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 2003-09-01
 

本日の懺悔。
防災の日・特別避難訓練で、親も参加しなければならなかった。らしいのに……私は学校のすぐそばのコートで、テニスをやっていました。「知らなかった」というのが本当のところなのですが、どうもプリントに書かれていたのを読み飛ばしたのは私のミスなので、言い訳できません。
なぜ、世の中のお母さまたちは、夏休み前のプリントを、夏休み明けまで覚えていられるのでしょう。
なぜ、世の中のお母さまたちは、小学校で大量にいただくプリントを全部かっちりお読みになるのでしょう。
ものすごい量で、一か月でファイルバインダー一冊がパンパンになるもんなあ。連絡網というものがあって、学校のホームページというものがあって、こんなにも携帯メールが普及しているというのに、なんでペーパーレスにならないかねぇ……。学校のWEB上に、「明日の連絡」みたいなのがあってくれると、大変便利なんだけど。
私の場合は、「小学生の母」が職業名でもあるのですが、別の本職も持っている人は、Wで資料の読み込みを強いられることになり、混乱しませんか、どーですか。きょうび、「仕事があるので」というのは、PTA役員辞退の理由にはならないほど有職率が高いそうですが、みんな本当に有能なんだなあと、取り残されたような気分です。
娘は、今日持っていくべきものを持っていかず、関係ないものを持っていったらしく、これまたすまないことをしました。みんな宿題+自由研究にすごいことをやっていて、目標達成シートはぐりぐり塗りこんである人ばかり、真っ白だったのは娘だけだったそうで、いい加減な親を持つと子供は強くなるのだなあと思いました。
母・ヨシコが、「現役の小学生ママ」だったとき、学校から何か昆虫を一匹捕まえてきて下さいという課題に、ごきぶりを弟にもたせて先生に叱られたことがありました。その辺りを機に、母・ヨシコが「小学生の母」業より自分の実業に逃げた理由が、この歳になってちょっと解るような気がします。小学生の母親という仕事は、本腰を入れてやるととてつもなく大変だ。そして、労力はたくさん必要なのに、ボランティアなのだ。さらに一生懸命になればなるほど、子供には疎まれるしねー。
娘は、悪態をつきながら夏休み気まぐれ日記をスケッチブックに展開し、数日おきに気のない絵を書きなぐり、一行日記を書く程度。自由課題はまとめる力もないので、ドリル形式を埋めさせたが、それもものすごーく適当で……。まあ、私の子なんだから、こんなもんだ。と、思います。遺伝子には、逆らえません。
「クワガタ」の研究といいながら、ヒラタなのかミヤマなのかの興味もなく、コクワガタが死んでもそのままケースに入れっぱなしだしなあ。(虫嫌いが昆虫図鑑見ているんだから私ってエライ!)もっと違う課題も、あっただろうに。と、今さら思ったりしてね。ちなみに、コクワガタのつがいはケースの中で毎日交尾しています。リゾートの恋人たちみたいなコクワガタだ。伊豆から世田谷に来て、はしゃいでいるのかな。交尾の意味をまだ知らない娘は、じゃれあっているのだと思っていたようで、無理にのっかって喧嘩している、といわないところが、我が家の平和さを物語るなあ。私は幼少のみぎり、「交尾とは喧嘩と見つけたり」と信じていたからなあ。あの乗っかっているのはね、交尾って言うんだよ、赤ちゃんを作っているんだよ、と、教えたら、観察記録に残していました。
「オスはこうびをするときに、おしりからしっぽみたいなのをだします」
人もです、そしてたいていのオスは、そのしっぽの大きさにメスがこだわっていると勘違いしています、ばかだねーと突っ込みそうになって、慌てて母親の顔に戻りました。
学校の決まりがあって、それを守ること、守らせること、行事に参加すること、細かい雑事に追われること。「小学生の母」業は、大変な上に面倒ですが、おもしろがれるネタは盛りだくさんなのでやめられません。
明日は「ぞうきん」をもっていくからねっ。それは確実な情報だと娘が力説しているので、本日の反省を込めて、丁寧に縫わせてもらいました。

 
 

 2003-09-02
 

リキテックス、という、絵描きにとって文明の利器があります。平たく言うと、プロ用の絵の具です。
娘が今日、生まれて初めて絵に使った絵の具は、それでした。
「うちに絵の具、あったよな」と思って、探したら、それしかなかったわけです。十年以上も使われなかった絵の具はこちこちでしたが、(もともとこちこちなのかも?)娘の選んだとんでもない色はなんとか水で溶くことができました。
おそろしく美しい発色で、P子は満足げです。小学生でこれは、ちょっと卑怯かなとも思います。でも「交通安全」ポスター・色鉛筆不可としか、書いていないし、絵の具は絵の具だし……。
絵の具の使い方、筆やパレットの使い方、クレヨンは絵の具で水はじきすることや、水彩の特徴などをちまちま教えているうちに私は「すぎもとさえ」先生の声になっていました。そうかそういうの、幼稚園で習ったんだ……。私の通っていた幼稚園の、担任の先生です。35年前、すでにバス通園があった私立の幼稚園の、なんて教育的なことでしょう。そういえば、年中の時に鶴が折れなくて大泣きしたんだけど、今にして思えば、あの幼稚園め、そんな難しいことをさせていたのかと腹が立ちます。ひらがなは読めて当然、私がお歌の時間にただ口を変な形にぱくぱくさせていたら「字が読めないのでは」と、わざわざ補習させられたのは年長のときでした。確かに受験戦争世代だけどね、幼稚園児代ぐらいは楽しく遊ぶことに主眼をおけばいいのにと、思うよなあ。
もちろん、字は読めました。でも当時の私は外国のドラマにはまっており、吹き替えというのを知らなかったので、「外国人というのは、変な口の形で大げさに日本語をしゃべるものだ」とすっかり勘違いしていたのです。外国語というものが存在するなんて、知らなかったんだよ。今でもできる、変な口の形で大げさに日本語をしゃべるの。あの頃、毎日特訓していたから。ああ、不毛だ。当時ちゃんとした英語をインプットしていれば、RとLの発音だって完璧だっただろうに。つまり、年長さんの私は、歌の時間に「英語」をしゃべっているつもりだったのねー。
……あの頃のおばかな私に比べると、今の子供たちは、なんて大人なんだろうと思います。

娘は何枚も何枚も構図を下書きして、やる気満々でした。夏休みがあけて、締め切りが明日。という時になるとなんでこう、エンジンが全開になるかなあ。もっと前にやれよ。
「どれがいいー、おかあさん」
これ。次は、6Bの鉛筆で下書きしてごらん。
「下書きが終わったよー、おかあさん」
無駄な線を消しゴムで消して、ああんもう、消しゴムの使い方が下手すぎる、もっと丁寧にね。で、クレヨンは濃いめにぐりぐり塗った方がポスターっぽいよとアドバイス。
「クレヨン塗ったよー、おかあさん」
鉛筆の汚い線を隠すには縁取りするといいよとカタログ雑誌を見せて説明。こら、ちゃんと人の話を最後まで聞きなさぁぁぁい。
「縁取りしたよー、おかあさん」
背景を塗るのはクレヨンだと大変だとP子がこぼしたので、そこで絵の具の使い方、となったわけです。ご飯作っている最中にめんどくさいよと愚痴りながら、絵の具を探し出して、筆の持ち方と使い方を教えます。
「できたよー、おかあさん」
ちょっと目がチカチカするすごい色彩感覚だけど、気合いが入ったいい出来でした。学校で図工の時間に描いている「どうしてこんなに手を抜くの?」という絵とは格段に違っていました。何か琴線に触れたのかなあ、「交通安全」のあたりが? 母よ、心に刻め、交通安全だぞ、と訴えたかったのかもしれません。
お父さんに最終アドバイスをもらっておいで。といったところで、ご飯ができました。
で、ご飯食べながら、夫は「手伝い過ぎだよ、それは」と言うわけです。作品に手を入れていなくても、絵画教室で教えるようなことを教えては駄目だ、全部自分で発見しなければ描く楽しみは生まれない、失敗する自由を奪うな。と、いつになく真顔で言うのね。
失敗する自由、か。
そういえばそうなのかもしれないなあ。美大系の人だけに、説得力があります。でも、一部の天才にはそういうのでよくても、一年生は思ったほど放置プレイにむかない。という気もするんだけどなあ。いちいちおかあさんを呼んで関わるというのもきっと、お楽しみの一つだと思うしさ。文句いいながらつきあうというのは、私の人格ができていないってことだけど。
「こうしなさい」というのでなければ、どんな口出しもどんな提言も、私はいいと思っているんだけど(第一P子は、決して鵜呑みにはしない可愛気のないタイプだし)……教育というのは難しいです。
ところで出来上がったポスター、夫の最終アドバイスは
「字は、下じゃなくて、上の方に書いた方が目立つよ」
でした。パソコンで書いているわけじゃないんだから、いれかえできないと思うんだけど……しばらくの間、ものすごーく悩んでいたP子がいい放ったのは、
「ま、いいか。とにかく、明日締め切りなんだし。間に合わせることが大事だよね、おかあさん」
芸術のために納得いくまで何枚でも描き直す、みたいなのはないんですか、P子さん。普段はざっくり仕事をこなすおとうさんですら、単行本の表紙は何度も書き直していたというのに。
ひょっとして父親より大物なのかも、と、ふと思いました。でも、きっと美術系には進まないだろうな、とも、確信しました。

 
 

 2003-09-04
 

最近、アブナイ。
捨てたはずのゴミが捨ててなかったり、消したはずのお鍋がついていたり、決まるはずのボレーを外したり。
昨日は猿テニスだったんだけど、男子部員がほぼ欠席で、二面で5人しか参加せず状態に陥ってしまった。リーダー・ふちゃの人員召集の命を受け、急きょ「主婦テニス連盟」に声をかけたらこぞって参加してくれて、顔が痛くなるほどじりじり暑いコートで、テニスをすることになった。普段猿テニス男子部とゆったり楽しむミックスダブルス戦が、昨日に限って、主に主婦中級の女子ダブルスになる。ほとんどがスクールの友達であるため、実力は拮抗、しかも突然の呼び出しに二つ返事で集う猿主婦たちなので、なんというか、戦いが白熱する。いつもは家事と育児にぶつける情熱を、黄色い球にぶつけているのだ。本当か? 気温35度、体温38度、待ち時間は子供用アイスノンで頭を冷やすみたいな状態なのである。子供は走り回り、おしゃべりにも花が咲き、異色の新・猿テニス協会<主婦バージョン>ができあがってしまった。で、来月からどうしましょう……。
うれしい悩みを渋滞の中お家に持ち帰ったら、家中煮物のいい匂い。あ゛ー、しまった。スペアリブ、朝あたためて電気ポットのスイッチそのままだった。煮込み過ぎてくたびれた肉になってしまったが、品数は豊富な方が夕食として豪華だと思い、同行したみたちゃんにおすそわけする。実は彼女からでかけにサーモンマリネをいただいていて、「今晩の夕食はほとんど並べるだけですむ、助かった!!」と思っていたのだ。そうか、テニスの時にはこうやって主婦同士おかず交換をすると、晩ご飯は結構らくちんかもしれないなどと、考える。ただ、私の作ったものは決しておいしくないため、このすばらしい提案ができないのがつらい。
暑さで丸煮えのお脳と、乳酸たっぷりの体を抱えて、そのまま倒れ混むように眠った。こういう本能に従った行動というのは、生物として実に正しい気がする。

朝まで爆睡したせいか、今朝の起床は大変さわやか。
朝からばりばり家事をこなし、大切なコーヒーカップで自分のためだけにコーヒーを入れる。このカップは「がんばっているゆう子ちゃんへのごほうびだよ」といただいたものだ。フィンランド製のアラビアは、25歳の時にヘルシンキに行った時にとても気に入ったブランドだった。主婦がマイカップにするには高級すぎるが、だからこそこのカップで飲むコーヒーは特別で、これから毎日、きっと私を支えてくれるだろう。例えば明日はまた福助の憂鬱な検査だったりする。……突然のプレゼントを贈ってくれた彼女の方が実はとてつもなく大変な状況なのを、私は知っている。痛いほどの悲しみと彼女はまだ格闘しているはずなのに。彼女のためにただ祈ることしかできなかった私は、自分の気の利かなさと行動力のなさを恥じる。さりげない優しさこそ癒しになると教えられた。いつか、彼女のようになりたいと切望する。
そうやって考えると、私は「あの人のようになりたい」という人がまわりにとてもたくさんいることに気づく。好きになった人だけが友達なんだから、当然といえば当然なのかもしれないが、こういう当たり前の幸せに恵まれるのは、主婦の特権かもしれない。私はフリーだったので比較的少なかったとは思うけれど、それでも仕事をしている時には不本意でもつきあわなければならない人が、いたもんなあ。
8時には娘を送り出し、息子を叩き起こして吉祥寺へ。ちょっとしたご用の前に、ママ友りえちゃんと朝マックしようとお約束していたのだ。食費を節約するように、時間だって工夫次第。忙しくても、お友達に会うことは必要不可欠な贅沢な時間なのだ。

一緒にテニスしてストレスを発散する、子供について、夫について情報交換をする。時には愚痴もこぼし合う。私にはまた、最近HPを通じてメル友までできちゃって、うふふ、友達という名の財産に関しては、資産家といってもいいな。そうやって取り戻した主婦の元気と優しさは、何より家族のために使われる。お友達というのは家庭を支える貴重な栄養剤だ。世の男性諸氏は、妻のお友達を大切にしなくちゃいけませんぜ。

 
 

 2003-09-06
 

ゆう子さんは教育的なのか放任なのかわからないとメールをいただき、しばらく考えて、「一生懸命教育的にしているが、根がいい加減」なんだろうなあと思いました。子供がわらないと立ち止まっているなら、そのやり方を教えるのが生活のどんなことより優先されると思っています。
「お母さんはいじわるだ」
とP子に言われたことがあります。ふたを開けてと頼まれて、ふたを開けるコツを何度か説明した後、もう一度ふたを閉めたから。目的と効率を考えたら、そのまま開けてあげるのが正しい。それが優しいお母さんってもんかもしれません。
でも、それじゃいつまでも私がふたを開けるわけでーーここで教育的な人格者は、「釣った魚をあげるのでなく、釣り方を教えよと言うではないか」などと格言まで持ち出して説明すると思うんだけど、根がいい加減な私は、「だって次からもずーっとお母さんが開けるのはめんどくさいもん、開け方を覚えな」という本音炸裂になるわけです。
絵の道具の使い方と見せ方は別紙を使ってまで教えるけど、その通りに描くのは格好悪いといい、P子のやり方を待って、決して手は出さない。これで来年からは全部ひとりで描けるはず。
教材ドリルは作っても、決して答えは教えない。「こう書け」とはいわず、こんな例があるよと3つも提案すると、P子は耳をふさいで「やめてやめて。たくさん例を出されると、オリジナリティーがなくなる」と必死に自分で考えます。もちろん一問一答式じゃなく、記述式。そうじゃないと、読んで、私がつまんないから。……結局、それは教育的というよりは、私のお楽しみなんだなあと思います。
それでも夫の「手伝い過ぎ」という言葉は、確かにそうだよなと思います。自分の子じゃなかったらね、もっと放っておくし、客観的に忍耐強く見守れると思う。自分の子だと思うと、こんな私でも、やっぱり多少は人目を気にするんだなと思います。
5歳の時に、P子が作った一行詩がとてもよかったので、毛筆書きして階段のギャラリーに貼ろう。と盛り上がりました。ところが、それはCMのパクリだったのね。普段は温和なおとうさんが、烈火の如く怒った。この辺、多分一般のご家庭と価値観のズレがあります。
以来、P子はオリジナリティーを大切にしています。ほかの人とちょっとずれた個性を、最も尊いものだと思っているらしく、モー娘。や、はやりのアニメには目もくれず、地味な顔立ちがよく似ている「マドレーヌちゃん」のファンだったりします。
そんなわけで、我が家の習い事やイベントは基本的に「何もしたくないんだけど、おかあさんは。連れていくのとか面倒くさいし」という母に対し、自分で選んで、母を説得して、P子が勝ち取ったものです。私がやってほしいなあと思っていた習い事(ピアノとバレエとタップダンスと水泳とテニス)は、一度は勧めてみたけれど、興味ないことは続かないしな。と、自分の子供時代を思って、誘導も無理じいもしないのね。そんなことに関わるなら自分がテニスしたいし。うち、余分なお金もないし。この辺りがいい加減。
だからP子は交渉上手です。近所のママに「はきはきしているね」とほめられました。それがいいのか悪いのか、わからない。子供らしくないかもしれません。でもさ、私にできる教育の形は、こんなもんです。
さて、福助の検査の結果、自閉症と診断されました。
4月にHPの「主婦と生活」コラムに書いた気持ちと基本的に全く変わっていないので、まあ、今さら診断されたから何かが変わるというものでもないんだけど、これで名実共に「障害者の親」になったんだなあ。とは思います。
早速、HPに自閉症のコラムを作らなくちゃねー。人と違う、オリジナリティーという点においては大変な個性に恵まれたわけで、めんどくさがりな私は正直、めんどうだなあと思う反面、ちょっとおもしろいじゃん。と不謹慎な気分でもいるわけです。ドクターにも「お父さんが漫画家というのは大変に恵まれた環境」と太鼓判を押されましたし。芸術家とうまくやっていける女がかあちゃんだというのは、福助にとって悪いことではないだろうと、自分を誇りにも思いました。教育的で、いい加減で。
ただね。
「おかあさん、あんまりがんばらないで」
と、やたらと福祉施設で何度も何度も言われて、なんか違うなあ。と、気になっていたので、昨日はきちんと言葉にしてみました。
「がんばらなきゃ、こういう場所には、通って来られませんよ。がんばり過ぎないでという言葉の後ろにある、励ましの気持ちはありがたいですけど、がんばろうという気持ちを応援して下さる方がうれしいです。これから私が障害者を一人で抱えきれなくなった時に、愚痴もこぼすでしょうし、制度と戦うこともあれば、たくさんご迷惑をかけることになります。その時に私は遠慮するつもりはありませんから、ぜひ、力になって下さい。いざという時に、できる範囲でそばにいて、力を貸すから利用してくれ。そういう言葉が本当の励ましだと思います」
これ、「診断を聞いて神経質になっている障害者の母の八つ当たり」に聞こえちゃっていないといいなあ。まず相互理解から、というのが福祉の原点だとすれば、福祉関係者の方は、障害者の母親の気持ちを理解していただけるとうれしいです。ひとつよろしくお願いします。……私の感覚は、一般的じゃないかもしれないんですけどね。
福助3歳。高機能自閉症児は、今日も元気にテレタビーズを見ています。ああ、いい天気だなあ。さぁて、洗濯しよーっと。

 
 

 2003-09-07
 

ポカスカナイト@鴬谷東京キネマ倶楽部、最高でしたー。もうちょっと若くて身軽だったら、「追っかけ」になっていたかもしれない。ポカスカジャン、愛。とかかいた、うちわとかハッピとか、持っちゃって。
私が小学生だった頃には「新御三家」がブームで、私は秀樹もひろみも五郎も、三人とも好きで決めきれないなあ。と思っていた優柔不断な子供だった。青少年だった頃、周りの友達は「たのきんトリオ」の誰がいい、みたいな話をしていたけど、よっちゃんじゃなければどっちでも。みたいな、選べる立場にあるわけでもないのにいい加減な態度をとっていた私にミーハーな話題を振る友達はなく、長じて少年隊もkinki-kidsも「どうでもいいですよ」であった。
SMAPは「日本一働き者だなあ」という印象で好感を持っていたが、やはりSMAP×SMAPを見てからとりこになった。思い起こすに、私が毎週「お目にかかるのを」楽しみにしていたのは、むしろドリフであり、大人になってからビデオで全作制覇したクレージーキャッツなのだ。ああ、なんということだ、「お笑い」要素のない男には、心惹かれない体質だったのか 。
今でこそ若い男の子はみんな美しく、ギャグセンスも磨かれていてそこそこありそうだが、私が若い頃の男の子は、かなりセンスがちぐはぐでも平気、女の子を笑わせるよりはデートのために寡黙にバイトみたいな子ばかりだった。だからデートでは、女子、全開でしゃべりっぱなし。男子、うなづきっぱなし。みたいな感じだったなあ。それは、Wデートでも感じたし、いろいろな友達と情報交換してもそうだった。特に思春期は早い子は言葉なんかいらない、交尾しっぱなし状態だったこともあって、うちのやりやりコクワガタといい勝負だ。(あ、虫かごの中では、今壮絶なドラマが。三角関係の末路は、オスが一匹首を切られて死亡というすわ火曜サスペンス劇場。ところが死体を前にした二匹の蜜月に、世田谷育ちのメスの愛人登場で、昼メロのような展開に……。さあ、この三匹の運命やいかに!! つづく)。
娘の飯ごう炊飯を(ずーっと{はんごうすいさん}だと思っていて、変換しなくて困った)夫に押し付けてまで行ったので、会場には入るまではなんとも後ろめたかったのだが、始まってしまえば、笑いっぱなし。後ろめたさも吹き飛ぶ、楽しい一夜だった。ポカスカジャン、全国ツアーのあとのスケジュールは……って、やっぱり軽く「追っかけ」状態。まいったわぁ、気持ちが止められない……。

 
 

 2003-09-08
 

「はんごうすいはん」は、「飯盒炊爨(はんごうすいさん)」で正しかった模様。
数々のご指摘、ありがとうございました。
……というわけで、みたちゃん(帰国子女)の「彼のふくろはぎがステキ!」という発言に、
「それをいうなら、ふくらはぎでしょー! ふくろはりじゃ、内職だ」
と突っ込んで笑った過日の自分を反省するとともに発言撤回させていただき、疑問に思いつつ辞書もひかなかった怠惰な自分を軽く罰し、さらに「飯盒炊爨」は発言を訂正したいと思います。

「ああ疲れているなあ。最近」
と言う、同じ口で、今日の予定を夫に伝えたら、
「お前、ばかじゃないの?」
と言われた。
午前中テニススクールに行き、午後から子連れママさんテニスに参加し、朝顔の鉢をとりに戻って、保護者会に直行する。そうかなあ。一日に予定が三つだけだぞ。しかもそのうち二つは同じ服。ちょうどアップして、試合する感じ?
「疲れているなら、テニスを休め」
と言われて、ああそうか。と初めて思う。どれかパスできるなら保護者会を休みたいと漠然と思っていた。
いろいろな本を読んでいて、あらADHDも自閉症と親戚筋だな、いくら注意されてもできない? 片付けられない? P子やばいじゃん。などと思っていたのだが、ひょっとすると、私がやばいのかも。
福助の自閉症も、夫の変わり者の部分と、私のADHDかもしれない部分の、濃縮された遺伝だと思えば、愛おしい。ついでに私によく似た、P子の困ったところもな。
壊れた者同士、肩寄せあって生きているというか……
障害を個性と思える鈴木家です。はい。あ、何か標語みたい。
「今やテニスは部活みたいなもんよ」
と、同時期にテニスを始めたまみこちゃんが言ってたっけな。全くその通りで、テニスは部活のように、休まない前提にある。某皇居のM子様によく似たまみこちゃんには、テニスが似合う。しかし飲むとぶちゃけちゃうのが、M子様と異なる点だ。っていうか、M子様と飲んだことがないので、乱れ方、知らないですけど。娘が同級生の母、四人が偶然スクールで出会ってしまったという運命には抗えず、何かあると結束のかたい四人組なのだった。下に小猿を連れているせいで(いい言い訳だなあ)私はまだちっともうまくならないが、それでもコートで球拾いすることさえ、うれしい。
あ、今日誘われている子連れママテニスは、小猿軍団がいる、また別枠だけどね。
さて洗濯物を干して今から行くテニススクールに、今日は隣の組の同級生ママが来るらしい。こうやって友達も増えるわけで、もう、部活化しちゃうのも当然だ。
それで、疲れているんだから、全く……。
でも、腰を痛めてあまりテニスができなかった8月、やはり多少太ったところをみると、週二回のテニスは確実にダイエット効果がある。有酸素運動じゃないのでエアロビクスなどに比べるとやせにくいけど、楽しくてついでにやせられるなら、何よりだわぁ。
では、たっぷり貯えた脂肪を、燃やしてきます。テニスへの情熱とともに。雨が降らないといいなあ。

 
 

 2003-09-09
 

携帯の画面がたびたび真っ黒になる。
「おしょうゆ、ですね。おせんべみたいな匂いがしますから」
と、auショップのオネ−サンは、電池の接触をカチカチやりながら、匂いを嗅いで言うのだった。
トイレに落としたわけでなくて、よかった。と、なんとなく仕事熱心に鼻を動かす美形のオネーサンを見て、思った。
しかし、この携帯電話はいったい、いつ、醤油なんか飲んだんだろう? 私が、眠っている間に?
というわけで、何度か真っ黒になって、真っ青になる。という経験を何度か経て、やっと携帯を機種変更することに。
別にカメラなんかいらないといっているのに、カメラのついていないものはない。という。
瞬間、「話せればええやん、電話やし」のコピーが思い出され、胸が熱くなり、しょうゆくさい携帯を投げつけてTU-KAに変えようかと思ったぐらいだ。くぉら、おばちゃんをなめんなよー!!
でもね、au、下田の山奥に強いの。
それにしても、新機種、何を買ったらいいのかわからない。
「お昼ご飯を食べよう」と、ちょっと煮詰まっている夫を呼び出して、選んでほしいといったら、パケットがどーの、なんとかバイトがどーの、家族割りがどーの、と、携帯屋のオニ−サンと暗号で熱心に語りはじめた。そして、私が福助のうんこを始末している間に、一瞬にして新しい携帯を買うことに決めていた。夫よ、携帯を二台も持って、しかもそんな恥ずかしい電話番号を選んで、君はキャバクラ嬢か? H゛はこれで解約の運命か?
ご飯を食べながら、久しぶりのランチという事実より、新しい携帯に、うきうきしていた。
ああ、大人っていいな。欲しいと思ったものを自由に買えるんだよー。値段にも、よるけどさ。
新しいおもちゃというのは、おおむね、楽しいもので、しかもカメラで動画もとれるとなると、ビデオのない我が家にはなんともすばらしい文明開化であり、P子と福助は我先に、気でもふれたかのように歌い踊るのだった。携帯に向かって。
これがおかしい。うちの子供たち、リズム感とセンスなさ過ぎ。腰、振り過ぎ。
こいつを呼び出し音と壁紙にしたいよー。でも、やり方、わかんないよー。そんなこと、できるのかどうかも、知らないよー。
で、いっぱい保存したのはいいけど、これをどうすればいいのかもわかんないよー。
仕事終わったら、よろしくね。>夫。
それにしても、すごーぉぉぉぉく長い間、古い機械を使っていると、実にこう、進化にびっくりするね。特にジョグダイヤルがすごく便利で、これなら私でもメールが打てそうだ。とさえ、思ったりした。今まで携帯からメールを打ったことなかったんだけど。っていうか、データすらまともに入れられなくて、電話をかけてもらったのを、まるっと記憶させる程度だったんだけど、今度はちゃんと使いこなせそうだ。持っている機能の3割ぐらいはね。
今までのは、パタンと閉じるたびにオートロックになってくれたから、うっかり母さんも安心だったんだけど、今度のは電源を消さないとロックされないみたいだ。ああ、忘れていったらどうしよう。と、セキュリティーの甘さが気にはなったものの、わーいわーい、すごいぞー。カメラつき、動画つき、携帯からメールも簡単さ。
問題は、ストラップだな。江戸時代からの根付け文化を大切にしたい私としては、ストラップなしの携帯は許されない。けれど、このごっつい雰囲気に、今愛用している「順風満帆」と大書された恵比寿ビールのおまけの木札は、さっぱり合わないのねー。悩む。悩むなあ、大いに悩む。
さらに、着メロも、ポカスカジャンのテーマにしようか、ガリガリ君にしようか、悩むなあ。
その前に、ダウンロードの仕方がわかんないんだよー。どうしよう……。

 
 

 2003-09-11
 

うちの福ちゃんが、昨日9月10日に初めて、おまるでうんちしました。三歳四か月。
わざわざお父さん、仕事の手を止めて、両親大絶賛、拍手喝采、スタンディングオベーションFor the お便所!!。うれしそうに笑顔輝く福助。しかし、そのすぐ後、そしらぬ顔でおむつの中にもちゃんとうんちをたれていました。
福助め、あなどれないぜ。
なんでもかんでもものすごぉぉぉく早くできてしまった娘P子は、考えてみると赤ちゃんの時期もあっという間でした。自慢の種でしたが、早くから対等な「人」として、できあがっていた気がします。そういう意味では、福助の育児は味わい深いです。
多くの母親が男の子をかわいいというのは、男の子の方が成長が遅く、ちょっとおバカだからではないでしょうか。馬鹿な子ほどかわいい、というのは、名言だと痛感します。
どんなにえらい男性だって、おむつして、おかあちゃんのおっぱいを吸って、ほにゃほにゃ幸せだった時期があるわけで、多分おバカでおかあちゃんに迷惑をかけていた人ほど、必要以上に女に対して威張らないとバランスが悪くなっちゃうのかもなあ。なんて、福助を見てて思いました。
この子がやがて反抗期になって、何を言っても、ちんちん振って踊っていたこの時代を忘れなければ、わりと簡単に乗り越えられそうな気がするわ。子供時代というのは、正直、「恥ずかしい」もので、そういう証拠を握りまくっているわけだからなあ、特に母親は。
もちろん、福助が、いくらかあちゃん大好きの裏返しだからといっても女性を侮蔑するような発言をしたら、許しません。私の目の黒いうちはね。いや、たとえ老人性白内障になってもね。

昨日から既に連休への忙しさが始まっていて、今週末は予定がびっしりです。というわけで、今から準備と、家事をしっかりやるのだ。しばらく更新がありませんが、お許し下さい。では。

 
 

 2003-09-16
 

連休は伊豆へ。
父、肺炎および、褥創の感染症は経過楽観できず、敗血症が確認されて、高熱が続いており、病院から呼び出される。
ドクターの説明は相変わらず簡潔にして丁寧、大変わかりやすく、どんな素人質問にもわかりやすく答えてくれ、熱川温泉病院の姿勢に感謝する。治療のレベルも、カルテの記録開示も、日本ではなかなか望めないレベルなのではないかと思う。
ドクターは、「すでに末期」という言葉を使った。呼吸が苦しいので、気管にチューブを挿管するかという相談だった。
三、四日前から深い昏睡状態で、目もあけられなくなっており、母は覚悟した様子で私たちに電話をかけてきていた。そして見舞うために病院に向かっている時、ちょうど病院からの電話を受けたのだった。毎日観察している母の洞察力はやはりすごいものがある。
「もう、苦しませずにしまってやりたい」
と、母は何度も言った。今回の滞在中、台所仕事の傍ら、私は夫の故郷の葬儀の進行と禁忌とすべき仕事を叩き込まれていた。やりきれない気分だが、母は事務的にそれらを話すことで、自分を支えているのだと思えば、いい加減に流すわけにはいかない。繰り返すことで、私も予行練習ができる。悲しい予行練習だが、突然で慌てるよりはよい。都会の嫁は、ただでさえ役に立たないんだもの。
「目もあけない、植物状態になってまって」
とも、母は再三言った。すでに植物状態と呼ばれる線だという説明は何度もしていたが、目を開けて視線を合わせて、手を握り返す父の行為を、母はただの反射だと思ってはいなかったのかぁ。と、そんなことを今さら知る。誰しも、「信じたくない事実」は、耳が聞いても頭に残らないらしい。
高カロリー輸液も、導尿カテーテルも、つまり既にチューブが入っている今、それらを抜くとあまりに積極的な尊厳死になってしまうので、今さら抜かないが、末期に入ったらチューブを入れたり切ったり痛い想いをさせる治療はやめよう、というのが、前回の家族会議での結論だった。いざとなると人間は弱い。死に目に会えないのが嫌なら、心臓マッサージで持たせることだってできるんだよ。大切なことは人それぞれ違うから、何を大切に思うか、医者にリクエストしておこうね。と言ってみたが、そんなことはしなくていい、床擦れや肺炎の治療をしてもらって、リハビリをする。それ以外、例えば末期になったら何もしないと、母は気丈に言っていた。
でも、夫は、母の意向をくんで、医師のムンテラのあと、延命措置をお願いした。
土曜日は「道づくり」だった。
生コンを自費で購入して、自宅前の道を村人の助けを借りて、みんなで敷いていく。そのために一月前から人を頼み、一週間かけて道の雑草を刈り込み、準備してきた。というわけで、土曜日から道が乾くまでの一週間、「死んでもらっちゃ困る」という事情ができてしまったのだった。
新婚時代の私なら、きっととても驚いたと思う。しかし、嫁して十年、多少のことでは驚かなくなった。父が倒れても洗濯物を干してから救急車を呼んだという、動転したのか、たいしたことないとタカをくくったのか、太っ腹なのか、いや多分、自分の仕事は責任もって遂行するタイプの母は、「道にはこだわりたい」と言い張った。
母がこだわるのが、「父の意志」ではなく、「道」というところに一見戸惑うが、今や、生コンの道路の補修がどんなに大事か、私にも理解できてしまうところが、恐い。
葬式で人様にお世話をかけるのに、道まで悪かったら申し訳ない、というのが真意だ。
母がそう言うのだから、それが正しいにちがいない。
何しろ、夫の実家は見事な山岳地帯だ。アスファルト敷きにしたくてもローラー車が転げ落ちるほどの急勾配で、よそ者の私が運転したら入射角とスピードを間違ったばかりにオイルパンに穴があいた話は記憶に新しい。夜道を走ればハクビシンが飛び出してくる。以前山の中腹に産廃が放棄されて大問題になったのだが、業者でなくても、その先に人が住んでいるとは決して思わない、野趣といえばあまりにも野趣、手つかずの自然といえばあまりにも手つかず、いやいや、桃源郷のように美しく豊かな場所なのだ。時々水が出なくなれば、泉までパイプをたどり、猪が掘り起こした箇所を修理しなければならない、「北の国から」〜伊豆バージョン〜といった風情。父・波雄は、定年退職した後、あたかも吾郎さんそのものだったのである。
だから、父さん、なんとか一週間は、もたせたかったわけで。それで、挿管やむなしと判断したわけで。その判断は、ダル…じゃなかった、夫が下した。それで、父は再び一命をとりとめた。
その後、経過が少しよくなり、父は再び目を開けた。敗血症がある以上、事態はよく理解しているつもりだが、そのときの母の喜びようったら!!
  「この彼岸に連れていかれると思ったが、目に力が戻ったから、11月までは持つだら」
とうれしそうだった。11月の根拠はわからない。だが、考えると、「道ができるまで」は自分の気持ちにケリをつけるための、材料だったのかもなと思った。
チューブだらけになっても、母にとって、父の尊厳はみじんも変わっていない。うん、11月までもつといいなあ。道は、今週末には乾いても。

 
 

 2003-09-17
 

「あ、狩られた……」
というのが、最初の直感だった。
飲み会と名がつけば始発帰りなのは当然だが、娘を送り出す八時になっても帰ってこないのは数えるほどしかない。
「そんな飲み方しちゃだめだよ。みそさん、いつか死んじゃうよ」
と、横山さんに言われた言葉が、横山さんの声のまま、頭の中でこだまする。私なら横山さんに言われたらすぐに朝帰りをやめるし、「元気のない時にはカツカレーを食べる」習慣などは未だ模しているが、みその耳に念仏、みその面にしょんべんなのだった。
二つ持っている携帯にかけ続ける。……出ない。何度もかける。出ない。出ない。出ないっ。
スリッパが玄関に残っているだけで、実は寝室にいるのかも、と二階に駆け上がるが、もぬけ。トイレ、風呂にもいない。玄関をあけるとそこには、乱闘の後のような植木鉢の乱れと、ばらまかれた小銭が。そして、一枚のキャッシュカード、夫名義のカードが落ちていた。
「あ、狩られたんだ」
と思った。小銭とカードが散らばっているのは、飲んでべろべろで帰ってきて、背後から襲われたからだ。財布がその辺に落ちているに違いない、犯人は現金だけを持っていったはずだ。夕べは帰宅するまで車庫のシャッターを閉めていなかった。昨日回ってきた緊急連絡網は、防犯の内容だった。今、この辺は物騒なのだ。以前、近所に押し込み強盗が入り、その一画は全部警備会社のシールが貼られたということもあった。成城署の管轄区は、犯罪検挙率が悪いとも聞く。近所にはオウムもいて、PTAも町会も見回りするような場所だ。……悪い条件ばかりが矢継ぎ早に浮かぶ。さて、けがをしているかもしれない夫はどこなのか。明け方寒くて目が覚めて、毛布をかけ直したほどだ。一晩降り続いた霧雨で、そのまま冷たくなってはいないか。
家の周り、建ぺい率の部分の植え込みを探す。財布が落ちていれば、おやじ狩り確定だ。なければ、もしかして酔いつぶれて鍵を探し、その拍子に小銭をばらまいただけなのかも。でも、カードはどう説明する?
ひょっとして、地下室か。そこなら毛布もある。私なら、カビ臭くても、地下室で寝る。
しかし、地下室の鍵はかたく閉ざされていた。駐車場にもいない。
「そんな飲み方しちゃだめだよ。みそさん、いつか死んじゃうよ」
夫の葬儀で、横山さんはきっと遺体に向かって、
「だから、言ったのに」
と言うに違いない。隣で妻のりっちゃんが泣きながらうなづくのだ。っていうか最近会っていない横山さんのことを急に思い出しているあたりは、謎である。私も気が動転している。昨日飲んだ仲間に電話をして、何時に解散したか聞こう。そして、警察に電話だ。
と、駐車場で携帯を出したとたん、ふと、車に目をやると、夫だ。夫がいた。車で寝ていた。頬は真っ赤なのに唇は真っ青。ひどく顔色が悪い。Tシャツが泥でよごれている。格闘のあとか?
「ダーリン!! 大丈夫なの?」
「ううう」
苦しそうだ。警察より、救急車か。
「ダーリン、なんでこんなとこにいるの、意識はある? 」
「え。んあ、俺。寝る。そこは、左に」
「なに、何が左?」
「んあ。酔っぱらってる? ここ、どこ? ついたの?」
……ただの酔っ払い、なのか。タクシーにでも乗っているつもりか。
「財布、あんの?」
詰問する声が恐くなっていくのが、自分でも止められない。顔が赤いのはテニスの日焼け、唇が青いのは飲み過ぎか。泥だらけは自分で植木鉢を引っくり返したせいだろう。狩られなくてよかったと一瞬思ったが、その次の瞬間、バカヤロ、俺が狩ってやる。と、思った。
「んあ。ある。財布。寝る。どこ、ここ?」
「いい加減にしな、みっともないね。さっさと起きて、ベッドで寝な!! 」
怒鳴りたいが、通学路になっているうちの前で怒鳴るわけにはいかない。娘の友達だって通る。心配した反動と、爆発できない怒りで、髪が逆立つのがわかる。怒髪天を突くとは、うまい表現だなあ。
「怒るなよ、俺は仕事でぇ、昨日は徹夜でぇ」
福助の真似か? 三歳に退行か?
「うそつけ。テニスで大負けして、徹夜で飲み会して酔いつぶれてんだよ。そんなお気楽な仕事がどこにあるんだよ、全く。仕事、仕事って言えばいいと思ったら大間違いだよ、ヨメは、ちゃんとお見通しなんだからねっ。子供に見せられないよ、そんな格好」
……情けない。40過ぎた男が、何をやっているのだろう。危篤の父を抱え、長男の福祉施設でのグループ診断が始まる初日、長女の英語学校も新学期を迎える、忙しい今日の日に、遊んで飲んで酔いつぶれている。
「ベッドに行きな。ハウス!! ほら、そのまま車にいるなら、福助と一緒に福祉施設に連れていくよ」 と言ったら、やっともそもそ動いた。駐車場のシャッターを閉め人目を避けて、手を貸すが、まともに歩けない。人としての尊厳がないぞ、ダーリンよ。とりあえず二日酔いに効くコーヒーを入れてベッドに持っていく。
「無理してでも飲んでおきな。酔いが醒める早さが違うから」
「んあ。いい。俺、無理しないから」
……だらしないぞ、ダーリン。ちったぁ、無理しろよ。そして、働け。

 
 

 2003-09-20
 

アヤしくてヤバ目の商品をいただいてしまった。
「こういうの、お好きじゃないかしらぁ?」
……大好きです。
怪しいものには目がないのだ。それはもう、すぐにでも試すのだ。
SOO(スー)ゆったりスチーマーだって。寝る前に、酸素マスクみたいなのを当てて、薬効成分を吸うんだって。
「おとなだって、眠いんだもぉぉん、吸ったらこういっちゃうよー。SOO(スー)」
(メーカー違ってます)
なんて歌いながら、半信半疑で、マスクを口に当てて、蒸気を吸った。
そして、なんか「すっげー」と思った。目がどよよーん。体がゆったりー。
「うわあああああ、やばいわ。これは、はまるわ」
ここのところ怒ってばっかりいて、血液が逆流していたので、これはいい!! ものすごーく、いい気分。深川さん、ありがとうございま、すー。ぐっすり。
家事や育児に疲れた主婦に贈る贈り物としては最適だなあ。と、ちょっと感動してしまいました。パッケージはオシャレでちっともヤバそうじゃなくて、忙しいOLさん辺りを対象にしている模様でしたけどね。これだけ効くと、ガチガチに疲れていて、疲れ過ぎていて眠いのに眠れないや。という時には、サプリメントよりいいんじゃないかなあ。主婦には手が届かないほど、お高いのかなあ? ハンズやロフトで扱ってるそうなので、今度行ってみよーっと。アロマテラピーとは違うのでくさくないのもいいです。
あんまりにもいいので、夫に勧めてみたら
「俺はさ、眠くならないのがほしい」
そういえば、いつもぱたんと眠る人だもんなあ。無理、しないんだもんなあ。

そう、ここのところ、ずーっと怒ってました。
なんか、ささやかないろんなことに。
かわいい福助は障害者とラベルを貼られてもかわいいんだけど、貼られたときからいよいよゲームはスタートするんだよね。武器と防具代わりに知識を身につけ、これはボスキャラ戦のためにそれはもう破格の強度にしておかねばならず、ばりばり本を読んでます。人と会ってます。勉強会、出まくります。 忙殺です。はりきってます。そこで聞く経験談に、否応なく襲い来る「現実」という名の敵との戦いが始まったのを実感しました。
たらぬたらぬは工夫が足らぬ!!と、祖母の遺言を今こそ生かすのだ。福助のハンディーを埋めるためなら私は何でもする!!つもりですが、障害者の障害になる行政の公僕様や世間様、多すぎです。
ただでさえ健常児の教育より療育は面倒、もとい、手がかかるのに、行政、怠慢すぎー。世間様、冷たすぎー。話を聞くたび、本を読むたび、ぶん殴ってやれ! と立腹しながら、「ご迷惑をかける」事実も知っているだけに、行き場のない憤りが体の中に溜め込まれていきます。
「障害者」って言葉もね、「ご迷惑かけてすみません」を繰り返していると、「障害のある人」じゃなくて、「障害になっている人」って気分になるの。これは、障害者の母親になるまで盲点だったわー。 言い換えするほどでもないとは思うけどね。
私の人生、これからずーっと福助のこと、謝り続けかよ。たまたま異星人みたいなのがランダムで生まれてきただけで、悪いことは何もしていないんだけどなあ。ちょっとイイコトしたら、できちゃっただけなんだけどなあ。
とはいえ、私はまだ若葉マーク。ゲームで例えれば、まだスライムを切っている程度で、幸い周りにいる人たちは頭がいいせいか理解も深く、手強い敵とは直接戦っていない。でも、先輩ママたちはみんなとんでもない経験を積み重ねて、今、笑っているのかと思うと、壮絶な死闘を想像して敬服します。私は障害者のママが書いた「激動の」とか「劇的な」とか「感動巨編」みたいな体験談が苦手だったんだけど、ついそう言う言葉をつけたくなっちゃう気持ちも、ほんのちょっとわかった気がしました。うん。
そんな中、幼稚園選びが始まりました。
幼稚園見学や説明会で、私は謝りませんでした。福助はキムタクではないので先生に歓待されるわけではないにしろ、私にとってはキムタク以上の価値があるかわいい小僧です。多少、個性的。それだけのことで、何を謝る必要があろうか。と、思っていました。
でも、娘の通っていた幼稚園に行った時、私はとても弱ってしまいました。健常なら対等の園と親なのに、障害のために私は「懇願する」立場だと悟ったわけです。
園庭の広さも、教育方針も、先生の質も、規模も、母親たちの覚悟も、福助にとって理想的。でも、先生にとって福助は決して理想的な生徒ではないので、あたりをつけておく必要があったのです。恩義ある先生方に嘘はつけない。隠してこっそり入園というアンフェアなのはダメでしたから、堂々と言いました。
「障害があります、自閉症です」
そして、これが多分、初めての「すみません」でした。
すみません、すみません、こんなことができない子供ですみません。どんなにしつけてもできるようにならないことがあります、すみません。しつけ方が普通の子供と違うので難しいです、すみません。
受け入れていただけなくても仕方ないが、ここが好きなのであきらめきれないのだと言いながら、うまくまとめてしゃべれない、冷静さを欠いている自分に焦りました。あがったり、緊張したりしないタイプの私としては、そんな自分に驚きました。そんなばたばたの説明を、根岸先生はメモを取りながら、じーっと黙って聞いて下さっているのでした。
説明しながら、私は初めて人前で涙ぐみました。よく知っている先生だけに、気が緩んだんだと思います。
娘の時には、娘について語るのが、どんなことだっていつだってどこでだって幸せで楽しかったのに、福助につく「すみません」は、元気や希望や勇気や夢をどんどん奪って、やりきれなくなるという現実がどーんと迫ってくるようでした。私にとっては二人ともかわいい子供なのにさ。
「福助くんにとってこの園がいいのなら、そしてお医者さんも幼稚園に行くべきだというのなら、私たちとしては前向きに考えたいと思います。今までも似たようなケースは受け入れたことがありますが、専門の知識はないですから、いろいろ教えて下さい、一緒に勉強しましょう。できないことはできなくてもいいと思います。福助くんの目標をクリアできることが大切です。そういう形で指導しますから、願書を出して、試験を受けてみてください」
……娘の行っていた幼稚園は、最高だった。と、思いました。
今度はうれしくてありがたくて、涙が出ました。眼鏡の上から涙を拭こうとして、笑っちゃいました。娘が「世界で一番好きな場所」といった幼稚園に、どうやら福助も通えそうな見通しです。そういう幼少期を与えてあげられることが、親の喜びです。この先たくさんの行き場のない怒りとやるせない悲しみの涙が待っているかもしれなくても、その後には必ずうれしい涙があったという今回の経験は、生涯忘れないと思います。

リラックスしてよく眠る。よく食べてよく動く。主婦の幸せは案外、身近にある。夫の新刊も、売れるといいな。(ネットでのご購入が便利で確実です。宣伝です)。そして、今日も元気で頑張るのだ!!

 
 

 2003-09-21
 

なんだかさー、重くなっちゃうよね。
ショーガイっていうと、やっぱりねぇ。どうよ、奥さん。(って、誰よ?)
で、全部削除しちまうかー。とも思ったんだけど、それもまた私の一部、ある種の真実。これは子供たちが大きくなった時に懐かしむために書いている部分もあるので、残しておいてもいいかなあと判断しました。はい。
ふざけた鈴木家をお望みの方、すみません。いつもいつもふざけてばかりもいられないもんで。
ところで、鈴木キッズは劇団四季の「青い鳥」をテレビから録画したビデオを、例によってテープがよれるまで見ています。どーも、今のブームらしいです。
あんまり繰り返すので、お歌が叩き込まれてしまって、ついつい叱るのをお歌にのせた替え歌にしてみました。高校演劇コンクール県大会出場(ちっともえらくないことをエバッて書くとえらそうに見えるなぁ)の私が歌うと、結構迫力があります。おーっほっほっほっ。というわけで、子供たちがキラキラした目で見つめ、ちゃんと言うことを聞くので、おもしろがって何度もつかっていましたら、先ほど、お父さんまでお歌をかぶせてきやがり、うれしくなってP子も福助も歌い出し、なんか、ほのぼのミュージカル一家です。そういうギャグ漫画を昔、江口先ちゃんの本で見たなあ。実際にやってみると……、やはり、とてつもなく変でした。あ、さすがにコスプレはしていないですよ。
「なんでだろう」説教(注)と同じぐらい、効果がありましたので、ミュージカル好きな親子のみなさんは、ぜひ、お試し下さい。

注)ダイニングにギターを置いておき即興で歌って叱ります。たとえば、ぐすぐず朝食をもてあそんでいる時にギターを抱えて「なんでだろう、なんでだろう、なんでだなんでだろう。P子ちゃんのお皿は、からすが食べたみたいなのなんでだろう、なんでだろう」みたいに突然歌い出すと、一曲やるうちに、たいていは食べ終わるという、明るい説教法でした。パジャマの片付け、机の整理など、応用がきくのがよいところです。ギターのネックが折れてからは、派手に踊るバージョンもやってみました。「必ずいるんだよね」も、娘は好きでした。

 
 

 2003-09-22
 

鼻水が、とまらない。
悲しみがとまらないのは詩になり、喜びがとまらないのは結構なことだが、鼻水がとまらないのはただみっともない。かみすぎて、鼻の下、真っ赤である。あわててそこら辺においてある試供品のクリームをすりこんだら、痛い。今度はひりひりが、とまらない。
今日はなぜかくしゃみをしっぱなしなのだ。誰か、ごっつい噂をしていませんか?
「噂、した?」
と、明日ペアを組んで草トーに出る、バディ・みたちゃんに聞いてみたら、
「いね」
といわれた。どこかへ行け、というわけではなくて、稲。アレルギーで、あるらしい。
そそそ、そんなばかな。秋だよー。一年中で最も好きな季節なんだよー。
春には、私、半分死人だ。どこに行くにもティッシュペーパーを箱ごと持っていく、危ないご商売の方のような状態で、薬でイッちゃっている。虫も嫌いだ。春は敵だ。
夏はすぐに夏バテする子供だった。小学生の頃には、あんまりにも炎天下に弱いので、お帽子におサングラスといういでたちを母・ヨシコに強要されていたぐらいだ。(母原病じゃねーか?)。自律神経が弱いので、雨に当たったり川遊びしてぬれたTシャツを着たままにすると、すぐ片頭痛を起こす。♪びしょびしょぬれのトレーナーが乾くまで抱き合った夏の昼下がり〜という、「虹とスニーカーの頃」みたいな情景は夢のまた夢だ。トレーナーは夏、着なくないか?と小さく歌詞に突っ込みつつ、ぬれたTシャツが恐いのだ。夏は敵だ。
冬は冬で、足だけ凍るように冷たい。体をかたくして歩くので、いつもいつも筋肉がこちこちだ。だからちょっとした動きですぐ故障する。ハイヒール履いて走っていて捻挫するのは、決まって冬場だ。乾燥肌なので、冬だけフケ症になり、顔からも粉を吹く。季節の変わり目を自分の粉で知る、悲しい感知システムを憎む。冬は敵だ。
だから秋は、特別な季節だった。唯一、私に許された季節。食べ物もおいしい。炊飯器を新米モードに切り替える瞬間は、私にとって敬虔な儀式ですらあった。何度も何度も東を向いて大笑いして初物を頂くたび、「ああ、日本に生まれてよかったなあ。また寿命が延びちゃったぞー」と、感涙にむせぶのが常だった。
それなのに、稲アレルギーかも、しれないのぉ? こんなに、白米好きなのに? ファミレスでは必ず大盛り頼んで、一粒のこさず平らげるのに? 日本人、米食べなすぎー。我が家は一日4合だぞ。と、JAにも貢献しているのに? ちょっとー、お米の神様、相手間違ってるわよー。と、言いたい。
もう、日本人として、いや、アジア人として、だめじゃん。稲でアレルギーおこしたら。
ショックだなあ。なんか、まだ不運が続いているのか。30代最後の2003年、いろいろあるんだなあ。ちくしょーめ。今年8年目のIH炊飯器も、ボケが始まっているし。新米、炊けないなあ。
明日は、幸い、いつも行っているスクールでテニスの試合だ。日頃の憂さを全て黄色い玉に込め、ひっぱだいてくるわっ。勝ち負けなど問題ではなく、ただ「気持ち良さのために」打つべし、打つべし、打つべし。
あ、ティッシュを箱で持っていかなくちゃならん。しかし、微熱がしばらく続いているので、風邪かもしれないんだけどさ。……風邪だといいなあ。毎年こんなんじゃ、たまらんもの。
とはいえ、それで試合に出られなくなったら、いくら風邪でも、困る。「ついていない」ループに入り込んでいる今、たかが風邪も侮れないぞ。まったくもって時節柄、ご自愛しちゃうのだ。

 
 

 2003-09-23
 

あー、楽しかった!! テニス、テニス。秋はやっぱり、テニスでしょ。
1-6,2-6,2-6で負けてしまったけど、三試合とも、ものすごくわくわくした。
勝てそうな試合ゲーム展開も一度や二度ではなく、負けたのはとても悔しかったけど、内容は実に濃かった。
ティッシュは箱で持っていったけど、一度もくしゃみなんかでなかったほど、燃えたなー。うん、燃えた。風邪もアレルギーも、飛んでいったな。
幸せ汁が、脳内いっぱい。んぐふふふ。
終わった後、みたちゃんと反省会をする。彼女がいいムーブメントを作ってくれているのを、私が「ありえない」ミスショット(例・スライスショットで自陣の地面にボールを打ちこむ。バックサイドから右サイドラインいっぱいまで走り込んでポーチをとろうとして失敗。など、いずれも、初級レベルでも滅多に見られない派手なミス)でくずす、という局面が多く、それは今後、最大の課題。でも私が苦しいミス連発の時には必ず、彼女がすばらしいショットを炸裂させる。彼女の調子が崩れると、なぜか私のポーチボレーがビシッと決まる。ーーなど、精神的に支えあう部分が大きかった気がする。
私たちは丈夫だ。二人とも、骨が太い。
だからきっと80までテニスができるだろう。ということは、あと約40年も、楽しいのだ。40か年計画の、今日は初日、草トーデビュー戦だったのである。ウェアもそろえて、いい感じだったのである。折しも9月23日はテニスの日なのである。ああ、記念すべき日だなあ。
2000円で、こんなに楽しい遊びはちょっとないよなあああああ。

帰ったら、福助はとてもいい子で昼寝していた。
お父さんが公園のはしごをしてくれたらしく、ぐっすりだ。
干しておいたお布団は、ちゃんととりこんであった。
P子のお誕生日が近いので、母・ヨシコとP子は西武園だった。
お父さんと福助を乗せて、P子をピックアップに向かう。途中で、シズラーに寄ることに。うわぁ、ご飯作らなくていいんだよ。福助もおとなしくもりもり食べている。
ああ、ぺこぺこのおなかがいっぱいだぁぁぁ。もう食えない。(しかもテーブルの担当は、思いきり私好みのお兄ちゃんで、うれしすぎる)。
母、ごちそうさまでした。一宿一飯の恩義で、今日は「私の母・ヨシコはいい人だ」と、全国に伝えておきたいと思う。

こんなにいい日もあるんだなあ。ご褒美みたいな、一日でした。
また明日からも一生懸命、生きていこう。

 
 

 2003-09-25
 

「おかーしゃん、おかぁ−しゃぁぁぁぁん」
二歳の夏には、単身、田舎に預けても平気で、二週間後に私が会いにいくと顔を忘れていて
「だれ?」
という反応をした福助だが、三歳の夏、突如パワフルに後追いを始めた。
福助の時計は人よりゆっくりなのである。
「おかーしゃん、上?」
二階にいるのか、と聞く。
「おかーしゃん、どこー。トイレー? トイレ(な)のー?」
と家中走りながら大声で叫ばれると、外まで丸聞こえでちょっと恥ずかしい。
そしてドアをばたんとあけられて、
「チーちちゃったらいいちもちー」と大々的に一曲歌ってくれる。
「うんうんーって、して。さんはいっ」
などと私が言っている言葉そのままに言われると、かなり恥ずかしい。
自分はまだおむつがはずせないくせに、何を言っているのか!! けつの青い若造め。
そんな福助が最近、こっている遊び。
「おかーしゃーん」と呼ぶので、「はーい」と私が返事をすると、
「なあに?」と、問う。福助が、私に。別に具体的なものを質問しているわけでなく、ご用はなあに?という感じだ。呼ばれて、何? と、問われても困るなあと一度大笑いしたら、定着してしまった。

リビングを出ると「いって(ら)っしゃーい」と声をかけられ、リビングに戻ると「おけーりー」と必ず手を止めて声をかけられる。トイレに行っても、洗濯を干しにいっても、掃除のためにほかの部屋に行っても、福助は声かけを忘れない。くしゃみをしても「Bless you! 」と言ってくれる。自分がおならをすれば「しっちゅれー」とごまかすように笑う。
相変わらず独り言は英語なので、何を言っているかさっぱりわからないのだが、ひとり劇団四季というか、「青い鳥」の独演会は、最近気に入っている遊びのようだ。
「たっててー(助けて)。たっててー。あおいとぃをー、さがしに、ここまで、(に)ぃんげんがやってくうっ!」
と、ものすごい緊迫感で歌うのだ。福助本人がとても愛している、「ゴードンのお顔=アングリーフェイス」を作り、拳を決めポーズで振り下ろして。
青い鳥を、インゲンが探していてもなぁ。鳥に食われると思うぞー。
「知だでてはならない、夜の秘密ぅぅぅ」
と、高らかに歌い上げられると、お前にどんな夜の秘密があるんだ、と突っ込みたくなる。
これが、何度見てもおかしいので、「やって、やって」と頼むのだが、興が乗らなければ名前も言わない、またはすぐに「マイネームイズ、ニコル」になってしまう福助は、それが自閉の国在住者の特徴とはいえ、すでに、大物スター並みの心意気である。
あ、でも、「ゴードンフェースして?」と頼むと、かなりの頻度で興が乗るみたい。その辺の謎が、知られてはならない夜の秘密なのかも。
(注)ゴードンとは、トーマスの国に住んでいる、大型機関車の名前。恐い顔でにらんでいる。目を見開いてハキハキしゃべるパーシーという名の小型機関車の顔真似もする。だいぶ前に一週間借りたビデオを未だに覚えていて、頭で再生しており、一人トーマス話も、笑える持ちネタ。この辺のねちっこい記憶力は自閉の国の真骨頂、うまく使えればアインシュタインがそうであったように、けっこう世界を変える力になるんだけどなあ。ゴードン福助は、どうなのか。

幼児がひとりうちの中にいると、なんというか、心が潤います。
P子も愉快な人だが、小学生になるとほとんど学校で過ごし、帰ってきても比較的勝手に机に座って遊んでいるので、かまってもらえず親としてはつまらない。
お楽しみの少なかった昔の人が、子だくさんだったのは、子づくりだけがレジャーだったわけではなく、子供の成長そのものが一種のエンターティメントになっていたからじゃないかしら。福助がまともに成長していたら、きっとそろそろもう一人。と、夫に迫っていたかもしれない。

 
 

 2003-09-26
 

ふざけんな!と叫びたい。
昨日のテニスに遅れたのは、カラスのせいだった。
一度ならず二度までも、カラスに生ゴミを狙われ、うちの前の道路に梨の皮を含む生ゴミが散乱したのだった。当然、処理は私がすることになる。
キャスターの吸い殻が入っている。こいつは、前も梨の皮と吸い殻を休日に出しやがった同一犯だ。ということは、この散らかり方からいって、また夜に出したに違いない。
犯人は、スーパーのぺらぺら袋にいれ、口を緩やかにとめる。だから狙われるんだ、からすに。
吸い殻に口紅がない、しかし生ゴミ処理袋を使っている、牛乳パックをリサイクルせずに捨てている、梨の皮のむき方が著しく下手ということから、それなりに几帳面な、しかし都市暮しの年月は少ない独身男性のしわざと判断し、おおむねアパートの住人だろうと疑っていた。
私の家とアパートの間の電柱が集積所になっているが、ここにはアパートを1戸として、4戸がゴミを出す。
一般家庭なら、都の指定ゴミ袋を使い、牛乳パックは再利用するだろう。まして、この辺は古くからのお屋敷も多く、アパートをのぞく3戸は、見るからにお金持ちそうなのである。うちも中古の注文建築品なので、外観だけは立派であり、貧乏はしていても、生ゴミは新聞に一度包んで水気をとり、スーパーの薄い袋に入れた上に、もう一度指定ゴミ袋にいれて出している。当然、スーパーの袋ゆるゆる、なんていうのは、私のようにエコロジストではなくても、都市暮しが長ければ考えられないと思っていた。
が、昨日は道路一面ちらばったゴミから、ざくっと切った進検ゼミのDMを見つけてしまった。
つい最近たて続けに人が出ていき、(私は犯人は引っ越した者と思っていたが、昨日の同一犯の犯行によってその推理の間違いを知った!)今は一人しか住人のいないアパートには、美形のプー太郎が暮らしている。時折、荷物を持たずフラフラとトレーナー姿で自転車に乗ってどこかに行くところを見ると、進検ゼミの福武書店にお勤めではないだろう。
町会に入らず、宗教絡みでやや偏屈だが、とても親切な老夫婦が暮らす家に送られるDMでもないはずだ。もちろん、青山に息子夫婦が住んでいると自慢げに語ったものの一度もその息子夫婦が尋ねてこない寂しい独居老女の家にも、進検ゼミは縁遠い。毎晩電気を消した真っ暗の部屋で、テレビだけがついている状態なのだから、趣味としての受験というのも、考えられない。何よりからすよけのためにおいておいたCDの仕掛けを、いつもきれいに片付けてしまうのは、ここの老女なのだ。何度事情を説明しても、「でも、これはゴミに見える。散らかしてはいけないでしょ」と、燃えないゴミとして出してしまうのだ。
となると、あと一軒……。中学生がいるが、家族構成が謎という、お屋敷がある。引っ越しのご挨拶に伺っても、「そういうことはやめてくれ」と、出てきてくれなかったお宅だ。中学生なら、進検ゼミからDMが来ても、何の不思議もない。たばこも、梨も、牛乳パックも、何しろ家族構成が謎なのだから、不思議はない。
そこに手紙を書こうかと思ったが、推理が違っていたら失礼だし、汚物を見られたのはきっとイヤな気分だろうし、私もゴミ漁りばばあのように勘違いされるのもしゃくなので、電柱に「キャスターを吸う梨好きの方へ」と、手紙を貼り出してみた。時間指定を守って、ゴミの出し方を考えて。始末をする鈴木、つらいです。とも、書いてみた。
で、今朝だ。
また、散らかっているではないか。なぜこんな朝早くに、ゴミが出ているんだ! 
からすは確実に場所を記憶した。ここは、スーパーの袋ゆるゆるの獲物があると、仲間に教えてさえいるに違いない。ほら、からすが集団で鳴き交わしているぞ。
今日は生ゴミの日じゃないんだ、竹串は燃えるゴミだ。しかもそのまま出すな、ゴミ収集の方にささったらご迷惑ではないかと、ものすごく頭に来た。同じスーパーの、ゆるゆる縛りだ。さては、字が読めなかったのか!? いや、夜に出したから字が見えなかったんだ、また夜のうちに出しやがったに違いない。
かくして、今日もゴミの後始末のあと、こんな腹立ち日記を書いていて、テニススクールに遅刻するのだ。でも、書かずにはいられない。どうしたら相手を傷つけずに、私が実害を被らずに、問題解決できるんだ!! よいアイディア大募集です。

 
 

 2003-09-27
 

「恐いなあ。お前、この日記、ゴミ漁りばばあに見えるぞ」
と、夫に言われる。神経質にゴミをチェックするおばさんだ。
ちょっと待て。ホウキで一通り集めたあと、ビニール手袋をして、都指定のゴミ袋を持って、道路に散らばったゴミを、最後は手づかみで片付けているのは私なんだぞ。見ないですめば見たくない、嗅がないですめば嗅ぎたくないにおいを、見ないように嗅がないようにしながら、できるだけ手早く片付けているんだ。でも、道路にこびり付いたゴミの一片が、手で片付けたゴミが、DMのちぎった破片だったんだーっ! そしてそれが進検ゼミだったんだ。
「誰だ、この公徳心にかけた者は!!」
とは思った。しかし、断じて袋を漁ったりはしない。
そんなこと、誰が好んでするもんか。私は無実だ。
夫にそう思われたことで、二重のショックだ。

ゴミと言えば、以前暮らしていた武蔵野市吉祥寺は、相互監視の目が厳しかった。
井の頭公園があるので、カラスがとんでもない数、住んでいたからだと思う。
「ジョージは若者のオシャレな街(というフレーズも20年前ぐらいだな)」という印象は、住んでみるとずいぶん違う。朝の目覚めが決まってカラスの声なのだ、吉祥寺は。そして、老人が強い街でもあるのだった。
さて、吉祥寺のゴミ収集は、広い道路に結構な戸数のゴミを一括して置く形になっている。私たちの住んでいた家の集積所にはプレートがあって、ゴミを出していい人の名前が明記してあった。もちろん借家だったので大家の名前しかないが、私たちは指定された時間(午前の遅い目の時間)にゴミを出して、それまでトラブルは一度もなかった。
ある日、夫がゴミを捨てにいってくれた。自分の仕事のゴミもあったので、大きな袋3つぐらいを抱えていただろうか。私が庭先の道を掃除していたら、大きな道路の方から金切り声がする。
「ちょっと、アパートの人はここに捨てないでっ」
見ると、夫が丁寧にからすよけシートをかけたであろうそこから、我が家のゴミが、ゴミばばあによって引きずり出されている。
「あんた、名前は」
詰問である。
「鈴木、ですけど」
「だ・か・ら・ね、書いてあるでしょ。ここは指定された人だけで、アパートの人は捨てちゃだめなの」
「いや、大家さんからここに捨ててくれって。ほら、これが大家さんの名前ですよ」
家主が、自分の息子夫婦のために建てた隣家を、私たちに貸していたのだった。
「あら。そーなの?」
夫はもう一度、ゴミを丁寧に積んで、からすよけシートをかけた。レレレのおじさんのようにホウキを持ってゴミ出しを見張るばばあは、自分の勘違いを夫に謝らず、不審者を見る目で、夫がうちに戻ってくるのをにらみ付けていた。
一部始終を見ていた私は、ちょっとびっくりした。
私が家の前の道の掃除の手を止めて、会釈して初めて、ばばあは納得した様子だったが、背中に視線が突き刺さったままの夫は納得しなかった。
確かに起き抜けの、Tシャツに短パンという、よろよろないでたちだったと思う。ひげもきちんとそっていない。そんな時間にまともな就労者は街を歩かないのだ。だから、単身者専用の近所のアパートに住んでいると思われたのだろう。漫画家のゴミなので、紙を丸めたものも多く、長年培ったゴミばばあの経験則から、家庭ゴミには見えなかったのかもしれない。けれども、いきなり「アパートの人は!」と怒鳴られるようなルール違反は、一切おかしていないのだ。
夫としてはあまり気分の良い話ではなかったと思う。
いや、夫じゃなくても、気分を害すると思う。
もし警告を受けたのが、同じご町内だったいしかわじゅんさんだったら、このゴミばばあをちゃんと説教して正しい道に導いてくれただろうに、と思う。
夫は黙っていた。しかし、以来、全くゴミ出しをしてくれなくなった。引っ越した今も、家の目の前の電柱が集積所だというのに、運ばない。前日に玄関に置いておくだけだ。
吉祥寺のゴミばばあは、私の仕事を増やしたのだ。私には未だにその恨みがある。
だから、ゴミばばあは私たちの敵なのだ。
「そんな者」に間違えられるなんて、あまりに悲しい。悲しすぎる。

 
 

 2003-09-28
 

娘P子は、今日、7歳になりました。
P子が産まれてきてくれたおかげで、この8年間、かなりハッピーでいられたので、きっと「ハッピーバースディ」の歌は、私のためにあるんだと思います。
P子のときは、微弱陣痛でほぼ三日がかりのお産だったり、P子が黄疸で入院したとたん夫はゲーム三昧で見舞いにこなくなったり、だから心臓の疾患を告知されるときにたった一人で震えたり、退院の日にも夫が二日酔いで迎えに間に合わなかったので、それまでの蓄積が爆発して離婚寸前の大げんかをしたなど、福助の水中出産と違ってあんまり楽しいお産ではなかった。でも、考えてみると、満足度の低いお産になったのは、ほぼ夫のせいで、P子には罪がないのでした。
産んだばかりの時には興奮して眠れないほど、わくわくしていたしなあ。明け方に産んで、普通はぐったりしてぐっすり眠るのに、眠りについたのは昼過ぎで、三時からの面会にはもう、目覚めていたもんなあ。ああ、若かった。
なんかこう、「これから大変!!」という臨戦態勢が、私はどうにも好きらしいです。こればっかりは性格だから仕方ない
。 P子は育てやすい子供でした。心臓の疾患をフォローするために、二人で毎日とんでもない距離を歩いていたおかげで、今では心臓も大丈夫です。そしてP子は、短距離では4人中4位だけれども、5キロぐらいなら楽勝で走れる、ものすごい健脚、ついでに美脚の持ち主に育ちました。
今日は、P子の卒園した、福助を受け入れてくれる予定の幼稚園の運動会。 もちろん、運動会の臨戦態勢も、私は大好きです。その雰囲気だけでワクワクし、ああ、来年はPTA競技を全種目制覇しよう。と、握りこぶしに力が入るのでした。
福助は、未就園児競技に参加したけれども、「よーい、ドン!」で、一人では走れませんでした。私が一緒に行きました。地面に置いてあるお土産も、ピックアップできませんでした。私が一緒に拾いました。運動会は、団体行動の祭典ですから、福助には苦手なことだと思います。でも、ひとつひとつ慣れていかないとね。お母さんも、一緒にがんばるからね。
こんな福助を入れてくれるというのも、多分そこが福助にとって最高の選択肢であることも、P子が、ちゃんといい子でこの幼稚園に通った功績が大きいと思います。今日のOB参加競技でも、フェアプレイをして堂々、ビリだったね。立派だと思いました。すでに弟の役に立っているP子は、わが子ながら本当にえらいぞ。P子、7歳、おめでとう。8年間、ありがとう。これからも、よろしくね。

 
 

 2003-09-30
 

ひょっとすると、私は「たいしたことない人」なのではないかと思う。
落ち込む原因があって、静かに反省しつつ落ち込んでいると、どんどん自分がダメな人に思えてくる。
育児もテニスもHPも作文も友達づきあいも、私が楽しく得意としていることはみんな、実は家事能力並または事務処理能力並、つまり赤点レベルなのかもしれない、本当は。
得意なことは得意だけど、苦手なことはとことん苦手で、平均点がやっと人並みという私にとって、すべてが「たいしたことない」場合、これはとことんダメダメ君だ。
「ダメダメくぅーん」
と、叫んでみる。愛するポカスカジャンが歌う「ガリガリ君のテーマ」だ。
「ダメダメ君、ダメダメ君、ダメダメ君」
と、歌詞をかえて高らかに歌ってみたら、あまりの明るい曲調に、すさまじく悲しみが増していった。
そんな私の歌を聴いて、夫がわざわざ、
「ああ、そうだよ。お前はひょっとしなくても、得意だと思っていることが実は、たいしたことないんだよ、やっとわかったんだな」
と、うれしそうにいう。・・・・・・・・・・・・・・・(心の隙間)・・・・・・・・・・・・・・・……うう、憎い。
あやうく、この負の、毒感情を、全部憎しみに転嫁してしまいそうになった。
なぜだー!! 私は確かに落ち込んでいるが、夫には全く迷惑をかけていない。それなのに、なぜなぜ、夫は「そんなにたいしたことない人」と自覚させたいのか。
「いや、元気出せって。案外、たいした人じゃん、お前」
と、慰めてくれたら、株も上がるっていうのによ。下落の一途をたどるみそ株、下げ止まらず。
まったくもって、なぜ、世の男性はこれほどまでに妻を貶めたいのか。
ある男性が、夫婦げんかの仲直りのためにカラオケに行って、「妻に捧げる歌」として「柔」を歌い、妻の逆鱗に触れたという逸話を思い出した。
「勝つと思うな、思えば負けよ」ーーって歌い出しよ、あの歌。ギャグか、それはギャグなのか? 半ば、マジか? ちょっと可愛いカレではあるが。
「得意」とか「勝ち」を意識した女は、男にとってイヤなモノなんでしょうかねぇ。
うーむ。イヤなものなんだろうな、私はつきあった全ての男性から「君は一人でも生きていけるから」と振られている。必ずその言葉で振られる、というのは、私の人間性と男選びの目に問題があったのだろうが、例えば得意分野が彼等と戦ってしまうものではなく、家庭科系とかだったら、よかったのかな。
そしたら、夫に「たいしたことないやつ」とまでは、言われなかったか。
「やっとわかったか」って、それは何だよ。じゃアレか、ずーっと、そう思っていたのか、と、八つ当たりしたくなるけど、そうすると名実共にたいしたことのない女になってしまいそうなので、やめる。
……えらい、えらいぞ。ワタシ!!
(あ、ちょっと元気になってきた)。
女でも男でも、「たいしたことないっす」と謙遜したり、はじめから負けを認めていたり、客観的に実力差を自覚しちゃったりするのが、「大人」だと思われているみたいだけどさ、「できる!!」と、自信に満ちていた方が、いいよ。楽しいことを考えれば、高く空を飛べるって、ピーターパンも歌っているしさ。つまんない大人になんか、ならない方がいい。
そうだよ、ワタシは夫に「大人は空を飛ぶ夢を見ないんだぜ、大人でそんな夢を見るのは変だ」と言われて以来、大好きだった空を飛ぶ夢をほとんど見なくなったんだった。結婚する28歳まで、つまり10年前までは、それゃあもうしょっちゅう、飛んでいたのにさ。
「たいしたことない」って言われて、本当にヨメがこの先、たいしたことなくなっちまったら、つまんないのはあんたじゃないか、夫よ。と、今、書きながら、気付いてしまった。
ということは、現時点で、「ワタシはとても、たいした人」である前提に立っていたのね。
あら、図々しいわ。ほほほ。
でもまあ、いいんじゃない、根拠のない自信でも。
「そんなこと、できっこないよ」と言ったお利口さんは、絶対に成し遂げることはないが、「ワタシにならできそうだ」と思ったおばかさんだけに、許される世界というものがあるからね。
そうよね……。うん。そういうことで、では、静かな落ち込み、終了!!

 
 


  
 
日記
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