をかわいいなあと思う。滑り出し快調の休暇初日,大事は取ったものの、収穫は大きく、とてもうれしかった。

あけて日曜日,絶好のお出かけ日和に、病院のお見舞いに行く。高速道路で福助,ぴゅーっとマーライオンのようにゲロを吐く。……しまった、姉の風邪か。
親戚中に頂いた七五三のお祝いに対して、写真とお礼状を夫が用意し,内祝いは私が手配して、途中伊東で義姉に会い,かさばる7組のそれらの荷物を車に積み替えて、あらためて病室で義母に会う。義父は元気な植物状態だった。多分,年を越せると思う。
「こんな状態でもいいから,あんたが生きててくれることがこっちの励みになってるんだから」
と繰り返す義母。そんなわけだから、父さん、がんばってくれ。
結婚十二年目を迎える来年の年始は,初めて夫の実家で過ごす予定にした。義父がついていた餅をつくのは,やはり夫しかいないだろう。義母にとってはその方が絶対にいいはずだ。
19から必ずホテルをとってずーっと旅先で一人で新年を迎えていた。28から10年間は「結婚記念日おめでとう」と元旦にシャンパンをあけてきた。もう、いいだろう。自分のやり方で新年を迎えなくても。
今いちばん苦しんでいる人のために費やす時間は、きっと未知の喜びを与えてくれるにちがいない。
帰路,伊東小●園に寄り,「世田谷区民特権」で泊まる。
だが、39度近い熱を出して吐き続け、意識もうろうとしている福助と,「やっぱり気持ち悪い」と言い出して何も食べない娘と、すばらしい温泉施設やごはんのギャップが哀しかった。温泉はざぶんとつかって、ごはんはぱぱっと食べて,がーっとビールを飲んで8時半には寝た。「おかあさん温泉に入りたいよぉ」と泣く温泉好きのP子をなだめて,夜中、福助の嘔吐で起こされ、子供連れの旅行の最悪のパターンを経験して、心配だとか、腹が立つとかより何より,哀しかった。

代休の月曜日,早朝娘とひとっ風呂浴びて,午前中に宿を出る。睡眠はたっぷりだし,みなぎる元気だ。海沿いの道を快適に飛ばし,昼にはもう東京。渋滞知らずであっという間だ。
そのまま帰るか迷って、がぜん張り切る娘のリクエストに応える形でカラオケとボーリングをし,夕方に帰宅した。福助もすっかり熱が下がっていて,ボーリングデビュー。「福ちゃん、たのしー」を連発する。そうかそうか、よかったな。こんな休日らしい休日は久しぶりだ。ああ、よかった。私は「家族が仲良し」という姿も,とても好きだ。
一回目が89点だった夫は「111点で快勝しているじゃないか」と私を促すので、二回戦にちょっと賭けてみた。すると、大快挙。なんと179点、最後なんかターキーまで決めちゃって。夫は!!
お金がかかると夫は強いと見るべきか、最初の夫の点がひどすぎたと見るべきか,実は夫はこそくな詐欺師と見るべきか、悩みつつ、休暇満喫で帰宅。
帰宅するや否や、いきなり、福助とP子、今度は猛烈な下痢が始まった。一進一退だなあ。
大量の洗濯物,散らかった部屋。そして、病気の子供たち。
ああ楽しみにしていた休暇が終わったのだなあ、ここから年末まで、日常との戦いが始まるのだと思うと,やはり無性に哀しかった。

今日は火曜日。
三歩進んで二歩下がる、人生はワンツーパンチみたいな猛烈な風邪を、私ももらったらしい。寝ます。

 
 

 2003-11-19
 

娘が薬を飲むのを嫌がるので、出ちゃって困る順に下痢止め,吐き気止めを飲ませ,咳止め鼻水止めはまあ、いいかということにした。
ところで、私のくしゃみがとまらず、とうとうくしゃみのたびに腹がつる(痛い!!)、ティッシュをあっという間に一箱使い切る,鼻の下が赤く擦り剥けるなど実害が出てきたため,私自身に薬が必要になってきた。そこで、はた。と気づいたのが、もういらなくなった娘の薬だ。
私は薬が欲しい。
娘の薬は捨てる。
もったいないではないか。多分、成分は同じなのに。
「体重は何キロですか?」
と、薬を調合する際,ドクターは娘に聞いていた。娘は22キロ,P子ひとりあたり1袋なら,私の体重はP子約3人分だから,3袋飲めばよいということではないか。
というわけで、いっただきまーす。こなこなごっくん×3。
……これがものすこぉぉぉく、効く効く。鼻水がぴたりととまったかと思うと鼻腔がひりひり乾燥して痛くなり,まぶたが突然がごーんと重くなって、ふらふらする。信号待ちがいつもの何倍にも感じたり,ハンドルを握りながら一瞬眠ってしまったりする。すっげー、恐かった。
みなさん,危険ですから、薬はきちんと処方してもらって,きちんと適量服用しましょう。
そんな状態での「猿テニス」は、なかなかハイで、ハッピーでやした。へい。
一勝二敗、試合をゆるゆるこなす。
嘔吐も下痢も通過儀礼のように一度過ごせばすぐに終わってしまう中途半端に頑丈な体では、ゆっくり休み続けることが難しい。ところが薬の副作用のせいで、猿・早退後、家にたどり着くや否やあずすーんなず、ベッドに倒れ込んでしまった。ほんのり汗ばんだTシャツのまま。夫なんぞは試合ごとにTシャツを取り替えており、今日のお天気を考慮に入れても、いかに私が動かなかったかがわかろうというものだ。
ええーっと、ペアを組んだ方,ごめんなさい。でも、ふちゃは相変わらず強くて勝つ喜びを思い出させてくれたし,今日組めた二人の殿方はとても紳士的で、勝負師さながらのショットを決めるのを見るのも快感、私のミスに対しても寛大でいてくれたので,とても楽しかった。ミックスダブルスは、おばちゃんテニスとは、また、違う味わいがあるなあ。と、反すうしつつ,夕飯を作るために起きて,子供たちに食べさせてサッカーを見て,その辺りから鼻水がまた滝のようなので、きっと薬が切れたんだと思う、それでもまだ眠い。眠い。あんまりにも眠いので,今日のところはこの辺で。

……といいながら、ちょっと付録。
信じられないほど若く美しい肌の持ち主(某漫画家)が初参加し、そのご主人も肌のつやがとてもよいので(そして二人揃って美形でもあるのだ、もったいないことに。美形は美形同士くっついてはいけないと思う)理由というかコツを伺ったところ,
「二人とも、家から出ないですからねぇ」
とおっしゃっていた。紫外線を浴びないことが「美しさの秘けつ」だとしたら、定期的に子供を公園に虫干しに出かけなければならない子持ち主婦には手に入れられない贅沢というものなのだった。
夫婦仲良く優雅に暮らす,というのも、幸せの形だよなあ。奥様は、餓鬼が食べる食費分の余剰金で、フェイシャルエステなどにも通い、紫外線を遮断するのだ(羨望)。
もちろん独身貴族もまた然りだ。24時間全部自分のものという豊かさは、何ものにもかえがたいだろうなあ(遠い目)。
私の場合は、もうすでに「自分大事」ではないからなあ。主婦の仕事は滅私奉公、UVケアより子供のケア。子供の送迎でしょ。家事は生活紫外線との戦いでしょ。週に一度は外でテニスでしょ。若い頃はアジアでダイビングしまくりの、でしょ。四十を目の前にしてダルメシアンのようにシミがでてくるのは、自然の摂理なのだなあ。いいじゃん、かわいいじゃん,ダルメシアン。まだしみもしわもなく産毛が光る子供たちを抱きしめながら,ダルメシアンの誇りについても、少し考えた。
人の生き方は、「比べる」のではなくて,こんなふうに「並べて」みるのがいいなあ。
違う形の幸せも想像すると、とても楽しい。そのサンプルが幸せそうであればあるほど,楽しさが増すから、いろんないい友達っていうのが必要なんだなあと思う。幸せというのは全国民中何番と、模試の結果のように出るわけでもないんだし、競ってみても空しいことだわ。
猿テニスは、待ち時間に結構いろんな話をするので,ついつい哲学的にもなっちゃう至福の時間なのだった。

 
 

 2003-11-20
 

どんな人でも、自分の人生なら一冊の本になるほどのドラマをもっている。
当たり前だ,人は祝福されてこの世に生まれ落ちるのだ,誰の人生にも絶大なる価値がある。
市井の人がいちばん面白い,と、常々思っていたけれども,ラッキーなことに、その極にあるような人と巡り会うことができた。
「本にするのを、手伝ってくれませんか」
というお話だった。
信念に満ちたまっすぐの力で、とんでもないことをなしとげた一人の男性と、それをがっちりサポートするパートナーの女性に一目会って,その引力に驚いた。けれど功績を誇らず、驕ることなく、静かに、ごく普通に、生活を営んでいる彼等。
とはいえ、原石はおのずから光ってしまうわけで,いくつかのマスコミに彼らが取り上げられ始める。
本にしませんかというそのオファーも中堅どころの出版社から来た。
彼が語る言葉は重く深く、そして楽しい。その言葉の厚みに触れて,私は、
「ぜひ、お手伝いさせて下さい!」
最後にはこちらからお願いしていた。

編集の若い女性と会う。
やるぜやるぜの勢いで打ち合わせに出たのだが,話の方向性が微妙に違うのだ。
彼は私の今までの作品を読み、HPも目を通してくれて「鈴木さんの著書として」とまで言ってくれたのだが,それでは売れない、読者がついてこないと、編集女史は言葉を選んで慎重に告げる。
その気遣いで、どれほど教養のある人なのかがよくわかる。人は、こういうところに優しさがにじむ、教養というのも優しさの一種なのだなあと知る。
うーん。まあ、そうだろうな。私は無名の主婦ライター、しかも雑誌と広告が主体だった。ブランクも長く、誇れる受賞歴も学歴もない。実績というが、どんな大作家にだってデビュー前や新人の時代があるもんっすよーとも思ったが,出版不況の昨今、海の物とも山の物とも知れぬ太った中年女(新人)に賭けてみる冒険野郎がそうそういるとも思えなかった。演歌じゃないんだしね。
彼は熱意を持って私を推薦し続けてくれたのだが,いくら単行本処女でも、諸般の事情はさすがによくわかっているお年頃,彼が私を推せば推すほど編集女史の立場はきつくなるわけで、彼を私がさとす形で、長い話し合いを終了した。
編集女史預かりという結末。
その後食事をしながら私はとりあえず自分自身の簡単なPRと,いちばん角が立たない解決策(すなわち私がおりるか,私がゴーストライターに徹するか)を提示した後,帰路についた。
身にしみついた「おかあちゃん」体質は、仕事にはそぐわないのかもしれない。自分のことよりどうしたって第一線で活躍するであろう、年下の彼女の行く末を第一に考えてしまうよ。彼女が聞き書き編集したくてこの企画を出したのもよくわかるし、その相手として最適なよいターゲット選びだと思うし、当然その方が彼女のキャリアにもなるもんなあ。
そんなとき、「ぼくにしてー!」とシュレックに出てくるドンキーじゃあるまいし,ぴょんぴょんはねて自分を選ばせたいとは思えなくなっている。その貪欲さがなくなってしまったの。
多分彼女と仕事以外で会っていたら、楽しくお酒が飲めそうだったのになあ。と、彼女の笑顔を見ながら思ったので、そう誘ってみた。……いつか、一緒に飲めそうだ、コレを今日の収穫としよう。
もとより、作家という肩書きに、興味はない。
まだ精神的に不安定だった若い頃,「フリーライターよりは作家の方がかっこいいかなあ」と思ったことは正直,何度かあったけど、ラジオの仕事をかじった時「放送作家」という紹介のされ方をして,笑っちゃったもんなあ。だめだめ、私は「ライター」がいい。と、思った。
昔から好きで書いていた掌編はたくさんあるけど,書いちゃったら満足で、人様にお見せするようなものでもないと思っている以上,作家への道はありえない。
どちらかというと、名のある陶芸家を目指すより、こつこつ日常で使う廉価の曲げ輪っぱを作る職人のような気分で文章を紡いでいた。相手のニーズに合わせた文章第一。お金を頂戴する以上,まじめにコツコツ取材して、文章にして。
そして今では、ただ書いていれば幸せという、いわば自慰行為としてのHPがあり、だから、これはお金に換算されずともかまわない。主婦だから、食い扶持は夫が稼ぎ出してくれる。現状には満足している,不足はない。でも。
でも、今回私は,お金や名誉とは別の次元で、私が見た「彼等」を、自分の文章で描きたかった。そういう仕事をしたかった。彼が語る「私はこう思った」にただ共鳴するゴーストライターの文章ではない,行間を、描いてみたかったなあ。それほどすてきな素材だったから。それだけが、とても、とても残念だった。
密かに別プロジェクト「巨大曲げ輪っぱづくり」(仮称)を進行させて,日々楽しいので,それで良しとしなくちゃいけないのかもしれない。この内職の形が見えてきたら、発表させてください。それをきっかけにして知り合っている人たちはまた、とんでもない「市井の人」であり、巡り会う人一人一人が愛おしくてならない今年の秋です。

 
 

 2003-11-26
 

「お天気がいいと,大抵気分がいい。たかがお天気程度で気分が左右されちゃうんだから,人って単純よねぇ」
と、昔誰かに言われた。出典(?)を完璧に忘れているのは、中年の証拠です。
その通りだな,と、思って。
どんなに心が荒んでいようと,体調が悪かろうと、いい天気だとやっぱり、わくわくするもの。
太古から続く、そういう遺伝子がある。そりゃもう、遺伝子には逆らえませんて。
今日なんか,昨日一日降り続いた雨のおかげで,空気までさわやかな朝。
かご二つ分の洗濯を、今干し終わったところです。

平成新山活動期は、秋である。
という説が、夫より提示されました。秋は、寒がりで暑がりで花粉症の私にとって、本当にほんの少しの「快適」な日々。当然,元気だと鉄砲玉な訳で,がーっと遊び回って、家事よりも楽しいことを優先させるから、塚は山となる。けれど家の中にいることが多い時期には、それなりにきちんと造成されていく。
すごいなあ,家事の仕方で、四季が感じられる家。豊かだなあ。山を掘って靴下をペアでそろえると「収穫!!」という気分も満喫できます。

なんてことを言って誤魔化してきましたが,この三連休(私としては火曜日も予定がなかったので4連休)は、さすがにどんよりたまった家事をいっきになんとかしなければなりませんでした。
ところが、なんだか家中、「眠い空気」いっぱいなの。寝た寝た、脳みそが溶けるほど,寝ました。体中が痛くなるほど,寝た。「あ」っという間に一日が過ぎて,何かの呪いかと思ったよ。いや、私がのろい。って、おばちゃんギャグでけむにまいて、家事が進まなかった言い訳にしたいと思います。
でも、空気が重かったー。ゲル状の空気(そんなものは物理学上存在しません,ええ,存在しませんとも)の中に漂っているようだったなあ。まあ、そんな日もあるってことで。
平成新山は、やっと、丘ぐらいになりました。靴下もパンツも探さなくていいから便利ぃ!と、P子が喜んでいたのが不憫です。

雨の音は心を癒すようです。
世間様はもう活動開始,私だけ特別連休最終日の昨日は、午前中、気が付いたら福助と抱き合って爆発的に眠っていました。雨だねぇ、そうだねぇと言い合っているうちに,寝ちゃったよ。精神的な疲れも,これですっかり癒え癒え。
寒くなってきたのでどこのお宅でも小さな子供はアンカがわりに必需品だと思いますが、どうも私は寒いのに奴は汗ばんでいて,歳の差のあるカップルはこんな些細なことで案外うまくいかなくなるのではないか、と、思ったりもしました。歳の差,あり過ぎか。

自堕落な連休でびっくりしたのは,P子と福助がとても情緒的に安定していたことでした。
眠りたいだけ眠り,お腹が空いたらご飯を食べる。しなくちゃならないことは何もなく、ちょっとお外にお散歩に出たり,近所のドンキホーテでお買い物したり,ついでにおやつ食べたり、ビデオを借りてきて全員でだらーっと見ていたり。夕方でも夜でも適当にお風呂に入って,「早く寝なさい」とせかされることもない、休日。
ああ、そうか。
きっちりした外出好きなのは私だけだったんだなと思いつつも,こういう「何でもない日」に、何でもなく、家族で寄り添っている安心感っていうのは、意外にお宝なのかもなあと発見。
毎週コレじゃ,お母さん、つまんないけどさ。
でも、それで昨日、P子が夕方しおしおになっているので体調を聞いたら、
「平気。今日、四時間目、だるかったから保健室で寝たから。寝不足でしょうって、先生が言っていた 」
と報告され,しまった、連休でリズムを崩したのか。と、母親としては反省もしたのでした。
「雨降っていたし,眠かったんだよ」
昔の子どもと今の子どもは、別の国の人間だな。と、思います。昔の子ども代表としては、そんなことで保健室を訪ねるなんて、考えられなかったよなあ。と、思うんだけど。

さて、今日はコレから福助と一緒に福祉センターです。
晴れてて,気持ちいいなあ。電車で行っちゃおうかな。
唯一困ったのは、フリースのベストのジッパーを勢いよく引っ張りあげて、首の皮をはさみ,「キスマーク」みたいなのがついていること。バンドエイドを貼るのもなんだし,といって放置すると誤解されそうだし,仮に今キスマークを作ったところで規則に触れるわけではないのでいいんだけど,なんだかいい歳して恥ずかしいし,「そんなことをしている暇があったら勉強しなさい,おかあさん」とか、思われちゃうんじゃないかとビビっちゃうし,いやもう一日何時間もその手の資料をあたっていて,もったいないから大学入って発達心理とか勉強しちゃうかとさえ思っているんですよ、みたいに言い訳しそうになるし、別に誰もそんな答え期待していないってと自分で突っ込んでみたりもして、疲れる。
まあちょっとした、「ホリディの傷跡」です。

 
 

 2003-11-27
 

犬ですら歩けば棒にあたるお国柄だ。
主婦だって,歩けばいろんなものにあたる。
今日、ある商店街を歩いていたら,「健康器具」を売っているお店があった。おばちゃんたちが気持ちよさそうに怪しい王様椅子(仮名)に座っている。ああ、おばちゃんがひっかかっているなあ。と、視線を振っただけなのに、めざとい店員がさささっとドアを開けて私を見つめながら誘うのだ。
「ほんの10分で、ぐーっと楽になりますよ。無料なんで,試して行かれませんか」
だーーーーーーーーーって、みんなおばちゃんじゃないっすか。
しかも、あなた、イケメンが、そんな目で誘って!
それがさわやかな青年でなければ、相当むっとした気もする。そうか、そういう商売のターゲットになりうる歳に見えるんだね,私。と。
ふんーっだっ。王様椅子(仮名)になんか、乗るもんかーっっっ。と、やおら元気に走り出してみた。
が、テニスをお休みしている体には,ほんのちょっとのダッシュがこたえるのだ。ボディビルダーにスカウトされたのは22歳の時だったか。それが今では、50メートルダッシュ・気分らんらん編で、太ももが震えるの? 衰え,早すぎじゃない?
帰ると、夫が廊下の隅においてあるマッサージチェアでぶるぶる揺れながら,
「お〜か〜え〜り〜」と、声を振るわせて、言うのだった。最近では鍛錬によってどんどん年下の夫に見えるようになった夫が(悪魔と契約していなければいいが)、今日はなぜかくすんでいる。
「体調悪くてさー」
元気がないと、年相応に見えるもんなんだなと知る。そうか。機嫌よく背筋を伸ばして歩けばいいんだ。そうすれば、奥さん年上ですかと聞かれることも,ええっどうみても40代そこそこですよね、と言われることも,イケメンに健康器具を勧められることもないんだ。と、思う。
以前,ヘルシア(苦くて美味なダイエット茶。効果も良好)を箱買いしたセブンイレブンでも,レジで20代後半と打たれたしな。店員が私をいくつに見るか,それは勝負として必ずチェックしている。そういう勝負かかっている時には元気なオーラも出るのだろう。
若いのがいいなんて全然思わない。高校時代からあしかけ10年近く,ずーっと「25歳に見える」と言われ続けたルックスだ。常に実年齢より老けてみえる宿命を背負っているのだろう。(どんな宿命だ)。
けれど、やはりまだ、50代に見られるには早すぎる気がする。ここからあしかけ10年、ずーっと49歳というのも、つらい。最近の50代はそれだけ「若く見える」と言うことなのかもしれないが。ちょっとは枯れろよ。という気がしないでもないけど、みなさん実にお達者で何よりです。

午前中歩いた商店街では「アンケートお願いできませんか」というおばちゃんたちがわらわらと近付いてくるのだった。
こっちの状況、全くおかまいなし。協力できる時には協力するけど,見るからに無理そうなその時の私になぜ,そうまでして声をかけるかなあ?
だいたい一回500円の図書券。こんな時ばっかりは完全に主婦の顔をして、試食したり勝手な感想をいったりするのだが,そこから出てきたデータを報告書と企画書にして広告代理店に売る仕事をしていたこともあるため、ついついニーズに合わせた結構な力作を書いてしまう。アンケートを書いた後で,一枚当たりのデータの単価が500円ではない事実も思い出されるのだが、まあ、たくさんの人が食べて行かなきゃならない世の中だしね。と、思ったりもする。時々1000円だとかなりうれしいわけで、まあ、世の中、持ちつ持たれつだ。……急いでいなけりゃね。
そういえば、よく道も聞かれるのだった。これもまた、宿命なのか。(だからどんな宿命だって)。娘を連れているとなぜか道を聞かれる頻度は増し,とんでもない高確率で道を聞かれるため,娘は大人になったら毎日、道を聞かれるものなの?と、私に聞いたことがあるぐらいだ。地元だけではなく,熱川でも聞かれたし,マンハッタンですら,娘と一緒にいて何度か道を聞かれた。外国人に聞くなよ、道を。
つまりは、そういう雰囲気なんだろうな。歩いていると,声をかけられやすいの。散歩好きだからかしら。

ただし,気軽に声をかけられましても,人の道は、説くことができません。あしからず。

 
 

  
 
日記
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