2003-Oct. メニューへ戻る

 2003-10-01
 

みそからヨメへの伝言が無事に伝わる率と、ヨメからみそへの伝言が無事に伝わる率は、どっちが高いか。
圧倒的に後者。
これを「フェミの人」が解釈すると「男性は女性の用事やつきあいを軽視しているのだ。自分だけが重要だと思っている。けしからん」ということになる。
「男性と女性の脳の性差」とすれば、事務処理能力は女性の方が得意、と言うことになるかもしれないし、「脳神経外科医」なら「若年性アルツハイマーを疑え」と言うだろう。ついでに「アルミ鍋はアルツハイマーと関係あると立証はできていません!!」と、アルミ鍋普及協会の人は言うだろう。怪しいので、我が家にはアルミ鍋はない。
「右脳教育」の人の手にかかれば、「右脳型の漫画家でも、訓練をすればこんなに事務処理がこなせるようになる」といわれるかもしれない。
が、なんのことはない、みそが固有名詞に異常に弱いだけだ。
PTAの連絡網なのか、校外班か、習い事の方か。誰からかかってきたかがわからなくなってしまうので、内容で判断するしかないのだが、「変質者が出ました、気をつけて帰るように」などという内容だと、出所もわからなくて、結構弱る。留守電の方が優秀だったりするのだが、自宅の電話と仕事場の電話を共有しているため、圧倒的に昼間の電話は夫が出るのだった。
「すぐにメモしてよー」
といったところ、内容をメールで送ってくれることになった。ところが、ある日、偶然メールを書いている時に私が家に電話をしてしまい、「あああ、名前だけ、まだ書いてないのに、忘れちゃったじゃないか!」と困ったような怒ったような気弱な責め方をされたことがある。
そういう場合、笑って許す。(虫の居所が悪い時は別だが)。
「苦手なことは強要しない」
というのが、我が家の大原則なのだ。それはもう、ゆるゆるだ。
「人にやさしい生き方」というのは、しかし結局、自分の苦手も責められないという、「情けは人のためならず」な、お家であり、たいそうだらしない暮らしぶりだが、それはそれで快適である。
例えば私にとって苦手な家事は、だから目一杯頑張ったところで独身時代みたいなお部屋をキープすることはできないんだから、いいのね。散らかっている生活感も、味わい。洗い物が食器棚に片付けてないのも、野趣豊か。ここのところ、洗濯物の平成新山は平たいままだが、これもまた、山になったらそれまでなの。なぜ、山ができるのか。そこに、洗濯物があるからである。わー、登山家みたい!!
全然、頑張らなくていい。無理しても人生つまんないもんね、というみその哲学が、我が家の根幹になって以来、ストイックだった私は、ぶくぶくとだらしなく太った。健康のためにサプリメントを愛用し、週に二回はスポーツクラブに行き、スーツは9号、ハイヒールで足に緊張感、その結果、過労だの胃炎だので入院してちゃしょうがないだろうという青春時代を経て、今は健康で何を食べてもおいしいの。人の目は、若い頃の私の方をかっこいいというかもしれないが、かっこ悪くても今の方がいいな。人の目より、自分の内なる幸福だ。
モデルルームのようだった部屋は空き巣に入られた後のようになっても、「どうぞ、入って!」と勧めてしまえるほど、神経までたっぷり太くなった。
そんなわけで、せっかく都民の日。家事をして過ごすにはもったいないいい天気なので、おうちはこの散らかり放題のまま、お出かけしてきまーす。夫は締め切り前なので置いていく。お仕事頑張ってね、ダーリン。

と、午前中に書きおえて、私は子供たちに身支度をさせて、近所のスーパーにお弁当を買いにいった。
「公園でブランチしたら気持ちいいから、お父さんを起こして公園で早めのお昼食べようよ。お父さんが寝てるって言うなら、お父さんの分だけおうちに届けて、そのまま動物園に行こう。今日は井の頭動物園、入場無料でーす」
と、はりきって提案したら、娘のP子が、
「えー。公園、食べにくいよ」
「じゃ、いすとテーブルみたいなのがある方の公園に行こうよ」
「うーん、いいけどさぁ……飲み物、買っていないじゃん」
「あ、しまった! じゃ、一度おうちに帰って、お茶を持ってこよう。すぐだから」
「おかーしゃん、おかーしゃん」
「はい、何ですか、福助くん」
「トイレ、行く」
「なななな、なんですとーっっっ!! どうしたの急に。すばらしい。えらい。君に、トイレ宣言大賞、あげーる。P子、すまんが先に帰って家の鍵を開けて、オマルを用意して! すぐに」
ダッシュするP子。
「がんばれがんばれ、福助」
と応援すると、福助も、
「がんばれがんばれ、トーマシュ」
と言う。トーマスだけは日本語でもビデオを見てくれるので、ここのところ大分、日本語が増えている。どの程度わかっているかは謎だが、一緒に見て、使えそうなフレーズを日常生活にフィードバックし、語彙を定着させるのだ。これは娘の英語学校のテキストでもやっているけど、なかなか効果的だ。 ああ、なんて教育的な立派な母でしょう、と自画自賛しながら家に向かっていたら、福助の歩みが止まった。見ると、ズボンがずるずるおむつの重みで下がり、なんと、ちんちんが丸出しになっている。
「遅かったか……」
夫が間違えて買ってしまったLサイズのおむつ(しかも横がテープ止め)は、キャパが足りない。仕方ないので、おむつだけ外してズボンをぐっと持ち上げる。
「ダイパーが、いい。おむちゅ、しうの」
「そっか、残念だなあ。おむつ、するか」
家に帰ったらP子が早く食べたい。もう公園いいよ、ここで食べようよ。お父さんも一緒に食べられるし。と言う。結局いつもの食卓で、買ってきたお弁当を食べる。食後のコーヒーをサーブし終えて、
「じゃあ、動物園に行こうか」
というと、あからさまにうんざりした顔のP子。さっさとトーマスのビデオをかける福助。そうです、娘は動物園が嫌いです。息子は動物園が何だか知りません。つきあってあげてもいいけど、という態度に、なんだか何のためにはりきっていたのかわからなくなった無情感。
「もういいか。一時回っちゃったし」
と言ったら、
「じゃ、一輪車乗ってこよーっと」
飛び出していくP子。
「おかーしゃん、しーっ。ビークワイエッ! パーシーが、いい。おー、福ちゃんシッダウン・オンザベンチ」
リビングの長椅子に座る福助。見ると、昨日祥子から贈られたたくさんのトーマスの仲間たちが、長いすに渋滞を作って連なっている。
……いいもーんだ、みのもーんた。したくないことは強要しないのが、我が家のやり方だから。
でも、つまんなぁぁぁぁい。お母さん、休日なのに、おうちにいるなんてつまんないよぉぉぉぉん。ねぇ、鈴木キッズ、ついでに夫、もっとお外に出ようよ!!

 
 

 2003-10-02
 

外出嫌いは、遺伝するのか。
福助は、二歳半からラケットでスポンジボールのトップスピンをうち、三歳の今は室内サッカー、ダーツ型ピッチング、ミニバスケット(ドリブル3回まで)、風船でバレーボールと球技万能の状態だが、それを外でやろうと言うと、ダメなのである。夜、蛍光灯の下では、狭いリビングでは、張り切っているのに、昼間の道路や公園ではまったくダメだ。蛾みたいなやつだ。
今日は福助を連れてママさんテニスにいってきたが、コートの脇でラケットを持とうともしなかった。 ボールの入っていた缶に、オムニコートの砂をざっくり入れて、両手に缶を持って、傾けながら砂を入れ替える。
「雨、降ってきたねー」「あ、降ってないよ」「また降ってきたねー」
と、一人で砂の音を楽しんでいた。いろいろな意味において、「レインマン」な福助である。楽しげなのに、それでもよほど外は嫌いらしく、終了と同時にコートを飛び出していき、車に駆けていくのだった。そして、転んで「おうちー、かえゆー」と泣くのだった。
学校から帰ってきたP子も、「家で遊びたーい」とさんざん言う。こんな秋晴れの日に、なんてもったいないことを言うのか。子供は外で遊んでこそ子供です。と、説教する。
誰かの家に行って遊ぶのは悪くはないが、今の時代、こうおもちゃに恵まれ過ぎていると、遊びに工夫がなくなる。お菓子だってよそ様のお宅ではふんだんに与えられてしまうから、普段甘い物を食べないP子は、ごはんに響く。場合によっては親が手みやげを持って迎えにいったり、ご挨拶しなければならなかったり、面倒くさい。特に今日のようにテニスで全身に塩が浮いているような状態では、全く気合いが入らない。おかあさんにとっての勝負服はジーパンとUVケアとナチュラルメイクだが、もう今さらしょっぱいお顔にクリーム塗りたくないし、ゴム引きのトレパンも脱げないの。普段はシャワー浴びるんだけど、もう今日はヘロヘロだったー。精神的な落ち込みはプレイスタイルに大いに影響して、今日のママさんテニスも、いいとこなしだったー。それでも、私は基本的にお外が好きさ!! 疲労が回復すればすぐにだって旅立てるほど、おでかけが、大好きさ。
「早く外に行きなー」
とP子にいったら、打ち合わせにない事態なので、電話をかけて相談すると言う。
P子よ、そうやって電話を何本もかけあって、許可が出たお家を確認し、改めて場所を設定するためにまた電話をし続けて、何分も費やすのは効率が悪い。最近の小一は、それが常識なんでしょうか? いや、真の常識とは、「放課後は学校で遊ぶこと」であろう。
「たとえ誰かのお家がOKであっても、ワタシが許しません。電話でやりとりするなんて、10年早い。こんないい天気の日には、校庭で遊ぶもんです。学校は全員が知っている場所であり、大人の目もあるのだから、安全で合理的です!」
と諭したら、逆切れされてしまった。
「わたしはぁ、お家の中で遊びたいのぉぉぉ」
叫ぶほどのことかよ、と思う。そんなに外が嫌いなの?
校庭で走ったりゴム跳びしたりボール遊びするのが正しい小学生だ。私なんかそれだけを楽しみに学校に行って、夕方になるのが悲しかったもんだ。きなこ餅のようにホコリまみれになって、「あー、おなかすいたー。かあちゃん、今日の夕飯は何? わーい、カレー? やったー、3杯おかわりするぞー」って帰ってこいってんだ。と、無理矢理送り出した。
静かな、秋晴れの昼下がり。
やがて、ビデオを見ながら床の上で果ててしまった、福助。あら、リビングの長椅子には、夫が仮眠中。締め切り直前の彼は、多分ここ数日の総計で1000歩、歩いていないだろう。漫画家って、辛抱なんだなあ。と、今さらながら思う。福助を抱いて子供部屋のベッドに運びながら、「遺伝だこれは遺伝だ呪われた血だみんなみんな動かない」とため息をつく。それはそれで、いい。化石のように固まっているのが好きなら、それも、また個性。
でもねー、四人家族で一人だけ、ブラウン運動みたいな存在って、つらい。多動かあちゃんは、明日も朝から、ばりばりおでかけでーす。

 
 

 2003-10-04
 

お父さんの仕事部屋のドアの前に、栗が三つかためて置いてあった。
ゆでた栗を福助が三つ手に持って、家中のいろいろなところに置いていく。
これが実に愉快そうなのだ。
「ぐりぐらぐりぐら」といいながら、栗を置いていくのは、ちょっと違う。どちらかというと、ごんぎつねだぞ、福助よ。
「おとーしゃん、おとーしゃん」
と、P子と一緒にお風呂に入ったはずなのに、二階から呼ぶ声がするので、仕事中の夫を刺激しないように私が行くと、「ほだー」と、お父さんの寝室のベッドの上を指差す、真っ裸の福助ごん。ちょっと得意げ。まだ、風呂には入っていなかったらしい。
「あはは、なぁんだ、ここには栗を置いちゃダメだよ」とつかむと……ぬるっ。それは、ごんのうんこなのだった。
あ゛ー!!
鉄砲があったら、打ってたと思う。ごん、お前だったのか。

テニス友達の杉田さんの家に、空き巣が入ったと聞いた。
二週間前ぐらいから不振なワゴン車が路駐していたというから、そういうのをこそ取り締まれよ、警察!! と、一緒に憤慨する。若くして亡くなったご主人からもらった品々が、宝石箱と保証書ごとごっそり持っていかれたらしい。パソコンも、家電も、わりと根こそぎ。被害総額を聞いてひっくり返ったが、それでも元気な杉田さんにはもっと驚いた。
「ご主人も、天国から守ってくれればいいのにね」というと、
「遊び過ぎ、外出し過ぎだぞって警告かもねー。そろそろオレは忘れろってことなのかもしれないし。婚約指輪だけは残っていたんだけどね。いずれにしても、鉢合わせしていたら命も危なかったわけで、命があっただけ、よかったよ」
……若い頃に、最愛の人を失うという経験が彼女を強くしているのか。天性のものなのか。こんな35歳もいるんだなあ。まわりが落ち込んでいないかと気にかけ過ぎで困ると笑う彼女に、なんかちょっと、感動してしまった。

罰金は8万円だった。今日、来た。
280キロメーターがついているドイツ車で、誰もいない高速道路を160キロで飛ばした。当然無事故だったのに、私は前科者になったのであった。窃盗団の路駐を取り締まれない警察が、オービスで罰金を徴収している。ええ、ええ、そりゃあ、悪いのは私なんですけどもね。
例えば、誰もいない道をふらふらと真っ裸で歩いても、犯罪にはならない気がするんだが、どうなんだろう。それを防犯カメラが撮っていたら、その人は犯罪者か!……あ、犯罪者かなー。今うちの前を裸の男が駆け抜けていったら、ちょっとヤだもんなあ。その存在を確認していなくても。スピード違反も、そういうことなのかなあ。誰も巻き込まなくても、そんなスピード狂はちょっとヤだ、と。
(露出狂の罰金って8万円もするのか、という疑問は残るが)。
高速道路を使ってすぐに高崎署に出頭していて、府中の自動車試験場で講習を受けて、東京地検に行った経費もあわせると10万円を有に超えることになる、罰金。これだけ反省の態度をあらわしているんだから、デフレの世の中、もうちょっとまけてくれても……。とは、思った。でも、心の底から反省していないようなので8万円(痛い、痛い!)は妥当なのかも、とも思ってみたり。
私が子持ちでなかったら、一日5千円に相当するという労役をぜひとも試してみたかったが、そうもいかない。何の罪もなくごっそり持っていかれた杉田さんに比べれば、罪あって8万円も、仕方ない気がするし。
ああ、炊飯器買いたかったなあ。と、思いながら、8万円を納めるのだ。半分壊れている炊飯器だから、新米も買わないでいいし、古米なら2割も安いし、いいのいいの8万円とられても。ま、命があってよかった、ということで。

 
 

 2003-10-07
 

「業務スーパーが安いよー」
と、たかちゃんから聞いてはいたが、まさか本当にこんなに安いとは。デフレ、万歳。
お店の人はこういうところから大量に仕入れるのか。と、感心しながら、その中でも小さめパックをわんさか買う。問題は冷凍食品が多いことだなあと思っていたが、これが慣れるとなんて便利なの!!
考えてみれば、例えばスーパーのお惣菜コロッケは1個80円で買うわけだから、1個あたり30円を切る冷食を使って、あげたてコロッケにしたって、全然いいわけよ。有機農法で育てたじゃがいもを自分でつぶさないと。という主婦の鑑だったら、使えないけれども。ただ、ついうっかり冷凍オムレツ10枚入りを買ってしまったのは、敗北だったけどさ。
敗北といえば、ぞうきんも10枚200円しなくて、反射的にわしづかみしてしまったけど、ぞうきんぐらいはいらない布で縫うべきだったんじゃないかと私の中の「プロの主婦様」がワタシをちくちく責める。私はエコロジーから遠い生活を営んでいるのだから、せめて古着はざくざく切ってダスターにし、ペーパータオルまたはぞうきん代わりに使って捨てる、というのを自分に課していたのに。
家庭経営は合理化されるべきだ。との信念のもと、ジャンジャンばりばり手抜き家事を推進してきたけれども、仕事において、「企画書はパソコンで書いても、お礼状は手書きでね」みたいな、こう、合理化してはいけない心の部分というのがあるだろう。
新品のタオル、しっかりミシンがけされたピカピカのぞうきんを、使い捨ててもそんなに惜しくない値段で「買ってしまった」のは、私にとって、事件というか革命だった。
そいでもって、それがまた便利だったりしやがるので、困っている。クイックルにピッタリのサイズなのよー、だからフローリングの水拭きと簡易ワックスがけに使えるの。
こういうのを、試合に勝って勝負に負ける、というんだろうか。ちがうか。

ところで、今日は、娘の英語学校の日。
ちょっと特殊なので、五時八時という変な時間になっている。冷食でお子さまランチを作って、(ああ便利!!)おやつに食べさせ、駅まで送った。途中で、福助が
「あいむ、はんぐりー」
と、言う。パン屋さんに入って、触らないで触らないでと言い続けながら、とにかく選ばせ、さ、お勘定。とトレイとパンばさみ(なんていうの、アレ?)を置いた時に、
「あー、うぃに・ざ・ぷー」
と、めざとくプーさん型あんぱんを抱っこしてしまった。触れた物は買わなきゃならないが、なんでまた、レジ下の子供の目線ピッタリに、こんな物を置いとくかな。戦略として、パン屋の勝ち。
「プーさん、もってく。福ちゃんが!」
というので、別の袋にしてもらったら、自転車で家まで帰る間ずーっと、パンのプーと語らっている。
これは食べないと言い出すんだろうなあ、食べ物って理解していないかも。すっかり話もはずんで、友達になっちゃってるよ、おい。と、思っていたら、
「プー、アユ、ハングリ? しょっかー、ハングリかぁー。福ちゃんハングリ,トゥー。じゃあ、ぱえよう(食べよう)ねー」
というや、「おかーしゃん、あけてー」と、袋を持ってきた。
そして、あけるとやおら耳をひきちぎり、目を食べ、口を食べて、凄い勢いで全部食べ終わると、「おいしかったー」と言った。おおお、おなかすいていたんだね。
しかし、カニバニズム、いや、プーさん人じゃないし、熊バニズム? とにかく、親しくなった友達を食べるという行為に、戦慄が走った。
パンのプーよ、君もまた、試合に勝って勝負に負けたな、と、思った。

 
 

 2003-10-09
 

全く、いやになる。
鼻がとまらないのだ。かみすぎて鼻の下が赤い。体もだるい。足りないのは、なんだ?
栄養か、気合いか、愛か?
福助も「てやんでぃ」というアテレコがぴったり合う鼻の拭き方でばりばりまくっていたら、とうとう鼻の下にかさぶたを作るに至った。鼻水が「風邪です」と物語っているので、多分彼は風邪なんだろう。私のはどう見ても花粉症だ。喉も痛くなっていて、微熱があって、これだけ不調ならまたしてもダイエットできそうなのに、食欲だけはすっかり秋モードだから、今まで減っていた分をすごい勢いで取りかえしていて、悲しいったらない。悲しいのに、おいしい。
今まで秋だけは快適な季節だったのに、これからは春と秋に、ずっとこんな? 夏は暑すぎるし冬は寒すぎる、もう、老後は絶対に海外に移住しよう。
福助と私はぐったりしているのに、こんな時に限ってP子は快気炎をあげている。無駄に元気な小学生は、遠くにいるととてもいい感じだが、近くにいるとうるさい。昨日、突然どうしても食べたくなって私の貯金をはたいて行ったカッパ寿司で、8皿+デザート2皿を平らげた娘は(ケーキの後に納豆巻を食べるのがすでに理解不能)、今日も元気に帰宅すると、いつものように100点の答案を自慢げに見せた。 一応、ベッドに横たわりながら、全部答え合わせをしていたら、あら。間違い発見。
それを指摘すると、「ケーキの後の納豆巻」娘は、突然切れた。
「なんでほめてくれないのー、おかあさんはただほめてくれればいいのぉ、きぃぃぃぃぃ」
最近娘はよく切れる。足りないのは、栄養か、経験か、愛か? ケーキの後の納豆巻がバランスを崩すのか。
私も元気なら応戦するのだが、今日は洟垂れで、ずっこり調子が悪い。
母「うるさいから、あっちでやってくれる?」
P「ががががが(意味不明な叫び声」がががが」
母「わかった、もう今後は答案見せないで」
P「どどどど(意味不明な叫び声)どどどど」
ほめたじゃん、最初の2枚については。最後の一枚で、間違ってんだもん、間違いは指摘しちゃうよ、お母さん。頼むよ、外で叫ぶのはどう? といっても、私が福助のベッドを間借している以上、
「ここは私の部屋でしょーっっっ!」
と、権利主張されればその通りだと思う。正論なのでとりあえずその通りだね、という。ああ、めんどくさい。強権を行使する気力も体力もない。この人、外面いい分ストレスがたまって、家の中で女帝になるんだよなあ、それはよくないなあと思って、わかるように説明を試みたが、
「ばべべべべ(意味不明の叫び声)びびびび」(P子)聞く耳持たず。
顔中の穴から水、たらしまくりで、ちょっと恐くさえある。
こういうのも、何かの病気なんだろうか。セロトニンとかリタリンとか飲ませると叫ばなくなるのかなあ。それとも、こういうヒステリックな叫びは、普通の小一におこりがちなことなのかしら。自分の親には「それは理不尽だろうが」と思った時に、私も怒鳴ったことはあったが、P子は、私の何を理不尽だと怒っているのだろう。ほめて伸ばすのはいいんだが、ほめ過ぎの弊害を誰も語らない。あんまりいい気にさせたのもまた、親の責任かと思う、今日この頃。
福助の自閉症の方が今のところまだずっとたちがいいなあ、と思いながら、P子の発作(?)におびえて駆け寄ってきた福助を抱きしめる。彼は平和だ。昨日も歯科検診で、乱暴者のアバレンジャー(二歳八か月)にキックされても、じっと耐えていた。(というより、アバレンジャーの持っていたおもちゃを使う順番を、不器用にまっすぐに、待っていたのだったが)。自閉症なので納得行かなければ、パニックを起こして叫ぶこともしばしばだったが、つきあい方のコツを私はしっかり掌握しているので、彼は今やほとんどパニックを起こすことがない。単純なんだよね、男の子って。
「おかーしゃん、あゆ、はぴ?」
ああ、ハッピーでいたいねぇ。ただでさえ、アレルギー性鼻炎でつらいんだからよぉ。
「いたいいたい、とんでけー」
と、福助が何度も私のしかめ面の、眉間を撫でて、何度もとんでけー、と言ってくれる。
なごむなあ。この手のやさしさはP子に期待したことがない。「おしん」を見て泣いていた私をあざ笑った娘と、ティッシュを箱ごと運んできた息子との差は、いったいなんだろう。子供は複数いると、使い分けがきいて、便利だと思う。
福助を連れて買い物に行った。買い物の間も一生懸命考えるが、私にはP子がわからない。自分の子供と表面的なつきあいをするというのも本意ではないから、思ったことを言うが、対等あるいは、自分の方が優れていると勘違いしている娘は、もはや私の言うことをきこうとはしない。ここのところ、相手の誤解に乗じてこずるい立ち回りをするのも気にかかり、そのつど注意をしてきた、すると彼女の天高くそびえるプライドは傷付き、慟哭となるのだった。かんべんしてー。私は平和に暮らしたい。
「育てたように子は育つ」というが、そんな風に育てているのかなあ。アレルギーも相まって、大変、気弱なかあちゃんです。

 
 

 2003-10-12
 

連休は友達の家に遊びに行った。
混雑を避けて一日早く帰京するその後部座席で、眠っていると天使のような二人の子供たちには、今回驚くほどうんざりさせられたのだった。

口ばかり達者で反抗期真っ盛りの娘と、自閉症で訳が分からない息子を抱えて、保護者一人で旅行するのは、多分、もう無理だ。気心の知れた友人のところだから許されるが、目的地が別だったり、別の家族とふれあいの旅みたいなことは、私にはもう許されない贅沢だとあきらめた。
せっかくHPを通じてメル友でもあったPuttiさんと、オフ会テニスを設定してもらったのに、私はテニスの試合とちょっとした世間話以外、子供が気がかりで全く余裕がなかった。独身時代だったらきっと楽しく過ごせて、彼女とももっとよい友達になるチャンスだったのに! 実力が拮抗している人とやるテニスは実に楽しく、友人の夫から教わるコツも勉強になった。だが、子供から目を離すととんでもない事態が待っているのだ。
ミニオフ会が終わってからも、子供たちは怪我だ、喧嘩だ、大泣きだ、次々と事件連発で、今回の旅は正直、とても疲れ果ててしまった。楽しかったのに、初めてあう友達とも、久しぶりにあう友達とも大事な時間を共有できたことに嘘はないが、それにしても……。子供は親の都合なんか気にしないからなあ。

都内に入って、私はわざと遠回りした。 フリーになって初めて住んだ川べりの新築マンションは、さびれて悲しい姿だった。ここのところご無沙汰だが洗礼を受けた教会を抜ける。バイクで走っていた時代だから、裏道も混雑の度合いも熟知していたのに、景色がまるで違って、違う街に迷い込んだみたいな錯覚がある。初めて原稿を届けに行ったクライアントの自社ビルはマンションの建設用地になっていた。自分の母親と同じぐらいじゃないと起たないのというババ専の編集さんは、どうしているだろう。18歳の私がなぜお酒をお酌しながら彼のそんな悩み相談に乗っていたのか。初めて勤めた広告代理店の看板はあやしげな健康器具屋にかわっていた。ずいぶんセクハラされ、それに勝つために私は太くなったよなあ。体じゃなく、気持ちが。
私だけのために24時間があり、それをどう使ってもよかった日々は、とてつもなく遠い。
新宿から甲州街道を一気に走る頃には、すっかり時間旅行は終わり、記憶は過去から現代に戻っていた。この道に若い頃の記憶はなく、うちまであと何分でつくか、無意識でも計れるほどのなじみの道なのだもの。
家に着いた。
「ああ、家が一番ね、というなら、旅行なんか行くなー!」といつも言っていた、子供の頃から旅好きだった私が、生まれて初めて「お家ほどいいものはない」と、思った。
年をとったんだと、思う。この徒労感は、年のせい、なんだよな、きっと。

 
 

 2003-10-13
 

午後二時半、世田谷は、すっげー雨。
食事を終えて帰ろうとしたら、どかどか雨が降ってきた。運転手の私としては雨の中を駐車場まで行き、ドアまで車をつけなければならない。傘を借りたのに、右半身ずぶぬれ。急ぐあまり乗り込む時に車に後頭部をしたたか打ちつけ、たんこぶ。
うわー、道がメコン川になっている!! 車が走ると、水が噴水のように立ち上がり、牛よけかラッセル戻しが必要だと思う。ああ、トーマスフリークかトラック野郎じゃなきゃ知らない単語を使ってしまったわ。
「わーいわーい」
楽しい楽しいとはしゃぐ夫と娘。ええい、うるさい、まともに前も見えなくて、運転しにくいのだぞ。
「アイスクリーム、おかーしゃん、かいにいこ、あいすくりーむ」
福助が、デザートを諦めさせる方便に使った約束を覚えていて、泥の川を行く探検隊隊長の私に新たなミッションを与えつづける。
「ちょっと、スーパーに寄っていい?」
助手席の夫に問う。
「この嵐でか? 雨がやんだらまた出かければいいじゃん。オレは外出るのヤだよ」
はじめから、一緒に出てくれとは言ってないよ、それに外出るのは私だって、ヤだよ。左半身もぬれるじゃないか。
「福ちゃん、お願い、雨がやむまで待って」(隊長)
「そうだ、帰ろう帰ろう、レッツゴー!!」(夫と娘)
「アイシュクリーム…、あとででいい」(福助)
「ありがとう、福ちゃん、アイスクリーム、あとでね」(隊長)
いつもこうだ、なぜ我が家は、いつも私だけがシリアスなんだ。隊長だからか? いかりや長さんの気持ちがわかってしまいそうになるぞ。我が家の志村と茶は、いつもいつもお気楽だ。そして、我が家のブーは静かにマイペースだ。
家に戻ったら夫の仕事部屋の窓が開いていて、二階なのに床上浸水状態。志村のくせに、突然清掃隊隊長と化した夫がテキバキ指示し、今度は奴隷ちゃん1号として、雑巾を手に、床を拭いた。
お墓参りにも行かず、のんびり過ごし、ちょっと内職なんかもする連休最終日。今日は、息子の命日でした。
と、ここまで書いたら、もう晴れている。
そうだ、子供たち! 長靴を履いて水たまりで遊ぼう。と、完全武装して行ったら、もう道路は潅水していなかった。がっかり。雨は熱帯アジア並みに降っても、道路の技術ががぜん違うのだった。
でも、雨で洗い流された街はすっきりして、木々は喜びの声をあげているようだったし、秋の空はどこまでも高く、まだ夕日には早い太陽を浴びて雲が本当にきれいで、しばし子供たちと見とれてしまったわ。「天国とこっち、今だけは地続きかも」とちょっと思った。小さな水たまりで遊ぶ二人に、一瞬、亡くした二人も重ねて見えたりしてね。

 
 

 2003-10-15
 

お風呂で寝てしまった。
あわわわ。あやうく溺死するところだったわ。
夢うつつで、私は、反省しちゃったわよ。
今日ね、猿テニスだったの。
ひさしぶりのゲスト、吉田戦車さんも(試合の最中は「ちっくしょー! よしせん、うますぎなんだよ、そのショットはっ!!」とか、呼び捨てしていたくせにね)参加して、中年猿おばちゃん軍団はますます元気に猿度を増しており、子供たちは空に向かい両手を広げ(今日の秋空は絶品だった)鳥や雲や夢までもつかもうとしていて、実際につかめるのはオムニコートの砂だったので、ひっかけあってはしゃぎまわり、参加人数こそ少なかったものの、充実した4時間を過ごした。
なのに、私ね、試合中、失敗してはずっと舌打ちして、首を傾げて、相手のナイスショットに感動するどころか本気で悔しがり、自分のナイスショットは「はい」と返事してショットを確認するだけで、ちっとも楽しそうなプレイをしていなかった気がする。
ガッツポーズもしたけど、「かいしんのいちげきっ!!!」という喜び方ではなく、「ふふふーん」というお蝶夫人というか象印夫人だった気がする。体型的には象形夫人は自覚していたのだが、最初にとり・みきさんが「やせたね」といってくれて、今日一番うれしがっちゃったポイントが「そこ」っていうのは、どうなのか。
そんなテニスは、猿道から外れているよなあ。外道だ。今日の私は、猿テニス協会メンバーとしての道を外していました、と、慎んで懺悔するのだった。誰に?というのは、さておき。
猿テニスは、全天候型屋外テニスを旨とし、みんなお猿と化してテニスをこなすが、そこにはいやらしい人の駆け引きや、勝利へのこだわりだけではない、純粋な猿の喜びが存在しているはずなのだった。どんなレベルでも楽しくテニス。勝つより何より、楽しいのが一番。という雰囲気があったのは、みんな月に一度集って、友情を温めつつ、テニスをする喜びに満ち満ちていたからだ。
なのに私は、「勝ち」にこだわり過ぎだ。
だーめーじゃーん!! ねぇ。これはダメ。雰囲気悪くする人は、集団にいたらご迷惑をかけてしまうよね。すみませんでした、猿のみなさん。今日の私は近く出場するスクール内トーナメントのことで頭がいっぱいでした。今日の猿でも一勝しかできなかったように、ここのところずーっと負けっぱなしで、心がささくれだっていました。
ちょっと前までは、いつテニスをやっても負けっぱなしは当たり前で、それなのに楽しくて楽しくて仕方なかったんだよなあ。少しだけうまくなった今、快感が走るほどの「かいしんのいちげき」が出ても、いつのまにか不感症になってしまっている。スクールで練習のし過ぎだろうか。その練習のおかげでとてつもなくうまくなっているのなら、試合にも勝てて快感があるだろうが、今の私はとにかく勝てないわけで、こんな中途半端な技術のくせに勝ちへのこだわりばっかり強いのは、意味がないと思う。不感症は、よくないわ。これは、反省しなければならない。
努力してさらに上に上がって行けば、何か別のものが見えるのだろうか。将来の夢は、「伊達公子さんになること」だったのだが、それにはいったい、どれほどの犠牲が必要なんだろうか。それ以前に、何試合かしただけで疲れて風呂で寝てしまうようでは、伊達さんになるのは無理が過ぎるだろうか。

 
 

 2003-10-18
 

「P子ちゃんは自分で答えだしてくれてるじゃん。
「おかあさんはただほめてくれればいいの」
ただ褒めて欲しいんだよ、P子ちゃん。多分、福助くんみたいに。」

と、けんたにいわれて、はたと膝を打つ。
おお、そうだね。「ポンと手を打ちました」は、ぐりとぐらの、福助お気に入りのフレーズだったね。今は、P子のために、ひざをうつんだから、福助はあっちにいっていなさい。

けんたは、20代からの友達で、大学院で3年半心理学を修めており、本業は物書きで、女優だ。あれ、どんなきっかけで友達になったんだか思い出せないなあ。だけど奇妙に気が合う人だ。お互い干渉しあわず、けれど愛がある、放置プレイのような距離関係が、実に心地いいんだと思う。つきあい始めた頃、毎年自分のヌード年賀状が送られてきて、プロカメラマンのとったそれは実にカッコよくてびっくりしたが、結婚して子供を産んで吉祥寺でのご近所ママ友達になったのも、びっくりした。そして今は麻布で貴族のような暮らしをしている。彼女にはいつもびっくりさせられっぱなしだ。そして、こんな風に鋭い指摘を、時々ポンと送ってくるのだ。

「女帝っぷりは生まれつきだからしかたがないでしょう。
ま、そんな人は他にもいるさ、って事で、手出し口出しは無用。いっぱい褒める事と、ちっちゃく『注意』の看板を出しておく事。後でその事でトラブったら「『注意』の看板はあの時出したよ」とだけ言う事。八つ当たりは聞き流す事。しか、できないんじゃないですかねえ、女帝ですから。彼女が新しい王国を見つけるまで」
……うんうん、ごもっともな気がするぞ。彼女がマドレーヌちゃんにこっているので、私としては中学で寄宿舎暮しはどうかと進めていたのだが、寄宿舎が島流しと同義語であることなど、P子はまるっとお見通しだったかもしれない。女帝・P子はきっと、その外面のよさで、すばらしい自分の王国を、おそらく自力で見つけるのだろう。そして旦那様と子供たちを下僕とし、「私を、ほめなさぁぁぁーい」と君臨するのだ、間違いない。
何しろ、二歳の時に「P子は、英語をやる」と宣言し、今なお、ばりばり練習している。根性だけは、世界征服するタイプである。
「P子はね、大人になったら世界中を旅行するんだよ」
という。ほう。それで、何を見たい、何をしたいの?
「おいしい物をいっぱい食べるんだよ!!」
うちの女帝は食いしん坊。そういえば、甘い物を食べさせておけば上機嫌でした。Pちゃん、福助と一緒にでっかい卵で「カステラ」でも、作ろうか。

 
 

 2003-10-21
 

情報というのは偉大だなあ。と、祥子のメールを読んで思った。
綱引きのコツ、というのを、以前テレビで見た。我が家のリビングで年に二回だけ、家族全員 がそろってみる唯一の特番がある。その中で、敬愛する島田紳介が言っていたのだ。日本一の 大分コスモレディースのおばちゃんたちは、屈強の格闘家たちに体重差200キロをものともせ ず、綱引きで常に圧勝する。そこで紳介は、筋肉ではなく知識で勝て、と、コツを伝授したの だったが、祥子が町内の7自治体対抗の運動会で綱引きに出ると言うので、そのコツをちょろ っと伝えてみたのだった。
足を曲げないで、その場で足踏みする。腕も引っ張ろうとしないで、まっすぐ伸ばしたまま。
どの程度、その情報がお役に立てたのかは定かではないが、同じチームの女子にはその情報を ちらっと漏らしていたという祥子たちのチームは、綱引きで見事優勝した。
綱引きは最後には力の勝負なのだが、やはり、情報は侮れないのかもしれないと、思ったのだ った。

福助絡みで区役所に行くことが多くなり、待ち時間にいろいろなチラシを見ていたら、ふと、 「世田谷の保養施設」を見つけてしまった。
夫が自営業だと、会社の保養所などはない。独身の頃は某社の社員ということにして、友達に いろいろとつれていってもらったものだったが、どの保養施設に行っても、「この金額で、こ んなゴージャスな施設が利用できるのか」と、一流企業の底力を思い知らされたものだった。 社宅にしてもそうだけど、会社の福利厚生って、すごい。仮にお給料が安くても、安く暮らせ て、安く遊べて、補償されているお休みもとてもたくさんある。フリーって、結局大きくお金 が入っても、時給換算すると切ないぐらい働いているし、大きくお金が出て行くんだなあ。と 、思ったものだった。所詮夫も私もキリギリスだ、夏を謳歌せよ、と、ずーっと遊びまくって 、現在に至る。貯金額、ゼロ。
でも、あったのよ、そんなやくざな商売でも、区民というだけでご利用できる別荘が。または 、指定保養施設(民宿やホテルね)を予約すると、補助金が出てお宿が安くなったりするシステ ムも。区民になって早3年目だというのに、知らなかったなぁ。やはり情報って、知っている 人だけがお得なのだ。
ここ半年あまり、都合がつけば、毎月1,2度、下田に帰っている。
熱川温泉病院に入院している義父・波雄は、「ここ数日が峠」といわれた峠を楽々のぼり切り 、今では敗血症も消し去った。さすが、山道を上り下りして若い頃から鍛えぬいた体を持つ彼 は、強さが違う。そんなわけで、緊迫した状況から解放されて、私たちはお見舞いついでに温 泉もらい湯をばりばり遂行し、「お見舞い」なのか「観光」なのか、ここのところ、不謹慎な がらも楽しみな伊豆行きになっていたのだが、毎回、入浴後のビールが飲めないことが、運転 手の私にはつらかった。「伊豆でのお泊まり、したいなあ」とは思ったものの、伊豆はどこも とてつもなく高いので、もらい湯だけであきらめていたのだった。
で、今回初めて、下田の実家の後、熱海の保養荘へ。
地味だが、質のいいお湯と、おいしいご飯(別料金)と、のりのきいた白いシーツ。お布団は敷 きにきてくれて、浴衣は子供の分までそろっていて、トイレつき・床の間のある和室が一泊一 部屋(4人で)一万円。東に向いている窓からは海も見える。冷蔵庫には冷えた中瓶のビール、1 本285円也。そして温泉場の王道、卓球はなんと無料。テレビ、無料。娘のはしゃぎよう、プ ライスレス。
卓球もサロンでの読書も、無人のお風呂で素潜りして泳ぎまくるなど温泉も、一通りご堪能し た我が家の女帝・P子は、結局湯あたりしてぐったりだったが、それでも頑固に楽しんでいた 。
さらに現地で情報を収集すると、マリンスパ熱海の割引券が手に入った。プールと温泉施設( ちゃんとオーシャンビュー)があって、大人1300円が市民と同じ価格1000円に。これはへたす ると、もらい湯より安い。例えば、赤沢日帰り温泉は子供料金がないため、1600円×4人の 6400円だったが、マリンスパ熱海は幼児無料で2500円なのだった。「行き当たりばったり」が 信条の私でも、さすがにこの差は情報の力の差と、しみじみ思うのだった。とってもお安く、 半日遊んで帰ってきて、ああもう、休日を満喫しつくした気分。

というわけで、来月のお見舞いの日程に合わせて、電話予約を入れてみたら、今度は伊東小湧 園も補助金付きで、お泊まりOK!になった。わーいわーい、うれしいなったら、うれしいな。 なんかこう、私たちだけが知っている情報で得をしている、という感覚が、また、たまらなく いいのだった。って、ここに書いちゃ……ダメじゃん。

<覚え書き>
帰路、P子が突然「トイレに行きたい」と言い出した。最初に見えたホテルで借りよう、とい ったところ、名門ゴルフクラブを擁する川奈ホテルだった。
「おい、ここはお前、あの川奈ホテルだぞ」
と、夫が強調する通り、高級車がずらり並び、バスには「北多摩医師会」と書かれており(医 者たちよ、一体何してるんだ?)、歩いている人たちがいかにもお金持ちそうなのだった。見な れぬスーツ姿が恐いP子としては、違うホテルまで我慢しそうな勢いだったが、漏らされて困 るのは私なのだ。P子を連れてエントランスに向かい、「トイレを拝借できますか?」と聞いた ら、にこやかなホテルマンが、恭しくトイレまで連れて行ってくれた。そのホテルマンの礼儀 正しい態度と格好、格式ある荘厳な建物、いきなりオーシャンビューなラウンジのつくりと、 語らっているリッチマンたちの視線にすっかり威圧されて、P子はやけにぺこぺこ、びくびく していた。何か、連れているこっちが恥ずかしいんですけど。
「あのさ、P、大抵のことはお金でカタがつくんだから、そんなにおびえなくても大丈夫だよ 。ここに泊れば私たちはお客さんなんだし、いつ泊まったっていいんだからさ、もっと威張っ ていていいよ。堂々としておいで」
と言うと
「そうなの? こんなすんごいところで、タダでトイレ借りてもいいのね」
と、不安げなまま、P子は、総大理石の、自動で電気がつく個室に消えた。勢いよく水を流す 音とともに、P子の独り言が聞こえた。
「今日のことは、心のうれしい引き出しにしまっておこっと」
……貧乏臭いぞ、P子よ。女帝のくせに。
いや、100円単位の割引に一喜一憂している親の 姿を見て、貧乏くささを学んでしまっていたのだなと反省。お父さんは、お母さんの誕生日に 、スィートルームに二泊して、ケーキ特注してシャンペンあけるぐらい、ゴージャスなことも やってのけた人なんだけどね(新婚だったけどね)。こういう「王様スペース」で、物怖じしな いための教育費を、そのうちまたお父さんに稼ぎ出してもらおうね。

 
 

 2003-10-22
 

女帝P子は昨日も著しく女帝だった。
英語学校にお迎えに行くと「ががががががっ(意味不明)がががっがっ」と文句をマシンガンのように並べ立てていた。えへへ、フリマで200円で買ったバッグをちょっと借りたよー、一緒に使おうねってお母さんが買ったんだからいいよね?と言ったら「どどどどどっ(意味不明・以下略)」と文句が火山の噴火のように流れ出てきた。なんだって私はこんな言われ方をしなけりゃならないのかと情けない気分で車を走らせる。いつもならそれがきっかけになって会話が広がるのになあ。
おもむろに車の中で、
「おなかすいたー、何か買って」
と言い出すP子。家に用意してあるよーんというと、
「だって、どうせまずいんでしょー、お母さんのごはん、まずいからやだ」
と真顔で言いやがったので、
「じゃあ食べるな!」
と私は怒鳴っていた。確かに私は料理が下手だ。でも、こんな言われ方は許せない。どんなに悲しい気持ちかを伝えて黙り込み、車内にはイヤな空気が。
反抗期の娘は今、一事が万事こんな調子だ。私は「中学で寄宿舎、中学で寄宿舎」と、心の中で呪文を唱えて心を落ち着かせる。一応マクドナルドの前で、「貯金おろして、ハンバーガー買う?」と聞いたが返事がなかったので、そのまま家に着いた。
私はごはんの用意だけすると、娘には孤食させて、先に風呂に入り、とっとと寝ることにした。電気を消してベッド横たわっていたら、なんだか悲しく腹立たしく空しい、複雑な気分になってしまった。
育てたように子供は育つ、とすると、私の育て方は何か間違ったのだろうか。どこが間違えで、どうしたらよかったのだろうか。障害を持つ福助よりずっと、健常の娘の方が育てにくいのはなぜなのか。障害児は手がかかるといわれるが、健常だろうが障害だろうが、手がかかる時は手がかかるのだと痛感する。実際どう、手をかけたらいいのかがわからなくて、女帝様はご機嫌斜めのままだ。一体、何が気に入らないのか。
深夜に起きて台所に行くと、娘はご飯を食べっぱなしにして、空の食器だけがテーブルに置かれていた。まだ生ゴミを処理していなかった、と、ゴミ袋を出す。窓の外に、雨が降り始めた音を聴く。
Happy birthday,39歳のワタシ。
寝室には、旅行の洗濯物がまたしてもがっちりした平成新山の土台を作り始めている。
リビングも、片さないで寝たから、おもちゃや洋服で散らかり放題だ。
私は、一体なんだろう。主婦は、みんなの快適のためだけに動いて動いて、ひたすら動いて。それが当然のように。
夫が電気の消し忘れかと思ったと、キッチンまで降りてきた。
友達からおめでとうメッセージが何件か届いていて、読んでいた。自分の価値がわからなくなる時、友達の存在は大きい。誕生日を覚えていてくれた、ただそれだけで泣きそうになる。
夫は、4時間フラッシュにトライしたができなかったとパソコンの話をまくしたてる。いつもなら聞けるが、今は余裕がないよ。
「ねぇお誕生日おめでとう、ぐらい、言ったら?」
と、寂しく笑っておねだりをしてみた。華やかなお誕生日が大好きだったけど、ここのところ、言葉一つとっても質素だなあ、愛してるとか聞かないもんなあという私に、夫は
「そういうことを言うから、心が離れるんだぜ。それが、わからない?」
と冷たく言い放つ。……そうか、全くわからないよ。言葉はただじゃないか。それに、私たち、心が離れていたとは知らなかったよ。私は一体、夫のどんな地雷を踏んで、そんな言葉を吐かれなければいけなかったんだろうか。
私の夫であり続けるためには、釣った魚にも、きちんと「言葉」の餌を与えてくれなきゃダメなのに。一見、そういうことがいらない実用的な女のキャラに見えがちだが、私には、そういうことが重要なんだ。
今日は女帝P子の七五三の写真撮影に行く。
私にとっても三十代最後のいい記念だと思っていた、子供時代には私がどんなに望んでも絶対にとれなかった家族写真を、写真館でとれるだけで幸せなんだから。と言いきかせてもみた。
でも、じゃあ、幸せって何。
私にとって特別な今日の日に……家族が揃って上機嫌ならいいな。望みはただ、それだけなのに。

 
 

 2003-10-23
 

戦う39歳の幕開けだ。
強く逞しく、頑張るのだ。
自分のために花束を買った。
欲しい物は自分で手に入れる。
それが「大人」のやり方だと思う。
家族の集合写真は撮らなかったが、もう大人なんだから追憶は無用だ。子供たちは私の似顔絵を描いてくれた。ハッピーバースディ・でぃあ・おかあさーん。と、シズラーの人たち(バースディサービス・コーラス隊が歌ってくれるのだ)も一緒に「おかあさーん!」と、ノリノリで大合唱だった。そうだ、私は「おかあさん」なのだ。上等だ。それ以上、望むものはない。
今日はこれから内職なのだった。今日一日、ちょっとの間だけ「働く主婦」に変身だ。やるぜやるぜ、三十代最後の一年、もうすっかりいいトシぶっこいた大人なんだから、悔いなく燃やし尽くすぜ。

 
 

 2003-10-26
 

「亀ゼリー」をひとりでこっそり、昼食後にはもはも食べていたら、「甘い物は別腹ぁ♪」と奇妙なオリジナルソングを歌う娘P子がやってきて、
「おかあさん、ねぇ、それ、なあに。おいしそう、それ、なあに?」
としつこく聞く。紅茶ゼリーが世界で一番おいしいデザートだと信じている娘は、ゼリーに目がない。
「亀ゼリーだよ」
「本当はなんでいうの?」
「知らない、亀ゼリーは亀ゼリー。まずいと思うよ、子供には」
「えー。P、食べてみたーい。何が入っているの?」
「亀」
「え? 食べてみたーい、亀、どこ?」
「すりつぶした、亀だよ」
「えええー、すごい。それは絶対、食べてみたーい」
怯まないのか、お前は。
P子は味覚の探求者である。どんな物でも、必ず一口味見をする。自分でかなり気持ち悪い食べ方を考えてはトライもしてみる。まだ、「おお、これは斬新なおいしさだ」というのに出会ったことはないが、こうした日々の積み重ねがいつかキュイジーヌを作り出すのかもしれぬ。と、思う。
「食べたことなーい。食べてみたーい」
「うんと赤ちゃんの頃に食べさせたことあるよ。忘れちゃったんなら、食べてみる?」
赤子の頃に気がふれたように亀ゼリーを食べたということは伏せておく。ほとんど甘味を知らなかったあの頃と、今では味覚も変わっているだろう。何より、これは高級ゼリー、私の滋養強壮のための一品だ。
95年、友達ばっかりで団体で香港に行った時、私は亀ゼリーの虜になった。香港といえば一番おいしいのはマンゴプリンだが、体がちょっとつらい時に亀ゼリーを食べておくと、なんと元気もりもりになっちゃう奇跡の滋養だ。
その日、異常なまでの疲労感に、ディナーはパスして部屋で寝ようと思った。各自勝手に遊んで、香港通の火浦功さんのヨメ・かなちゃんがセッティングしたお店に食事の時間に集まり、おいしい物をたくさん頼んでちょっとずついっぱい食べようというコンセプトの会食だから、パスしたところで問題はなかった。だが、当時はまだとても優しかった夫(あ、ケンのある言い方だなあ)としては、妊婦かもしれない、だからこその体調不良かもしれない妻を残して、おいしい物を食べに行く気にならなかったのだと思う。今なら「じゃっ!」と言ったきり振り返りもせずに走って目的地に行くだろうが(ああ、こんな書き方して、家庭内の雰囲気悪くしているのは私だよなあ)、
「少し休んで、様子を見ようよ。亀ゼリーでも、食べてみたら」
と、散歩の途中で喫茶店に入り、特大亀ゼリーを頼んでくれたのだった。こんな時に亀ゼリー。特大。でも、それは特大の愛。すでに失われ、影も形もないが。(あああ。もう絶対に私が悪いよなあ、今、家庭内に冷たい風が吹きっぱなしなのは)。
確かに、アジア一年放浪最初の地・香港で、私たちは一か月目に体調を崩した。そんな時はマンゴプリンより亀ゼリーかなあ、と、言ってはいたのだ。夫はそういう言葉を聞き逃さない。
どうでもいいが、香港は私たちには鬼門だ。結婚写真を撮ったその日、夫は、レストランでココナツジュースを一口飲んで突然気絶し呼吸がなくなり、みるみる唇青く顔色は土気色になっていった。私は空中にGAME OVERという文字をはっきり、見た。「あんびゅらんす! コール アス あんあんびゅらんすっっっ!」と叫び、香港の友達に病院についてきてもらったという事件がある。夫は救急車がつく前に意識を取り戻し、トイレに行って、うんこをパンツで拭いたためにノーパンで救急車に乗ったのだった。アヤシイ渡航者である。病院で「英語は話せる?」と看護婦に聞かれて、「あ・りとる」と答え、ばりばり質問されてさっぱりわからず、わからないという仕草をすると、「ア,リル」と嘲笑されたという。それで、夫はバンコクで一か月ほど、真剣に英語学校に通ったのだ(「アジアを喰う」未収録秘話)。……話が全くつながらなくなっちゃったな、つまり、夫も亀ゼリーを食べていたら気絶などしなかっただろうと言いたかったのだった。強引だな。
私は「体にいいもの」と「体によさそうなもの」が大好きだ。そのうえ、プラシーボ効果もばっちり高い。栄養ドリンクが必要以上に効く女であり、気力でどんな病気も吹き飛ばすタイプなのであった。妊娠初期の倦怠感に亀ゼリー特大(愛情たっぷり)、効かないはずがない。
そして、無事、異常なまでの疲労感が吹き飛んで、香港飯に間に合ったのであった。
以来、奇跡の亀ゼリーは秘蔵品として我が家の食料庫に置いてあった。しかしここしばらくアジア食材の店に行けなかったので、亀ゼリーはないものだったのだ。それがね、仙川のスーパーで見つけたの……うふふ。
「おーいーしーいー!! おかあさん、これ、超おいしいよ」
娘のP子が目を輝かせている。私の誕生日以降、私は忙殺されてヘロヘロで、なかなかコミュニケーションもとれていなかったが、「亀ゼリー」が結ぶ親子の会話。P子はおいしい物さえ食べていれば上機嫌なので、私は迷わず半分をP子の皿に移した。一緒に「おいしいよねー」「体にいいんだよー」「じようだね」「滋養なんだよ」と楽しいひとときを過ごしたのだった。一缶300円は主婦にとっては贅沢品だと思うが、それで滋養で、娘とのコミュニケーションにも効果があるなら安い物かもしれん。また、買っておくよ。P子、機嫌が悪くなる前に、一緒に亀ゼリーを食べよう。
夫も亀ゼリーが好きならいいのに……なあ。

 
 

 2003-10-28
 

「とっとっはっちょっちょー」
としか聞こえない。
「はっちょちょう」
と省略することもある。
福助は言語に問題があり、だから何を言っているか、親でもなかなか判別が難しい。毎日、クイズをやらされているようなもので、余裕があればこんなに楽しいことはない。わかったような振りをして「ふんふん」と頷くだけの時もある。しつこく聞き返してしゃべるのイヤになってもいけないしね。
娘に頼まれて録り貯めしたのに全く見向きもされなかった「NHKのえいごリアン」に、昨日から突然はまった福助が、
「あい らいく くりー」
を繰り返した。はいはい、そうね、栗がおいしい季節です。などと適当にリアクションしていたら、怒る怒る。
「くりーや、ばー。あいらいく、くりーや、ばー」
なんだよ、栗屋って。とえいごリアンを一緒に見直して、KORIAだと知る。コリアが好きなんだってばー、と言っていたのだった。いろんな国の人が出てくるんだけど、中でも韓国人のお姉さんがとても美人だった。福助、お前、本当に自閉症なのか? 美人でもブスでも、コミュニケーションそのものを嫌がるのが、自閉症児としての筋だろう。訓練施設でも、若いお姉さんにだけにこにこべったりで、しゃくれてたり年寄りだったり男のトレーナーには目線も合わせないというのは、どうなんだ? 
私に意志が通じて喜んでいる福助に、
「でも、福ちゃんはTOKYO,JAPANなんだよ」
と、一応言っておく。
「ちやーう。ちやう、くりーや、いいのー、ふくちゃん、くりーや(な)のー」
と、パニックを起こす寸前。そんなに情熱を込めて韓国人になりたいなら、それもまたよしだ。そういえば、100円ショップで買った旅行用韓国語講座のCDをここ二週間ぐらい、毎日PS2から流して喜んでいるもんなあ。これも、P子の朝鮮人の友達と一緒にいつか旅行するために、と、P子にねだられて買ったものだった。
おいおいP子、お前、飽きっぽすぎだろう。いくらB型でも。ちょっといいなと思うと、すぐに欲しがって、すぐ飽きる。そんな恋愛はつらいぞと将来を案じるなあ、かあさんは。コンドームはしましょうね。
一方、福助は反対に執着し過ぎる。気に入ったとなれば、最低二時間はぶっ続けでその作業に入れこみ、そのブームは確実に一週間以上続く。ブームの後もまた、思い出しては愛でている。足して二で割れたらなあ、と、よく自分が両親から言われた言葉を思い出した。割れないのよなあ。そして、もし、福助が大人になって恋愛すると、きっと「マディソン郡の橋」の主人公、雨の中でハゲがスダレのようになっていたリチャード(そんな名前だっけ?)のように、一人の女に固執しつづけてしまうのだ。かあさん、そんなの許せないよ。まったく、あのイタリア女め。(あれ、話がずれている?)

結婚後、夫と観に行った唯一の恋愛映画が、「マディソン郡の橋」だった。
うっすら涙ぐんでさえいた意外に純情だった夫と、「うひゃー、だめだ、あの女の野方図なくせに計算高いところがダメ。そんな女に一生をかける男もまたダメダメ人生」と全く受けつけなかった私と、長くつきあっていたら結婚しなかっただろうなと思わせる、微笑ましいエピソードだ。
ああ、まだ鈴木家シビルウォー継続中を彷佛とさせる書き方だなあ。
「ネタじゃないんですね?」
と、今日これから取材だというのに吉祥寺に駆けつけてくれた、はやのんに言われる。
「ネタじゃないです」
まだお誕生日のプレゼントももらっていないしさ。(あおってるなあ)。去年の分もだけどね。(執念だなあ)。
はやのんは充実した恋愛状態なので、そんなことは全く考えられないに違いない。(いいなあ)。はやのんの彼氏は、気配りといい外観といい能力といい、「いい男」として上位にランキングするタイプだ。ただし、髪型が変だけどな。弁髪頭を好む辺りに屈折があると思われ、親心として心配する。
どうでもいいが、どんどんきれいになるはやのんにコツを聞いたら、
「アチャモ先生(恋人)がかっこいいですから、釣り合いがとれなくちゃいけないと頑張っています」
と、ぬけぬけと言う。じゃあ私がぷくぷく太っているのは、誰のせい? と、思わずべったり責任転嫁したくなってしまったわ、夫に。いえ、栗もさんまもおいしい季節ですから、自己責任で脂肪を貯えてるんですけど。来たるべき大飢饉のためにね。って、いつだよ?
「お洒落して若い男の子とデートするのはどうですか」
と、仕事で取材したという出張ホストの存在を教えられ、驚く。(詳細ははやのんのHPでどうぞ)。
ちょっと心が揺れる、え、その程度の追加料金でベッドまでお伴してくれるの? 安っ。
が、しかしなあ。夫が仕事で牛を売りに行っている晩に、すね毛を剃るフランチェスカの気持ちになろうとは思わないし、来るのは絶対に夫より若くていい男だろうが、夫ほど一緒にいておもしろいかどうか。話題も、合わなそうだし。おしゃれも面倒だし。頑張って頑張って、なのに親子だと思われたら、へこむし。世話、焼いちゃいそうだし。亀ゼリーなら100個(税別)買えるわけで、つやつやを取り戻すのにはどっちの亀が効果的かなあ。いや、だめだめ、腰痛抱えたおばちゃんには、くたびれた夫程度が釣り合いだって、と、目まぐるしく迷いながらも遠慮しておいた。
時間が来て、颯爽と仕事に向かうはやのんは、現役のしっとりつやつやな「女」でありながら、すっかり働き者の「先生」なのだった。忙しいのに、心配してくれて、ありがとね。できる女は、いくつもの顔を持つんだなあ。
「よっこいしょっと」
貧困なボキャブラリーの福助が記憶するほど、私は一日に何度となく「よっこいしょ」というらしい。疑似恋愛ですら、私には遠い日の花火だ。最後に胸がときめいたのは、いつだっただろう。私は今、女でもなく、妻でもなく、まぎれもない「かあさん」一色だ。
「よっこいしょっと」
福助がいつものように真似して、ニコニコ笑いながら、私の手を取って、ぎゅっと握りしめる。
ま、いいか。福助を連れて歩いているので、若い男にはそんなに不自由していないわ。福助がちゃんと「とっとっはっちょっちょう」を「トップハム・ハット卿」と言えるようになるまで、私は「かあさん」の顔だけでもよしとする。

 
 

 2003-10-30
 

しまったー。
はやのんのHPで、あちゃもご推薦であるところの、「日本ブレイク工業」の社歌(動画入り)を見たら、虜に。
「正義のハンマー、ユンボをかざせ!!」
に、がつんとやられました。Break out! シャウトしてんだもん。地下足袋のヒーローが出てきそうなんだもん。かっこいいぞ。もう完璧に歌えます。こういうのに弱いんだよなあ。この肉体労働系にぐっとくるのは、何なんだろうなあ。血、かな。業、かな。
その日を誠実に働いて、とにかく夢中で働いて、日没には風呂に入って酒飲んで、イヤなことを笑い飛ばして、眠って。また起きて働いて、楽しく働いて。
そんな「その日暮らし」が、たまらなく好きだ。あ、いや、日本ブレイク工業の方々はきちんとした会社員でいらっしゃるのでしょうけれども、肉体労働系の一般論として。
江戸時代の庶民の文化風俗に興味を抱くのは、案外そういう暮らしぶりへの憧れが原点かもしれないなあ。無理せず、自分の器で。そして、大事なのは、明日を思い煩う事なかれってこと。
大丈夫、空は降ってくるどころか、なんとも美しい秋晴れが続いているじゃないかと、今日の空を見て思う。どんなに必死になっても変わらない現実というのはあるもんだ。自力でどうにもならない問題に押しつぶされてしまいそうな時には、くよくよせずにぽーんと天高く投げてしまって、潔く他力本願だ。やるだけやったら、いいんだ、それで。何とかなる。いままでだってなんとかしてきたんだし、これからだってなんとでもなる。命まではとられない。そして、生きてれば、またいいことがある。
何も持っていない強さ、みたいなね。それが江戸庶民の心意気さ。そして、こちとら江戸っ子でぃ。
えーっと、えーっと、所沢で育ってますけど。
微妙に、だめじゃん。

福助の福祉施設に行く。
まわりにはまだ「自閉症」という事実を受け入れられないお母さんもいらっしゃるし、実際に鈴木さんの「うちの息子は自閉症だからここに来ているわけで」という発言で傷付いた方もいらっしゃるんですね。
と、数行の趣旨を15分かけて、施設の方に言われる。つまり私の配慮が足りない、と。団体行動する上で、それはまずい、と。
反省しましたーっ。配慮たりませんでしたーっ。申し訳ございませんっ!!
私は確かにマニュアルにないタイプだ、みんな傷ついて脱毛したり、精神やんだり、そこから自分で気づいて戦いモードには入るまで、とても長い時間がかかるらしいけれど、私なら「可哀想なママは傷ついてるの」と費やす時間を、福助のために有効利用したいもの。障害児とかいうからびっくりしちゃうけど、とてつもなくユニークで個性的な子供を産んだのが、何でそんなにショックなの? と、逆に聞きたいもの。子供、かわいいじゃん。どんなラベルを貼られようが、関係ないじゃん。
普通より面倒は多いし、正直、私だってため息をつくことも多いさ。お酒の量も増えちゃうことがあるさ。でも、「可哀想な私」はちがうだろ、と、やっぱり思うんだ。母親じゃん。いろいろあるのは、福祉絡みであろうとなかろうと、みんなお互い様だよ。つらくても苦しくても、母さんは、ふんばらなきゃ。子供は自分のアクセサリーやバッグじゃなく、母さんこそ、子供の盾になり矛とならなきゃいかんのだから。
いつから、こんなに女が頑張らない国になったんだ。
女には、女にしか張れない見栄ってもんがあるだろう。と、私は思う。どんなに心の中が泥だらけだって、脂ぎっていたって、逆にからからだって、母さんは子供にそんな姿を見せちゃいかんのだ。そういう部分は誰だって持っているんだから、人は弱いんだから、それはあるよな。どろどろもびしょびしょも、ある。でも、そういう部分を自分で上手に解消するのが大人というもんなんじゃないか。
傷つけまいと配慮して配慮して、まわりくどく言葉にするのが、今のトレンドか。言葉を柔らかくしたところで、現実は変わらないのに。
例えば私が「自閉症児の母親として配慮に欠いて、浮いていた」(要約)という話だって、スパッと一言で言われたかった。その方がずっとこの手のタイプのお母さんは傷つかないだろうという配慮はどうなのか。
傷つけまいと飾る言葉の優しさは、万能ではない。すでに臨戦体制を楽しんでいる私には、「今」を否定されることの方がずっとこたえる。私が鉄面皮のようなお母さんだとでも、思ったのかな。……いや、たいして親しくない他人に配慮してくれと求めるのも、甘えだな。もっと言えば、たかが言葉程度ではそんなに傷つかない、その言葉の裏にある悪意だけに敏感でありたい。福祉施設の人に悪意のあろうはずがなく、だからどんな言い方をされようと「傷つきました」と甘えるつもりはない。
「いやなら、福祉施設なんか利用しなければいいんじゃない?」
と言われても困るし、ナイーブな人には、こっちから配慮しないとね。
……などと、あたかも自分は大人でございますと言いながら、この家の散らかり方と、平成新山は一体なんだ?! 娘に片付けなさーいと強要しながら、自分は全く頑張っていない。いやーん、家事、苦手なんだもぉ−ん。弱音はいちゃうわ。頑張れ頑張れ、かあさん。
明日からね。って、だめじゃん。

 
 

 2003-10-31
 

今朝がた4時まで夫と語らってしまったら、8時過ぎまで起きられなくて、P子を遅刻させるところだった。凄いスピードで着替えさせ、朝食に生ジュースを飲ませて送り出す。なんとか間に合うだろう。ああ、眠い、もうちょっとだけ寝よう、と布団にくるまり、目覚めると午後一時だった。
ああ、なんて短い一日。
しかし、いくら眠っても眠っても、まだ眠いのはどうしたことだ。カボチャ大王の呪いかな。

お昼ご飯を食べおえたらP子が学校から帰ってきて、ほとんどそのまま、P子の体操教室に行く。
福助は自閉症児らしくぶつかったり転んだりしては生傷が絶えないのだが、バランスの悪いことに、運動神経は大変によい。体育用のマットでずっと前転を繰り返し、ボール投げはP子とほぼ同様の距離を投げるわ捕るわ、跳び箱で前転する見本をみて、自分も幼児用三段の跳び箱で挑戦し、補助つきながら成功させてしまったほどだった。
「飛んでごらんよ、きっと飛べるよ」
といったらその気になり、跳び箱を今度は飛ぼうと補助板を高く蹴りあげたのだが、手をつく場所を間違え真上に飛んで、かっちり固まり、どうするとこんな格好で倒れられるのか、彼は跳び箱の縁から真後ろに固まったままゆっくり倒れ込み、私がキャッチしなければ後頭部をジャンプの板にしたたか打ちつけていただろうというコケ方をした。
その落ちて行き方がアニメのようで結構おかしくて、周りにいた補助のお母さんたちと、完璧に補助した私は笑ってしまった。すると、怒るのよ、福助が真っ赤になって、煙を出しそうな勢いで、
「どわわわわわ(意味不明)」と叫ぶのよ。
「誰だって失敗するよ、一度でうまく飛ぶのは無理だよ」
とあわててなだめたが、だめなのだった。
「いいのっ。もうしないのっ!! 」と、かけて行ってしまい、巨大な団子虫と化してマットに突っ伏していた。いくらハロウィンでも、団子虫ってのは、どうなんだろう。この「几帳面なまでのプライド」は自閉症によく見られる特徴だが、これがある限り、どんな才能があってもプロのスポーツ選手になるのは無理だろうと思った。惜しいなあ。頭を抱えたいのは、かあさんだよ。

ハロウィンだが、今年はパーティーもなく。でも、子供時代にキャンディーをもらう経験をしていないと、だからどーしたの、所詮異国のお祭りでしょう。という感が否めず、そんなに寂しくもないなあ。盆踊りに行けない焦燥感とは全く違うよね。ああ、骨の髄まで日本人。
でも、イベントを大切にする私としては、一応秘蔵の「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のTシャツを着てみたのだった。しかし、誰からも意識されることがなかった。所詮、日本のハロウィンなどそんなものである。いや、ひょっとすると、この体型で横伸びして、ジャックに見えなかったのかもしれない。細身のガイコツのジャックが、サンタクロースの格好をしているんだけど、福助も、
「あ、スネイク?」
って、蛇だと思っていたみたいだし。蛇、着るかよ、ハロウィンに。

 
 

  
 
日記
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